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「仮面は涙を流さない」
ACT 1 消えた名優
彼が一般庶民でないらしいことに気が付いたのは、出会ってから三十分近くたってからだった。
透き通るような澄んだ紫の瞳、肩にかかる柔らかな金髪。若い女性が泣いてうらやましがりそうな白い肌、すっきりとした鼻梁。男の目から見ても、ぞくぞくするような美貌だ。それに、とても十六歳とは思えない堂々とした態度。高貴な血筋という形容がこれほど似合う少年も珍しい。そのくせ、偉ぶっている様子はかけらもない。
情けないことに、周りの人々の視線が集まっているのも、そのせいだと考えていたのである。
「あの……シトルイユさんですよね?」
軽い食事の後、ゆっくり紅茶を飲んでいた彼におずおずと話しかけたのは、十七、八の娘だった。ピンク色のエプロンからすると、このカフェの従業員なのだろう。頬を朱に染め、ペンと色紙を握り締めている。
こんなシーンをどこかで見たことがある。ただし、ブラウン管の向こうで。
「サ、サインして下さいっ!」
目を丸くして見ていると、震える手で差し出されたそれを、彼は驚きもせずに受け取り、慣れた手つきで名前を書き上げた。
「はい、これでいい?」
彼はぼうっとしてしまっている娘に、色紙とペンを返した。爽やかな笑顔のおまけつきで。
これ以上の幸福はないといった恍惚とした顔で、娘はよろよろしながら店の奥へ戻っていった。そういえば、他の人々も、声をかけるか、かけまいか、顔を見合わせてもじもじしている。
弁護士を始めて五年。世界的に有名なカフェで待ち合わせたのも初めてなら、目の前で依頼人がサインを頼まれるのを見るのも初めてだ。
思わず、まぬけな質問をしてしまった。
「もしかして、君は芸能関係の仕事でもしているのかな……?」
のちのち、このセリフをたっぷり後悔する羽目になる。
我が依頼人、シトルイユ=ラウシュタニアは一瞬驚いたように目を丸くし、ついでニッコリと微笑んだ。
「ええ、そんなものです」
別に怒った様子もない。内心むっとしたのを隠してそう言ったのだとしたら、たいした役者だ。
本当に十歳近くも年下なのだろうか。
話し始めてから、何度そう考えたことか。
ほっそりとした身体つき、まだボーイソプラノと言ってもいい声。確かに十六歳……いや、それ以下だと言われても違和感はない。
だが、落ち着き払った口調と時折妖しい光を宿す瞳は、ひどく大人びて見える。油断していると、こちらが圧倒されそうだ。
「ところで、手続きはどのくらいかかりそうですか?」
本題に戻られて、慌てて資料に目をやる。もっとも、内容はすでに頭に入っているので確認しただけだが。
「そう……お父上の遺言状もあることですし、親族の方々が集まっていれば、数時間ですむでしょう。素直に進めば、ですけどね」
その言葉にシトルイユはいたずらっ子のように、くすくすと笑った。しかし、目は少しも笑っていない……と思ったのは気のせいだっただろうか?
「ラウシュタニア家はそう単純ではありませんよ。だから、貴方にお願いしたんです、ムッシュウ・ヨルジュ=エランド。パリでも腕利きの弁護士だと聞きましたのでね。なんでも、面倒な依頼ほど、見事な手腕を発揮されるそうじゃないですか」
誉められているのか、皮肉られているのか、いまいち判断がつかないが、まぁ誉め言葉と受け取ろう。実際、その通りではあるのだから。
「ヨルジュで結構です、シトルイユさん。遺産相続手続きのご依頼、確かに引き受けましたよ」
「ありがとう、ヨルジュ。こちらもシトルイユと呼んで下さい。ついでに、敬語もやめて下さいよ、僕の方が年下なんだから」
くだけた口調になると、彼は急に幼く見える。年相応と言ったところか。無邪気な笑顔が可愛らしい。
「助かった。堅苦しいのは苦手でね。よろしく、シトルイユ」
「こちらこそ」
握手を交わすと、シトルイユは嬉しそうに微笑んだ。
「弁護士なんて、どんなに恐いおじさんかと思ってました。良かった、優しそうなお兄さんで。遺産相続で僕が殺されそうになったら、助けて下さいね」
冗談にしては、ぶっそうなことを言う。それだけ、深刻なのだろうか。だとすれば、少々腕が鳴る。我々が引き受ける遺産相続手続きなど、普通サイン一つで終わってしまう代物である。フランスの片田舎まで行くのだ。どうせなら、手応えがある方がいい。
心の中でニヤリとしたつもりだったのだが、どうやら顔に出てしまったらしい。一瞬きょとんとしたあと、シトルイユが苦笑する。
「頼もしいな。……姉さんも、こういう人を恋人に選んでくれればいいのに」
シトルイユの姉上。資料でいることは知っていたが、まだ顔は知らない。
男のさがで、つい聞いてみる。
「美人かな?」
「もちろん!
