紋章の外し方


部屋に戻ってから何度目か。
自分の両手の甲を眺める。
旅の間、太陽の紋章は、役に立つことはなかった。
それどころか、その存在に脅かされ、一時も心が休まらなかった。
国を出る前、妹から少しでも危険を遠ざけるため、またベルクートを守る力になればと、自ら望んで紋章の前に立った。
その意思を読み取ったかのように、三つの紋章は彼に宿った。
それがこんなにも重いものだったとは。
「外したいですか?」
もとより、過ぎた力を望んだわけではない。
人に恐れられ、顔色を伺われて生きていくのは嫌だ。
何よりも、自分が自分でなくなってしまうようなあの感覚。
二度と味わいたくない。
「……うん」
外したい。
けれど、その方法が分からない。
グリンヒルで読んだ本にも、真の紋章を外す方法は書かれていなかった。
それどころか、宿主が死ぬまで外れないとか、真の紋章を宿している間は不老になるとか。
ありがたくない情報ばかりで、不安が募る。
ふいに、ベルクートが跪いて両手を取った。
「あの崖でのこと、覚えていらっしゃいますか?」
忘れるわけがない。
思い出すだけでも、まだ身体がこわばる気がする。
あれ以来、ベルクートはそばを離れない。
紋章を監視するためだと分かってはいても、少し嬉しい自分が情けない。
「今更ですが、私はあの時、死ぬつもりなどまるでなかったのですよ」
「そんなこと言ったって、飛竜が来てくれなかったら、そのまま――!」
「私が落ちたのと、飛竜が来たのとは、かなり時間差があったでしょう」
言われてみて、当時の状況を思い出してみる。
襲撃者もろともベルクートの姿が崖の向こうに消え、しばらく何が起こったのか分からなかった。
戦闘であれば、いざという時には、太陽の紋章を使うことも辞さない気でいた。
敵どころか、その周りを巻き込んでも、なんとしても助けるつもりだったのだ。
それなのに。
あまりにもあっけなく、紋章の力を解放する余裕すらなく、手の届くところから失われてしまった。
最初に浮かんだのは、ベルクートに対する怒りだった。
――嘘つき。
そばにいてくれると、紋章が暴走した時には止めてくれると、誓ってくれたはずなのに。
こんなに簡単にいなくなってしまうなんて。
その原因になった襲撃者、こんなに近くにいて何もできなかった者たち、何より、その瞬間に動くことすらできなかった自分への怒り。
そして、紋章の力を押さえることができなくなった。
――それらはほんのわずかな時間と思ったのだが、周りの者たちと何か言葉を交わした覚えがある。
自分の口が発した言葉は、すべて遠い扉の向こうから聞こえてくるように感じて、現実味が残っていない。
「あの崖は下に、段差の部分があったのです。二人がなんとか着地できるくらいの」
「えっ?」
そういえば、襲撃者たちが現われる前、ベルクートは崖から下を覗き込んでいた。
では、崖からは落ちた後、二人とも無事だったのか。
それならば、何故すぐに声をかけてくれなかったのだろう。
「一応、予測通りそこに降りたのですが、爆発で足場が崩れて、また落ちそうになってしまって」
落ちた爆薬は、崖のさらに下で火の手を上げた。
人一人抱えたまま、不安定な足場と爆風。
さらに、崩れる岩壁に巻き込まれる危険もあった。
「それでも、直にどなたかが気づいてくださるだろう――と、比較的、気楽に考えていたんです」
まさか、まさか――。
「……誰も覗いて下さらなかったのは、想定外でした」
あの時。
暴走しかけた太陽の紋章に気を取られ、誰も下を見る余裕などなかった。
ベルクートは、なんでもないことのように笑っているが……。
普通に助かるはずだったところを、自分が危機に追いやっていたのか――!
恥ずかしさに赤くなっていいのか、恐ろしさに青くなっていいのか分からない。
とにかく、色んな意味で太陽の紋章が邪魔にしかなっていなかったことだけは間違いない。
「ほんとに、これって、役立たずっ!!」
自分では見えない紋章に対して、本気で腹が立ってきた。
だが、激昂する主に、ベルクートは微笑んだ。
「太陽の紋章の光が見えた時、不謹慎ながら、少し嬉しかったです」
少し照れたような、控えめな笑顔。
「それだけ、私ごときを心配してくださったということですから」
「ごときって……っ!」
本当にこの人は、自分のことを過小評価しすぎだ。
あの時自分は、本気で何もかも消し飛ばしてしまいそうだった。
一番必要としていたものがもうないのなら、何もかもいらない、と。
「……ベルクートは、紋章がない方がいいと思う?」
「それはもちろん、こんな模様などない方が」
痣のようになっているはずの額を、優しい手が触れる。
「ただ、紋章があろうと、なかろうと、私の忠誠は変わりません。それだけはお忘れなきよう」
そんなことを言ってくれるから、つい、紋章などあってもなくても構わないか、と思いかけてしまう。
けれど、額に触れかけた唇が、吐息だけを残して離れてしまったのに気づいた。
まるで、紋章に触れるのを避けたかのように。
その瞬間、収まりかけていた紋章への怒りが再燃した。

