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「いかなる星の下に」


   第二章 滅びの都

ここはどこだ?
アルシャインは辺りを見回した。
モンセギュール城から、一体どこに運ばれたものか。案内人であるはずのリュシオンの姿はどこにもなく、もちろんアサシンの仲間たちがいる様子もない。
ロウソクの明かりだけが頼りの、薄暗い通路。恐らくは地下なのだろう。湿った空気が重たく淀んでいる。
どこからか、竪琴の音が聞こえてきた。風が絃にたわむれているような単調な和音の繰り返しだったが、美しい音色だ。誘われるままに、石造りの回廊を歩き始める。これだけ大きな通路なら衛兵の十人や二十人いそうなものだが、人の気配はなく、静かなものだ。しかし、廃墟というには手入れが行き届いている。見捨てられた場所というよりは、人の入り込まない聖地のようであった。
竪琴の音が近くなった。今までにいくつかあった小部屋よりも、少し大きめの扉の向うから、それは聞こえていた。
古びた扉を前にして、入るべきかどうか悩んでいると、竪琴の音がふいに途切れた。
「どなたですか?」
響いてきたのは、聞く者を安心させる優しい声音だった。若い男のもの。ボーイソプラノのように澄んでいる。言葉はやけに古いペルシア語だったが、丁寧な発音だったので理解するのに苦労はなかった。
「そこに誰かいるのでしょう? お入りなさい、妖魔でなければ」
妖魔ではないな、とアルシャインは考えた。
妖霊ではあるが、とこっそり続けて扉を開く。
「初めてお会いする方ですね。……変わった格好をしていらっしゃる。異国の方ですか?」
声の主は、部屋の正面の椅子に腰掛けていた。ほっそりとした腕に、大きな竪琴を抱えている。机の上には何本かのロウソクが、ゆらゆらと揺れている。そのわずかな灯りに照らされて、髪が輝いた。腰までゆるやかに伸びた見事な金髪。そして、突然の来訪者を見つめる瞳は、海のように深い碧。
どう見ても古代人が着るような白い布をまとったその若者に、アルシャインは絶句して立ち尽くした。
数日前、エルサレムで永遠の眠りにつき、モンセギュール城において異空間へ彼を誘った友人の顔が、そこにあった。
「リュシオン……」
その声に、美貌の楽師はにっこりと微笑んで答えた。
「はい」
なんの戸惑いもない返事である。
「私の名をご存じなのですね。父のお知り合いでしょうか。それとも……」
そこで、天使のような顔に不安げな色が浮かんだ。
「母の?」
不自然な沈黙が下りる。返事を待っていると気付いて、アルシャインは否定した。説明しようとしたが、自分でもどうやってきたのかわからないのだから無謀である。結局、神の手によってここまで運ばれた、と要約してしまった。信じてもらえる話ではない。
だが、若者は真剣に話を聞き終え、にっこりとうなずいた。
「信じますよ」
かえってアルシャインの方が驚いた。どこの誰かも分からない相手の話を、こんなにも素直に信じられるものなのだろうか。自分の知っている吟遊詩人と、この若者は姿形だけでなく、性格までも似ているらしい。しかも、名前まで同じ……リュシオン。
「だって、神の手でも入らない限り、ここには来れるわけがありませんから」
話を聞いてみると、ここは宮殿の地下……特別な者でないかぎり、入ることすらできない迷宮であるという。人気がなかったのも道理である。
では、何故この若者はこんなところで竪琴を弾いているのか?
