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「真っ白な黒猫(シャノワール)探してます」


雪だった。
静かに舞う白い粉が、パリの街を美しい色彩に染めていく。
その日、シトルイユが歩きで家に向かっていたのは、だいぶ前に起こした事故で愛用のバイクを失っていた為と、久しぶりの雪が珍しくて、気まぐれを起こしたせいだった。
うっすらと地面を覆った白いカーペット。車や人に踏まれても、まだ溶けずに灰色の道路を白く変えている。
少し寒かったが、普段通らない道をうろうろして、目新しい店を覗いてみたり、変わった彫刻を眺めてみたり。
……だから、狭い裏通りでの出来事に気がついたのも、全くの偶然だった。
点滅する街灯の下で、小学生くらいの子供たちが集まっている。雪が降りかかるのもかまわずに、時折、妙な歓声を上げている。何かを取り囲んでいるようだ。
普段、何事にも興味を示さないシトルイユの足を止めたのは、その真ん中から響いた、かぼそい悲鳴だった。
一瞬、人間の赤ん坊の声かと思った。
いくらなんでも、それはあるまいと考え直し、少し子供たちの方に近づく。
ニャァァァ……。
また、小さな声。今度は分かった。猫だ。
どうやら、この子供たち、捕まえた猫にいたずらしているらしい。よってたかってとは、あきれたものだ。
最近の子供には、動物を動くおもちゃ程度にしか考えていない奴がいると聞いていたが……本当のようだ。
そっと、夢中になっている子供たちの真後ろに近づき、自慢の声で怒鳴りつける。
「こら! 何をしている!」
少し低目の発声で迫力をつけてやったので、案の定、子供たちは飛び上がり、情けない悲鳴と共に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
残されたのは、シトルイユと、身体を縮めている一匹の猫。
やれやれと思って見下ろすと、猫は思ったよりもひどい姿だった。
子猫ではないが、やせてとても小さい。その上、子供たちにやられたのか、全身ずぶ濡れである。毛が身体に貼り付いて、情けない格好だった。首に、なにか銀色の細い鎖を巻いている。
雪の中では辛いのだろう。見て分かるほど、がたがたと震えている。
「ひどい目にあったみたいだね。大丈夫?」
シトルイユは、猫というものに、まだ触ったことがない。ひっかかれるのではと、ちょっと用心しながら(ひっかき傷など顔につけられたら……絶対にまずい!)手を伸ばす。
じっとしてるので、冷たい体をなでてみる。
ぴったりとへばりついている毛並みは、ちょっと変な感触だった。
ふいに、猫が顔を上げた。赤みかかった金色の目で、じっとシトルイユを見つめる。
泣くでもなく、救いを求めるでもなく。
そのガラスのような高貴なまなざしは、どこかで見たような気がする。
恐る恐る濡れた身体を抱き上げると、さすがにぬくもりを求めて擦り寄ってきた。首にかかった銀の鎖が揺れて、その先についているものが見えた。……鍵のようだ。飼い主がつけた、アクセサリーだろうか?
それにしても冷たい。氷のようだ。
このまま放っておいたら、きっと死んでしまう。
でも……。
「どうしよう?」
途方に暮れて、シトルイユは一人、呟いた。



「はーい、開いてるよ」
チャイムの音に、ヨルジュはタイプを打ち続けたまま答えた。
こんな時間に訪ねてくる人間は、依頼人ではあるまい。それに、あのチャイムの鳴らし方は特徴がある。
「王子様だろ、入っておいでよ」
ある事件で知り合った年若い友人を、ヨルジュは時々からかって王子様と呼ぶ。世が世なら王族という血筋の上に、現在世界的にもトップレベルの俳優だからだ。
「……あれ? 違ったのかな?」
いつまでたってもドアが開かないので、ちょっと慌てる。外は随分と冷え込んでいるようだ。誰であろうと、待たせておくわけにはいかない。
「はい、どなた――」
階段を駆け降りてドアを開け、ヨルジュは目を丸くした。
見慣れた金髪の美少年。うっすらと全身に白い雪を積もらせている。
「なんだ、やっぱりシトルイユじゃないか。どうしたんだ? そんなところにいたら、風邪をひく……」
そこまで言って、少年が何かを抱えていることに気づく。……雑巾のような黒い固まり?
「あの……あのね」
困り果てた顔で、シトルイユが言った。
「猫を拾っちゃったんだ。僕、動物を飼ったことってないから、どうしたらいいのか分からなくて……」
「猫ぉ? その雑巾が……おっと失礼」
雑巾……もとい、猫が顔を、ひょいと上げて、じろりとヨルジュを睨んだ。言われたことが分かっているのだろうか。
……しかし、それ以上の気力はなかったのか、またシトルイユの胸に顔を埋めると動かなくなってしまった。
「子供にいたずらされたらしくて、ずぶ濡れなんだ。身体が冷え切ってて……このままじゃ、死んじゃうかも……」
「分かったから、とにかく入んなさい。猫もだけど、君も凍えてるじゃないか。それに、その猫、汚れてるんじゃないか? 手や服が真っ黒だよ」
言われて初めてシトルイユは自分の服を見てぎょっとした。おろしたての白茶のコートが真っ黒だ。
「え……ええっ! 何これ……黒インク?」
そして、はた、と気がつく。
ヨルジュと顔を見合わせ、同時に呟く。
「もしかして、この猫……黒くない?」
シトルイユの腕の中で、黒猫はぱたぱたと耳で返事した。



