紋章の外し方 弐


「殿下に、紋章を外したいと思わせろ、と?」
封印の間に呼び出されたベルクートは、美女二人を前にして、少し後ずさった。
「そうよ」
「本人が本気で不要と思わなければ、うまくいきません」
いざとなれば何百の兵を前にしても恐れはしないが、この二人の女性はそれよりもはるかに手ごわい気がする。
「殿下は、太陽の紋章は必要ないと言っておられましたが……」
「口でそう言おうと、心の底で否定しておれば意味がありません」
「宿す時には、妹さんを紋章から遠ざけよう、貴方を死神から守ろうと必死だったのでしょうけど……今は、どうしても外さないといけない理由がないのよね」
「しかし、具体的にどうしたら……」
本人ですら無意識なものを、自分がどうにかできるものだろうか。
「それを考えるのは貴方の仕事よ。私たち、今夜はここにいるから、がんばってね」
「さっさと行きなさい」
もう少しくらいアドバイスをもらえるかと思ったのに、ぽい、とばかりに部屋から放り出されてまった。

***

ふう、と騎士長殿がため息をついた。
造反を企てていた貴族や、襲撃者に仕立てられた若者たちの状況の報告を聞き、一通り指示を出した後。
彼は食事もそこそこに、私室に戻っていた。
北の大陸を出た日から――紋章を暴走させかけたあの日から、持ち前の明るさが翳っていた。
紋章に引きずられていたとはいえ、大切な仲間たちを巻き込みかけたこと。
それが、いつも前向きであったはずの少年の心に重くのしかかっている。
グリンヒルにいた間、ベルクート自身も真の紋章については色々調べてみた。
過去に宿した人間や、現在所持している人物についての記述はそれなりに多い。
だが、外したという記録は数えるほどしかなく、そのほとんどが、本人が死亡した場合、というありがたくない情報だった。
しかし、歳若き騎士長は、眷属とは言え黎明の紋章を外した実績がある。
そして今、ジーンとゼラセが待っているということは、きっかけさえあれば、外すことが可能なのだろう。
後は、本人次第。
「外したいですか?」
「……うん」
本人も、この紋章は不要と考えてはいる。
けれど、宿した時と同じだけの気合がつかめずにいる。
紋章に対する不安や恐れを抱きつつも、それが己の身にあれば、敵の目を自分に集中させることができることや、その力で誰かを守れるかもしれないという期待が、外すことをためらわせているのだろうか。
彼が今までで、心から外したいと思ったのは、やはり紋章を暴走させかけてしまったあの時だ。
ジーンやゼラセが傍にいて、紋章の宿り場所が確保されていれば、きっと外れていたに違いない。
それならば。
「あの崖でのこと、覚えていらっしゃいますか?」
少年の肩が震えた。
嫌な記憶を引きずり出すことに罪悪感を感じたが、できるだけ静かに続ける。
「今更ですが、私はあの時、死ぬつもりなどまるでなかったのですよ」
「そんなこと言ったって、飛竜が来てくれなかったら、そのまま――!」
激昂する様子が、そのまま自分への心配であるようで、ちょっと嬉しい。
「私が落ちたのと、飛竜が来たのとは、かなり時間差があったでしょう」
ちょっと考えて、少年がうなずいた。
「あの崖は下に、段差の部分があったのです。二人がなんとか着地できるくらいの」
「えっ?」
襲撃者に仕立て上げられた少年を抱えて、狭い段差になんとか降り立った。
「一応、予測通りそこに降りたのですが、爆発で足場が崩れて、また落ちそうになってしまって」
落ちた爆薬は、崖のさらに下で火の手を上げた。
予想以上の爆風と衝撃。
上で爆発していれば、仲間たちも無事には済まなかった。
ほっとしたのもつかの間、ただでさえ狭い足場が、爆発の余波を受けて崩れた。
咄嗟に背後の岩場に剣を突き立てて体勢を整えたが、このままでは……。
「それでも、直にどなたかが気づいてくださるだろう――と、比較的、気楽に考えていたんです」
誰かが気づいてくれれば、少年を引き上げてもらった上で、自分も十分助かる。
そう踏んでいたのだが。
「……誰も覗いて下さらなかったのは、想定外でした」
頭上で煌いた光に、そちらがそれどころではない状況になっていることを知った。
助けは期待できない。
せめて、手の中の少年だけでも救うことはできないものかと辺りを見回した時、風を切って現われたのが飛竜だった。
途中から、まさか、という顔で赤くなったり青くなったりしながら聞いていた少年が、とうとう自分では見えない紋章に向かって喚いた。
「ほんとに、これって、役立たずっ!!」
その様子があまりに可愛らしくて、死を覚悟した瞬間のことなど、どうでもよくなってしまう。
「太陽の紋章の光が見えた時、不謹慎ながら、少し嬉しかったです」
ファレナの内乱を収めたほどの自制と判断力を持つこの人が、何故紋章の力を押さえきれなくなってしまったのか。
過分な自惚れとは分かっていても。
「それだけ、私ごときを心配してくださったということですから」
「ごときって……っ!」
一生の主と決めた相手は、何か必死に言葉を探していたが、やがてあきらめたようにうつむいて、ぽつりと呟いた。
「……ベルクートは、紋章がない方がいいと思う?」
「それはもちろん、こんな模様などない方が」
痣のようになっている額に触れる。
本来は傷一つない白い肌なのに、もったいない。
紋章が離れないのは、決して彼のせいではない。
二人に指示されたとは言え、追い詰めているのが、気の毒になってきた。
「ただ、紋章があろうと、なかろうと、私の忠誠は変わりません。それだけはお忘れなきよう」
つい言ってしまってから、これでは紋章を肯定してしまって、また外すきっかけを失ってしまうのでは、と気がついた。
今夜外れなければ、ジーンは困ったような笑顔をするだけだが、ゼラセには役立たずと容赦なく罵倒されそうだ。
……どうしよう。
思わず封印の間のある方を見上げた時だった。
目の前に、ふわりと黄金色の光が浮いた。
顔を上げた少年の額からは、紋章の模様が消えている。
「えっ!?」
本人も予想外だったらしく、目の前で揺れる光を見つめている。
その光は、主から追い出されたことに怒ったように、一瞬だけ激しく輝き、かき消えた。
そして、少年があわてて確認した両手から、黄昏と黎明の二つも主を追って両手の甲から離れ、同様に宙空に消えた。
「外れ……ましたね」
「――うん」
どうして、という疑問は残ったが、とりあえず一番の問題は解決した。
居場所をなくした紋章たちは、あの謎の女性たちに導かれ、封印の間に戻ったのだろう。
思っていたよりも、あまりにあっけなくて。
少々間の抜けた顔を見合わせていると、やがてどちらからともなく、笑いがこぼれた。
「ジーンさんと、ゼラセさんに、お礼を言わなくては」
「そうだね」
笑いすぎて滲んだ涙をぬぐっている、その姿。
やっぱり、この人は笑顔の方がいい。
どこにいても、どんなに時が経っても。
きっと祈る願いは一つだけ。

――この方が、明日も笑顔でありますように。





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ベルさんは、困って上を見ただけでした。
最後の最後にこのオチ(笑)。






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