潮騒は海が奏でる子守唄 弐


「随分水を積み込むんだね」
ごろごろと転がされていく樽を眺め、船べりに寄りかかったまま王子が呟いた。
樽の動きを目で追って、そのまま斜めってしまいそうになるのを、軽く支えてベルクートが答えた。
「今回程度の航海だと、ほとんどは甲板磨き用です」
「わざわざ濡らすの?」
「強い陽に照らされると、木は乾燥して変形してしまいます。それで、こまめに甲板を湿らせるのです」
水はたくさんあるのに。
ちらりと、王子は海に目をやる。
「塩を吸うと木材が痛むので、よほどのことがない限り真水を使います」
カナカンへの行き来で船の経験があるベルクートは、海路の船旅に詳しい。
船酔いを起こして辛そうな王子の気を紛らわすためにも、聞かれたことには、こまめに答えていた。
「水を入れた樽は、最下層の倉庫に置けばバラスト(※船の安定をよくするために船底に積む鉄塊・砂利等)の代わりになります。空になった樽は、第二階層辺りに置いて、次の積荷と交換するか、万が一の場合の捨て荷に……大丈夫ですか?」
「うん、へいきぃ――」
全然平気ではなさそうな王子の声。
横になったら二度と立てなくなるような気がする。
そう言って、必死に立っていたのだが、そろそろ限界のようだ。
肩にもたれてしばらくがんばっていたが、そのまますとん、と座りこんでしまった。
その隣では、すでに抵抗を放棄したリオンが寝込んでいる。
そのさらに向こうには、普段の毅然とした姿からは想像もつかない程、憔悴したダインもいる。
内陸出の者たちには、海の船旅は鬼門だったらしい。
「いやー、大変そうだなぁ」
「可哀そー」
「お前たちはやたら元気だな」
「レルカーでは、揺れの激しい小船で遊んでましたからね」
「ヴィルヘルムさんの部隊はファレナの活動が多いけど、国外に出ることもあるもん」
カイルとリヒャルトは、積み荷に座って笑っている。
「あのお二人は……」
「聞くまでもなかろう」
元々人間離れして見える女性二人は、船員たちがいそいそと用意した椅子でくつろいでいる。
潮風に吹かれても、まったく変わらぬ真っ白な肌をあらわにしたジーン。
帆の影とは言え、海の強い陽射しに照らされても、顔色一つ変えぬ黒服のゼラセ。
船員たちは、二人の美貌に惑わされてまだ気づいていないようだが、見ていると、なにやら背筋が冷たくなってくる。
それに比べて、甲板に転がった三人の辛そうなこと。
心配そうに眺めていたベルクートが、何か思いついたらしく船の中に入っていった。
しばらくして、竹細工の水入れを三つ持って戻ってきた。
「飲まなくても構いません。香りだけでも」
受け取った竹筒に口を寄せて、王子はほっとした表情になった。
「いい匂い」
すっとする爽やかな香り。
胃のむかつきが、少し収まった気がする。
「薄荷水です。船酔いに効くと教わりました」
王子の手が止まった。
「……教えてくれた人って、優しくて綺麗なお姉さんじゃなかった?」
きょとん、としてベルクートはうなずく。
「ええ、群島諸国出身の方で――」
「もう一杯もらってきて」
ぐいと飲み干すなり、王子はさえぎって竹筒を突きつけた。
顔はにっこりと笑っているが、声はトゲだらけだ。
何がなんだか分からないなりに、機嫌を損ねたことだけは察して、ベルクートは逃げるように姿を消す。
残された者たちが、必死に笑いをこらえていた。

