蒼くたゆたう湖水のきらめき
「ベルクートさん……っすね」
湖水のほとりで目的の青年は、一人、剣の手入れをしていた。
「はい。貴方は確か、新聞記者の……」
「テイラーっつうもんです。ちとお話聞かせていただいていいですかね」
相手が否や、と言う前に、隣に座り込む。
記者には、それなりの図々しさが必要だ。
だが、相手は別に嫌がる様子もなく、どうぞ、とうなずいた。
世間話から始めて、王子軍での活躍ぶりや、剣の師匠のこと。
そして最後に、一番聞きたかった闘神祭のことを切り出した。
「では、闘神祭で勝てなかったのは、寝不足で調子がでなかったからだと?」
「そういうことです」
「ははぁ、了解しました。……なるほど、予想以上に手ごわい御仁っすね」
記者としての自分のしつこさには自信があるつもりだったが、これ以上は無駄と判断し、こっそりと呟く。
城でのベルクートの評判は、誰に聞いても、実直で嘘のつけない性格――というものだった。
それでも、守るべき者のためなら、信条を曲げて後悔しない。
闘神祭の真実は、すでにほとんどの者が知っているというのに、彼が自ら話すことは、これからもないだろう。
真面目というか、頑なというか。
それでは、自分が証拠を集め、いずれ彼にも彼が守ろうとしている者にも迷惑がかからない手段で、真実を公表するだけだ。
よし、これはこれで燃えてきた。
「ところで、マリノさんといい仲なんですって? それに、凄腕の女性剣士が追いかけて来てるとか。うらやましい話っすねぇ」
「は?」
きょとん、というのは、こういう顔を言うのか。
ベルクートの表情に、テイラーの方がびっくりする。
宿屋を切り盛りしている娘が、この剣士に惚れこんでいるというのは、城では誰もが知っていることだった。
肝心のその相手に通じていないという噂も流れてはいたが……。
「マリノさんやハヅキさんとは、そういう関係ではありません。そんな話をされては、二人に迷惑がかかります」
やめてください、ときっぱりと言い切られて、思わず大事なメモ帳を取り落としそうになってしまう。
気づいていて知らぬふりをしている、というわけでもなさそうだ。
マリノの想いは空振りしているらしい。
(こりゃ、この時勢には珍しいタイプだね)
王子殿下、お気に入りの剣士と聞いて取材にきたのだが、それ以外でもなかなか面白い人物だ。
後は何を聞いておこうかと、メモをめくっていた時だった。
湖から、水しぶきを上げて何かが現われた。
先ほどの会話に怒るでもなく、剣の手入れに戻っていたベルクートが顔を上げた。
「ビャクレンさん」
驚きもせず、その姿を見上げる。
「今日も綺麗ですね。鱗が陽射しに映えて、真珠のようですよ」
人間の言葉がわかるのか、巨大な水蛇は、まんざらでもなさそうに身をくねらせた。
続いて、その傍らにも巨大な影が浮かび上がる。
「ゲンオウ殿も、甲羅のツヤが良いようで何より」
「うむ、いい天気だのう」
気難しいと評判の大ガメも、顔なじみの青年の前では機嫌よさそうだ。
(天然のたらしは無自覚か? しかも、対象が無差別ときたもんだ)
なるほど、この調子で話していれば、誤解する女性が山ほどいても仕方がない。
どこに感心したらよいのか分からず、テイラーは成り行きを見守る。
しばらくの間、通じているのかいないのかよく分からない、ほのぼのした会話が続けられた後。
大きな白蛇が、ぺしぺしと尻尾で湖面を叩いた。
「どうしました、ビャクレンさん」
湖の主と言われる大蛇だが、彼女はさすがに人間の言葉は話せない。
代わりに、滝壺の主という長老である大亀が通訳した。
「――湖の真ん中に、小さな島があるじゃろう。あそこから城を、真正面から眺めることができるそうじゃ。おぬしを連れていってやろうと言っておる」
「へぇ、そりゃあ、見事な眺めでしょうな。よかったら、あっしも……」
記者根性で思わず言ってから、一気に後悔した。
