草原を駈ける風の翼 弐
ゴドウィンは、アーメスの一派と組み、反撃に転じてきた。
内乱を収めるために、よりにもよって宿敵の力を借りるという事態は、彼らがそれだけ追い詰められているという印象を受ける。
しかし、この危機をなんとか脱しなければ、王子たちの軍には先がない。
ゴドウィンがまず狙いを定めたのは、レルカーとロードレイク。
王子たちに全面的に味方すると決めてくれた両都市の住民だけは、なんとしても守らなくては。
ルクレティア曰く。
今度の戦いは、勝つことが目的ではない。
民を守り、また敵の手に役に立つものを一つとて渡さないこと。
そのための時間稼ぎさえできればよい、と。
レルカーの住民たちに、彼らの住居を捨てさせるのは難しいかと思われたが、女王騎士ザハークによる非道な仕打ちがまだ効いていて、意外と早く脱出の用意が整った。
ロードレイクも、水を失っても土地を見捨てなかった者たちの説得が危惧されたが、あくまで一時的な撤退であるという意気込みが彼らにあった。
こうなれば、あとはその信頼に王子たちが応えるだけだ。
ロードレイクには、アーメスとの戦いに慣れたボズ、ダイン、住民の代表としてタルゲイユとゲッシュが向かう。
王子は、戦いのエキスパートであるリンドブルム傭兵旅団、そして竜馬のいない参戦であるが集団戦に長ける竜馬騎兵団のラハルとリューグ、そして住民代表としてワシールやヴォリガを加え、レルカーの防衛に当たる。
前回の市街戦とは異なり、町の入り口での戦いだ。
レルカーの西はかなりの広さの平原となっているので、どの部隊も動きやすいが、それは敵も同じこと。
しかも、今回の相手は、陸にディルバ将軍、河にバフラム将軍という、歴戦の実力者ぞろいである。
こちらにルクレティアやラージャがついているとは言え、部隊が二分されているだけに油断はできない。
うまく、人々を守りきることができるだろうか。
戦いの前には、彼らの命が自分の上にどっとかかってくる気がして、その場から逃げ出したいような思いにかられる。
もちろん、自分の下に集ってくれた者たちのためにも、逃げるつもりも、負けるつもりもない。
それでも時々。
戦の準備を進める人々を見て、一体どうしてこのようなことになってしまったのだろう、という一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
***
「殿下」
ベルクートが馬に乗ったまま陣内を回っているのは珍しい。
「これだけの広さを走らせるのは初めてなので、足慣らしをしておこうかと」
王子は目をきらきらさせて、じっと見上げる。
「あの……殿下?」
何か求められているらしいことは分かるのだが、その要求するところが掴めず、ベルクートは当惑し、固まってしまう。
奇妙なにらめっこ状態。
1分以上経過して、とうとう王子があきらめてため息をついた。
見かねたカイルが声をかける。
「ベルクート殿。王子は、馬に乗せてとねだってるんですよー」
「カイルっ」
バラした女王騎士を、王子がどつく。
「すみませんっ!」
慌ててベルクートが馬から下りた。
「どうも、こういうことは気が回らなくて……」
手を貸すと、王子は身軽にアスランに飛び乗った。
しばらくの間、視線の高さにわくわくした顔になっていたが、手綱を取って歩かせるわけでもなく、またじっと見下ろす。
「……殿下?」
今度は何だろう。
見つめられて、困り果てる。
蛇ににらまれた蛙はこんな感じか。
見かねたカイルが、また口を出した。
「これから足慣らしに出る予定だったんでしょ? 一緒に行きたいんですって」
「カイルっ」
王子がまた手を振り回したが、馬上からは届かない。
自分の至らなさを反省しつつ、ベルクートはその後ろに乗る。
「本当にすみません……」
「きっとぼくって分かりにくいんだね……」
