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「いかなる星の下に」


   第一章 異端の刻印

「おお、これは素晴らしい竪琴だ。こんなに良い音色を聞くのは久しぶりだぞ」
広場に響き渡った遠慮のないがらがら声にリュシオンはびくんと身体を震わせた。こわばった顔を、声のした方向へ向ける。半ば硬直しながらも、竪琴を弾き続けたのはさすがであった。
「それに……弾き手もなんと美しい。これ、そこの吟遊詩人、そなた名は何と申す」
竪琴から手を離し、無理に微笑を浮かべてリュシオンは答えた。
「リュシオン・ド=ファレルと申します」
「ほう、南フランスの貴族か?」
「今では、ただの吟遊詩人にございます、カリフ・サッディーン」
「ふむ、わしの名を知っておるのか。―リュシオンとやら。街角に置くのは惜しい腕前だの。どうじゃ、今宵我が屋敷において、腕を披露してはみぬか。望みの褒美をとらせるぞ。宮廷楽師の地位も考えてやろう」
「ありがたきお言葉に……ございます」
一瞬言葉を途切れさせた吟遊詩人は、流れる前髪の影からカリフの姿を見つめていた。知っている者が見たら、驚きに顔をこわばらせただろう。いつも人を安心させる優しい瞳が、今はぞっとするような冷たい光を宿していた。
しなやかな指が竪琴から離れ、腰に巻いた飾り布を探る。次の瞬間、その手に握られていたのは……一本の短剣であった。戦場ではとても役に立たない小さな物だが、研ぎ澄まされた刃は、急所を外さなければ間違いなく相手の命を奪える。
柄を握り締める指が血の気を失って白い。わずかだが、腕は小刻みに震えている。
(今なら……殺せる!)
吟遊詩人は唇を噛みしめ、短剣を振り上げようとした。
刹那―。
カリフを呼ぶ低い声が、彼の手を止めた。リュシオンは、あわてて短剣を飾り布の陰に隠す。幸い、カリフは声に気を取られ、彼の動きには気づいていない。
吟遊詩人の決死の行動を止めさせた声の主は、カリフの傍らにいた。
「カリフ・サッディーン。そろそろお時間だが」
若い男だった。カリフと同じく白いターバンを頭に巻き、赤いマントを身につけている。腰に帯びた大振りの剣が飾りでないことは、鍛えられた身体つきを見れば素人でも分かる。
カリフの護衛だろうか。「戦士」という名称にふさわしい眼光の鋭い青年であった。
「おお、もうそんな時間か」
サッディーンは少し驚いたような表情になり、吟遊詩人を振り返った。
「まったく、屋敷の石頭どもは、わしが音楽を愛でる時間も許さぬと見える。リュシオンと言ったな、今夜……必ず屋敷へ参るのだぞ」
「カリフの御心のままに」
足元にかしずき臣下の礼をとった吟遊詩人に、カリフは満足気に笑い、歩み去っていった。かき分けるまでもなく、その周りから人々があわてて離れてゆく。その様は、まるで海岸から波が引いてゆくようであった。
目的を達成し損ねたリュシオンはくやしげに唇を噛みしめたまま、足元を睨みつけていた。カリフの命を奪える絶好のチャンスだったのに、逃してしまった。あとほんの少しのところだったのに。もうこんなに近づける機会はないかもしれない。
……いや、今夜屋敷に招かれたのが神の導きなら、まだ望みはある。実行しても、カリフの隣にいたあの戦士に止められていたかもしれない。ならば、今少し時を待とう。焦って失敗するよりも、機をうかがい、確実にしとめねば。
「おい」
もうカリフの側近は行ってしまったものと思い込んでいたリュシオンは、突然声をかけられて心臓が止まるほど驚愕した。その声は間違えようもなく、彼の行動の邪魔をした男の物だった。
「やめておけ」
「な……なんのことでしょう」
全身を硬直させ、リュシオンは聞き返した。普段のあの素晴らしい歌声が嘘のように固くひきつった声音である。
なんの感情も感じられない、淡々とした声が続けた。
「そんな目をしていては、何をしようとしているのか明白だ。今夜屋敷に来てみろ、カリフの前に立つ前に、近衛兵に捕らえられるぞ。……その細腕に武器は似合わん。あきらめて故郷にでも帰るがいい」