尋ねると、若者は寂しげにうつむき、絃を軽く爪弾いた。
「ここは私の墓なのです」
呟やかれた言葉は、憎しみのかけらもなく、淡々としていた。
「私は、ここの王ダリウス三世の子です。でも、母の血は受け継いでいません。母と結婚する前に、父が見初めた旅の楽師の子なのです。……ですから、母は私を嫌っています。父を説得し、私をここへ閉じ込めました。私を二度と外に出さないために」
正妻が妾の子をうとみ、嫌うのはよくあることだ。しかし、平民との間に生まれたとはいえ、一国の王の血を引いた人間を、生きながら亡き者にしようとは……。王妃の権力は絶大なものと見える。
しかし、ダリウス三世とは。ペルセポリスと呼ばれる都市を中心として、古代の中東を支配した、古代ペルシアの最期の国王の名だ。
すると、自分は一三○○年も過去に飛ばされたことになる。彼の世界では、すでに滅び去り、遺跡しか残っていない国に。
リュシオンと瓜二つの人物に出会ったことは、果たして偶然だろうか。いや、そんなことはあるまい。リュシオン自身が導いたからには、この世界でアルシャインが何か行動することを望んでいるはずだ。
とはいっても、右も左も分からぬ国で、下手に騒ぎを起こすわけにもいかない。アルシャインは、しばらくの間、情報収集に徹することに決めた。このリュシオンの置かれた状態が分かれば自然と動き方も決まってくるだろう。
リュシオンは自分の身の上を、聞かれるままに答える。出会ったばかりのアルシャインを疑う様子もない。
「父と母の間には、正統なる血筋の王子がいるのです。私が彼から王位を奪うのではないかと思ったのでしょうね」
浮かべられた微笑はひたすらに寂しい。
「私は王位など興味ありません。何度もそう申し上げたのですが、信じてもらえなくて……。私の髪や目がこんな色でなければ、少しは違ったのかもしれませんけど」
そう言うと、若者は軽くうつむいた。青い瞳は、たまった涙の向こうに揺れている。
アルシャインが黙っていると、彼は照れたように目をこすった。
「ごめんなさい、つまらない話を。人と話すのは久しぶりで、つい―」
「話相手はいないのか」
「ええ、誰も。食事や服を持ってきてくれる召使いたちは、母を恐れて話してくれないんです。父も来てはくれません。父は、母の言うことには逆らえませんから。でも、最近は……」
どうしようか、という表情で若者は一瞬ためらったが、誰かに話したくて仕方がなかったらしい。聞いている者など誰もいないのに、アルシャインの耳許に口を寄せて、こっそり囁く。
「キルスが来てくれるんです」
「キルス?」
よほど嬉しいのだろう。口元がほころんでいる。
「キルス王子……つまり、半分だけ私の弟です。この迷宮への入口を見つけて入り込んで、迷いかけていたところをお会いしたのです。冒険心の旺盛な優しい王子で、珍しい果物などを手に入れると訪ねて来られます。私が何者かは教えていないのですが、友人として扱ってくれます。彼が来てくれるので、今は寂しくはありません。それに……」
リュシオンは何か続けようとしたが、少し顔色を変えるとそれきり何も言わなかった。アルシャインも追求しようとはしない。
ふいに、リュシオンは口調を変え、自己嫌悪の表情で呟いた。
「さっき貴方が現れたとき、貴方を母が遣わせた暗殺者だと思ったのです。その剣を見て、てっきり……。私は愚か者です。母を疑うなんて―」
そう考えない方がおかしいのではと思えたが、リュシオンは人を疑った自分を責めて、すっかり落ち込んでしまっている。こんなところも、確かにアルシャインが知っている吟遊詩人とそっくりであった。
「しばらくはここにいらっしゃるのですか、異国の方?」
ふと、リュシオンが尋ねた。
期待に満ちた目で見上げられて、アルシャインは苦笑した。まったく、正体の分からぬ者さえ簡単に信じてしまうところまで似ている。相手が暗殺者だったとしても、彼は仕方がないとあきらめてしまうのではないだろうか。
「とりあえず、ここに連れて来られた理由が分かるまで、動くわけにはいかない。……しかし、外に出られないとなると、食料が手に入らないな」
