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「山の上の魔法使い」


山の上には、魔法使いが住んでいる。
切り立った崖の上、もう何十年も降りてこない魔法使い。その姿を覚えている人は、誰もいない。
とても歳を取った老婆とも、恐ろしい鉤爪を持った悪魔とも言われている魔法使い。
誰も、そんなのに会おうと考える者などいなかった。
ついさっきまでは。

***

その日は、大変天気の良い、気持ちのいい午後だった。
木陰から差し込む柔らかい日差し、さわさわと枝を揺らす風。
本を読んでいるうちに、うとうとしてしまっても、誰だって文句は言えない。どちらかというと、非常識なのは、空から降ってきた闖入者の方だった。
どんがらがっしゃんと、凄まじい音。
びっくりして椅子から転げてしまった家の主は、自分の頭の上が青空になってしまっているのに気づいてひきつった。
その後ろから
「魔法使い様ですか?」
まだ、ちょっと舌ったらずの声だった。
呼ばれた方は、振り返ってまたひきつった。
これは本当に人間か? この汚れまくって、真っ黒で、まるで使い古したボロ袋のようなものが。
「初めまして、僕、セインって言います。……うわー、嬉しいな、魔法使い様が、こんなに綺麗な人だったなんて」
言われた方は、まだ床にへたりこんだまま、午睡の夢を破った乱入者を見つめていた。
「き……君、一体、どうやってここへ?」
ようやく口を開いた家の主に、セインと名乗ったぼろくず……もとい、少年はにっこり笑った。
「村の上を通った大鳥につかまって。もっと上で降りるつもりだったんですけど、この上で振り落とされちゃって。屋根壊しちゃってごめんなさい。ちゃんと直しますから」
「はぁ……」
長い長い、見事な銀の髪をいじりながら、魔法使いはまだちょっと呆然としている。とりあえず、目の前の物体を洗って綺麗にしよう、と思ったのは、たっぷり一分はたってからだった。

***

風呂に入り、新しい服を着せてもらった少年は、それなりに結構可愛い子だった。七、八歳だろうか。
「で、私に会いに来たといったね。会って、どうするつもりだったんだい?」
セインと名乗った少年は、元気良く答えた。
「弟子にしてください! 僕、魔法使いになりたいんです!」
とりあえず、予想通りの答えだ。
「なってどうする?」
「魔法を使えれば、きっと便利です! 色々人の役に立てるし。動物たちの病気も治してあげられるし。きっと、水不足の時は水脈だって探せるし……」
魔法使いは、だまったまま、じっと少年を見ていた。
勢い込んでいた言葉は、魔法使いに見つめられている間にだんだん弱々しくなっていく。
すみれ色の不思議な瞳を見ているうちに、心の奥底にあった本音が、言葉になってしまった。
「僕……孤児だって、みんなに馬鹿にされてて……」
何故だろう。一度言葉にしてしまうと、言ってはいけないと心が悲鳴を上げているのに、勝手に口が動いてしまう。
これは……何かの魔法なのだろうか。
「魔法が使えるようになれば、きっとみんなも僕のことを見直してくれる。もう、いじめられたりしない。僕、あいつらを見返してやりたいんだ!」
気が付くと、目からポロポロと涙がこぼれてきた。ずっと我慢していたのに。
泣き虫で、弱虫で、いじめられっこ、自分の為に魔法を使うような嫌な子だと思われたら、きっと魔法なんて教えてくれない。
絶対言わないつもりだったのに。
セインはぎゅっと目をつぶった。
殴られると思った。しかられて、家に帰されると思った。
しかし、魔法使いは静かにため息をついただけだった。そして、すい、と机の上の花瓶を指さす。
「よく見ていなさい。……セルディス・モルタール・ナルドール・ジェニス……」
紡がれる、ルーンの聖なる言葉。
次の瞬間、花瓶はひび割れ、粉々に砕け散った!
セインの前に転がったカケラは、元の姿を想像するのも難しいほどの断片になっていた。
「魔法は、力だ。自分の思い通りに力を使ったらどういうことになるか。今の君は、仕返しの為にしか魔法を使うことを考えていない。……魔法は、憎しみや恨みで使えば、凶器になる。人を傷つけ、家を焼き、世界を滅ぼすほどのものだ」
見せ付けられた「力」のすさまじさに、少年は呆然と立ち尽くしていた。
決して、そんな風に使うために魔法を習うつもりじゃなかった。ただ、ちょっとだけ、自分をいじめた連中を思い知らせてやりたかった。
足をかけて転ばした相手には、風を送って転ばせ返すとか、殴った相手には、頭の上にりんごを落としてやるとか。だが、そんな考えが甘かったことが、よく分かった。
最初はただのいたずらのような仕返しでも、「力」を持てば、どうしてもエスカレートしてしまう。
人の持っていない力で、与えられた以上のしっぺ返しを望むようになった時、相手は恐れ、自分は今よりも、もっと孤立するだろう。
見透かしたように、美しい魔法使いは静かに言った。
「いいかい、魔法は決して誰もが幸せになれるものじゃない。道具と同じで、使い方を誤れば、誰もが……自分さえもが不幸になってしまう。今の君に、魔法を教えることはできない。……君は悪い子じゃない。だから分かるね、私の言いたいことが」
セインは、声もなく、しゃくりあげていた。
自分が欲しかったのは、仕返しをするための魔法じゃないことがよく分かった。
ただ、少しだけ、人に自慢できるような、そして、皆に見直してもらえるような何かが欲しかっただけなのだ。
怖がられるようになってしまうような力なんか、いらない。それくらいなら、今のままでいい。
ちょっとくらいバカにされたって、自分はこの山に登れるくらいの勇気を出すことができたのだから。きっと、これからは、連中に言い返すことくらい、できるはずだから。
……それでも、涙は止まらなかった。
何が悲しいのかよく分からないまま、セインは泣きつづけていた。
それは、彼にはまだよく理解できなかったけれども、こんなところまで来た勇気が、仕返しをしようとする自分の心の悪い部分から出たことに対する恐怖だった。
「大丈夫だよ」
ふと、優しい声が耳元で響いた。
「君は優しい子だね。ちゃんと人を思いやれるし、自分が望んだことが、どんなことを引き起こすか想像することもできる。だから、大丈夫。君は、魔法なんかなくても、しっかり生きていける子だよ。……これから、みんなもそれを認めてくれる。大丈夫。焦らないことだ」
そして、頭をなでてくれていた手が、そっと身体を抱きしめてくれた。
暖かくて、いい香り。
(優しい魔法使いさま、母さんみたい……)
何年も前に亡くした、大切な思い出に包まれるように、セインは眠りに落ちた。