***

「船室に居ないと思えば」
星明りと小さなランプの灯りだけが頼りの甲板の外れ。
暗闇の中、船尾近くの積荷の脇に、探していた連中が転がっていた。
船室から持ち出してきた毛布に包まって、すやすやと寝入っている。
「殿下がここがいいとおっしゃるので、結局、皆さんも残ってしまいました」
王子は、風に当たっている方が楽だと言って、どうしても船の中に入ろうとしなかった。
となれば、おつきのリオンや、カイルも残るに決まっている。
ダインとリヒャルトは、船室に戻るのが面倒だったか、自分だけ戻りたくはなかったのか。
「子守も大変だな」
今は風が穏やかとは言え、海の天候は変わりやすい。
急に波が高くなれば、いきなり甲板から投げ出されるほど揺れることもある。
比較的安定した船尾の、固定された貨物と船べりを支えにしていようと、その危険は常にある。
甲板で過ごすのであれば、当然誰かが寝ずの番をするしかない。
「三人とも、眠れるだけ酔いが収まったようです。よかった」
その役目を押し付けられてしまったのに、迷惑そうな様子もない。
皆がゆっくり休めていることを素直に喜べる性格だ。
王子だけでなく、人の気配に敏感なリオン、用心深い傭兵のリヒャルトまでが、安心しきって眠っているのもうなずける。
裏切りによって全てを失った王子にとって、無条件で信じられる存在が、どれだけ貴重であることか。
――もしあの時。
闘神祭で、ただの出場者の一人と見なして直接会わなければ。
また、決勝戦でのキルデリクの無法な攻撃から守っていなければ。
きっとこの場にはいなかった。
フェリドがここまで見越していたとはとても思えないが、あの計らいに感謝しなくては。
王子の毛布をかけ直していたベルクートが、ふと辺りを見回した。
「……何か聴こえませんか?」
闇の中、聞こえるのは波の音ばかり。
別に何も、と答えようとして気づく。
眠気を誘う、静かな優しい子守唄のような。
「歌?」
「これは……」
「セイレーン!」
海の魔物。
その歌声で船乗りたちを魅了し、海に引きずり込むという。
「皆さん、起きてください!」
セイレーンの歌は暗示のようなもの。
完全に起きていれば、この程度で操られることはない。
しかし、夢の中、知り合いの声で語りかけられれば、人は容易に言いなりとなってしまう。
その甘い歌声は、身近な女性の声音で囁きかけると言われている。
「うーん……サイアリーズ様?」
「サリーシャ様……」
「しっかりしろ、お前たち!」
ふらりと立ち上がり、船べりから身を乗り出した二人に、ゲオルグが容赦ない鉄拳を食らわせた。
「あいだだだ」
「な、なんですか!?」
目は覚めたものの、あやうく船から落ちかけた二人が、ベルクートに引っ張り戻される。
その足元では。
「ミューラーさぁん、なんか女の人がうるさいねぇ」
リヒャルトは寝返りを打っただけだった。
興味のない声の誘惑は効かないらしい。
その隣で、もう一人。
身を起こし、まだぼうっとした目で辺りを見回して、王子が呟いた。
「――母上?」
懐かしい声を聞いてしまったのか。
海の闇に向かって、ふわりと微笑む。
「殿下、しっかりしてください、あれは魔物です!」
腕を引き、肩を揺すると、その目に戸惑いの色が浮かんだ。
正気に戻ろうとする理性と、まだ夢の姿を追おうとする感情が争っている。
……もういない人。
手を伸ばしても届かない。
夢だった、と気づいた瞬間。
「――っ!」
叫びそうになるのを必死に押さえたが、本人が意識する間もなく、儚い幻が透明な雫となって闇に砕けた。
「……貴方たち、許しません!!」
リオンの手から放たれたものが、海面で弾けるように炎をあげた。
闇に慣れた魔物が、突然の明かりに驚いて、逃げ惑ってる姿が浮かび上がる。
「いたずら程度なら、見逃したものを……」
ベルクートも、足元から拾った物を、波間のセイレーンに向けて投げたつけた。
それは見事に魔物の頭に命中し、跳ね返って別の者にも当たり、四頭ほどがひっくり返って波間に消えた。
「あーあ、リオンちゃんとベルクート殿がキレちゃった」
「やっちゃったね」
怒りに乗り損ねたカイルと、欠伸をしながら起き上がったリヒャルトが苦笑する。
「え?」
「海で、海の魔物には手を出すな。常識だよ?」
「魔物は、自分の領域では何倍もの力を発揮しますからね。本当は手出ししちゃいけないんですけど。まぁ、今回は俺も黙ってられないけどね」
連中は、一番してはならいないことをしてしまった。
よりによって、皆が一番大切にしている者を傷つけたのだ。
リーダー格らしい者の甲高い声と共に、セイレーンたちが、一斉に動き出した。
波が渦を巻き、海面にしぶきがあがる。
待ち構える剣士たちが、それぞれの武器を構える。
そして――。

