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「いかなる星の下に」


プロローグ

遠く近く、鳴り響くチャペル。
神父の言葉が終わり、賛美歌が始まった。熱心なキリスト教徒たちの歌声は、美しく教会内に響き渡る。
その中でも、ひときわ澄んだ声音の若者がいた。聞き心地の良いテノールだけでなく、しっかりとした音程が、正規の訓練を受けた者であることを示している。
柔らかく肩にかかる金色の髪に、明るい海の碧い瞳。年の頃は十七、八。肌の色は透けるように白く、女性と見まごう美貌であった。腕に竜をかたどった大きな竪琴を抱えているところをみると、吟遊詩人であるらしい。
周りの人々が歌うことすら忘れ、天使の歌声に聞き惚れている時であった。
いきなり教会の扉を外から激しく叩く者がいた。一人二人ではない。歌が中断され、礼拝に参加していた人々が何事かとざわめき始める。
乱暴に扉を開け放ち、どかどかと入ってきたのは、甲冑や鎧を身につけた兵士たちであった。剣を手にした彼らのマントには、十字が描かれている。彼らはキリスト教徒を護るのが役目なはずの十字軍の兵士だ。
しかし、いくらキリスト教正統派の保護下にある十字軍でも、教会内に武器を携えたまま踏み込むことなど、許されるわけがない。一体どんな非常事態だというのだろうか。
「殺すな、生かして捕らえろ!」
司令官らしき男が叫び、兵士たちが教会内になだれこむ。その指差す方向で、彼らの目的の人物は身をひるがえし、人々の間をぬって駆け出していた。
「あいつだ、逃がすな!」
兵士たちが狙っているのは、先ほどの素晴らしい声の持ち主であるらしい。
若者は青ざめた顔で背後を振り返りつつ、教会の塔へ続く階段を上り始めた。兵士たちは、人波をかき分けるのに精一杯でなかなか追いついてこない。だが、数人、足の早い者が階段にたどりついた。
狭い石段に響き渡る、かん高い靴音。一度に入れる人数が限られるとはいえ、大勢の兵士が後に続いているのが分かる。
追われている若者はすでに息を切らし、足は時折止まりかけている。追いつかれるのは時間の問題だ。振り返ると、ほんの数歩先に鎧に身を固めた兵士の姿が見える。鈍色の鋼が、ステンドグラスを通した太陽の光を受けて冷たく輝く。その姿はまるで黄泉から現れた亡霊のようで、若者はぞっとして再び階段を上り始めた。
……どのくらい逃げ続けたのか、とうとう若者は塔の最上階にたどり着いた。
狭い部屋。正面の壁には大きな十字架が飾られている。四方に大きな窓があったが、修理中なのか、ステンドグラスは取り外され、遥かに地上を見下ろすことができた。高所恐怖症でさえなければ、その見事なまでの光景に誰でも感動したことだろう。若者も、自分の置かれた状況も忘れて、その景色に見とれた。
しかし、それも束の間。階段から、息を切らせた兵士が数人、部屋へ入ってきた。十人ほどでいっぱいになってしまう部屋に、それ以上兵士は増えず、代わりに黒い礼服を身につけた司令官らしき男がゆっくりと現れた。マントの白抜きの十字が鮮やかだ。
若者は、この男を知っていた。
十字軍を動かし、シトー僧院長からナルボンヌの司教にまでのし上がった、アルノー・アマルリック。その名を知る者は、恐怖に震え上がるか、尊敬の眼差しを投げかけるか、両極端に分かれる。彼がこれまでに行ってきた所業のなせる技だ。
彼は、何かを出せを言うように、若者へ手を差しのべた。若者は首を横に振り、後ずさる。しかし、すぐに壁にぶつかってしまった。はっと振り返るが、背後には窓があるばかり。ここから逃げ出すには、空を飛ぶしか方法はない。
捕らえた小鳥をなぶるように、薄笑いを浮かべて、司教は一歩前へ進み出、再び手を伸ばした。
反射的にその手を振り払い、若者は司教と窓の外を見比べた。ほんの一瞬迷ったあと、その顔に決然とした表情が浮かぶ。
刹那、彼は窓から身を投げていた。兵士たちが、息を飲む。
「しまった……」
窓に駆けつけ、司教は舌打ちした。
