木漏れ日は指の隙間からこぼれて


「出かけるんだけど、一緒に来てもらえる?」
「殿下、どちらへ?」
「ちょっとハーシュビル軍港へ」
なんでもないことのように告げられて、ベルクートは絶句した。
スピナクス港を押さえたとは言え、臨港であるハーシュビル軍港はまだゴドウィン派が大勢を占めている。
交易の小さな船を使えば、行くこと自体は可能だろう。
しかし……
「いけません、危険です!」
「ベルクートが来ないなら、一人で行く」
「殿下!」
他に供がいる様子はない。
町の様子を見るために、できるだけ少人数で動いたことは今までもあるが……。
住民を刺激しないよう、本気で二人だけで行くつもりなのか。
「分かりました、ご一緒いたします」
この王子が見かけによらず強情で、一度言い出したらあきらめないことは、よく分かっていた。
下手に止めても、本当に一人で行ってしまうだろう。
「ただし、どうか約束してください。何か危険なことがありましたら、必ずお逃げくださいますよう」
その言葉に、王子は、肯定とも否定ともとれない笑顔を返す。
「ビッキー、スピナクス港に送ってくれる?」
呼ばれた少女は、いつもの明るい笑顔でうなずいた。
「うん、いいよ。せーのぉ……くしゅん!」
小さな可愛いくしゃみがホールに響いた。
同時にきらめく、瞬きの紋章の光。