一閃の雷が、夜の海を撃った。

全身がしびれるような轟音が、ようやく耳から去った後、波間には魚の尾に似た体があちらこちらに浮いていた。
恐る恐る振り返ると、船室から出てきたばかりの、それは美しい笑顔と無表情が並んでいた。
「寝不足は、お肌の大敵なのよ? うるさくしているのが貴方達だったら、お仕置きしようと思ったのだけど」
「夜に、海の魔物に手を出すとは、どこの愚か者ですか」
黒こげになるのは、危うく自分たちであったようだ。
甲板では、船の中から呼び出されていた船員たちが、正気に戻って右往左往している。
まだ港からそれほど離れていないのに、これほどの数のセイレーンが現われたのは初めてだ、とか。
しかも、それを撃退するなど前代未聞だ、とか。
船乗りたちが興奮した口調で話しているのを、王子はぼんやりと眺めていた。
ようやく仲間たちから心配気に見つめられていることに気づき、思わずその場から駆け出す。
「王子!」
「しばらく放っておいてやれ」
「は、はい……」
ゲオルグの言葉に立ち止まったものの、リオンは心配でいてもたってもいられない。
我慢して、我慢して。
「やっぱりだめです! 探してきます!」
とうとう我慢できずに、船の中に駆け込んでいく。
すぐに見つけられた王子が、逆にリオンをなだめながら姿を現すかと思いきや、二人共戻ってこない。
「ベルクート殿は外航船の構造、知ってるんですよね」
「ええ、まぁ……」
「あの二人、船酔いしてどこかで倒れてるかも。探してきてくれません?」
気を利かせたカイルの言葉に感謝して、ベルクートは足早にその場を離れた。