「そ、そんなことは――っ!」
どちらかと言うと、ものすごく分かりやすい方だと思うのだが。
やり取りを聞いている周りの者たちがニヤニヤしている。
「あはははは、あの二人って見てて飽きないねぇ」
リヒャルトにまで言われるのだから相当なものだ。
「あら、お散歩ですか、いいですね」
ルクレティアが声をかける。
止められるかと思ったが、快く了解してくれた。
「平原の中央の泉と、湖沿いの眺めが素敵みたいですよ。レルカー住民お勧めのデートコースなんですって」
「ルクレティアっ!」
「は……?」
この場合、怒るべき相手は、からかう軍師なのか。何も分かってない剣士なのか。
レルカーから少し離れると、遥か見渡す平原となる。
その中央あたりに、日光に反射して銀色に見える場所があった。
「泉ってあれかな」
ぽくりぽくり、と歩いていたアスランが、しきりに鼻を鳴らし、落ち着かなくなっていた。
「もしかして、ぼくが乗ったから怒ってる?」
「いえ、せっかく広いのだから走らせろって言ってるんですよ」
「……」
ベルクートは、王子の望みは分からなくても、馬のことは分かるらしい。
また凹みかけたが、それはこの際、横に置いて。
「走らせてあげればいいのに」
「本気を出させると、相当な速度になりますが……」
「いいよ、ぼくも経験しておきたいし」
馬のスピードがどれほどのものなのか。
馬上での戦いが、どんな目線で行われるのか。
歩兵戦しか知らない王子は、他の部隊の視点も知っておきたかった。
「それでは――気をつけて掴まっていてください」
念押しした上に、後ろからしっかりと抱きすくめる。
その力強さに、走る馬から落ちる危険がどれほどのものか、分かったような気がした。
ぐっと手綱を取り、腹を蹴ると――許しを得たと判断したアスランが、一気に駆け出す。
叩きつけるような風に、息がつまる。
人間では考えられぬ、なんという速さ。
大地を蹴る力強い振動が全身に響き、みるみるうちに、景色が背後に流れていく。
はるか彼方であったはずの泉が、あっという間に眼前に迫ってきた。
ほんの数分、自分はただ手綱にしがみついていただけなのに。
動悸が収まらない。
いつアスランが歩調を緩めたのか。
気がつくと、駿馬は泉の前で足を止めていた。
「すごい。この距離をあっという間だ」
振り返り、自分たちのいた町の入り口を見る。
人の目からは、こんなに遠く見えるのに。
「騎馬隊が本気を出せば、数分で一気に攻め入られます。敵がこの泉を越えたら、要注意ですね」
先ほどの勢いで突っ込まれたら、弓兵や魔法部隊といった軽装の人々はなす術もない。
「弓と魔法部隊を市の入り口、その前に騎馬隊を置いて、隙を見て歩兵隊が出るってところかな……」
ルクレティアもそのくらい考えているだろうが、前面に出る者のためにも、よく打ち合わせしておかないと。
泉の傍らにいた軍馬の一隊から、二騎がこちらに向かってきた。
「王子殿下。ベルクート殿」
「ラハル、リューグ」
「明日の防衛戦、騎馬隊をお任せいただき、ありがとうございます」
「竜馬がいなくても、集団戦は俺たちの得意とするところです。任せてください」
ラハルたちが指揮することになった、竜馬騎兵団からこっそり彼らを慕って追ってきた団員たちと、騎馬の扱いにある程度慣れた志願兵たち。
やはり町からの早駆けの訓練を行っていたのか、泉で馬を休ませている。
「うん、期待してる」
彼らに犠牲者が出ないことを祈りながら、王子はうなずいた。
***
レルカーの防衛戦は、思ったよりもじりじりとした展開になった。
バフラム率いる艦隊や、ディルバの重装騎兵の到着を待っているのか、前面に陣取った騎馬隊はなかなか動かない。
それでも、少しずつ進軍している証拠に、彼らの前線は例の泉を超える辺りになっている。
「ベルクートさーん」