「いや、死体でも構わん。何か手がかりになるものがあれば……」
くやしげに呟いた時、兵士たちの間にざわめきが起こった。
「な、なんだ、あの化け物は!」
「と……鳥? ロック鳥だ!」
「馬鹿な、あれは伝説の生き物なはずだ」
「しかし、あれは確かに……」
大きな翼の作り出した影が塔を被った。普通の鷹の十倍はあろうかという巨大な鳥が、突風と共に塔をかすめる。混乱に陥っている者たちの目の前を、伝説の巨鳥は一気に下降した。その背に、塔から飛び降りた若者を受け止める。……正確には、鳥の背に乗っていた男が受け止めたのだが。
巨鳥を操っているのは、白いターバンに赤いマント、鋼の胸あてを身につけた青年であった。腰に帯びた大振りの剣を見ずとも、かなりの腕の戦士であることが分かる。彫りの深い顔立ちと浅黒い肌は、砂漠の民、特有の物。
彼の腕の中で、吟遊詩人は目を閉じたまま動かない。風圧と恐怖で気を失ったのだろう。
外傷のないことを確認し、戦士は塔の窓に群がっている者たちをちらりと見やり、当然のように言い放った。
「こいつは、確かに返してもらったぞ」
聞こえるわけもないが、その嘲笑めいたセリフの察しはついたらしい。窓から落ちそうな程に身を乗り出し、司教は歯ぎしりしている。
その前を、巨鳥は悠然として羽ばたき、見る間に姿を消した。



「……シオン、リュシオン、起きろ!」
ハスキーな女の声。
軽く揺さぶられ、若者はぼんやりと目を開いた。まだ頭は夢と現実の境にあるらしい。
「リュシオン、しっかりして下さい。怪我でもしたんですか?」
今度は、少し幼さの残る少年の声だ。心配そうな思いが口調に表れている。
親しい者たちの顔を見とめて、リュシオンと呼ばれた吟遊詩人は、やっと身を起こした。
「シェラザード、ハールーン、それにハッサンまで! 助けにきてくれたんですか?」
体格のいい戦士が豪快に笑い、驚いて目をしばたいている若者の頭をよしよしとなでて言った。
「助けたのはアルシャインとムルグだよ。それにしても無茶な奴だ。塔から飛び降りるなんて……。ハールーンが気がつかなかったら、間に合わなかったぞ」
ハッサンの言葉に、白いターバンを巻いた小柄な少年が、安心した反動か、怒りまくって叫ぶ。
「本当ですよ、たまたま塔を見上げて、追われている貴方に気がついたから良かったものの……そうでなければ、今頃地面に叩きつけられて・・・」
自分で言って想像してしまったのか、少年が身を震わせる。
「……命を無駄にしないと約束したのを忘れたんですか、リュシオン!」
上ずった声で怒鳴られて、リュシオンは困ったように笑い、首をかしげた。この顔で何か頼まれたら、どんな無理でもかなえてやりたくなる……。そんな笑顔だった。ハールーンは何も言えなくなって、残りの苦情をあきらめてしまった。
「まぁ、無事だったから良かったということにしておこう。それにしても、つくづく狙われやすいんだね、お前は。一体何で追いかけられていたんだ?」
リュシオンを支えていた女性が口を開いた。年はあまり変わらないようだが、妙に落ちついた雰囲気の為か、リュシオンと並ぶと随分年上に見える。緩やかなウェーブを描く見事な黒髪は腰まであり、大きな黒い瞳によく似合っている。明らかにアラブの顔立ちであるが、肌の色は白い。男性めいた口調もあいまって、ひどく迫力のある美女であった。
「それが、分からないのです。いきなり十字軍に追われて……」
「分からない?」
戸惑った表情で答えたリュシオンに、美女はあきれてため息をついた。
「理由も分からずに逃げてたのかい、お前は」
「冷たいですね、シェラザード。捕まったら何をされるかと、私は必死だったんですよ」
「今度からは、せめて理由を確かめてから身投げするんだね。……おや、アルシャイン」
からかうように吟遊詩人の額を指先で軽くつついてから、彼女は空を見上げた。
凄まじい突風と共に舞い降りたのは、先ほど人々を驚かせた巨鳥であった。二、三度宙で羽ばたき、ゆっくりと着地する。その背には、リュシオンを十字軍からさらった青年の姿がある。
