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「人形は夜歩く」
クリスは人形が嫌いだった。
ママの作る、ビスクドール。
まるで本物のような目、肌、髪。
毎日たくさんの人がやってきて、その作り方を習っていく。
本がたくさん出ている事も知っている。
TVだって取材に来ることがある。
でも。
クリスは人形が嫌いだ。
だって、彼らは夜になると本当にしゃべりだす。
あの小さな口で、ママの心の中の言葉を喚きだす。
「あの人ったら、今日も帰ってこない」
「あの女のせいだわ、いまいましい」
「私の人形をけなすなんて」
「クリス……本当に私の子なのかしら、薄気味の悪い……」
耳をふさいでも、夜な夜な聞こえてくる声。
聞きたくないのに。
それでも、最初は声だけだった。
時が立つにつれ、夜中に動く音が聞こえるようになった。
夜中に廊下に出ると、たった今まで歩いていたような人形が、何体も倒れていた。
ママはクリスがいたずらしたと思って、叱ったけれど。
夜中に息苦しさで目を覚ますと、胸の上に人形が乗っていた。
その小さな手はクリスの首に……。
悲鳴をあげて払いのけると、人形はあっけなく床に落ちた。
がしゃん、と音を立てて顔が砕けた。歪んだ口で、人形は甲高い声でいつまでも笑っていた。
一晩中震え続けてようやく朝になったのに、助けを求めたママはクリスをひどく殴った。
大切な人形を何故壊したのかと。
理由を話したけれど、信じてはもらえなかった。
恐ろしい夜のことを、誰にも言えない。
次の日から、クリスの首からは小さな赤い指の跡が消えなくなった。
***
日差しが反射して、クリスの部屋にもまぶしく差し込んでいる。
久しぶりにゆっくり眠れたクリスは、目の前に大きな影があったので、悲鳴をあげかけた。
また、人形だと思った。
夜中にどこかたともなく入ってくる、クリスを付けねらう怖い人形。
けれど、それは違った。
全身濃い茶色のふわふわで、きらきら光る琥珀色のガラスの目。
「やぁ、こんにちは」
それは、確かにそう言った。
「僕が来たからね。もう大丈夫だよ」
手を上げたのは、大きなテディベアだった。茶色の可愛いベストを着ている。
「くまさん、しゃべれるの?」
「君が「聴く耳」を持っているからね。もっとも、「聴く耳」がなければ、あいつらの声も聴かずに済んだのだけど」
「あいつらって、ママの人形のこと?」
「そうさ。あれはね、世界をさまよっている悪い霊なんだ。ママの声にひかれて集まって、ママの作った人形に入り込んでしまった。ほうっておくと、やつらはどんどん強くなる。でも今ならまだ倒せるんだ。倒せるのは、君みたいに「見る」ことのできる人間なんだ。だから、あいつらは君を狙っているのさ」
「倒すって? 僕無理だよ、怖い! それに人形を壊すとママが……」
「大丈夫。今日からは僕がいるから」
ジリリリ……
目覚まし時計の音に我に返ると、くまのぬいぐるみは何事もなかったかのように、動かなくなっていた。
夢だったのだろうか。
でも、この手の中に大きなテディベアがあるのは本当だ。
やわらかくて暖かい。
これは怖くない。
「クリス!」
激しくドアが叩かれ、ヒステリックな声が響いた。
「いつまで寝ているの、起きなさい! ……なんなの、そのぬいぐるみは?」
ベッドの上の大きなくまを見た途端、ママの声はさらに甲高く跳ね上がった。
「一体誰にもらったの! 私の子がこんな子供だましのぬいぐるみを喜ぶなんて……恥ずかしい!」
「やめてママ、そのテディは僕を助けにきてくれたんだよ!」
クリスは腕にしがみついて止めようとしたが、くまはあっけなく窓から外に捨てられてしまった。
「何を馬鹿なことを言っているの。どうせ、アレクがこっそり持ってきたのでしょ。ママは嘘つきは嫌いよ。今日はずっとここにいなさい!」
「ママ!」
乱暴に閉められたドアを叩いた時、後ろから不吉な声が響いた。
けけ
くすくす
うふふふ……
捕まえた
ついさっきまでくまが座っていたはずのベッドには、無表情ながら邪悪な笑みを浮かべた人形たちが並んでいた。
「たすけて、ママ! 助けて!」
無駄だよ、誰もこないよ
ここは、夢の中だもの
だけどもう目は覚めないよ
お前は自分からここに来たのだから
「やだ、来るな!」
人形たちが、ぎこちない動きでベッドの上に立ち始める。
きしきしと音を立てて手をクリスの方にのばし、ゆっくりと歩き始める。
夜でもないのに窓の外は真っ暗になっている。
風もないのに、カーテンが不気味にゆれる。
ドアは開かない。誰にも助けてもらえない。
(クリス、窓にひっかかっているヒモを引っ張って!)