「あ……やっちゃった――」
ビッキーの呟きは、飛ばされた二人にはもう届かなかった。

***

「……ここは港じゃないね」
「ありませんね」
聞こえてくるのは、波の音ではなく、風が葉を揺らす梢のさざめき。
辺りに満ちるのは、緑の若草の香り。
見知らぬ、静かな森だった。
「噂には聞いていましたが……ビッキーさん、くしゃみをすると転送を失敗してしまうのだとか」
「そうなんだ」
ビッキーの元へ帰るための手鏡は、王子が持っている。
城へはいつでも戻れる。
特別不安はなかった。
「――綺麗なところだね、ちょっと休んでいこうか」
正直なところ、今日、どうしてもハーシュビル軍港へ行かなくてはならないわけではなかった。
ルクレティアからは、各地の情報が集まるまで、大きな動きはしないと言われている。
次の行動が決まるまで、休息するなり、各地を視察するなり、自由にしてよい、と。
だからこそ、今のうちにゴドウィン派の補給基地でもある軍港の様子を見ておこうとも思ったのだが……。
ビッキーが気を利かせて、休息できる場所に飛ばしてくれたようにも思えた。
ただの偶然でも、少しだけそれに甘えてもいいだろう。
さくさくと草を踏んで、木漏れ日の降り注ぐ広場を歩む。
人の気配がない、美しい森だ。
王子は柔らかな草の感触を楽しみながら歩き回っていたが、やがて巨大な樹の根元で歓声を上げた。
「瞬きの紋章片みーっけ!」
この紋章片は、瞬きの鏡と同様の効果を持ち、望んだ相手を身近に引き寄せることができる。
人為的に作り出すことはできず、また自然界でもごく稀にしか見つからない、非常に珍しい欠片であった。
ここにあったものは鳥が運んだか、それともここを訪れた旅人が落としたものか。
座りこみ、王子は欠片を陽にかざして、そのきらめきを眺めている。
その隣に腰を下ろし、ベルクートは微笑んだ。
「それにしても、はぐれなくてよかったです。殿下は手鏡を持っておられますから心配ありませんが……私は城に戻るまでに、何ヶ月もかかりそうです」
「不吉なこと言わないでくれる? ベルクートがいなかったら、この戦い、勝てないよ!」
「そんなことは……。殿下のおそばには、ゲオルグ殿やダイン殿がいらっしゃいますし。ガレオン殿やミアキスさんも。何も心配はいらないかと」
当然のように言われた言葉に、王子は愕然とする。
「……それ本気で言ってる?」
「ええ、彼らは本当に良い腕ですし」
なんの嫌味も皮肉もなく、ただ彼らの腕前を自分より上だと認め、だからこそ、自分の代わりはいくらでもいると。
謙虚で控えめなのはベルクートのいいところではあるのだが……これはちょっと行き過ぎだ。
ベルクートが他の者より腕が劣るなどとは感じたことはない。
第一自分が、剣の腕前だけで彼を連れまわしているとでも思っているのだろうか。
「……ベルクート、手」
「?」
言われるまま差し出された手に、先ほど拾った紋章片を握らせる。
「もしはぐれたら、これ使って僕を呼び出して」
「は……?」
「そうすれば、一緒に帰れるから」
渡された不思議なきらめきの欠片に目を落とし、しばらくの間、ベルクートは言葉を失っていた。
手の中にある小さな欠片が、どれだけ珍しいものであるか、知っている。
自分などが持っていてよいものではない。
そう思い至って、慌てて返そうとする。
「いえ、受け取れません! こんな貴重なものは……」
「持ってて! 命令だ!」
王子が、人に何かを強制することは滅多にない。
人の言いなりになることを嫌う分、人も無理に従わせようなどとは思わない。
それが、絶対に逆らうことは許さぬという口調で叫んだのだ。
戸惑いながらも、手にした紋章片を、小物を入れている皮袋にしまう。
その間もずっと、本当にいいのだろうかという当惑が見て取れることに、王子は肩を落として大きくため息をつく。
「ベルクートは……もっと自信過剰になっていいと思う」
「は?」
「もっと自分が特別で、いなくちゃ困る人間なんだって自惚れていいんだってば」
彼の性格では、そういったことが無理であることは分かっているけれど、言わずにはおれない。
このままではきっと、戦いの中で命を落とす。
背後に守るべき者がいる間はいい。
絶対に彼は負けない。それだけの腕を持っている。
だが、もしも一人だったら。
自分の代わりになる者はいくらでもいる、などと思っていたら――。
「ベルクートは、城の皆のこと好き?」
「もちろんです」
「同じくらい、自分が皆に好かれてるって分かってる?」
「……」
一瞬、剣士の顔から表情が消えた。
すぐにいつもの困ったような微笑に戻りはしたが、見逃すはずがない。
やっぱり――!
前から、薄々変だとは思っていた。
日頃から鈍感とからかわれてはいるが、彼は決して空気の読めない人間ではない。
どちらかというと、気が利いて、色々と先回りして応えてくれる。
それなのに、人から向けられる好意にだけ、極端に鈍い。
わざとではないと誰もが知ってはいるが、それでも、そういった事に関わらぬよう、避けているとしか見えなかった。
その原因が、これだ。
「私は元闘技奴隷です。学もありませんし、人に好いていただけるような人間ではありません」
なんの裏表もなく、ただ本当にそう思っている。
本人に悪気はない。
けれど、今まで、こちらからの想いは何も伝わっていなかったのかと思うと泣けてきた。
沈黙した王子に、ベルクートは恐る恐る声をかける。
「あの……何か私はお気に障るようなことでも……」
「――分かるまで、帰らないからね」
「ええっ!?」
「何、その最初からあきらめた驚き方は!」
「し、しかし、何をどう考えたらいのか……」
本気で困り果てた顔を見ていると、なんだか苛めているような気になってくる。
ぷい、と背を向けて、情けない顔を見せないのがせめてもの抵抗。
人間たちをよそに、風は変わらず梢を揺らし、葉ずれが涼やかに響く。
きらきらと降り注ぐ日差し、どこか遠くから聞こえてくる微かな水音。
先ほどまでは、これほど美しい場所に来られたことが嬉しかったのに。
……どのくらい経ったのか。
差し込んでくる光の色が、白銀から黄金色に変わり始めた頃。
「殿下」
静かな声が呼びかけた。
それはいつもと変わらず穏やかで、けれどとても哀しそうだった。
「お叱りは、後でいくらでもお聞きします。ですが、今は一度お戻りください。連絡なしにあまり長い間城を空けては、皆さんが心配します」
一番心配しているのは自分であろうに。
そのことにさえ気づいていないのが悔しい。
このまま膝を抱えて黙っていれば、いつまででも待っていてくれるだろう。
そういう人だから。
王子は、はぁ、と大きくため息をついた。
負けるのは自分だと、最初から分かりきっていた。
「……宿題だからね」
がつ、と腕を掴み、反論される前に手鏡を使う。
紋章のきらめきを残して、二人の姿が消える。
木漏れ日の森は、何事もなかったかのように、ただ静まり返っていた。

その日、戻るなり部屋にひきこもった王子と、暗雲を背負った剣士に、城のおしゃべり雀たちが噂話に花を咲かせていたらしい。





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王子軍の最強二人が凹んだままだと敗戦してしまいそうなので、続き書きますw

ホントは、はぐれたら、王子がベルクートさんを呼び出せばいいだけなんですが。
何か大事なものを渡しておきたかったのです。
人から物を預かっている間は、人間少しは自分の身の安全に気を使うようになります。
ええ、再購入できない本とかね!(早く返しなさい、自分)

ついでにタイトルの話。
本文にかかった時間<タイトル決めるためにかかった時間 orz
そろそろ限界な、私の頭……。(最初からムリしなければいいのに)
字面は綺麗ですけど、王子の「通じない〜っ」という心の叫びってことで。



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