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「パリの切り裂きジャック」


通りはクリスマスのイルミネーションに飾られ、まぶしいばかりの光に満ちていた。
まるで、町を飲み込もうとしている不吉な闇を追い払おうとしているかのように。
しかし死神は付け焼刃の明るさなど気にもせず、獲物を探している。
黄金色の髪を持つ、無垢な天使を。

そして、今日もまた声のない悲鳴が響く。

***

久しぶりに訪れた劇団「ラパン・アジル」は、奇妙な緊張に包まれていた。
いつもなら、昼休み時間ともなれば、あちこちで団員たちのにぎやかな井戸端会議が始まるはずなのに。
しかも、今日はクリスマスイブ。明日のクリスマス公演に備えて、今日は昼で練習終了ということだったのだが。
確かに、グループは出来ている。だが、どこも声を潜めて何か噂し合っているようだ。
重苦しい雰囲気に、弁護士のヨルジュはドアから半分入った状態で、顔見知りの姿を探した。場違いな状況なら、探し人を見つけてさっさと退散しようと考えながら。
しかし、先に気が付いたのは劇団員の一人だった。
「ヨルジュさんっ」
駆けつけてきた褐色の長い髪の娘。二ヶ月前にある事件で知り合った、明るく利発で……劇団きっての情報通である。
「やあ、セシア。何事だい? なんか、ヘンな空気だけど。出直そうか」
「とんでもない、いいところに来てくれたわ。ちょっと聞いてよっ」
腕をつかむなり、ずるずると仲間たちのところへ引きずっていく。声は押さえているものの、この辺の強引さはいつもと変わらない。
あれよあれよという間に、ヨルジュは団員の美女たちに囲まれて内心悲鳴をあげた。現役スターのきれいどころがそろっているだけに、その機嫌の悪そうな顔の集団は……恐い。
「あれ、どう思う!?」
彼らがそろって指差した先にいるのは、こともあろうに彼らの団長であるリュオン=フォーレだった。
ホール奥のお気に入りのディレクターズチェアに座り、いつものように台本を眺めている。
何が問題かは、すぐに分かった。
その傍らに、もう一人いた。
リュオンの背後から、甘えるようにまとわりついている小柄な姿。
腰まである長い見事な黒髪が、リュオンの顔を覗き込むたびにうねるように揺れる。
リュオンの新しい恋人だろうか?
俳優兼、監督として若くして成功したリュオンは、世界中の女性と楽しく過ごすことが人生の目的と言ってはばからない。
毎週のように相手が違うことも珍しくない。今まで女性陣の衝突が一度も無いというから不思議だ。
もっとも、そういう人間だ、と割り切って女性たちが付き合っているからかもしれないが。
とりあえず、見知らぬ人間がくっついていることに関しては、別に珍しいことではないように思えた。
違和感があるとすれば、積極的に話しかけているのが相手の方で、リュオンが返事もしていないらしい、ということだろうか。
フェミニストで通っているリュオンが無視しているのはちょっと妙だ。
「朝、いきなりボスが連れてきたの。今度の主役だって。それから、ずっとああなのよ。私たちには挨拶もなし。信じられないわ、あんなの認めないからね」
なるほど、結束の固いことで知られる「ラパン・アジル」の不協和音は、礼儀知らずの新人のせいということか。
リュオンが無視を決め込んでいるということは、演技力はある役者でも、性格に難ありということなのだろうか。あの完璧を求めるリュオンが、そんな役者を使うとは思えないが。
ヨルジュが改めて眺めていると、その視線に気づいたのか、豊かな黒髪がひるがえった。まっすぐにこちらを見つめる漆黒の瞳。
団員たちがぎょっとするのにも構わず、軽い足取りでこちらに向かってくる。
そして、客人の前でぴたりと足を止めた。背はそれほど高くないのに、あごをつんと上げて、団員たちを一瞥する。一瞬、馬鹿にしたような微笑がその口元をよぎった。これが、女性陣の感情を逆なでするのだろう。セシアに至っては、そろそろ殴ってやろうかと拳を握り締めている。
だが、問題の者は、もう周りを見ようともしない。
「こんにちは、お兄さん」
中性的な、魅惑的な声だった。
まったくなびこうともしない監督に見切りをつけて、新しく登場した方に手を出すつもりだろうか。
本人はまったく気づいていないが、ヨルジュは劇団の女性陣にとても人気がある。
グランドエコール出のエリートで腕利きの弁護士、しかも優しいとくれば、目をつけない方がおかしい。
とは言うものの、彼らのボスである監督リュオンの親友であり、しかも劇団の看板である少年俳優シトルイユの顧問弁護士として紹介されたので、近寄りがたくもある。
彼が出入りするようになってニヶ月ほど立つが、自然と不可侵条約めいたものができてしまって、抜け駆けしてアタックをかける者はいなかった。
それすらも、こんなにあっさりと無視してしまうとは。
女性陣の視線がますます険しくなる。
