海を渡る蝶
「大丈夫ですか?」
「大丈夫に見える?」
「……すみません」
聞くまでもなかった。
エルメラークが出港して数刻。
航海は順調なのだが……強い風に、船は時折大きく揺れる。
船酔いを克服できていなかった騎士長は、船室で動けなくなっていた。
「ずっとこのままなのかなぁ?」
「外海への海流に乗るまでは、このくらいかと」
「ううう」
固い作り付けのベッドに転がったまま、呻くしかない。
「ハンモックの方が、揺れは少ないですが」
「登る元気ない。登ったら降りられない」
「……ですよね」
どうしようもなく毛布を抱えたままごろごろとしていたが、人間の体というのは上手く出来ていて、限界がくると、とりあえず眠っておけと命令が下るらしい。
少し揺れが収まった時に、すぅ、と寝入ってしまった。
これでしばらくは休めるだろう。
船旅の状況でも確認しておこうと、甲板に出たベルクートを、覚えのある声が呼び止めた。
「ベルクートさん!」
「お久しぶりですな」
「シンロウさん、モンセンさん」
王子の軍を支えた、道具屋と防具屋の二人だった。
「この船に乗っておられたとは」
「俺たちは、王子様……じゃなかった、騎士長閣下とベルクートさんが乗っているのは聞いていたんですけどね」
「こちらからお声をかけるのも申し訳ないので、甲板に出てこられた時にご挨拶を、と思っていたのですよ」
それでは、相当待たせたのではないだろうか。
「それはすみませんでした。その……閣下は船酔いで」
「ああ、それは辛いっすねぇ」
「お可哀想に」
二人とも、船酔いに効く物でもなかっただろうかと、手元の袋をごそごそ漁っている。
「お二人はどちらへ?」
「群島諸国っす。俺も外国との交易を始めようと思いまして!」
「私も、そちらに仕入れと……ファレナの主要都市には支店を置き終わりましたので、そろそろ海外支店を出そうかと」
「それはすごい」
海を越える二人の熱意と冒険心はたいしたものだ。
袋の中身を並べながら、シンロウが照れたように言った。
「それにしても、安心しましたよ」
「え?」
「王子は騎士長閣下、ベルクートさんも女王騎士。なんだか、すごく遠い人たちになっちまったみたいでね」
「本当は声をかけるのも、どうしようかと迷っていたんです」
「そんな……私も殿下も、リムレアース様も、ミアキスさんもリオンさんも。何も変わらないですよ」
「そうっすよね!」
「そうそう、王子殿下がお変わりになるわけがない!」
ほっとした顔で、それぞれ袋から、酔いに効くというお茶と薬草を取り出した時だった。
マストの上の遠見係が叫んだ。
「――か、海賊だ!!」
甲板にいる者たちが、一斉にそちらを注視する。
最初は豆粒のようだった船が、だんだんと近づいてくる。
帆には、略奪の意思を示す、不吉な骨の印。
「おのれ、このエルメラークを狙うとは……!」
確認した船長が、悔しげに罵った。
その船は、エルメラークの半分ほどの大きさ。
船自体の寿命が近いのか、遠目に見ても、外装の痛みが激しい。
どこかで嵐に巻き込まれたのか、マストや帆の損傷も大きいようだ。
あれでは、外海を航海しつづけることは難しい。
つまり……
エルメラークの積荷と共に、船自体を狙っているのだろう。
積荷だけを目的とする賊ならば、略奪が済めば去っていく可能性もあるが、これは乗員を皆殺しにして船を奪取するつもりである可能性が高い。
船長もそう判断し、全速で引き離すよう、船員たちに命じる。
しかし、身が軽い分、海賊たちの船の方が速い。
このままでは、追いつかれるのは時間の問題だ。
海賊との戦いも、船員の仕事のうち。
船長の命令を受けて、青ざめながらも、それぞれの武器を取る。
――様子を見ていたベルクートが口を開いた。
「全員、中に入ってください」
「え!?」
「あなた方が怪我をしたら、誰が船を操るのですか。船員の皆さん、乗客の方、もちろん、シンロウさんとモンセンさんも、早く中へ」
船長は慌てて首を振る。
「甲板を空にして、篭城するつもりですか? それでは、舵を取られて奴らの都合のいい島へ向かわれるだけです!」
「いえ、彼らの好きにはさせません」
迫る船を見ながら、ベルクートは静かな口調を崩さない。
「あの船なら、人数は多くても十数人でしょう。私だけでなんとかなります」
