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オリジナル > ラパンアジルシリーズ
「殺したいほど愛してる」
ACT 1 殺人者の汚名
「僕じゃない」
ここに来て何度目か、彼は言った。
「僕は殺してなんかいない」
その毅然とした態度に、机の向かいに座った男はわずかにひるんだ。
しかし、それを恥じるかのように、さらに高圧的に相手をにらみつける。
「ガイ者と、直前に喧嘩をしていたそうじゃないか。ただごとではなかったと、現場にいた連中がみんな言っている。戻ってきたとき、お前の態度が尋常じゃなかったともな」
その言葉に、尋問されている者の不可思議なスミレ色の目が、怒りを含んで鋭く光った。一瞬、何か言い返しそうに唇が動いたが、急にまた、すべてに興味を失ったような、仮面に近い表情に戻ってしまう。
整った、美しい顔をしているだけに、その無機質な顔は、見る者に、ぞくりとする冷たい感覚を与える。
何の感情も表さない声が、淡々と言った。
「勝手に喚くといい。見当違いの取り調べをしているくらいなら、もう一度現場に戻ることを勧めるよ。……僕はもう何も言わない。弁護士がくるまでは一言もね」
それきり、彼は目を閉じて黙り込んでしまった。
ひとしきり、男は罵詈雑言を並べていたが、本当に相手が無視を決め込んでいると分かると、机ごしに襟首をつかみあげようとした。
あわてて傍らにいた、その部下らしい若い男が止める。
「だめですよ、警部、暴力は!
彼を殴ったりしたら、明日セーヌに浮かぶのは、警部の方ですよー!!」
その言葉に、警部と呼ばれた男がますます猛り狂う。
「有名人なんだか知らないが、なんでも自分の思い通りになると思ったら、大間違いだぞ、このガキ! 必ず、口を割らせてみせるからな!!」
椅子に静かに腰掛けている少年は、何も聞こえないような顔で、あさっての方を向いている。窓から差し込む日差しに、柔らかそうな髪は透けるように、黄金色に輝いている。その場だけ、場面が切り取られて別世界のようだ。
ぶつぶつ言い続けながら、警部はコーヒーを勧められて、渋い表情のまま椅子に座り直した。意志の固そうな顎の線、犯罪者を許さぬ鋭い眼光。現場たたき上げの刑事という形容がぴったりの男だ。
少年は、片目だけを開けて、ちらちらと、その姿を眺めていた。
誰かに似ている気がする。
この怖いおじさんとあったのは、今回が初めてなのは間違いない。なのに、誰かと印象が似ている気がするのだ。
この年代に知り合いなどいないはずなのに。
今まで、怒鳴られながらも激昂せずにいられたのは、その誰かのイメージが悪くないことと、その誰かを思いだそうと、こっそり観察をしていたからだった。
しかし……誰だろう?
その時、ドアが軽くノックされた。
警部は、うるさそうに、部下に開けさせる。
顔が覗くくらいの隙間から、制服姿の女性が顔を見せた。
部屋の中をさっと見回し、奥の席に座っている少年で目が止まる。その頬が、軽く紅潮した。あこがれの相手に出会った時のように、目がとろんとしている。
気づいた警部が、また吠える。
「一体何の用だ!? 取調室に遊びに来るんじゃない!」
その声に、娘は身を縮め、あわてて言葉を探す。
「す、すみません。実は、シトルイユさんに面会を求めていらっしゃる方がおいでなのですが……」
「なにぃ、面会だ?」
思い切り不愉快そうに、警部は彼女をにらんだ。彼女のせいでないことは分かっているのだが。
「どこからかぎつけて来やがったんだ。……まだ、事情聴取の最中だ。当分待たせておけ!」
そのセリフに、さすがにシトルイユは喚いた。
「あーっ! 人権の侵害だ! 横暴!」
「やかましい。自供するまで、ここから出さんからな!」
「そんな無茶な……僕にも弁護士に知り合いがいるんだからね。ひどい取り調べされたって、訴えてやるから!」
「その通り」
いきなり割り込んできた、落ち着いた静かな声に、警部もシトルイユも言葉を止めた。
部屋の中にいた全員が、ドアにとりすがっていた女性を脇にどけて入ってきた人物に注目する。
「ヨルジュ、どうしてここに?」
「貴様……やっかいな時にばかり現れおって!」