湯上がりの空気をまとわりつかせたまま、居間に入ったシトルイユは、ソファの上に転がっているものにギクリとした。
中途半端に汚れが落ち、まだら模様になった猫が、ぐったりとしている。ぴくりとも動かない。
「……死んじゃったの……?」
冷たくなっているかもしれない身体に触れるのを恐れて、見下ろしたまま呟くと、ダイニングの方から返事があった。
「生きてるよ。かつおぶしをかけたご飯をやったら、夢中で食べて、寝ちまった。よっぽど腹が減ってたんだな。……拭いてやったけど、インクは当分落ちそうにないね」
渡されたカップをありがたく受け取って、シトルイユはソファに坐った。確かに、どこがどこだかよく分からない灰色の固まりは、定期的にゆっくり上下している。ちゃんと息をしているのだ。
「ヨルジュ、ごめんね」
「ん?」
「いつも迷惑ばかりかけてる。こういう時、他に誰も思い付かなくって……」
「王子様に頼られるなんて光栄だよ。それに、いつものことに比べたら、なんとも平和……おっと」
シトルイユが、みるみる泣きそうな顔になったので、ヨルジュはあわてて口をふさいだ。実は、ヨルジュは、シトルイユの回りで起こった事件に巻き込まれて、何度も死にそうな目にあっている。本人は余り気にしていないのだが、シトルイユにとっては、それが大きな負い目になっている。
冷たく凍った瞳を持つ、天使の顔をした悪魔とまで評されている世界屈指の俳優だというのに……本当のこの少年は、寂しがり屋でちょっとばかり臆病者なのだ。もちろん、それを知っているのは、ほんの数人なのだが。
「そ、それはさておき、ちょっと話があるんだけど」
露骨に話題を変えながら、ヨルジュはTVをつけた。早口のアナウンサーが、今日のニュースを伝えている。
「なに、話って」
「今、君が住んでいるマンションだけどね……」
不安そうに言い返す少年へ答えようとして、ヨルジュは突然黙り込んだ。きょとんとしていたシトルイユも、どうやら彼がTV画面を見つめているらしいと判断して、そちらを見る。そして……二人して固まってしまった。
猫が映っていた。
真っ白な、生意気そうな目をした猫。
きっと、純血種の粋を極めた、ごたいそうな猫なのだろう。今、隣りにいるヤツとは偉い違いだ。
ところが、見ている二人には、一瞬で分かったのだ。
これは……同じ猫だ!
目つき、顔立ち……そもちん、それだけなら似ている猫は山ほどいるだろう。しかし、見間違いようないのは、首についている飾り……鍵だった。
『この猫は名前をシャノワールと言います。白猫なのに黒猫(シャノワール)。面白いですね。生前のルジエ氏のユーモアが感じられます』
アナウンサーの軽い調子。
『さて、この猫は実は大金持ちなのです。亡くなったルジエ氏が、家族ではなくこの猫に財産を残したんですね。もちろん、猫の面倒を見る人に……ということなのでしょうが、この額がすごい。なんと五千万フラン(約十億円)! このため、今ルジエ一族では、誰がこの猫の後見人になるかで骨肉の争いをしているそうです。
ところが、この猫ちゃんが争いに嫌気がさしたのか、なんと家出をしてしまったのです! ……というわけで、現在ルジエ家はシャノワール君の行方を捜しております。見つけ出した方には、謝礼として五千フラン! 皆さんも、家の回りを探してみてはいかがでしょうか……』
場つなぎの話題だったらしく、アナウンサーはさくさくと次の話題に移っていく。
しかし、TVの前の二人はまだ呆然としていた。
やっと顔を見合わせ、ついでに呑気に惰眠を貪っている猫に目をやる。
「この猫が……」
「五千万フラン?」
まだらの、白い、黒猫は、聞こえたのか、うるさそうに、パタパタと尻尾を動かした。



