太陽と月の内緒話


「よい風じゃ」
太陽宮のバルコニーから身を乗り出すようにして、リムスレーアは長い髪を風に躍らせた。
再びここに、こんな穏やかな心で立てるとは思わなかった。
前にこの場所から広場を眺めたのは、女王出征の時だった。
出兵を直前に控え、太陽宮前を埋め尽くす、兵士たち。
鈍色の甲冑と盾に身を固め、銀に輝く槍や剣を持った人間の波。
あの一つ一つに命があることなど、忘れてしまいそうな感覚に身が震えた。
自分は彼らに、死んで来いと命じなくてはならぬのか。
恐ろしい。
それなのに。
マルスカールやギゼル、ザハークやアレニアは、それらを眺め――。
素晴らしい、と言ったのだ。
強大な軍事力、他国を寄せ付けぬ圧倒的な力。
ディルバやバフラムも、他に並ぶ将校たちも、褒め称えた。
これで、ファレナはこれからの永い時を安泰である、民を守ってやれるのだと。
繰り返し聞かされるうちに、自分が間違っているような気さえしてしまった。
父が目指してきた和平による他国との友好。
それらを否定したゴドウィン派のようなやり方を、民は望んでいたのか、と。
「そなたなら……ここから、何を見る?」
リムスレーアは、隣にいたはずの者を見やった。
――が、いない。
「こら、何故そんなに後ろにおるのだ」
バルコニーから一番離れた、宮からの出口付近にいる青年に怒りの拳を向ける。
「さっさとこちらに来ぬか」
「しかし、陛下のお隣に立つわけには……」
「わらわが良いと言っておるだろう!」
困ったように笑って、やはり一歩下がった場所で歩みを止めた青年は、先日ストームフィストの新兵教練の教官になったという。
兄のところに報告の挨拶に立ち寄ったのを、横からかっさらってきたのだ。
――もう随分と昔のような気もするが、リムスレーア自身の婿を決めるための闘神祭、彼はそれに参加していた。
もう少しで自分の夫になるかもしれなかった者。
その後起こった戦いでは、常に兄の傍にいてくれたと聞いている。
一度、ゆっくり話してみたいと思っていた。
実際に会ってみると、闘神祭で見かけた時に比べ、随分と柔和な印象だった。
周りに口調を気にしない臣下が多いせいか、久しぶりに聞いた身分相応の丁寧な挨拶には、思わず拍手してしまったほどだ。
かといって堅苦しいわけではなく、話していて気が楽である。
……しかし、どんなに今は穏やかな表情をしていても、第一線を潜り抜けてきた剣士。
その後も、新兵の指導を引き受けた者ならば、同じ風景に目をやっても、やはり警備や衛兵に目が向くのだろうか。
この程度の防備では心もとないとか、もっと軍備を増強すべしとか。
父や兄が変わっているのであって、男など皆同じか――。
「そう……ですね」
しばらく考えた後、
「あの広場。子供たちが遊んでいます」
意外な言葉に、驚いてそちらに目をやる。
家々の並びの端、開けた場所で、子供が走り回っているのが見える。
声までは聞こえないが、賑やかに、楽しそうに遊んでるのが想像できた。
「港に船が着いたようです。あれは外国からの交易船ですね」
風を受けてフェイタス河を上ってきた船は、帆には異国の模様がついている。
珍しい品々を運んできたのか、船乗りや商人が船に群がっていた。
「泉には渡り鳥が来ています。動物は戦乱の地には寄り付きません。ファレナが安全だと判断したのでしょう」
西の離宮側にある小さな森には泉がある。
わずかに見えるそこに、白い大きな鳥たちが舞い降りていた。
どれも、なんということもない、当たり前の風景だ。
そう、母と父が治めていた頃には、当たり前だった光景。
誰も気に留めぬようなそれらを一つ一つを、手に包み込むように大切に、拾い上げていく。
「女王陛下、貴女の治めるこの国は、今とても平和で美しいと――そう思います」

(リムスレーア。この国はいずれお前が治めることになります)
(国の宝とは、国民の笑顔です。それを忘れてはいけませんよ)

(交易船が着いたらしいよ。リムに似合う髪飾りがあるといいね)

(コウノトリだ! リム、お前はあの鳥に運ばれてきたのだぞ!)
(なっ、わらわは、母上から生まれたのではなかったのか!?)
(まぁ、姫様、信じてらっしゃる〜、可愛い〜)

「……下、陛下?」
心配そうな声に我に返る。
「少し冷えて参りました。そろそろ戻られた方が」
「そ、そうじゃな」
確かに空からは、ひやりとした風が舞い降りてくる。
「……戦場に身を置いても、そのような目を持ち続けることができる人間もいるのじゃな――」
ぽつりと呟き、リムスレーアはほんの少しだけ、口元に笑みを浮かべた。