「貴方一人くらいなら、大丈夫ですよ。朝と晩に、私では食べ切れない量が運ばれてきますから。それに外へは……」
リュシオンがにこにこして続けようとしたとき、甲高い音が響いてきた。誰かが地下通路を走っている。軽い足音だった。
勢いよく扉が開かれ、小さな人影が転がるように飛び込んでくる。反射的にアルシャインは剣を引き抜き、侵入者に突きつけた。ぎらりと輝く銀の刃。
侵入者が悲鳴を喉につまらせたのと、リュシオンが大慌てでアルシャインの腕を押さえたのは、ほとんど同時であった。
「ぶ、無礼者! その剣を下げよ!」
きっと顔を上げて、アルシャインに向かって叫んだのは、まだ十になるかならないかの少年であった。怯えたのを隠すために大きな声を上げたのだが、裏返ってしまっている。
短く切った黒髪、少し釣り上がりぎみの猫のような瞳。上等な服をまとっているが、身軽な格好だ。たぶん、邪魔なマントや上着は、途中で脱ぎ捨ててきたのだろう。額には王族である印の銀色の輪をつけている。
「王子!」
びくともしないアルシャインの腕を引っ張り、剣を下ろさせようとしながら、リュシオンが叫ぶ。
「いらっしゃったのですか。でも、もう夜中のはず。何故このような時間に……」
陽の光が差し込む窓など見あたらないが、リュシオンには大体の時間は分かるらしい。
頼りなく揺れるロウソクの明かりだけでは人の顔を判別するのも難しかったが、少年がわがままいっぱいに育った王子らしく、高慢に胸をそらすのが見えた。
「余が来たいと思ったから来たのだ。悪いか?」
「いえ、そんなことはありませんが……」
「おもしろい話を聞いたのでな。お前に話しに来たのだ。いいか、聞いて驚くなよ」
少年が、いたずらっぽくリュシオンに指を突きつける。
「召使いが噂しているのを聞いたのだが、実はな……余に兄がいるらしいのだ」
その言葉に、おとなしく聞いていたリュシオンの表情が凍りつく。
「しかも、この国にいるというのだ。リュシオン、お前は会ったことないか?」
「いえ……私はお会いしたことはありません」
暗いため、王子は彼のこわばった顔に気がつかない。
「そうか。母上に聞いたら、物凄い勢いで怒り始めたのでな、お前に聞きに来たのだ。……余は兄上に会ってみたい。どうして同じ国にいながら、一緒に暮らせぬのか、直接会って聞いてみたいのだ。……何故母上は兄上を嫌うのだろう。余の兄上なのだろう? 余は兄弟が欲しかった―」
心底、残念そうに呟く。大人たちに囲まれて育った王子の、本当の気持ちだったのだろう。
ふと、王子は顔を上げた。兄の情報をリュシオンから得ることはあきらめたらしい。
ちらりと、自分に剣を向けた、とんでもない男を見やる。
「ところで、この男は何者だ? この迷宮で、お前以外の人間と会うのは初めてだぞ。……お前の愛人か?」
この王子、父の放蕩ぶりを見ているせいか、かなりませている。少々、誤解はあるようだが。
「ち……違いますっ!」
さすがに真っ赤になって、リュシオンは否定した。まだアルシャインの腕にしがみついていたことに気がついて、あわてて離れる。
「彼は、異界からの旅人です。元の世界に戻れるまで、とりあえずここに……」
「ほう―」
少年は、かなり感心を持ったらしい。
「名は何という?」
「アルシャイン」
そっけなく答えた相手に、臣下の応対しか知らぬ少年は一瞬むっとしたが、それさえも興味の対象となったようだ。
「その話、聞きたいな」
「王子、今日はもう遅うございます。また後日になさいませ」
困ったように、リュシオンがなだめる。
「お前は乳母のようなことを言うな。余はまだ眠くないぞ」
案の定、王子はだだをこねた。その様子は、まるで母親に甘える子供のようである。単なる遊び相手としか見ていないはずの迷宮の住人に、随分と気を許しているのが分かる。
「明日でもよろしいではありませんか。彼は、今すぐいなくなったりしませんよ」
「……そうか、では、また明日来よう」
渋々ながら納得し、王子はうなずいた。
「通路は暗うございます。お送りしましょうか?」
「なんの! この迷宮は、もう余の庭のようなものだ。迷ったりするものか。お前は、そのアルシャインとやらと仲良くしているがいい」