僕と同じ金髪で、瞳はサファイヤ、雪月花の肌……」
「ふむふむ」
弟がこれだけの美貌なのだ。ちょっと期待してしまう。だが、シトルイユは意地悪だった。にっと笑って付け加える。
「もう、彼氏いるけど」
……畜生。
くっくっと笑いながら、彼は続けた。
「まだ恋人ってわけじゃないみたいだから、仕事の合間に口説いてみたらどうです?
僕が応援してあげる」
「それで、相続問題にもう一人加わるわけかい?
ミイラ取りがミイラになっちゃ、しゃれにならないね」
「ちぇ、ヨルジュみたいな弁護士さんが身内にいたら、遺産なんて全部譲っちゃうのになぁ」
一体どこまで本気だか分からない。本当に残念そうな口調だ。この少年は、自分が受け継ぐはずの莫大な遺産には全く興味がないらしい。
「こらこら、滅多なことを言っちゃいけないよ。もし俺が悪い奴だったら、そういう口約束をうまく利用して、遺産を横取りしてしまうかもしれないんだぞ」
「でも、しないでしょ」
頬杖ついて、シトルイユが上目づかいに見上げてくる。可愛いというよりも、妙に色っぽい少年だ。年増の有閑マダムや好き者のおじさんにちょっとウインクすれば、一夜で一財産作れるだろう。
「そりゃあ、仕事だから」
「僕はね、第一印象でいい人と悪い人が分かるんです。ヨルジュはいい人だ。信頼してますよ」
それは光栄だ。
くぎりがついたところで、ちょっと気になっていた事を聞いてみる。
「君の名前……変わっているけど、何か意味があるのかな。どこかで聞いたような気もするんだけど」
シトルイユ少年の目に、ちらりと苦々しげな色が浮かんだ。まずいことを聞いてしまったかと思ったが、すぐに見惚れるような笑顔に戻る。
「バスク語で、果物のシトロンの事です」
バスク……スペインとの国境だ。彼の家は、その地方では有力な一族どころか、かつては王族でさえあったという。
「知ってますか、ヨルジュ。昔、イエス・キリストがバスク地方を旅した時、ある女がシトルイユの実を盗んだんですって。旅の供をしていたペテロはそれを見て怒ったけれど、キリストは『別に構わん。水のようなシトルイユなど』と言って、取り合わなかったそうです。それ以来、バスク地方ではシトルイユの実を盗んでも罪にはならないそうですよ」
そんな話は初耳だ。
しかし、そんな由来の名を息子につけるなんて、親は何を考えているのだろう。
返事に詰まっていると、シトルイユは、くすくす笑いながら続けた。
「父は僕を嫌っていたんです。だから、こんな名前をつけた……。水のように価値のない息子なら、最初から作らなきゃいいのにね」
どう解釈したらいいのだろう、この自虐的な台詞は。口調は冗談めいているが、その目は悲痛な光を宿している。
一体過去にどんなことがあったかは分からないが、親が自分を嫌っているとまで言うかには、何かよほどのことがあったに違いない。
気まずい沈黙が流れる。
あわてて言葉を探すが、なかなかふさわしいのが見つからない。下手なことを言っては、かえって傷付けてしまいそうだ。
「ええと……実の親が、子供にそんな意味で名前をつけるとは思えないな。その……水は誰でも手に入れられるし、ただみたいなものだけど、人間が生きていく上では絶対必要なものだろう?