その傍らに駆けつけ、リュシオンは飛び降りた青年に頭を下げた。
「助けて下さったのですね、アルシャイン。ありがとうございました」
「別にお前を助けに行ったわけじゃない。ナルボンヌの司教を暗殺するつもりで偵察していたら、目の前にお前が飛び出してきたんだ。礼はムルグに言うんだな」
そっけない言葉に少ししゅんとして、リュシオンは巨鳥に目を移した。
おとなしく待っていた伝説のロック鳥が、嬉しそうに翼を震わせ始めた。まるで親鳥に甘える雛である。もっとも、相手は自分の足くらいしかない人間なのだが。
「ムルグ、ありがとう」
硬い羽に包まれた巨鳥の頭をなでながら、リュシオンは人間相手のように礼を言った。分かっているのか、ムルグは頭をこすりつけてくる。小さな人間には、巨鳥の相手は少し荷が重い。じゃれつかれて倒れそうになっているリュシオンに、アルシャインは腕組みしたまま尋ねた。
「お前は何を持っている? お前を捕まえようとしていたのは、間違いなくナルボンヌの司教、アルノー・アマルリック。十字軍を指揮するあの男が、そう簡単に動くはずがない」
「……分かりません。十字軍に狙われる覚えなどないのですが。でも、あの司教殿は、確か「秘宝を渡せ」と……」
自分を死の危険にさらした相手に殿をつけるところがリュシオンらしい。慣れているのか、アルシャインは気にした様子もない。
「秘宝? 心当りがあるのか」
「いいえ。私は只の吟遊詩人。何も持っておりません。秘宝なんて、聞いたこともありません。でも、知らないと言っても信じてくれなくて……」
「それで飛び降りたのか。意外と短絡だな」
鋭すぎる言葉に、リュシオンはがっくりと肩を落とす。さっさと歩き始めたアルシャインの後によろよろとついて行くと、いつの間にか彼をだしにして盛り上がっている連中がいた。
「十字軍の兵士に見初められたに百リアル」
「貴族の未亡人がお小姓に望んだに二百リアル」
「いいえ、やっぱり騎士団に目をつけられたんでしょう、百五十リアル」
「ちょーっと、何言ってんですか」
リュシオンが珍しく怒った口調で声をかけた。
「いやー、お前が何で狙われたのか、ちょっと賭けを……」
「それはともかく、どうしてそういう内容しか思いつかないんですっ」
「だってなぁ、その顔といい、声といい、そういう相手にしか見えな・・・痛ぇ!」
げらげらと笑い始めたハッサンの頭に、ゴンといい音を立てて竪琴が当った。あまり力は入っていないものの、竪琴はかなり硬い。大げさに悲鳴を上げたハッサンと、逆におろおろと心配し始めたリュシオンを見ながら、シェラザードとハールーンは息もできないほど笑いこけている。
多少落ちついたのを見計らって、アルシャインが声をかけた。
「アラムートへ帰るぞ」
「ちょっと待った、アルシャイン。ムルグには大人二人しか乗れないよ。行きはあたしのマリッドもいたけど、森で待っているように指示したから今どこにいるか分からないし。どうする気だい?」
笑い過ぎて目元ににじんだ涙をぬぐいながら、シェラザードが尋ねる。返事はそっけなかった。
「俺、リュシオン、ハールーン」
「あたしとハッサンは?」
「あとで迎えをやろう」
「十字軍がいつくるか分からないってのに、こんなところに置いてきぼりかい? この人非人!」
シェラザードが食ってかかったが、アルシャインは聞いている様子もない。泣く子も黙る女戦士の苦情を、表情一つ変えずに聞き流せるのは、世界広しと言えども彼一人である。
あわててリュシオンが口を挟んだ。
「私が残ります! シェラザードを乗せて上げて下さい、女性優先ですよ!」
「お前を助けに来たのに、お前が残っちゃ意味がないだろ……」
彼の意見をあっさりと却下したのは、シェラザード本人であった。他の者たちも、うんうんとうなずき、同意を示す。どうやら、このメンバーでは、リュシオンが最も弱い存在らしい。
「さっさと迎えに来いよーっ」
シェラザードの声に送られて、巨鳥ムルグは舞い上がった。
「本当にあの二人を置いていくんですか? 十字軍に見つかりでもしたら……」