***

翌日、目が覚めたとき、家の中には暖かいスープの匂いがたちこめていた。
誰も登ったことのない山を、鳥の足につかまって頂上を目指すという冒険をやってのけた少年は、とてもお腹を空かせていた。
用意してくれたスープとパンを平らげて、幸せいっぱいだった。
村に帰ったら、誰にも信じてくれなくても、この優しい魔法使いのことをたくさん、たくさん皆に話してやろうと思っていた。
そして、どうやって帰ろうかということに、やっと気がついて悩んでいた彼を、魔法使いが呼んだ。
「セイン、こっちに来なさい」
「魔法使いさま?」
「……一人でここまで来たという努力を認めて、簡単なものを教えてあげようと思ってね。一つくらい覚えて帰らないと、ここまでたどり着いたことを皆が信じてくれないだろう?」
……さすが魔法使い、どういうことが起こるかまで分かっている。
呟かれた短いルーンの聖句。
すると、セインの手の中に、小さな花がぽん、と生まれた。
「物寄せだよ。正しく使えば、色々と役に立つこともあるだろう。欲しい物を思い浮かべて、やってごらん」
魔法を、「怖いもの」と思ってしまっていたセインは、おそるおそる、ある物を思い浮かべて同じ言葉を唱えてみる。
手の中に、自分の家にあったはずの、小さな木彫りの子馬が現れた。
「できた……できたぁっ!」
「練習してごらん。君は結構才能があるよ」
誉められて、セインは大喜びで、様々な物を呼び出した。隣の部屋の机にあったインク壺、かごの中にあるリンゴ。外で遊んでいるリスを呼ぶのに成功して、セインは見えない物を呼べるのか、試したくなった。
「とかげっ!」
その途端、部屋の中に何かが現れた。とかげにしては大きい?
「な……誰だ! いきなり、俺をこんなところに呼びつけた奴は」
怒鳴られて、セインはきゃっと悲鳴を上げて、魔法使いの後ろに隠れてしまった。
前髪の一房が銀色になっている不思議な黒髪の、背の高い男だった。とかげを呼んだのに、なんで人が現れたんだろう。
「……せっかく気持ちよく寝てたのに……どこのどいつだ、丸飲みにしてやる!」
「丸飲みは消化に悪いよ、フリームファクシ」
美しい魔法使いに言われて、怒り狂っていた表情が、ころっと変わった。
「あれ、アルヴィス? お前だったのか。なんだよ、寂しかったのか? そうならそうと言ってくれれば、いつでも飛んでくるのにさ。今夜は眠らせないぜ、ハニー」
「言ってなさい。残念ながら、君の相手はこちらのチビさんだよ」
「なんだぁ?」
男が、セインを睨む。
その姿が、ふいに変化した。
次の瞬間、目の前にいたのは、青銀の翼を持つ、ドラゴンだった!
家のサイズに合わせたのか、大きさは馬くらいだったが、本物の竜だった。
そういえば、ちょっとだけ、トカゲに似ている……。
一番近いところにある、「トカゲに似たもの」を呼んでしまったのだろうか。
そのことを聞いて、ミニドラゴンがまた怒り狂う。
「誰がとかげだ、誰が」
口から漏れた息は、炎となってセインの脇をかすめた。髪の端の端が、ちりちりと焼けこげる。
「きゃあ!」
「こらこら、あんまり子供をいじめるんじゃないよ」
「うるせえ、とかげ扱いされて黙っていられるか。こちとら、生粋の竜族、しかも俺は青銀の翼を持つ者でい!」