耳元で、聞き覚えのある声が呼んだ。
「テディ?」
(早く!)
さっきのくまの声だった。
あわてて窓を見ると、窓枠のところの、荷物かけ用のくぎに、茶色い毛糸のようなものがひっかかっていた。
のびきったヒモは、窓から下の方に伸びている。
させないよ、させないよ、させないよ
あきらめな、もうだめなんだから
コトン、コトン、コトン、カツン
後ろから、軽い足音が迫る。
いくつもの小さな手が、クリスの髪や服をつかむ。
「やだっ、テディ、助けて!」
叫びながら、つかんだヒモを思い切り引っ張りあげた。
ぽーん……
といい音がしそうな勢いで、部屋に飛び込んできたのは、テディベアだった。
クリスを追っていた人形たちの間に、そのままつっこむ。
がしゃがしゃと倒れた人形たちは、大きなくまの下でもがいている。
テディはむく、と起き上がると、下敷きにした人形たちをぺちぺちと叩き始めた。
「お前たち、悪さもいいかげんにしろ」
その手に触れると、人形たちは途端に命を失っていく。
さながら、悪霊を退治している徳の高い司教様……なのだが、その姿が「お腹のあたりまで糸のほどけたベストを着たテディベア」なので、どうも緊迫感に欠ける。
人形がすべておとなしくなったのを確認して、テディはクリスを振り返った。
一方的に勝っていたように見えたのだが、よく見ると体中の毛糸がほつれ、ぼろぼろになっている。
「とっさにセーターの端をくぎにひっかけたんだけどさ。下に落ちたら今度は犬にかじられちゃって。いやー、まいったまいった……およ?」
「うわーん、テディ、怖かったよ!」
「よしよし、よくがんばったね」
ぽんぽん、と頭をなでながら、テディはもう片方の手で背中からはみ出した綿を詰め直す。
「でも、これからが本番だよ。あいつらも本気でかかってくるから。あいつらには、近くにいる人間を惑わして悪いことをさせる力があるんだ。気をつけないとね」
「じゃあ、ママも?」
「そうだよ。だから、がんばろう。えいえいおー」
「おー……きゃあ!」
つられて上げた手がつかまれた。
壁から、何十本もの小さな手が、ゆらゆらと突き出してクリスを捕まえていた。
「お前ら……あっ、こら、離せ!」
テディのいるベッドからも、無数の手が出ていた。
耳をつかみ、ベストのボタンを引きちぎり、その動きを邪魔する。
「テディ、テディ!」
くまの耳がちぎれたのを見て、クリスが悲鳴をあげる。
勢いづいた人形たちは、全身を現して襲いかかった。
邪魔、邪魔、邪魔
お前、いらない、消えろ
「だーもー、うっとーしー!」
丸い腕が振り回されて、周りの人形たちがばたばたと倒れる。
顔がほころび、尻尾がちぎれた気の毒な姿だったけれども、くまは元気そうだった。
不思議な足取りでクリスに駆け寄り、少年をつかんでいる手を次々に叩いていく。
ほんの数秒で、クリスの周りから邪悪な気配は消えた。
「テディはすごいね、強いね!」
「もっちろーん♪」
ガッツポーズを決めている愛嬌のある姿に、思わず笑い出した時、首筋に冷たい風がかすめた。
はっと振り返ったテディが叫ぶ。
「クリス、避けて!」
得体の知れない恐怖に思わず身をすくめると、耳元で大きな音が響いた。
シャキン!