レルカーを守る騎馬隊の中から、軽装の少年が馬を走らせてきた。
続いて、彼が所属するリンドブルム傭兵旅団の団長と、副長も。
「敵の歩兵隊が動き出したよ。湖沿いでレルカーに向かってる。もうすぐこっちの歩兵隊とぶつかるんじゃないかな」
「歩兵の先頭にいた奴には見覚えがある。あれは、闘神祭の優勝者だ」
ミューラーの言葉に、ベルクートは顔を曇らせた。
「キルデリク……」
あの男は危険だ。
王子殿下や、町の人々に近づけてはいけない。
ヴィルヘルムが不機嫌に肩をすくめた。
「騎馬隊が動けない間に、あっちを押さえられるとまずい。リンドブルムからも少し応援を送るが、あんたも歩兵隊に合流した方がいいんじゃないか」
ラハルもうなずいた。
「こちらの人数は十分です。今、歩兵隊には接近戦を得意とする人が少ないでしょう」
ベルクートとしても、キルデリクが現れた以上すぐにでもそちらに向かいたかったが、未だ動きを見せない敵側の騎馬隊も気になる。
歩兵隊がぶつかった時を狙って、一気に攻めてくる気ではないだろうか。
少しでも押し返しておきたいところだが……。
その時、何故か軍師の言葉を、妙にはっきりと思い出した。
(要はうちで暴れなければいいんです)
(平原の中央の泉と、湖沿いの眺めが素敵みたいですよ)
――そうか、あれは、このことだったのか。
「ラハル殿、ヴィルヘルム殿。敵の騎馬隊、半分くらいの列が乱れたら、こちらから動けますか?」
その言葉に、二人が不敵に笑う。
「半分もいりません、1/4も崩れれば十分です」
「こっちもだ。しかし、どうやって崩すってんだ? 一人で突っ込んだって、迎え撃たれるだけだぜ」
「馬のことは、馬に任せます」
そう言って、アスランの背を叩く。
「昨日、殿下と行った道ですよ。泉まで突っ走って、湖周りでレルカーまで戻ってきてください」
人間に頼むように耳元に囁いてから、敵陣に向けて走らせる。
味方と敵の騎馬隊のちょうど中央あたりで、ベルクートは飛び降りた。
アスランが、そのまま敵の騎馬隊に突っ込んでいく。
馬だけが走ってきたので、兵士たちは判断に迷ったようだった。
その隙に、馬の間をすり抜け、堂々と中央まで進む。
そこで彼女は立ち止まり、歌うように高くいなないた。
気高く、反抗を許さぬその声。
馬たちが一斉にそちらに目をやる。
そして。
再び駆け出した彼女の後を、乗り手の手綱に逆らい、数頭の馬が後を追い始めた。
後に続くことに慣れた後衛の馬たちも、訳がわからないまま、その後について走り始める。
たった一頭の乱入で、ゴドウィン側の騎馬隊は、中央の陣形が完全に崩れていた。
「おおっ、やりやがった!」
「行くぞ!」
ヴィルヘルムとラハルの部隊が、隊長の号令下、一気に動き始めた。
「ベルクートさん、僕も王子様のところに行くんだ。乗って!」
途中までアスランと並走していたリヒャルトが、呼びかける。
「ありがとうございます!」
そのまま、レルカー市街入り口に向かう。
湖に近い場所で、戦いの場、特有の喧騒が上がっていた。
***
レルカーと守ろうとするあまりに、前に出すぎたヴォリガとワシールの部隊を追って、王子たちの小部隊も湖側に進んでいた。
そこに、いつの間にか近づいていたゴドウィン側の歩兵隊が現われた。
先頭には、見覚えのある顔。
「よお、王子殿下。今日こそはその首いただくぜ」
特殊な剣を構える男の前に、女王騎士たちが立ちふさがる。
「させません!」
「殿下、お下がりください」
「王子と軍師殿は後ろへ!」
このようなならず者が、女王騎士の格好をしていることが、彼らには許せない。
「蝿どもめ、邪魔をするな。お前たちの相手はこっちだ!」
「む……」
「暗殺者か――!」
歩兵に混じって、明らかに暗殺術を身につけた者たちがいる。
数で勝るその攻撃に、女王騎士たちは心ならずも防御に回ることになる。