しかし、ヨルジュがいつもの穏やかな笑顔で発した言葉に、固まったのは彼女らの方だった。
「やあ、こんにちは、王子様。今日は何の仮装だい?」
この弁護士が、冗談めかして王子様と呼ぶ相手はただ一人。
ということは……
見上げるような格好になっていた美貌に、驚いたような表情がかすめ、妖しい光を宿していた黒い瞳がふっとなごんだ。
「やだなぁ、どうして分かったんだろ。今日のは自信あったのに」
その声は確かに、劇団で知らぬ者のいない少年俳優のものであった。
正体を現した途端、黒髪黒瞳の姿は変わらないのに、雰囲気ががらりと変化した。
男性を惑わせ、女性に反感を持たせるような艶っぽい空気などかけらもない。周りの者に向けた笑顔は誰もが微笑み返したくなる程、魅力的だった。
九歳にして銀幕を制した天才俳優。十七になった今も、そのトップの座を守りつづけている少年の表情だった。
「うそっ、シトルイユだったの!?」
劇団内ではもっとも親しいはずのセシアが悲鳴をあげる。今まで気づけなかったのが相当ショックだったらしい。
当然、他の者たちも唖然としたまま声も出ない。
朝からというのだから、半日近く仲間たちをだまくらかしていたことになる。次の芝居の練習の一環なのだろうが……まったくたいした子だ。
「とうとうバレたか。練習時間終了までもたなかったから、俺の勝ちだな」
いつの間にか傍に来ていたリュオンが、にやにやしながら言った。
「ちぇ。時間まで、ヨルジュに声をかけなければ良かった」
どうやら、二人で賭けをしていたらしい。
「相手が悪かったな、シトルイユ。こいつは、ちょっとやそっとの変装じゃごまかせないんだ。親父さんの血かな」
「よしてくれ。そんなんじゃないよ。なんとなく分かっただけさ」
ヨルジュが嫌そうな顔をする。彼の父は、シテ島の真中で働いている百戦錬磨の刑事なのだ。
もっとも、仕事上では犬猿の仲だが。
「それで、これが次の役?」
シトルイユの、腰まである黒髪、カラーコンタクトをつけた黒い瞳をもう一度眺める。
そういえば、完璧な美少女に見えるものの、別に女性めいた服を着ているわけではない。
すらりとした黒いスラックスとベストといった、飾り気の無い格好だった。
本当は金髪にスミレ色の瞳の美少年がくるり、と回ってみせる。結構気に入っているらしい。
「うん。吸血鬼だって」
「で、お前は?」
これはリュオンに対する言葉だ。若くして賞を総なめにしている天才監督に向かって、こんな言い方ができるのは、学生時代の友人ならでは。この遠慮のなさが、劇団員から妙に尊敬される所以でもある。
「『これ』に言い寄られても全然なびかない、クールな殺し屋。俺向きだろ?」
ニッと笑って、リュオンはポーズをとってみせる。
どうやら、今朝から二人して、次の役になりきって遊び……もとい、練習していたらしい。人騒がせな連中だ。
「映画を見てから、お前の本性知ったら、ファンが泣くな」
よく知りすぎている友人が冷たくため息をつく。
「さて、シトルイユ君、もう出られるのかな?」
「今日はもう特にないと思うけど……監督、ちょっと早いけど、上がっていいですか?」
「おや。今日は二人でお出かけかい。このクリスマスイブに男同士とは寂しいねぇ」
「遊ぶ相手がいるだけ、お前よりマシ」
ヨルジュの即答が、リュオンの急所をえぐったらしい。
ここのところ、リュオンはシトルイユの姉にご執心なのだ。1ヶ月前からアタックしつづけて、期待していたクリスマス。とうとう色よい返事がもらえなかったのをヨルジュは知っている。
あきらめて他の女性を誘わなかったところを見ると、今日彼女がパリに出てくるのを聞きつけて、再度挑戦するつもりだろうか。
無駄だと思うが。
「シトルイユ、「ジャック」には気をつけなさいよ。でも、ヨルジュさんと一緒なら安心ね」
今までだまされていた仕返しに、セシアがシトルイユの頭をぐりぐりしながら言った。
「いたた……ジャックって何?」
ふくれて問い返した少年に、劇団員たちがそろってぎょっとした。
セシアに至っては、あきれはてて目が冷たい。
「あのね、シトルイユ。浮世離れするのも程があるわよ。「切り裂きジャック」のことくらい、聞いてるでしょう?」
「切り裂きジャック? イギリスの、昔の?」
さらに広がるあきらめの空気。団員たちが脱力している。
「え、何なの? ヨルジュ!」
あわてたシトルイユに助けを求められて、ヨルジュは苦笑した。
「ニュースくらい見ようね、王子様。もう「奴」が現れてから1ヶ月以上経つよ。……「パリの切り裂きジャック」。今フランスを震撼させている猟奇殺人者。すでに犠牲者は五人目だ」
「狙われているのは、全員金髪の美少女、美少年よ。だから気をつけなさいっての! 無用心すぎるわよ」
「ふーん。じゃ、今日は僕、大丈夫だ」
まだピンとこないのか、シトルイユはのんびりと黒髪をひっぱっている。
どうやら、今日はこの格好で過ごすつもりらしい。