気負う様子もなく、あの程度、負けるつもりはない、と。
一人犠牲になるつもりかと危ぶんでいた船長が、だんだんと落ち着きを取り戻す。
「本当にお一人で……?」
「他に人がいると、気が散りますから」
暗に足手まといだと言われ、船長は相手が本気だと悟る。
「ベルクートさんの腕は俺たちが保証するぜ」
「ええ、海賊なんぞ、相手じゃありませんよ」
顔見知りのシンロウとモンセンにも言われ、船長はようやくうなずいた。
「分かりました」
「ありがとうございます、では、中に入られる前に……」
いくつかの作業を指示する。
船員たちは一斉に動き始めた。
***
「王子……じゃなかった、騎士長閣下!」
「失礼します!」
荒くドアを叩いて入った二人に、眠そうな目が向けられる。
「うーん……あれ? シンロウ? モンセン?」
「お久しぶりです――なんて言ってる場合じゃなくて。大変ですよ。海賊が来てるんです!」
「今、ベルクートさんが、お一人で」
大丈夫とは言われても、やはり心配で、シンロウとモンセンは現状を騎士長に伝えておくことにしたのだ。
見かけは少年でも、彼はファレナ解放のために戦場に立っていた百戦錬磨の戦士である。
頼りになる戦力のはずだった。
……動ければ。
ベッドでごろごろしたまま、少年は尋ねる。
「ベルクートはなんて言ってた?」
「他に人がいると気が散るからって」
「甲板にお一人で残ったんですよ」
「ベルクートがそう言ったなら、そうなんだよ。大丈夫でしょ」
「そ、そんな、騎士長閣下ぁ」
毛布を抱えてまた寝てしまいそうな様子に、シンロウが泣き声を上げる。
面倒そうに、返答があった。
「皆が中に入る前、何かしてなかった?」
「船室への扉の前を、樽や積荷で通路にしてましたね」
「ええ、人一人が通れるくらいの」
「海賊が、一度に一人二人しか、かかってこれないようにしたってことだよね。やっぱり大丈夫だよ」
十数人に取り囲まれたならともかく、一人二人相手に、ベルクートが遅れをとるわけがない。
その言葉に、シンロウとモンセンも、ようやくそうかもしれない、と納得する。
騎士長に提供された特別室を興味深げに見回していたシンロウは、部屋に甲板の様子を見ることができる覗き鏡が設置されていることに気づいた。
手元のレバーをあれこれといじって、ようやく船室前に位置が合ったらしい。
「奴ら、乗り込んできましたぜ! 二人、切りかかっていきやがった! ――やった、返り討ちだ!」
彼の実況に、不安そうに客室の前に集まっていた人々から歓声が上がる。
「敵は十人だったようですね。あ、また二人倒れた。怒った二人がまたかかって……残りは四人! これなら……」
騎士長が、ふと思い出したように尋ねた。
「上には、ベルクート以外、本当に誰もいないんだね?」
「ええ、そのはずですが――」
その時、船室の向こうから悲鳴のような声が響いた。
「うちの子が! 坊やが居ないの! きっと上にいるんだわ、お願い、出して!」
「奥さん、いけません!」
甲板への階段を上ろうとした女性を、船員たちが必死に止めている。
「上に子供なんていないですけど……あっ!」
上の様子を見ていたシンロウが低く呻いた。
「やべぇ――」
「どうしました?」
「子供が見つかって、人質に取られた。剣を捨てろと迫ってます」
せめて母親に聞こえぬよう、小声で知らせる。
船内にいる人数を考えれば、剣士が取引に応じるわけもない。
だが。
「ベルクートさん……剣を捨てる気だ」
シンロウの言葉に、騎士長がだるそうに身を起こした。
「船長さん。念のため、入り口付近に戦える人を集めて。三人くらいなら倒せるよね?」
「分かりました!」
船員たちを引き連れ、船長が甲板への階段を駆け上っていく。
彼らが居なくなったのを見届けて。
「でも海賊が入ってくるってことは、ベルクートが怪我するってことだから。そんなこと許さないけど」
先の戦乱を共にくぐり抜けた者たちも、見たことのない冷たく凍えた目で呟く。
「……ベルクートに怒られるなぁ」
大きくため息をついて、騎士長閣下は左手を掲げた。
***
「さっさと剣を捨てな。このガキ、殺されてもいいのか」
「卑怯な真似を――」
樽に入って遊んでいるうちに寝入ってしまったらしい男の子は、辺りの騒ぎで目を覚まし、泣き出したために見つかったのだった。