平然とした表情と口調のせいで、天気の話でもしているかのようだ。通り過ぎてゆく人々は、誰ひとり二人の会話に気をとめる者はいない。少し耳をすませば、恐ろしい話が聞こえるはずなのに。
「理由は知らんが暗殺はあきらめろ。今夜、屋敷には来るな……」
それだけ言うと、カリフの側近らしき戦士は赤いマントをひるがえし、吟遊詩人の傍らから離れた。ものの数秒で、その姿は人の波に飲まれ、見えなくなった。
茫然と見送っていたリュシオンが我に返ったのは、かなりの時間を経て、待ちくたびれた客が次の曲を催促してからだった。
客の要望する甘い恋歌を歌いながら、今までのことを反芻する。あの男……自分がカリフの命を狙っていることに気付いて、邪魔をしたのか。それならば、何故自分を見逃したのだろう。あのまま行動に移らせておいて切り捨ててしまえば済むことだったのに。あの男なら、カリフの身に短剣が届く前に自分を殺すことなど造作もないことであるはずだ。それが、カリフに気付かれぬように止めた上に、忠告まで残していくとは。
自分を助けた? カリフを狙う暗殺者を捕らえ、殺すのが仕事であるカリフの護衛が?
(今夜、屋敷には来るな……)
戦士の言葉が、耳の中でまだ残っている。確かにそうだろう。人の多いこの広場でならともかく、近衛兵の集まっている屋敷で、先ほどのような殺気を隠しおおせるわけがない。カリフの元にたどりつけるまでに捕まる可能性のほうが高い。
だが……。
カリフは、なんとしても自分の手で倒さなければ。忠告をくれたあの男には悪いが、あきらめる訳にはいかない。たとえ、この命を失おうとも、それが自分に残された最後の生きる目的であるからには―。
半分上の空で演奏を続けながら、自分に言い聞かせる。
数時間後。
リュシオンはカリフ・サッディーンの屋敷を訪ねた。
話好きな女召使いに奥の部屋に案内されながら、リュシオンは自分に好奇の視線が集まっているのを感じた。金髪碧眼はこの辺りでは珍しい上に、手にした大きな竪琴がいやでも人目を引いてしまう。イスラムでは音楽はご法度。曲を奏で、歌をさえずる吟遊詩人など本来ならこの国に足を踏み入れることさえできないのだ。
「うちのカリフは変わり者でね」
太っちょの中年女は、じゅうたんの上にクッションを用意し、落ちつかずにきょろきょろしている吟遊詩人を座らせた。なまりのあるアラビア語だったが、気を使っているのかゆっくりしゃべっているので聞き取るのに苦はなかった。
「自分がペルシャの王族の血筋なのが自慢なんですよ。それを理由にイスラムの法に反することでも平気でやってしまう。女好きな上に宝石や黄金に目がないし、ことあるごとに宴を開く。まったく、領民は税にあえいでいるっていうのにねぇ」
サッディーンのいい噂は聞いていなかったが、側近の召使までがここまで言うところを見ると、かなり嫌われているらしい。もとより清貧を旨とするはずのイスラムで、己の欲を満たすのに夢中になっている者が好かれるはずもない。カリフやスルタンといった権力を持つものたちのほとんどは、こういった連中なのだろう。それはキリスト教においても変わりはない。
「禁忌のはずの楽師や吟遊詩人は連れ込むし……おっと、失礼。決してあんたのことを悪く思っているわけじゃないんですよ。あたしは音楽が好きで、これだけはカリフに感謝しているくらいなんでね。いい曲を聴かせてくださいな」
目深にかぶったチャドルと呼ばれる布の陰からにっこりと人好きのする笑顔で言われ、リュシオンはぎこちなく微笑み返した。曲を奏でる前に、自分は恐らく命を失うだろう。カリフ・サッディーンを殺した犯人として。
彼の表情には気付かなかったらしく、召使いは他の仕事があるからと、鼻歌と共に歩き始めたが、思い出したようにひょいと振り返る。
「ああ、あんた。そっちの趣味がないなら気をつけな。カリフは綺麗どころとみると、女も男も見境がないから」
不吉な忠告を残して姿を消す。
部屋には、考えてもいなかった身の危険に顔をひきつらせたリュシオンが、一人ぽつんと残されていた。

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