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「猫の切手」


第一幕 切手商

六時ちょっと過ぎ。
そろそろ、店を閉めようと思っていたところだった。
入ってきたのは、二十歳半ば、女子大生かOLといった感じの、切手集めに燃えているようには見えない娘さんだった。
化粧っけがなく、どちらかと言えば、地味な感じ。悪く言えば、ちょっと暗そうなタイプ。外でも、おとなしく、目立たない性格なのだろう。
服も、黒いスラックスに、白いシャツ。最近の若い者には珍しく、染めた気配すらない真っ黒な髪。パーマすらかけていないのが、ちょっと印象的だった。
オフィス街、丸の内を闊歩するキャリアウーマンには、あまり見えない。
気乗りしない様子で、ろくに商品の並んでいないショーウィンドウを覗いている。
……切手商にも色々あるが、うちの場合、店頭販売にはあまり力を入れていない。珍しい商品を手に入れて、一部の大物コレクターを相手にする。これが商売のコツというものだ。だから、正直言って、ひょっこりやってきたお客の目に入るところには、掘り出し物なんて物はない。本当に珍しいものを手に入れたい時は、何度も何度も店に通いつめ、店主と知り合いになり、秘蔵品を見せてもよいと認められる必要がある。つまり、ちょっと好き、なんて根性では、本物にはありつけないのだ。
こういうところは、古本屋の商売と非常によく似ている。
五分もたっただろうか。そろそろ、ストックブックや古切手の整理をしているふりが辛くなってきた。
娘さんは、まだショーウィンドーを、ちょっとポーッとした顔で覗いている。
……もしかして、他に客がいないので、出て行くきっかけをなくしてしまったのだろうか。何か、買わなくては悪い、と思って困っているとか。
それとも、探しているものがあるのだが、話しかける勇気がないのかもしれない。
いいかげん、こちらからきっかけを作ってやろうかと思い始めた時だった。
「あの」
娘さんが、かぼそい声で言った。
「はい、なんでしょう」
ちょっとでも強く話しかけたら逃げ出してしまいそうな雰囲気なので、できるだけ柔らかく答えた……つもりだ。
努力の甲斐あってか、娘さんは、逃げずに言葉を続けた。
「猫の切手を集めてます。外国のものでもいいんですが……ありますか?」
「猫……ですか」
毎年、切手は何十種となく発行される。外国の切手も含めるとしたら、なおさらだ。あまりの多さに、テーマを決めて集めている人も多い。
しかし、「猫」というのは初めてだ。
はて、うちで扱っていたかどうか。
それに、集めているということは、もう結構な種類の猫切手を持っているに違いない。
彼女の見たことのない切手が、果たしてあるだろうか。
「ちょっと待ってくださいね。うーん、動物の切手ならこの辺だが……」
片づけかけていたストックブックの中から、二冊を選ぶ。
最初のページは、犬。
そして、野生動物、鳥、蝶、恐竜……。ちょっと違うな。
外国の切手が珍しいのか、娘さんは、開いたストックブックを熱心に覗き込んでいる。
二冊目も半ばになった頃、やっとそれらしい物が見つかった。
「これ、猫ですね。あとは……もうないな」
それは、五枚セット猫の切手だった。未使用なので、結構綺麗だ。同じ物が二枚ずつある。
素人目には、あまり可愛いとは思えない、気位の高そうな猫たちが、こちらを睨んでいる(ように見える)。
幸い初めて見る切手だったらしく、娘さんはじっとそれらを眺めている。そして、切手と、その脇にある値札をしばらく見比べてから、困ったように言った。
「これは、一枚五百円ですか?」
値札には、五〇〇と書いてある。
私はあわてて答えた。いくら未使用切手でも、そこまであこぎな値段はつけない。
「いえいえ、五枚セットで五百円です」
「良かった」
貧乏人なもので、と彼女は照れたように笑った。
「それじゃ……これ、全部ください。五枚組、二セット」
同じ切手は切り離されていないので、そう言ってくれるとこちらも助かる。
「はい、ありがとうございます。ちょっと待ってください」
「すみません、その切手の発行国を教えて頂けますか?」
「これはイギリスですよ。右上にエリザベス女王のマークがあるでしょう。ここに書いてあるのは、国名じゃなくて、「じゃーじー」という州名ですね」
「ああ、ジャージー州」
納得したように、うなずく。
「そういえば、イギリスは切手に国名を印刷しない、と聞いた事があります」
……なかなか詳しいではないか。
「イギリスが、切手の発祥の地ですからね。国名の代わりに、州名を入れるわけです」
ピンセットで、それらをストックブックから取り出し、小さなビニール袋に入れていく。
その間、娘さんはおとなしくストックブックを覗いていた。
「はい、千円になります」
「消費税は?」
「いりませんよ」
お願いします、と差し出された千円札を受け取り、ちょっと可愛い(つもりだ)の袋に入れた猫切手を渡してやる。
娘さんは、その中身を覗き、またちょっと笑った。そして、こちらを見ると、ペコリと頭を下げ、こう言った。
「ありがとうございました」
丸の内で商売を始めてから、お客さんにお礼を言われたのは、初めてかもしれない。
出て行くお客には、機械的に「ありがとうございました」というのが当たり前になっていたが、この時ばかりは、ちょっと困った。同じことを言って送り出すのも芸がないような気がする……。
しかし、他に言葉も思い付かない。
「ありがとうございました」
いつもと同じ言葉に、いつもとは違う感謝をこめて。
娘さんには、その違いが分からなかっただろうけど。
「さて、と」
……人がいなくなり、急に暗くなったような店内で、私は今度こそ、本格的に店じまいの準備を始めた。

これ以降は、テキストデータでどうぞ。

(kitte.lzh 6k)



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