「知らない者には、意味のない称号だよね。……おとなしく、あと五年くらい眠っておいで。勝手に呼び出されてきた君が悪いんだから」
「がー、可愛くない奴だな、相変わらず!」
しばらくの間、ミニドラゴンは炎の息を吐きながら怒りまくっていたが、いい加減、家を燃やされる危険を感じた魔法使いによって、呪文一つで消されてしまった。
きっと、元いた場所に戻されたのだろう。
今ごろ、どこかの棲み家……おそらく洞窟……で喚き散らしているに違いない。
「さて、物寄せを覚えたからには、私の言いたいことは分かっているだろうね」
魔法使いのいたずらっぽい口調に、こっくりとうなずくセイン。
「人のものを盗んだりしちゃいけない、でしょう?」
「よくできました」
にっこりと微笑まれて、セインは誇らしく思った。
誰にも登れないはずの山の上で、自分は魔法使いに魔法を教えてもらえたのだ。悪いことに使わないと信頼してもらって。
この喜びは、一生忘れない。
きっと、どんなに苦しいことがあっても、このことを思い出せばなんとかやっていける、そんな気がした。
「魔法使い様、本当にありがとうございました。僕、もっともっと勉強して、人の役に立てるようにがんばります。もう二度と、弱音吐いたりしません。そうしたら、もう一度会っていただけますか?」
魔法使いは、ちょっと寂しげな不思議な微笑みを浮かべた。
「私はいつでも、ここにいるよ。君が大人になっても、ずっとね」
きっと、この人は、自分の持つ魔法が、悪い人に渡らない様に、たった一人で暮らしているのだ。
長い長い年月を、一人で。
セインは、いつの日にか、またここに来ようと思った。
一生懸命勉強して、魔法使いに会っても恥ずかしくない立派な人間になって、また来よう、と。
そして、魔法使いに頼まれた大鳥の翼の上に乗って、無事に村まで帰ったのだった。

***

村では、総出で少年のことを探していた。
いつも、彼をいじめていた連中も、必死で探していた。自分が嫌われて、必要ない人間だと思っていたのが申し訳ないくらい、皆一生懸命だったのだ。
照れながら、セインは山の上の魔法使いのこと、習った魔法を披露してみせた。
皆、真似してみたけれど、出来たのは誰もいなかった。
見事にセインが魔法を習得したことよりも、誰も行こうとしなかった山に登ったことで、セインは皆に「勇気のある少年」と呼ばれるようになっていた。
そして、穏やかな優しい性格と、何をも恐れないまっすぐな性格で、人々の尊敬を集める青年に成長した。
せっかく習ったけれども、一生の間、魔法はほとんど使ったことがなかった。
たくさん勉強して、色々なことを知っていたので、魔法を使わなくても、人々の為に様々なことが出来たからだ。
時々、子供たちに、ほんのお遊びの「物寄せ」を披露してみせたが、何故かいつも「とかげ」だけは違うものが出てきたそうな。

***

山の上には、魔法使いが住んでいる。
切り立った崖の上、もう何百年も降りてこない魔法使い。
勇気のある一人の少年によって、それが銀の髪を持った、美しい人だったということが村の人々に知られた。
きっと、あの人は今でも同じ姿で、セインのような予想もしない闖入者を待って、静かに暮らしているに違いない。

おしまい



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