信じられぬようにシトルイユがつぶやくのと、いまいましげに警部が喚くのは同時だった。
両方の知り合いであるらしいことに気づいて、一瞬二人は驚いたように目を見合わせた。
……すぐに、ふん、と顔をそむけてしまったが。
新しい役者は、スーツの似合うビジネスマン風の若い男性であった。黒に近い褐色の髪と瞳。二人の様子を見て、おやおやと目を丸くしている。
少ししてシトルイユがちらりと視線を向けると、彼は人好きのする笑顔で軽く手を振り、ウインクして見せた。
心配するなと言いたげなジェスチャーに、シトルイユの方も、つられて表情がゆるむ。まだ別に状況は変わっていないのだが、知り合いの姿を見て、急に気が楽になったような気がした。
ヨルジュと呼ばれた若者は、表情を引き締めると、手強そうな警部の正面に立った。
シトルイユが初めて見る、ちょっと皮肉な笑みを浮かべている。
「どーも、警部。お久しぶり。ちゃんと手続きを踏んでここまで来ましたとも。警察が、未成年を拘束していじめていると聞いたんでね、救出に」
「……事情聴取だ。殺人事件だぞ? 弁護士ごときがでしゃばるんじゃない!」
「おや。シトルイユ君はまだ容疑者でしょう。犯人と決まったわけじゃない。任意の事情聴取なら、本人の意思で退出できるはず。……取り調べが始まってから、もう半日近い。どうせ、食事も休みもろくに与えていないんでしょう? 本当に訴えられないうちに、彼を解放すべきだと思いますけどね」
「下手人はこいつに間違いないんだ! 黙っとれ、若造!」
「お言葉だけどね、そーゆーこと言うと、立場が悪くなるのはそっちだよ、横暴刑事」
「だぁぁ、やかましいわ、このへ理屈野郎!」
「古だぬき!」
「放蕩ぎつね!」
……何か、刑事と弁護士の会話にしては、妙に身近な罵詈雑言になってきたので、シトルイユは唖然としていた。どうも、この二人、仕事だけの関わりではないような……。
隣にいた若い刑事を見上げると、彼は苦笑した。
「いやー、見苦しいところを。……あの二人、会うといつもあれなんですよ。まったく、本当によく似ているんだから、あの親子は……」
……親子!
他人のことにはほとんど興味がなく、滅多に驚くこともないシトルイユも、さすがに目がまん丸になった。
ヨルジュのことは知っている……つもりだった。
つい先日の事件で、散々迷惑をかけてしまった弁護士だ。その縁で、今も財産に関しては顧問弁護士のようなことをしてくれている。
そう言えば、仕事のことを二、三度話したくらいで、家族のことは聞いたことがなかった。
目の前でにらみ合っている二人は、そんなに似ていないと思う。ヨルジュは母親似なのだろうか?
ヨルジュは褐色の髪と目。警部は濃い目の金髪に深い蒼い目。
警部には、怒鳴られただけで、やっていないことも白状してしまいそうなほど、鋭い雰囲気がある。それに反して、ヨルジュは、その笑顔を見ていると、何も隠し事をできないような優しい雰囲気を持っている。
……容姿も雰囲気も、全然違うのに。
それでもさっき、警部を見ている時、誰かに似ていると思ったのは、やはりヨルジュなのだろう。
……びっくりした。
シトルイユが呆然としている間も、二人の掛け合い漫才のような悪口の言い合いは続いていた。
一体どうなるのかときょとんとしていると、若い刑事(確か、警部にヴァンと呼ばれていた)が、ドアの方で手招きした。
「お帰りはこちらですよ」
「へ?」
どういうことかとうろたえるのへ、彼は笑いをかみ殺しながら言った。
「ヨルジュさんが来たら、どうせ、負けるのは警部の方ですから。それに、確かに任意の同行なのに、拘束時間が長すぎました。そろそろ終わらせようと思っていたところなんですよ」
「はぁ……」
そんなものなのだろうか。とりあえずこの部屋からは出してもらえるらしい。
朝から、固い椅子に座り続けてもう四時間。さすがに体があちこち痛くなっている。
なんだかよく分からないが、まぁ、よかった。
まだ喚きあっている二人を部屋に残して出ると、ヴァンが椅子を勧めた。
ここは、刑事たちの休憩室らしい。
きっと、夜勤の者たちが使うのだろう。上着やら、靴やらが転がっている……。