まだ心配そうに振り返っているリュシオンに、ハールーンは苦笑しながら答えた。
「大丈夫、さっきアルシャインは、シェラザードのマリッドを捜しに行ってたんですよ。ほら、マリッドが来た」
指差す方向の遥か彼方に、ぽつんと黒い物が浮かんでいる。目を凝らしていると、みるみるうちにそれは近づき、姿があきらかになった。今彼らが乗っているのと同じロック鳥である。雌鳥なのか、わずかに小柄だ。巨鳥はムルグとすれ違い、シェラザード達がいる辺りの木々の間に姿を消した。シェラザードとハッサンは、すぐに追いついてくるだろう。
ほっとして、リュシオンは遥か地平に目をやった。
果てしない砂漠の向こうに、アラムートの山砦はある。「帰る」とアルシャインは言った。リュシオンにとっても、その言葉は不自然でなくなりつつある。
一ヶ月前、彼がある決心をしなければ、決して巡り会うことのないはずであった人々。帰る場所を失った彼を、彼らは仲間として迎えてくれた。
南フランスの貴族の家に生まれ、敬虔なキリスト教徒として生きてきたというのに……運命の糸というのは、実に気まぐれで不可思議なものだ。
沈みかけた太陽が、砂漠を赤く染めてゆく。毒々しいほどに鮮やかな赤は、血か炎のようだ。昔に見た光景にどこか似ている。
二度とこんな風に人々の血が流されることがありませんように。
教会の中で祈っていたことと同じことを心の中で繰り返しながら、リュシオンは疲れでうとうとし始めていた。



時は中世。
聖地エルサレムを巡り、イスラムとキリスト教の二大宗教が争い始めて、すでに数百年が過ぎようとしている。
しかし、キリスト教内でも腐敗した正教会に反発する異端派が現れ、またイスラムも様々な宗派に分かれて争いが起こるなど、血の匂いは薄れる気配がない。
正に混沌とした時代である。
そして、そんな時代に生まれ、世界に恐怖をまき散らした集団があった。
アサシン。イスラムでも異端とされるイスマイール派に属する教団である。
彼らは「山の長老」と呼ばれる教主を中心とし、山砦アラムートを拠点として活動を行っていた。すなわち……自分たちの邪魔となる者を暗殺によって始末し、勢力を伸ばしていたのだ。
彼らが「暗殺者教団」と呼ばれた所以である。自分の命をかえりみぬ手口から、麻薬を常用していたと言われ、それがなまってアサシンと呼ばれるようになったとされる。だが彼らが麻薬を使用していたという根拠はなく、原理主義者を示すアサスから転じたという説もある。
とにかく、彼らは中世において右に出る者のない暗殺のプロであった。最も狙われる十字軍の司令官やキリスト教の司教たちは、彼らを恐れ、常に鎖かたびらをまとい、安息の日はなかったという。
それほどまでに恐れられたアサシンは、本当に血も涙もない狂信者の集団だったのだろうか。
いや。それならば、百五十年もの間、初代の教主の遺志を守り、一糸乱れぬ固い結束を保つことなど不可能だっただろう。彼らは熱心なイスラム信者であり、最高の教育を施されたエリートたちであった。数ヶ国語を流暢に操り、一国の首脳陣と対等に話し合えるような豊富な知識の持ち主ばかりであったという。
彼らの教団はすでに崩壊したが、現代でもアサシンは政治上の暗殺者を意味する言葉として残されている。そう、彼らは一般の市民には決して手を出さなかったのだ。最も憎んでいるはずの、異教徒にさえも。
暗殺によって、最小限の犠牲で目的を達成する--- 。
宗教戦争で何百万もの命が奪われるこの時代、一見残酷と見える彼らのやり方は、人道的ですらあったのかもしれない。

西暦、一二五○年。
アサシンの山砦は百五十を数え、教主は七代目を迎えた。
イスラムの中でも、異端派の名をくつがえしかねないほどの勢力となったアサシン。それを構成しているのは、十二から二十歳までの若者たちであった。
まだ伝説がそこかしこに息づく世界で、彼らは確かにそこにいたのである……。



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