――コンナモノイラナイ!

刹那。
目の前に、ふわりと黄金色の光が浮いた。
それがなんであるかに気づいて、自分でも驚く。
「えっ!?」
太陽の紋章は、追い出されたことに怒ったように、一瞬だけ激しく輝き、かき消えた。
そして、黄昏と黎明の二つも、主を追うかのように両手の甲から離れ、宙空に消えてしまった。

***

「おめでとう」
「愚か者が」
封印の間に駆け込んだ二人を、まったく違った表情と、まったく異なる言葉が迎えた。
「ジーン、ゼラセ」
「すんなり外れてよかったわね」
「紋章は、気分でつけたり外したりするものではありません……!」
ゼラセの罵倒も久しぶりだとちょっと懐かしい。
封印の間に並ぶ、紋章を安置するための像。
三つ並んだ像に、今は三つの光がそれぞれゆったりと輝いている。
「ありがとう。二人が外すのに力を貸してくれたんだね」
「貴方が本当に外したい、と思ったところに、少し後押ししただけよ」
「もう二度とはないと思いなさい」
「気をつけます」
他になんと言えばいいのやら。
「まったく……」
呆れたような口調とは裏腹に、黒服の美女は、口元に薄い微笑を浮かべていた。

***

「先ほどは、脅かしてすみませんでした。実は、ジーンさんとゼラセさんに、厳命を受けていまして」
部屋まで送り届けた後、ベルクートが謝った。
「貴方が、本気で紋章を外したいと思うようにしむけろと」
それで、崖から落ちた時の話をしたのか。
彼女らに言われなければ、自分が気に病む話を、今更蒸し返したりはしなかっただろう。
「それでは、おやすみなさい」
「えっ!」
あっさりと行こうとした相手の腕を、咄嗟に掴んだものの、なんと切り出せばよいのか分からない。
できれば、その、さっきの、続きを……。
「兄上ーーっ!!」
ぱたぱたと、軽い足音が駆けつけてきた。
「おお、ちゃんと外れたのじゃな、よかった!」
額と、両手をぺしぺしと叩くように確認し、あふれんばかりの笑顔になる。
「今夜はわらわと寝るのじゃ。紋章が万が一、わらわに移ってはいかんと、全然一緒にいさせてもらえなかったなかったのだからな!」
「え、あ、うん、そ、そうだね……」
部屋にぐいぐいと引きずり込まれながら、今日ばかりは、可愛い妹を、ちょっとだけ恨みたくなりつつ。
(明日ね)
と口だけ動かせば、
(はい)
と変わらぬ笑顔が返される。

――また明日。

そう言えるのは、幸せな証拠。
大切なものは、全て手の届くところにある。

明日は、きっといい日に違いない。








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終わった――!

捏造留学編、ここまでついてきてくださった皆さん、ほんと物好(殴)
……本当にありがとうございました!
とうとう最後まで色気もなにもない(裏)でしたが、少しでも気に入っていただけると幸せです。

実を言うと、留学編で最初に「見えた」のは、シンダル遺跡の宝箱に草を放り込んでいるツヴァイクさんでした。
なにしとんじゃ、先生ーっ!
白いオバケとか、グリンヒルの森とか、IIネタの面白いところをついばむだけのつもりが、まさか、これほど長丁場になろうとは。
お付き合いくださった皆様に感謝です!。








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