ところどころ椅子の合成皮が破けていたりもするが、まぁ、そんなに居心地は悪くない。
「汚くてすみませんね。コーヒーでも、どうです?」
最初から、彼はシトルイユに好意的に接してくれていた。取り調べでは、脅し役となだめ役がいて、容疑者の自供を引き出していくのだと聞いたが、ここでは、警部と彼がごく自然にそうなってしまっているのかもしれない。
まだ新米刑事という感じが抜けない雰囲気が、結構好感を持てる。
紙コップに入った、ほとんど味もない、でがらし(?)のコーヒーを、シトルイユはありがたく口に運んだ。
警察でこういうものをごちそうになる俳優も、あまりいないだろうな、と苦笑しながら。
そして、ヨルジュはいつケンカを切り上げて、自分を迎えにくるのだろうかと考えて、ため息をついた。
***
「犯人はあいつだ。間違いない」
「まだ、そういうことを言ってる……」
「刑事歴三十三年の勘だぞ、馬鹿にするな」
肩をすくめて、ヨルジュは自分でついできたコーヒーを一口飲んだ。そして、顔をしかめる。
「まずい」
「勝手に警察のもんに手を出して、文句を言うな」
「今度、豆とサイフォンを寄付するよ。少しは職場の文化を向上させようよね。……あ、使える人がいないか」
「やかましい! ……それより、あいつだ。言っておくがな、あのガキは見た目ほどまともじゃないぞ。もし、今回の犯人が奴じゃないとしても……必ず過去に、誰かを殺してる。あれは、殺人者の目だ」
「はは……まさか……」
父親の、少々乱暴な結論に、ヨルジュは反論しようとして、口を閉じた。
刑事と弁護士という立場の問題や、親子の意見の食い違いなどをおいておけば、彼は父の捜査能力、その野性的な勘には敬意を持っている。
今まで係わった事件で、彼が犯人を言い当てなかったことはないのだ。
たとえ証拠がなかろうと、その推測はいつも正しかった。
しかし、シトルイユが人殺しというのは……。
あの少年と知り合ったのは、一ヶ月前。遺産相続の依頼を受けた時だった。
遺産相続の手続きが、いつしか幽霊騒ぎになり、最後には人一人が命を落とした。
実際には、彼が行った時には、もうすでに手遅れだったのだが。
シトルイユは決して悪い人間ではない。ヨルジュはそう思っている。
だが、その事件を一人で解決しようとして、あの少年が彼を利用していたというのは事実である。
決して傷つけるつもりはなかったとしても、あの件では、散々振り回されていた気がする。
他人に感情を見せない、鉄の仮面をかぶったような少年。今でも、何を考えているのか、つかめないところがあるのは、間違いない。その本当の姿を知っているというほど、親しくしているわけではないし。
ちょっと自信を失いかけながらも、反論を試みる。
「しかしね、役者がどうして、出演する映画の監督を殺さなきゃならないのさ。映画がつぶれる上に、容疑者なんてマイナスイメージは、役者にとって最悪のものだろうに」
「……仕事のせいじゃないからさ。……いや、仕事のためだからか」
「?」
「殺されたのは、今度あのガキが出演する予定だった映画の監督だ」
「それは知ってる」
「あのガキは、その映画で主役の予定だった」
「それも知ってる。シリーズものだもんね、当然でしょ」
「それが、昨日になって、その監督が、主役を変えると言い出した」
「はぁ?」
それは初耳だ。
すでに十作を数える人気シリーズの、主役を変えるだと?
役者の歳や、スケジュールの都合というのでそういうことが起こることはあっても、特に問題もなく、あとは撮るだけになった映画の配役を変えるとは、どういうつもりだったのだろう。
それも、主役を。
「今回の監督が、シトルイユを気に入らなかったわけ?」
そのシリーズものの映画は、変わった撮り方をしている。毎回、監督とスポンサーを変えているのだ。
担当する劇団も、そのたびに違う。
ただ……主役を演じるシトルイユだけを除いては。
今回、映画に出演する役者たちは、ラパン・アジルという劇団からほとんどが出ることになっていると、その劇団の団長でもある友人から聞いていた。
シトルイユは、本当はその劇団員だ。だから、劇団に問題があったというわけでもあるまい。
では、なぜ?