***

船の第二階層の倉庫。
空になった樽や、次の港で下ろす積荷など、動きのあるものを置くために使われる。
出航して間もないので、今は両側に空いた樽だけが並べられ、固定されていた。
その一つに、王子はもぐりこんでいた。
狭い中で膝を抱えていると、両親や妹と隠れ鬼をした時の事を思い出してしまう。
――夢だと分かった瞬間は、確かに辛かった。
けれど、魔物の姿を見て、すぐに自分の置かれた状況を思い出した。
遠くで助けを待っている妹のためにも、自分だけ幸せな夢に逃げるつもりはない。
咄嗟にあの場を離れてしまったのは、泣いたのが気恥ずかしくて、皆に顔を見られたくなかっただけだ。
しばらく一人でいたい。
でもちょっと淋しい。
誰か、探しにくるだろうか。
見つかりたくない。
けれど、見つけて欲しい。
相反する思いを持て余していると、倉庫室の扉が開く音がした。
誰か来た。
思わず息を詰める。
靴音に沿って、ことん、ことん、と木の音が響く。
何度目かで、それが剣の鞘が並んだ樽に当たる音だと分かった。
自分の入っている樽で、それが鈍い音に変わった。
……見つかった。
いちいち開けなくても、こんな方法で探せるのか、と感心してしまう。
覗き込まれるのが照れくさくて、身を小さくしていたが、気配はそれ以上近づいてこなかった。
その代わり。
「ふたはあまりきちんと閉めないでください。水を運ぶほどのものですから、密閉すると窒息します」
幼い子供に言い聞かせるような注意に、がくり、と肩の力が抜けた。
顔を出しやすようにからかわれたのかもしれないが、ここは乗せられておこう。
「やけに苦しいと思った」
迎えてくれた笑顔は、やはり子供に向けるもののようで、ちょっと悔しい。
歩き出した背に、ちょっとふくれて聞いてみる。
「よくここに居るって分かったね」
「ファレナから出る時に、この手を使ったんです」
「もしかして、密航?」
「ええ。窒息しかけて、あっけなく見つかりました」
ということは、先ほどの言葉は本当に真面目に注意してくれただけなのか。
「大丈夫だったの?」
「密航は死罪ですからね。危うく樽ごと海に投げ込まれそうになりましたが」
さっきから、さらりと怖い話をしている気がする。
「たまたま船を襲った魔物を倒したので、なんとか許してもらえました」
「……ベルクートって、運がいいんだか悪いんだか」
「自分ではいい方だと思っていますよ。殿下ともお会いできましたし」
――またこの人は。
手にしたランプ程度の明かりでは、顔がほとんど見えなくてよかった。
降参の印に、背中に額をこつんとぶつけてみる。
そんな様子を知ってか知らずか、穏やかな声が言った。
「殿下のお志に集った者は皆、ファレナに平穏が戻るまでお傍におりますから」
「……うん」
そうであって欲しい。
もうこれ以上、好きな人たちの笑顔が消えないように。
自分はできることをしていくだけだ。
甲板への階段を上がりかけた時、ベルクートが尋ねた。
「ところで、リオンさんが行きませんでしたか?」
「来てないけど」
「リオンさんが迷うとは思えないのですが」
「船酔いひどかったみたいだし……。もしかして、船室かな」
彼らのためには、甲板近くに客室が用意されている。
ハンモックと、作り付けの寝台がいくつか。
全員が休めるだけの広さの部屋だ。
「失礼します」
「リオン、来てない?」
ハンモックから、白い手がひらひらと振られた。
男性陣がここに居づらい理由の一つはこれだ。
必要以上に色っぽく、部屋の隅の寝台を指差す。
「ふらふらしてるのに、まだ行こうとするから休ませたわ」
毛布に包まって、リオンがすやすやと眠っていた。
「ありがとう。このまま寝かせてあげよう」
そっと立ち去ろうとした時。
「うううん、王子ぃ……」
リオンが、寝返りを打った。
夢の中でも王子を探しているようだ。
まったく従者の鏡である。
だが、なにやらうなされている。
「起こした方がいいのかな」
悪夢を放置するのと、起こして船酔いを思い出させるのと、どちらがましだろう。
迷っていると、さらにリオンが呟いた。
「王子が……ちぢれマイマイに――」
「!?」
「王子、その殻は被れませ……」
「ちょ、一体どういう夢!? ――何笑ってるのさ!」
王子は慌ててリオンを揺さぶり、肩を震わせているベルクートに怒鳴る。
その時。
「何故、静かにできないのですか、貴方がたは」
しまった、と思った時にはすでに遅く。
ゼラセの手に、紋章魔法を封じた札がひらめいた。

***

「なんでお前たちは、まともに寝床で寝ないんだ?」
結局、カイル、ダイン、リヒャルトも、順番に探しにいった挙句、戻ってこなかった。
仮眠を取ろうと、ゲオルグが船室に戻ったところ。
全員が、そこにいた。
入り口近くの床に座り込んで、肩を寄せ合って眠っている。
「朝食はお昼に回してもらうよう、伝えておくわね」
「まったく愚かな……」
夕べの疲れを微塵も感じさせぬ美しさのまま、船室から出て行く二人を、ゲオルグはセイレーンよりよほど恐ろしい魔物を見る目で見送ったのだった。





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セイレーンは、オデュッセウス(ギリシャ神話)だと鳥型なのですが、今回は幻水Vにあわせて人魚型にしてみました。
宣戦布告代わりにベルさんが投げつけたのは、竹細工の水入れです。
ベルクートさんは、冷静沈着なようでいて、人のことになると結構我慢の効かないタイプでないかと(笑)。

オリジナル用に貯めこんでいた帆船ネタをいくつか盛り込めて楽しかったです。
憧れの大航海時代。
でも乗り物酔いのひどい私は、とても船乗りにはなれません orz




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