(あああ、ビャクレンさんに睨まれてやす、睨まれてやすっ)
言葉は通じずとも、種族が違おうとも、女性がお邪魔虫に向ける視線に気づかないわけがない。
丸呑みにされそうな気配に、そーっとそーっと湖から離れ、茂みに隠れてみる。
まぁ、あの白蛇殿が本気になれば、この程度、なんの障害にもならないだろうが。
――その時、軽い足音が近づいてきた。
「ベルクート」
「殿下、おはようございます」
ファレナ女王国の王子殿下。
銀の髪をなびかせる、少女のような姿からは想像もつかないけれども、その両肩には重い運命がのしかかっている。
女王を手中にしたゴドウィン派からは反乱軍と名指しされているが、少年の元に参じた者たちは、彼こそがファレナの女王の意思を、真に体現できる者と信じていた。
民を戦争の手駒としか考えない貴族が多い中、自ら武器を取り、民を守る。
一体この細い身体のどこにそれだけの力が秘められているのだろうか。
だが、戦や政から離れれば、やはりまだあどけなさを残す少年だ。
信頼する剣士の前で見せる顔は、一城の主でも、連合軍を率いる将のものでもない。
そうだ、とベルクートが湖水の大蛇に声をかけた。
「ビャクレンさん、私よりも、殿下とミアキスさんをお連れしていただけませんか?」
「なんの話?」
「湖の小島からの眺めが綺麗なんだそうです」
指差された方を見て、王子が笑顔になった。
「ミアキスは買物に出かけてるんだ。だから……」
傍らで聞いていても、「二人で行こう」と残りの言葉が分かるというのに、ベルクートは真顔で問い返してしまう。
「……では、お一人で行かれますか?」
徹底した鈍感ぶりも、ここまでくると見事と言うしかない。
わざとではない、というのが分かるだけに、相手が気の毒になってくる。
「ビャクレンに誘われたのはベルクートなのに、本人が行かなくてどうするの!」
王子に突っ込まれても、鈍い剣士は困った顔をするばかり。
「しかし、ビャクレンさんに乗せていただくのは、申し訳ないような……」
「何をごちゃごちゃ言っとるか。面倒じゃ、三人くらい、わしの背に乗っていくがいい」
「え、三人って……」
ゲンオウの言葉に振り返った王子が、ようやくテイラーに気づく。
沈黙が怖い。
(ひえーっ、あっし、王子にもめっちゃ睨まれてやす!)
先ほど王子が現われた時に、立ち去っておくべきだったか。
朴念仁と評判の剣士の取材に来て、馬に蹴られて死んでしまえ、と言わんばかりの視線に、こうも立て続けにさらされるとは思わなかった。
しかも、予想していた女性陣ではないと来ている。
「それでは、ゲンオウ殿のお言葉に甘えて、三人で行きましょうか」
何も気づいていない青年の言葉には、感謝してよいものか。
とりあえず、今日のことは沈黙を守らないと、色んな意味で敵が増えそうだ。
湖水を渡る間、事故を装って蹴落とされないよう、テイラーはゲンオウの甲羅にしっかりとしがみついていた。
* * *
「思ったより、土地がありますね」
ささやかな小島であったが、豊かな緑に覆われている。
城が湖から姿を現すまで水の中にあった場所であるのに、豊かな太陽を受けて、たちまち草が覆ったのだ。
端から端まではほんの少しの距離であったが、かきわけるように端まで歩くと、生い茂った背の高い草の間から白亜の城がそびえているのが見えた。
「ああ、本当に綺麗だ」
葦草を透かした陽の向こうに見える城は、船から見る時とはまた違って、とても優美で美しい。
「蒼くたゆたう……なんでしたっけ」
「蒼くたゆたう水面に望む5月のため息の城」
城の名を決めようとした時に、我らが軍師殿が言い出した名前であった。
王子がよどみなく答えると、ベルクートが笑う。
「詩人ですね、軍師殿は」
「からかってるだけだよ、あの人」
「そうなんですか?」
「人が覚えられないことを分かってて言ってるんだもの」
「殿下は覚えてるじゃないですか」
ぼくだけ覚えてても、とため息をつく。