「まったく、そういう問題じゃないでしょ! ヨルジュさん、この世間知らずのナイト役、よろしくね」
「了解。ま、今日は実家でパーティだしね。大丈夫だろ。……さ、そろそろ行こうか」
「うん」
寒さに弱いらしい王子様は、もこもこのダウンジャケットを着込んで、にこりと笑った。
黒髪黒瞳という、いつもとまったく違った姿だが、その笑顔は確かに世界中を魅了するスターのものだった。
「明日の公演、遅れるなよ。それじゃ、良いクリスマスを!」
「はい、皆さんもよいクリスマスを。お先でーす」
言われたリュオンががっくりと落ち込んだのに、シトルイユは気づかなかったようだ。上機嫌で階段を下りていく少年に、ヨルジュは笑いをこらえる。
この少年と知り合って、ニヶ月。最初は氷のような顔しか見せなかったのに、最近急に表情が豊かになってきた。
周りの話でも、雰囲気が随分変わったらしい。前は他人とは決してうちとけようとはせず必要以上の話もしない、演技の上では完璧で私生活にもなんのトラブルもないけれども、友人と呼べる人間はいなかったという。
一月前、シトルイユは出演映画の監督殺しの容疑者とされ、非常に辛い状況に陥った。姉を亡くした直後だったこともあり、その精神的な傷はとても深かった。
だが、その事件が解決した頃から少しずつ彼は変わってきた。
担当医師の「一番辛い時に傍にいてくれた人間になついてしまったのだ」という説明には、誰もが納得してしまったが。
ヨルジュにとっては、可愛い弟ができたようなものである。自分を信頼してくれたことは光栄だし、周りの人間たちとの壁が薄れていくのを見るのも嬉しいことだった。
それに……出合った頃、必要以上に大人びて見えた少年が、どんどん子供返りしていくのを見るのは……非常に笑える。もとい飽きない。いやいや楽しい。
(どう言い繕っても面白がっているのに変わりは無い)
たたたと駆け下りては振り返り、早く早くとせかすシトルイユは、まるでクリスマスパーティを前にした学校帰りの小学生のようだ。
それもそのはず、今年はヨルジュの実家で開かれるささやかなホームパーティに招かれたのだ。彼にとって、本当に初めての個人的なクリスマスパーティである。
トップ俳優として、銀幕の大物が集まるパーティには毎年参加していた。けれどもそれは挨拶のようなもので、決して楽しんでいたわけではない。会場でカクテルを片手に忙しく動き回るのは、大物につなぎを取ろうとする若手や、各界の美女と会うのを楽しみにしているリュオンぐらいである。どちらの必要も無いシトルイユにとって、ただの退屈な仕事時間でしかない。
家族での集まりに呼んでもらえたのが、シトルイユにはとても嬉しかった。自分では得ることの出来なかった「家族」。普段反目していても本当は信頼しあっている父、週末には連絡を入れるという母、それに四人(!)の姉というにぎやかそうな家族は、シトルイユにとってあこがれであった。
「ところでさ、何か欲しいものある?」
車に乗り込んでからヨルジュに聞かれて、シトルイユはきょとんとした。
「何、クリスマスプレゼント?」
「それとは別に。明日、君の誕生日じゃないか。なんか欲しいものあったら……」
そこまで言って、ヨルジュはしまった、という顔になった。
横にいる相手が、どういう人間なのかを今更ながら思い出したのだ。
その気になれば、王族の持つ最大級の宝石でさえ購入できるだけのギャラが支払われている彼に、買えないものなどない。
馬鹿なことを聞いてしまった。万が一、何かねだられても、自分に手の届くものかどうか?
そんな葛藤に気づいたのか、シトルイユは笑った。そして、自分の耳に手を当てる。
「ピアス、欲しいなぁ」
小さく呟かれた言葉は、知らない人間が聞けばただのおねだり。銀幕の住人にしては、とてもささやかな。
しかし、それに含まれた重みをヨルジュは知っていた。
シトルイユには合っていないようにも見える海の色のピアス。それは、シトルイユの姉がつけていたものだ。
彼女が命を失った時に、シトルイユはその復讐のためにそれを身に付けた。
その青い輝きには、世界でたった一人愛していた姉への思いと、犯人への憎しみがこめられている。
新しいピアスが欲しいというのは、ようやくそれを外す決心がついたということなのだ。
「分かった。宝石店に寄ってみよう。……俺でいいのかな?」
「ヨルジュでないと意味ないよ」
聞きようによっては記者が寄ってきそうな意味深なセリフだが。
それは、一番辛い時に支えになってくれた人間への信頼の証。
この二ヶ月色々と大変な目にあったが、たった一言で報われてしまう。
ヨルジュは上機嫌でアクセルを踏んだ。
ちょっとだけ、シトルイユの選ぶピアスが、年末年始の家計に響かない程度のものだとありがたい、と考えながら。

***

これ以降は、テキストデータでどうぞ。

(pari.lzh 43k)



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