その隙に、改めてキルデリクが王子を狙った。
「死ねぇっ!!」
だが凶刃は、割って入った剣に止められた。
「ほお、誰かと思えば、あの時の死に損ないじゃないか。もう一度俺に殺されにきたのか?」
「なんとでも言うがいい。殿下には指一本触れさせん」
「うるさい、お前の相手は……」
「そっちは僕がやるよ」
現われた暗殺者の剣を、いつもと変わらぬ調子でリヒャルトが引き受けた。
キルデリクは、舌打ちして二、三度と剣を切り結び、相手の防御を崩せぬことに苛立つ。
そこに、伝令が駆けつけてきた。
「キルデリク様、馬が――」
「ああ? なんだというんだ!?」
地響きが近づいてくる。
泉まで向かい、湖側に沿って走ってきたアスランが戻ってきた。
ゴドウィン側の騎馬を引きつれて。
その勢いのまま、キルデリク率いる歩兵隊に突っ込んだ。
戦いどころではなくなったところに、次々に伝令が入る。
「騎馬隊が壊滅! ディルバ将軍の重装騎兵は撤退に入りました!」
「バフラム卿の艦隊も、航行に支障が生じ、退却とのこと!」
「おのれ……どいつもこいつも、役立たずが――っ!!」
主力部隊と切り離されては、いつ包囲されるか分からない。
さすがのキルデリクも、身の危険を感じ、王子たちに背を向ける。
その時、レルカーの中州から合図の白煙が上がった。
「住民の避難完了です。あちらが体勢を立て直す前に、逃げちゃいましょう」
ルクレティアの言葉に、王子がうなずく。
「よし、全隊撤収!」
ドラや合図の花火が放たれた。
歩兵は、怪我人を回収しつつ、岸につけたラフトフリートの船に乗り込んでいく。
騎馬隊はレルカーを横断し、東の中洲を抜けて、脱出する手はずになっている。
アスランが連れてきた騎馬を頂戴して、王子の歩兵部隊にいた者たちも、ちゃっかりと騎馬隊に加わっていた。
「早く取り戻そうね」
「当然です」
閑散としたレルカーの街を後にして、ぽつりと呟かれた言葉に、きっぱりとした返答があった。
***
セラス湖の城で合流したセーブルの騎馬隊の面々は、レルカーでの出来事を聞いて目を丸くした。
「あの暴れ馬で、そんな戦い方ができたとは」
あの時の軍師のからかいが、冗談でもなんでもなかったことに、ダインは驚くやらあきれるやら。
アスランの活躍を聞いたワボンは、彼女の馬蹄を打ったのは自分なのだと、鼻高々だ。
「すんごいお姫さまだったんだなぁ」
ドンゴが、てくてくとアスランに近づく。
「今度、蹄鉄を打ち直す時は、おいらにやらせて欲しいんだな」
「あ、ドンゴさんっ」
「後ろから行っては……」
ベルクートとダインの注意は、わずかに遅かった。
ガツ、と小気味よい音が響く。
「だからあいつはヘボだと言っとるんだ」
ワボンのため息は、セラス湖の水しぶきの音にかき消された。
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騎馬隊に入ることの多かったうちのベルクートさんに、専用の馬をあげたかったのです。(そんだけか)
セーブルの騎馬隊の皆さんをつついていた時に、一緒に浮かんだ話でした。
ただ、『彼女』が完全オリジナルなので、書くのはどうしようかと迷ってました。
――ここまで色々書いておいて、今更迷うのもなんだかなぁ。
開き直ったところ、今までで一番長い話になりました(笑)。
気位が高くてわがまま一杯の『彼女』、気に入っていただけると嬉しいです。
アスランというのは、トルコ語のライオン。
ナルニア国ですっかり有名になってしまったので、使うのどうしようかと思ったのですが、今更迷っても(ry)。
バフラムさんの艦隊は、ビーバーにかじられた模様です。
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