まだ母親に着いて回る年齢だ。
こんな子供を盾に取るとは。
「先にその子を離しなさい」
「バカ言うんじゃねぇ、そっちが先に決まってんだろ」
先に放した方が負ける。
分かっているだけに、にらみ合いが続く。
「おい、さっさとしねぇと……」
ナイフを突きつけられた男の子が、顔をひきつらせて泣き始めた。
剣を捨てたところで、この男が人質を解放するわけがない。
分かってはいるが。
「やめなさい! ――言うとおりにします」
ベルクートは右手の剣をゆっくりと上げた。
離れる瞬間を狙って、海賊の三人が身構える。
指が開かれ、剣が落ちる。
三人が切りかかると同時に、ベルクートは左手でベルトから引き抜いた短剣を、子供を抱えている男へと放った。
過たず切っ先は男の肩口を捉え、子供がその場に落ちる。
「て、てめえ!」
驚いて手を止めた先頭の海賊から剣を奪って切り伏せたが、残りの二人はそのまま向かってくる。
二太刀を避けきれないことは覚悟の上。
あと一人、相打ちに持ち込めれば、あとは船員たちでも十分倒せるはず――。
その時。
船全体を、不思議な光が覆った。
ベルクートの直前で、海賊たちがばたばたと昏倒した。
深い眠りについているようだが、風の紋章の術ではない。
今の紋章の光には見覚えがあった。
「……まさか」
一緒に眠ってしまった子供を抱きあげ、ベルクートは急いで船内へ向かった。
***
入り口で身構えていた船乗りたちは、不思議な光に驚いて、その場で立ち尽くしていた。
駆け込んできた人影にぎょっとしたが、それが一人甲板に残っていた剣士であることを知ってほっとする。
「この子は眠っているだけです。早く親御さんのところへ。後の方は外の海賊を捕らえてください」
子供を預け、船室への階段を駆け下りる。
「皆さん、すみませんがこの部屋から離れてください」
無事に戻った剣士を、喜びの言葉で迎えようとしていた人々は、その口調の鋭さに驚いて素直に身を引いた。
後ろ手に部屋のドアを閉め、
「殿下」
ベッドに座っている少年に声をかける。
「ベルクートは無茶しすぎ! 大丈夫とは思ったけど、何かあったらどうす――」
「殿下!」
いつもと変わらぬ態度で誤魔化そうとする少年に、厳しく問いかけた。
「先ほどのは、黄昏の紋章では?」
「――」
沈黙した女王騎士長に、ベルクートは普段なら絶対しないことをした。
無理やり腕を取り、甲だけを覆う手袋を外させたのだ。
少年の左手の甲には、見覚えのある紋章があった。
続けて、右手。
こちらにも、忘れようもない紋章。
両手に宿った、黎明と黄昏。
しばらく無言でそれらを見つめていたが、やがて顔を上げ、少年の額を覆っている布を押し上げた。
そこには。
――太陽の紋章。
絶句したベルクートに、少年は身をすくめて言った。
「だまってて、ごめん」
「……どうして、このようなことに」
「グリンヒルへ行こうかって話が出た日に、封印の間の見回りに行ったら、まず黎明が宿っちゃって。それから追いかけるみたいに黄昏と太陽までくっついちゃった」
「陛下はなんと?」
「ついちゃったものは、仕方ないかって」
そんな、呑気な。
「学校視察のためにグリンヒルに行こうと思ったのは本当だよ。でも、あそこなら、もしかしたら真の紋章について書かれた本もあるんじゃないかってことになって、本格的に行くことが決まったんだ。それに旅の途中でゼラセかジーンに会えるかもしれないし」
国を空けてでも北の大陸へ向かうことを決めたのは、それだけの理由があったのだ。
「それに、紋章が人の心に影響するのだとしたら、リムはかえって安全でしょ」
「それはそうかもしれませんが――」
一国を左右する真の紋章と、その眷属。
前女王陛下は、太陽の紋章を身につけてから様子がおかしくなったと聞いている。
三つをすべて身につけてしまっているなど、一体どんな影響があるか。
「一応、手順どおり宿したせいか、安定してるよ。……それに、自分じゃ外せないんだ」
冗談めかせて言いはしたが、途中でジーンかゼラセに会えれば、というのは本音なのかもしれない。
「おかしいとは思っていたのです。最近、休まれる時にも、手甲と額当てを外していなかったので……」
ベルクートは、大きくため息をついて、あきらめた。
