海を渡る蝶 弐



「王子様、せっかく海なのに、部屋にこもってちゃもったいないっすよ」
「殿下、少し風に当たった方が、気分がよくなるのでは?」
「ううう」
シンロウとモンセンは、酔いに効くというお茶や薬を提供したのだが、いまだに少年は寝床が親友と化している。
なんとか気を紛らわせないものかと考えて、シンロウがにやりとして言った。
「そういや、ベルクートさん、上で女の子と仲良くしてましたよ」
「ああ、可愛い子でしたね」
「……っ!?」
動けなかったはずが、飛び起きる。
すごい効き目だ。
「本当にあの人はなつかれ体質ですよねぇ」
「まったく、うらやまし……」
「――っ!!」
「△×○〜≠!!」
「殿下、そんなに首を絞めては、シンロウさんが死んじゃいますよ」
本格的にシンロウが走馬灯を回しかけた時、噂の主が現われた。
思ったよりも主が元気そうなのを見て、ほっとした顔になる。
「殿下、この辺りには時々イルカが現われるそうです。動けるようなら……」
「行く! イルカ見たい!」
間髪入れぬ返答。
……本当にイルカが目的なのか、怪しいが。
「歩けますか?」
「? もちろん、だいじょ……」
立とうとして、床にへたりこんだ。
長いこと横になっていると、平衡感覚がおかしくなる。
ああ、やっぱり。
という顔で見ていたベルクートは、ひょいと少年を抱き上げた。
「―――っ!?」
「?」
「お、重くない!?」
「人並みには重いですが……運べないほどじゃないですよ」
真顔で答えられると、その程度なのか、と納得しかけてしまう。
「では、行ってきます」
軽く会釈して去っていくのを、シンロウとモンセンは目を丸くして見送った。
しばらくして。
「相変わらず、さらっとやってのけるなぁ」
「本人、自覚なしだから最強ですね」
「……誰にでもやってそうなのが、問題と言えば問題だけど」
王子のために入れたのだが、とりあえず用無しになった薄荷茶を、二人はまったりと飲み干した。

   ***

甲板に出ると、ぱたぱたと小さな足音がかけつけてきた。
「さっきね、イルカさんいたんだよ!」
「見られましたか。良かったですね」
確かに女の子――だった。
十歳くらいの。
ほっとすると共に、リムと同じくらいと考えると、意外と手ごわいライバルの登場かもしれない、と思ってみたり。
手すり沿いにそっと降ろしてもらい、海面を眺めた時、何かが銀色に輝いた。
「今、なんか飛んだ!」
「あれはトビウオです」
「魚が飛ぶんだ?」
空飛ぶ魚の群れが去った後、三角のひれのようなものが見えた。
イルカの背びれに似ているが……
「あれ、イルカ?」
「サメです。落ちないでくださいよ」
「むむう」
甲板を走り回っている女の子と、見えた、見えない、と同レベルで対抗しつつ。
だんだん意地になって、海を眺めること、数十分。
急に海面が泡立ったかと思うと、船の半分はありそうな巨体が、海面をぐぐっと押し上げて現われた。
挨拶でもしているかのように、頭の辺りから潮を吹き、思い切り反り返り、背から海に潜っていく。
大きな波に襲われた船に乗っている者たちは、たまったものではない。
落ちる者は幸いでなかったが、右舷側は、盛大な水しぶきを浴びた。
「今度こそ、イルカだったよね!?」
「あれは……クジラです」
とっさにマントをかけて主を水から守ったものの、自分はずぶ濡れになった気の毒な連れが、申し訳なさそうに告げる。
「おかーさん、このお兄さんたち面白いね」
「(これっ、思っても言っちゃいけません!)」
左舷側にいて無事だった母娘が、笑いをこらえながらこっそり話している。

水平線まで続く波間が、黄昏の黄金を映し、さらに夕闇の濃紺と変わり、とうとう星空を映しそうな漆黒に染まった頃。
「あのう、殿下」
「むう」
「もう見えませんから、船室へ戻りませんか?」
「イルカはーーーーっ!?」
甲板に、わがままな騎士長閣下の苦情が、長いこと響き渡っていた。






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真面目な話の後は、お笑いで。
無自覚な誰かのせいで、憧れのお姫様だっこが、さらっと流されてしまいました。

シンロウさんとモンセンさんも、呼び方が王子、殿下に戻ってます。
……昔なじみばかりになると、つい前通りに呼んじゃいますよね。
旧姓みたいなもん?(笑)

きっとイルカは、王子が見ているのとは反対側で、クケケケッとか笑っているんです。




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