食べ物なんかより、ずっと大切なものだよ。だからこそ、水は誰のものでもないし、値段なんかつけてはいけない……。キリストは、そういう意味で「水みたいな」と言ったんじゃないかな。つまり、シトルイユの実も、水と同じように誰でも手にして良いものだって……。ごめん、うまく言えないや」
弁論を生業としているくせに、こんな時、気の利いた言葉が出てこない自分が情けない。
照れ隠しにコーヒーを口に運んでから、ちらりと相手の様子を伺う。
シトルイユ少年は、びっくりしたような目でこちらをじっと眺めている。何度かまばたきした後、彼はふっと笑み崩れた。
「ヨルジュって優しいね」
「へっ?」
予想外の言葉に、コーヒーを吹きだしそうになってしまう。
「そんな解釈をしてくれた人は初めてだ。水と同じくらいに大切な実か……。父さんも、そんなこと考えて名前をつけたのかな。そうだったら素敵だね。本当に……」
目を半ば閉じかけ、うっとりとした表情で彼は呟いた。こんな顔を見ると、やはりまだ十六歳だな、と思う。ひどく大人びていても、幼さが残っている。
ちょっと言葉足らずだったが、依頼主の気持ちを傷付けずにすんだようだ。
心の中でほっとため息をつき、さて、これからラウシュタニア城まで、二人で行くのか、確認を……と思った時、壁にかけられた古時計が大きく時を告げ始めた。
一回、二回、三回……十二回。
正午。
「時告ぐる鳥、翼震わせ、大いなる扉開かれん……」
「え?」
ふと呟かれた言葉。本当に、無意識のうちに口からこぼれてしまったようだった。詩のようだったが、意味はまるで分からない。
他人に聞かれた事に気が付いた少年は、ほんの一瞬、ぎくりとした表情を見せた。しかしそれが見誤りだったかのように、次の瞬間には屈託のない笑顔に戻る。
「いけない、もうこんな時間だ。今日はすみませんでした、突然時間を早めたりして。ちょっと、これから用事があるんです。ラウシュタニア城への道は分かりますよね?
僕は用事を済ませてから向かいますから、先に行っててくれませんか」
そう、彼とは午後に会う約束だったのだ。今朝になって、それを十一時に早めて欲しいと連絡があった。別に用事もなかったし、ラウシュタニア城へ向かうなら早い方がいいだろうと思って承諾したのだが……これから、一体どこに行くのだろう。
まぁ、依頼主のプライベートに係わることはあるまい。
「ああ、構わないよ。俺も細かい仕事を片付けてから向かうことにするから。高速列車を使ってモンパルナスからバイヨンヌまで約五時間か……。夕方頃にはつけると思う」
「では、また、そちらで。僕が行くまで、金の亡者共と遊んでて下さい」
親族の者たちのことだろう。えらい言いようだ。
シトルイユはテーブルのベルを鳴らし、ギャルソンを呼んだ。薄い上着を着せてもらい、さりげなくチップを渡す姿が堂にいっている。貴族の祖先を持つ家柄のせいなのか、それとも今の「仕事」のせいなのか。やはり、年齢よりもずっと大人びて見える。
「それじゃ」
「とりあえず、オ・ルヴォアール」
シトルイユは、ちょっと困ったように首をかしげ、答えた。
「アデュー」
言った後に、思い出したように付け加える。
「城についたら、時告げ鳥に挨拶しておいてください」
はて、なんのことやら。時告げ鳥?
鶏のことじゃなさそうだが。
きょとんとしている俺を振り返ろうともせず、モデルのようなさっそうとした足取りで、彼はカフェの外へ出ていった。
今日中にまた会うというのに、わざわざ堅苦しい別れの言葉を使ったのは、何か理由でもあるのだろうか。それに、あの言葉の意味は?
引っ掛かったものの、やらなくてはならないことが色々ある。とりあえずは、一度事務所に戻って、出張準備だ。
コーヒーを飲み終わり、席を立った頃には、その事はすっかり忘れてしまっていた。
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これ以降は、テキストデータでどうぞ。
(kamen.lzh 68k)
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