切られたと分かったのは、ぱらぱらと、足元に金色の髪が散ったのを見た後だった。
くくく、けけけ
もう逃がさない
もう終わりだよ
つりあがった口、燃えるような紅い目。
舞踏会に行くようなドレスを着た少女の人形は、顔だけが恐ろしい殺人鬼となっていた。
不似合いな小さな手には、大きなハサミが握られている。
「マ……ママのハサミ……」
「クリス、こっちへ!」
「う、動けな……」
紅い目に見つめられ、足がすくんで動けない。
コトン、コトン、と近寄ってくる人形が、ハサミを振りかざす。
それが、クリスの胸に無造作に振り下ろされた。
ザクッ
鋭い鋼の切っ先は、正確に左胸を貫いていた。
本来なら、心臓のある位置を。
「テディ!」
人形とクリスの間に飛び込んだくまが、代わりに刃を受けていた。
ザク、ザク、ザクッ
立て続けに攻撃されて、ぬいぐるみの腹からは詰め物の綿があふれ出した。
ぐらぐらしていた腕が床に落ちる。
「やめて、もうやめてーっ!」
クリスは叫んで、人形の腕を押さえた。
人形はすごい力で暴れたけれども、その手からハサミを奪い取る。
「お前なんか、怖くない、怖いないんだから!」
クリスの手から投げられたハサミは、まともに人形の顔に当たった。
倒れた人形は、そのままひっくり返って動かなくなった。
今までの騒ぎが嘘のように、部屋は静まり返っていた。
見回すと、たくさんあったはずの人形は消えていて、クリスが倒した一体だけになっていた。
「やったね、クリス。自分で倒したね」
「テディ、大丈夫なの?」
「平気だよ。だって僕は君なんだ。君が大丈夫なら、僕はどんなに傷ついたって大丈夫なんだよ」
「僕がテディ?」
「そうさ。僕は君の、戦おうとする心が形になったんだもの。……君が、何と戦おうとしていたのか、見てごらん」
床に倒れている人形を見て、クリスは驚いた。
それは、今は穏やかな顔をしていたけれども、一番知っている人にそっくりだった。
「ママ?」
「そう。君が怖がってる「怖いママ」だよ。今まで君は逃げてばかりで世界は狭くなるばかりだった。でも、これからは自由に外に出られるんだよ。君さえ、その気になればね」
「外へ?]
「まずはこの部屋から出て。家から出て。学校に行って。たくさんの人と会おうね」
振りかえると、人形はもう消えていた。
だが、クリスがくまに微笑もうとした時、
けっけけけ
もう遅いよ
逃げられないよ
姿のない声が響いた。
壁を通して、ぱちぱちと不吉な音が響いてくる。
熱が風となって流れ込んでくる。
お前たちの負け、負けだ
死んでしまえ
「テディ、煙が!」
「あいつら、誰かに火をつけさせたんだ! クリス、僕の下にいて。きっと人が来てくれるから。それまで僕が守ってあげるから」
たちまち、部屋に白い煙がたちこめた。
息ができず、目をあけていることもできない。
けれど、その中で、クリスは遠くで誰かがこう言うのを確かに聴いた。
「もう大丈夫だよ」
***
「奇跡だよ。あの火事で、やけど一つなかったんだから」
「くまのぬいぐるみが助けたって噂は本当ですか?」
「本当さ。でっかいテディベアが、あの子にかぶさっててね。ぬいぐるみの腕が口を覆っていたから煙を吸わずにすんだし、詰め物が不燃性だったんで火も移らなかった。くまはぼろぼろだったが、あの子は無事だった」
「本当に守り神だったんですね」
誰かが話してる。
遠い遠い声。
「ノイローゼの母親が虐待のあげく、放火……か。母親の方は?」
「別棟に入院しています。夫がつきそって、今は随分落ち着いているようですよ。クリスのことを心配して泣き通しだそうです」
もう怖いママはいない?
人形もいない?
「ふむ。あとは、この子が目を覚ますのを待つばかり、か」
「目覚めますかね。この病院に回されてくるまで、半年は経っています。ショックによる自閉……音や光にも反応しません」
「なーに、ちゃんと聞こえているさ。この子の目は生きているからね。何かきっかけがあれば、外の世界への扉ができる。かける言葉さえ間違わなければね」
足音。
誰かの影。
テディ?
「クリス、もう大丈夫だよ。人形の家から出ておいで」
差し出された手。
琥珀色の優しい目。
その日、クリスは長い長い夢から目を覚ました。
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