「王子っ!」
明るい笑い声を残し、キルスは駆け去っていった。軽い足音が遠ざかっていく。
幼い弟を優しい目で見送った後、リュシオンは振り返って真っ赤になった。
「すいません、いたずらざかりで……」
「兄弟というよりも、親子だな」
珍しくニヤニヤしながら、アルシャインが素直な感想を述べる。性格の違い過ぎる兄弟の会話が、よほど面白かったらしい。
「ところで……」
キルスの消えた通路の方へ目をやり、アルシャインは尋ねた。
「王子は内緒でここへ来ているのだろう? あの王子が入ってきたところから、出入りはできるのか?」
リュシオンは困ったように微笑み、首を横に振った。
「残念ながら、宮殿に通じる抜け穴はとても小さいのです。それに、召使いたちが通る扉は頑丈なカギがかかっていて、こちらからは到底開きません。でも……」
彼は、すっと手を伸ばすと、まっすぐに奥の部屋を指差した。
「この向こうの部屋には、城壁を抜ける穴があります。町へ行くのでしたら、どうぞ使ってください」
その言葉に、さすがのアルシャインもしばし沈黙した。リュシオンは、生きながらこの迷宮に閉じ込められ、外になどいけない虜囚ではなかったのか?
聞いてみると、どうやら誰もいかない地下迷宮の奥に、崩れたまま修理されていない壁があるらしい。それが王宮の外へとつながっているのだという。
王子が来る前に、外へ……と言いかけたのは、このことだったようだ。
「何故逃げない?」
ごく当然の問いに、リュシオンは寂しく笑う。
「逃げれば、母は今以上に私を憎むでしょう。それに、王子とも会えなくなる。……私は、外に出られなくても、今の状況で満足しているのです。たとえ嫌われていても、ここには私の家族がいるし……私がここにいれば、余計な争いも起こりません。戦いの火種になどなりたくないのです。おかしいですか?」
他の者が言えば、単なる憶病者の言い訳と聞こえる言葉も、リュシオンの口から聞くと立派な理由であった。この若者は本心からそう言っているのだ。こんな状況にあっても、なお自分よりも他人を思いやる心を持つリュシオン―。
「町に出たことは?」
アルシャインの言葉に、リュシオンは恥ずかしげに肩をすくめた。
「ありません。抜け穴を出て、町の人々が歩いているのを見かけたのですが……騒ぎになるといけないと思って、そのまま戻ったのです。私は目立つでしょうから」
容姿のことを言っているのだろう。確かに、黒や茶の髪と瞳を持つこの地域の人々の目には、彼の姿は奇異なものと映るだろう。加えて、この美しさ。一人で出歩いたりしたらいい獲物だ。リュシオンは、そんなことなど考えたこともなかっただろうが、町に出なかったのは、賢明だったかもしれない。
「ならば、行ってみよう」
「え……私もですか?」
びっくりして、リュシオンが聞き返す。
「でも―」
「城下町には異国からの旅人が多いはず。布をかぶって髪と顔を隠しておけば、そんなに目立ちはしない。明日、王子が来る前に戻っておけばいいだろう」
「分かりました。あの……竪琴を持って行ってもよろしいですか?」
意外にあっさりとうなずいて、リュシオンは椅子に立て掛けてあった竪琴を指差した。ムシュフシュと呼ばれる伝説の竜をかたどった竪琴。アルシャインと出会った世界で、吟遊詩人が持っていたのとよく似た立派なものだった。下手をするとリュシオンよりも目立ちそうだったが、アルシャインは止めなかった。王妃が必死になってリュシオンの存在を抹殺している以上、ペルセポリスの民は第一王子のことなど知らないだろう。竪琴を抱えていても、疑うものなどいるまい。かえって、旅の楽師と判断されるはずだ。リュシオンの腕前なら、ばれることもない。
お守りがわりの竪琴を抱きしめいているリュシオンとともに、アルシャインは千年前の都に足を踏み出した。

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(プロローグから、後書きまで入っています)

 (hoshi.lzh 155kb)



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