***

謁見の間に戻るなり、リムスレーアは兄に言った。
「兄上、わらわは決めたぞ。この者を、女王騎士に任命する」
突然の言葉に、当然兄も当の本人も仰天する。
「陛下?」
「リム!?」
「なんじゃ、兄上。ここに戻った時、離れている間に得たものを、なんでも分けてくれると言ったではないか。それにはもちろん、人材も含まれているのであろう?」
「で、でも!」
「すでにガレオンとカイルが、女王騎士の任から離れると申し出ておる。このままでは人数の体裁すら整わんではないか。――闘神祭での実力と、兄上と共に戦ってきた実績があれば、条件には十分であろう。他に同じだけの候補をすぐに出せるのか?」
反論無用、とばかりに並べ立ててから、兄にこそっと耳打ちする。
(女王騎士になれば、兄上も共にいる時間が増えるぞ?)
(そ、それは……)
(ならば、兄上からも要請するがよい!)
(あのね、リム。実はぼくからも何度も誘って……全部断られてるんだよ)
「なんじゃと!?」
こっそり話していたのに、驚いて声を上げてしまった。
「そなた、元はと言えば闘神祭で女王騎士長を目指していたのであろうが! 何故女王騎士の座を蹴る!?」
びしっと指を突きつけられて、少し苦笑した後、ベルクートはいつもの静かな口調で答えた。
「私はすでに、ストームフィストの新兵教練の教官を任命されております。そちらを何もしないうちに、退くことはできません」
「では、そちらが落ち着いたら来られるな? 新兵訓練ならば、他にもできる者がたくさんおろう」
「いえ、それでも……申し訳ありません、お受けできません」
きっぱりと答えられて、リムスレーアは怒るよりも唖然とした。
このファレナの地にいるのであれば、これ以上の栄誉はないはずなのに。
「女王の命を断るとは……おぬし、大馬鹿者じゃっ」
言われても、困ったように笑うばかり。
リムスレーアは、納得できないまま、不機嫌に兄に八つ当たりするしかなかった。

***

「リムが無理を言ってごめん」
「いえ、女王陛下に声をかけていただけるとは、身に余る光栄です」
ストームフィストへ向かう船の前。
辺りは荷を運ぶ者や、見送りの者で賑やかだ。
「それで……女王騎士になるのは、やっぱり無理?」
「私は――」
「うん、分かってる。あの闘技場が奴隷の取引とかに使われないか、監視する目的もあるんだよね」
「一度そういった施設であった場所は、闇取引に使われやすくなります。取り壊さないのであれば、他に使用用途を決めて、それを継続させないと」
それに、と彼は続けた。
「私は殿下、貴方にすでに剣を捧げております。それを取り下げて、陛下に仕え直すことはできません」
女王騎士になることを拒んでいる理由に、自分が関わっていたとは思わなかった。
驚いて、尋ね返す。
「ぼくも女王騎士としてリムを守る立場なんだし……そんなに固く考えなくても大丈夫なんじゃないかな?」
「いえ、もし何か事が起こった場合、私はきっと、お二人両方を守ろうとしてしまう。女王騎士としては失格ですよ」
あまりに当然のように言われたので、そういうものか、と聞き流してしまいそうになった。
何度か繰り返してみて、ようやくその本当の意味を頭が理解する。
何かあった時、女王よりも、剣を捧げた相手を守ってしまう、と。
そう言われたのだ。
(ど、どうして、この人は、こういうことを、さらっと言ってのけるんだろう)
本人にその気がないから、余計に性質が悪い。
良くも悪くも、それ以上の意味などないのだから。
「それでは殿下。失礼いたします」
「また近いうちに、視察にいくから」
「お待ちしておりますよ」
帆が張られ、たちまち船は遠ざかっていく。
その形が波に溶けて消えるまで見送り、呟く。
「絶対あきらめないからね」
足元にいた猫だけが、不思議そうに見上げていた。





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おまけ

「……あの男、女王命令で教官の職をクビにしてでも、早くソルファレナに連れて参れ」
「リム、それはさすがに職権乱用ってものだよ」
「兄上、何をのんびりしておるのじゃ。あの真面目馬鹿ぶりでは、放置しておったら、たちの悪い女にでもひっかかって、身動きが取れなくなるぞ!」
(うっ、ばれてる……)


おまけ2
書き終わってから気づいたのですが、リオンちゃんもいざとなったら、女王より王子を守ってしまいそう。
女王騎士が三人しかいない状況で、それって……(笑)。
トーマが押しかけてくるまでに、なんとか人数だけでも集めるべし!


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