確かに、なってしまったものは、どうしようもないのだから。
今まで以上に、主の身の安全に気を配るだけだ。
お小言はおしまい、と判断して、騎士長は呆然と成り行きを見ていた二人に声をかけた。
「シンロウ、モンセン」
急に矛先を変えられて、道具屋と防具屋が飛び上がる。
「うわっはははい!」
「な、なんでしょう!」
「今のは……ナイショね」
いたずらっぽく、にこりと笑う。
「もちろんですとも!」
「ファレナを司る太陽の紋章一式が、閣下と一緒に出張だなんて、知られたら大騒ぎですから」
ファレナの国益、ひいては自分たちの安全を願う国民としては、口外してはならない国家機密と心得ている。
まだ浮かない顔をしているベルクートに、少年はぱたぱたと腕を振る。
「ベルクートは心配しすぎ! 黎明も黄昏も使わないように気をつけてるし! 太陽の紋章は使い方も分からないし! ファレナに戻ったら、すぐ外れるかもしれないし!」
「そうですか……。ところで殿下、船酔いは?」
一瞬の沈黙の後。
「思い出させないでよぉぉぉ」
再び騎士長閣下は、固い寝台とお友達になった。
***
「なぁ、ベルクートさん」
「はい」
客室から出たあと、ずいぶん迷ってからシンロウが言った。
「王子様も変わってないって言ってたけど……、やっぱり少し気になるんすよね」
「今回は子供を盾に取るような外道相手でしたから、お怒りなのは当然なのですが。前はあれほどの目はされなかったと……」
モンセンも、不安気に訴える。
もしや、すでに紋章の影響が出ているのでは。
ベルクートは、自分に言い聞かせるように否定した。
「殿下は、例えご自身に危険があっても、安易に紋章を使うことはありません」
自分のことであれば、いくらでも自制するだろう。
だが、身近な者に何かあったら。
太陽宮に残り、もしも女王陛下や兄弟同然に育った護衛に、危険が迫ったら。
本人の意思に関わらず、太陽の紋章は暴発するかもしれない。
――国を離れなければならなかったのは、ファレナを守るためでもあったのだ。
紋章を暴走させて、その後にもっとも悲しむのは本人。
そのようなことにだけはさせない。
「万が一の時は……私が刺し違えてでもお止めします」
その誓いは、黎明の紋章の時にすでに立てている。
「まったく、なんで王子様ばっかりそんな目に……」
「そんな事態にならないよう、陰ながら祈っておりますよ」
沈痛な面持ちで、三人共黙り込む。
そこに、目を真っ赤にした若い女性が、駆けつけてきた。
抱えているのは、すやすやと眠ってる先ほどの幼子。
「あのっ、ありがとうございました!」
「おかげで積荷も乗客も完全に無事でした」
「本当に、なんと礼を言ったらいいのか……」
助けた子供の母親だけでなく、船長や船員たちに囲まれ、海賊を前にしても動じなかった剣士は、どうしたらよいのか分からない、という顔でおろおろしている。
シンロウとモンセンは、助けてくれと目で訴えられ、思わず吹き出す。
そして、彼らなりの方法で、助け舟を出すことにした。
「奥さん! 子供さん、怖い思いしたよね、起きた時に喜びそうなおもちゃなんかどうだい」
「船員の皆さん! 今度海賊が来たときのために、防具はいかがですか! 他の船に知らせるための信号弾もありますよ!」
いきなり行商を始めた二人の口の上手さに、皆の視線がそちらに向く。
彼らが商品から顔を上げた時には、視界から剣士の姿は消えていた。
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二人きりになったり、焦ったりすると、呼び方が殿下に戻っちゃいます。
しかし、今更第一話につながるとは。
→紋章が暴走した時には、その剣で。
こういうジグゾーパズルが上手くはまったようなつながり方をすると
オリジナルでも二次創作でも、書いていて気持ちいいですv
ただのお笑い婚前旅行(ぉぃ)かと思いきや、なんだか大事になってきました。
これからどうなるのか、書いている自分が一番ドキドキ。
太陽の紋章の暗喩で、タイトルに蝶を入れてみました。
……蛾じゃあんまりなので!
(そういう問題じゃない)
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