「まぁ、敵がこの城のことをいちいち「蒼く……」って全部言いながら会話してるのを考えると、ちょっと笑えるけど」
「なるほど、軍師殿の狙いはそれですか」
生真面目に納得する様子には、ツッコミを入れるべきなのかどうか。
さわさわと風に揺れる葦の向こう、湖水に姿を映しながらそびえる古代の城。
かつて強大な文明を築いたというシンダルの遺跡。
これだけの建造物を作り上げる技術を持っていたというのに、それを湖水に沈めて去って行ったと言われている。
彼らもまた、紋章の力に翻弄され、争いを繰り広げていたのだろうか。
王子はしばらくの間、自分の仲間たちがいる城を見つめていたが、ふいに振り返った。
「ベルクート。ぼくに剣を捧げてくれるって言ったよね」
「はい」
「今、この場でもう一度誓える?」
突然の問いに一瞬戸惑ったものの、剣士はすぐに、腰に佩いた大剣を鞘ごとはずした。
片膝をつき、自らが決めた主へと差し出す。
「命ある限り、この剣を王子殿下に捧げます」
その姿を見下ろしながら、王子は言った。
「もう一つ。もしぼくが、当初の目的を忘れたら……リムを助け出すこと、それによってファレナが平和を取り戻すこと、それを忘れるような真似をしたら――」
一瞬、湖のさざなみさえもが、音を失った。
「この剣で殺すと誓って」
重苦しい沈黙が流れる。
それを破ったのは、迷いないベルクートの声だった。
「分かりました。誓います」
「……随分簡単に引き受けちゃうんだね」
王子が少し複雑な表情で笑えば、剣士は当然、という顔で答える。
「殿下はそのようなことをなさらないと、信じておりますから」
渡された大剣は、少年の手には大きすぎる。
両手でようやく支え持てるほどの。
常に自分の身を守ってくれる物だからこそ……道を踏み外した時には、命を託してもよいと思ったのだろうか。
「……ありがとう」
小さく、しかしきっぱりと呟いて、王子は剣を持ち主へと返した。
(芝居に出てきそうないい場面なんだが――)
テイラーはメモを取ることも忘れ、主従を見ていた。
(なんだか痛々しいねぇ…)
善政を布いていた前女王アルシュタートの様子がおかしくなったのは、二年前、太陽の紋章を宿してからだと言われている。
国を丸ごと吹き飛ばすとまで噂される、真の紋章。
その下位とは言え、どれほどの力を秘めているか分からぬ黎明と黄昏の紋章。
王子は今、その一つ、黎明の紋章を手に宿している。
普通の人間のように権力欲や復讐心に駆られることだけでなく、母親のように紋章の力に引きずられるかもしれない、という恐怖にも常にさらされている。
歳若い少年には、それはあまりに重い宿命だ。
しかし王子は、今までのやりとりなど忘れたかのように、小島の珍しい湿地の植物を探して駆け回っている。
剣士はと言えば、湖との境がはっきりしない地面に、王子が足をすべらせはしないかと、ひやひやしながら後を追いかけていた。
「さて、と」
しばらく走り回って満足したのか、王子は、葦の茂みにもたれて休んでいた大蛇に呼びかけた。
「そろそろ帰ろうか。あんまり城を空けると、ミアキスが大騒ぎするよ。……ビャクレン、乗せてもらえる?」
すい、と寄ってきた大蛇が、仕方ないわね、とでも言いたげに背を寄せた。
王子とベルクートを乗せると、たちまち水面を優雅に泳ぎだす。
「あ、あれ?」
確かに大蛇の背は三人を乗せるにはほっそりしている。
してはいるが――!
「殿下! テイラーさんが取り残されてますっ!」
「うん、船で迎えにきてもらおう。――後でね」
「「ええええっ!?」」
王子とビャクレンの、してやったりという笑顔が見えるようだ。
テイラーに迎えの船がきたのは、陽が落ちかけた頃だった。
彼のメモには、『取材と言えど、王子の邪魔はすべからず』という自戒の言葉が書き加えられていたらしい。
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