「それで、役を降ろされたシトルイユが、その処遇を恨んで犯行に及んだと? ……ちょっと短絡的じゃないかなぁ」
わずかに反撃してみると、警部は馬鹿にしたように言った。
「そんなことは警察だって分かっとる。いいか、犯行の原因はそれじゃない。監督……エーミール・リーは、いい年をして、好色で有名な野郎でな。しかも、気に入ると男女お構いなしときていた。特に金髪碧眼が好みで、何年も前から、あのガキには目を付けていたらしい」
その言葉に、ヨルジュはぎょっとする。次のセリフが読めたのだ。
「……シトルイユを手に入れようとして、役を盾に取った?」
「そういうことだ。あのガキが拒否するのが分かってて、手を打った。それが、配役替えだ。昨日になって、他の劇団から、自分が選んだ役者とやらをつれてきて、こいつが今度の主役だと宣言したんだとさ」
「つまり、主役の座を降ろされたくなかったら、自分の言うとおりにしろと、暗にシトルイユを脅した……」
「そう。役の発表をした後、奴はあのガキを自分の部屋に呼んだ。どういう交渉があったのかは、本人たちしか分からんがな。あのガキも全くしゃべらんし。とにかく、激しい言い争いの後、あのガキは他の団員のところに戻ったが、真っ青で、ろくにしゃべることもできず、尋常な状態ではなかったということだ。それは、団員全員が証人だ。大体察していた団員たちは、ろくに問いたださずに、あいつを家に帰らせた。きっと、ぶん殴って逃げてきたんだろうと思ってな。監督の方が出てこないのも、殴られて顔に痣を作っているに違いないと笑っていたそうだ。……そして、一時間後、様子を見に行った劇団長が、エーミールが死んでいるのを発見した」
「リュオンか」
「そうだ。……ったく、お前の友人ときたら、どうしてこう、事件に関わるのが好きなんだ?」
別に好きなわけではないだろうと思ったが、言い返す気力はなかった。
ここまでシトルイユに不利な状況だとは思わなかった。リュオンの奴、わざと言わなかったに決まっている。ヨルジュが、弁護を断われないくらいに、係わるように。
今更断る気はないが、これは分が悪すぎる。
「何かおかしな真似をされそうになって、あのガキが抵抗し、もみ合ううちに、手近にあったナイフでぐさり、というのが我々の見方だ」
「ちょっと待ってくれ。なんで、そこにナイフが出てくるんだ? 監督の部屋に、そんなナイフが転がっていたなんて、出来過ぎじゃないか」
「……小型の果物ナイフだ。シトルイユが部屋に呼ばれる直前に、昼食が運ばれている。それ用のナイフだったのは、調べで分かった。……ちなみに、その騒ぎの間、他の劇団員は、全員別室にいたぞ。その部屋に近寄った者はいない」
「うーん……」
相手が無理強いしようとしたのなら、それを避けようとしての事故、あるいは正当防衛という方向で進めていくべきか。一時的な心神喪失状態だったと証明できれば、無罪に持っていくことも可能なはず……。
そう考えて、ヨルジュは我に帰った。
しまった。父親のペースに乗せられている。
まだシトルイユが犯人と決まったわけではない以上、そんな消極的な弁護方針を立ててどうする。本人がやったとでも言わない限り、弁護士は無実を基本に動くべきだ。
もしかして、などと疑うのはもってのほか。依頼人を信頼できなくて、何が弁護活動だ。
「残念でした、俺に不信感を植え付けて、警察が動きやすいように情報を得ようとしたって無駄だよ。なーんにも教えてやらない」
「ちっ」
どうやら図星だったらしく、舌打ちして警部はごくりと冷めたコーヒーを飲み干した。
空になった紙コップを、ゴミ箱に投げながら、まずい、と言っていたのは、決してヨルジュの聞き間違いではなかった……。
これ以降は、テキストデータでどうぞ。
(kill.lzh 107k)
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