ルジエ家は大邸宅であった。しかし、亡くなったというルジエ氏はあまり幸せ者ではなかったようだ。ルジエ一族は、財産目当てで集まった金の亡者ばかりだったのである。
猫を届けに来たヨルジュとシトルイユは、家人の応対ぶりに憮然としていた。猫を心配している人もいるだろうと思って連れてきたのに、露骨に「報酬目当ての貧乏人」という扱いを受けたのだ。
その上、彼らはシャノワールを、遺産を受け取るための道具くらいにしか考えていない。猫よりも、首にかかった鍵が無事だったことを喜び――かえって猫が生きていたことを残念がっているようだ。
その理由はすぐに分かった。シャノワールは、家人に全くなついていないのだ。遺産を受け取るにはその鍵が必要であるらしいのに、シャノワールは敢然と立ち向かい、これを撃退しているのである。
ヨルジュたちの前で、彼らはひっかかれ、噛みつかれ、すでにボロボロの状態であった。……こうなると金持ちも何もあったものじゃない。
「誰か、銃を持ってこい! この猫め、撃ち殺してやる!」
とうとう一人が癇癪を起こして叫んだ。回りの者は止めるどころか、慌てて銃を探し回っている。
「ヨルジュ! このままじゃ、シャノワールが殺されちゃう!」
「とんでもない連中だな……。仕方ない、シトルイユ、あいつを捕まえて。どうせ鍵だけが目的なんだ。……くれてやろう」
「なんか悔しいけど……そうだね。シャノワール、おいで!」
逃げ場を探していた猫は、その声にまっすぐ走り出した。しなやかな身のこなしで、シトルイユの腕に飛び込む。その首から鍵をはずし、シトルイユは無造作に投げた。
「これが欲しいんでしょ。あげるよ。だから、もうこいつには構わないで!」
せっかく、滅多に直接聴くことのできない大俳優の声だというのに……全く聞きもせず、十人近い金の亡者たちは一斉に鍵に飛び掛かった。まるで、何日も餌を与えられていなかった犬のようだ。取っ組み合いのあげく、一人が叫んだ。
「取った! 遺産は俺のものだ!」
そして、暖炉の方へ駆け出す。
何事かと見守っていると、彼は暖炉脇の立派な絵画を叩き落とし、現れた金庫の鍵穴にそれを差し込んだ。
ルジエ氏が残したという十億もの遺産。株券だろうか。宝石だろうか。
他の者たちが、あわよくば奪い取ろうと身構える中で、金庫は開いた。
男は手を突っ込み……叫んだ。
「な……ない……! 何もない……!」
「どういうことだ!」
「遺産は? ――五千万フランは!」
たちまち入り乱れる怒号、悲鳴。
呆れ果て、もう帰ろうかと顔を見合わせていたヨルジュとシトルイユの足元に、何かがひらりと落ちてきた。
「? 手紙かな」
拾い上げた紙片をヨルジュが、裁判所で検察側をやりこめる時のように、よく響くいい声で読み上げる。
「何々……『この手紙を読んでいるということは、鍵を手に入れたようだな。私の可愛いシャノワールを殺したか? この野蛮人どもめ! お前らになど、金はびた一文渡しはせん。……もっとも、シャノワールがお前らごときにつかまるわけはないから、これを読むこともまずないと思うがな、ざまぁみろ、わっはっは……』」
途中から、シトルイユは肩を震わせて聞いていたが、とうとう吹き出してしまった。
家人たちが呆然と発ちつくす中、澄んだ笑い声が響き渡った。



「謝礼の五千フラン、頂いてきたよ」
遅れて出てきたヨルジュが、手にした封筒を見せてニヤリとする。
「シャノワールを見つけた謝礼金? 遺産が手に入らなかったのに、よく払ったね、あの連中が!」
「どちらかというと、口止め料だな。今回のコトは、くれぐれも内密に……ってさ」
「……スキャンダルだもんねぇ。残念だな。言いふらしてやろうと思ってたのに」
「ま、あいつらも、いい薬になっただろうよ、他人の金を当てにするなってね。――貴重な休みをつぶされたんだ。ありがたく、おいしいものでも食べさせてもらおうか。もちろん、シャノワールも」
「いいね、どこに行こう。……あ、シャノワール!」
おとなしく腕に抱かれていた猫が、突然ぴょんと飛び降りるなり、走り出した。あんな連中がいるところでも、やっぱり家が恋しいのだろうかと思ったが、どうもそういうわけではないらしい。
ついてこい、と言いたげに、何度も振り返りながら走っていく。
――ルジエ家のやたらに広い庭の片隅、彫刻の並んだ泉にシャノワールはたどり着いた。彫刻の一つ、自分に良く似た猫の前で、立ち止まる。
「可愛い猫だね。これがどうかしたのかな」
ひょいとシトルイユが手を触れると、像はなんの抵抗もなく、ぱたりと倒れてしまった。
「あ、壊した」
「ち、違うよ! 僕は触っただけなんだってば!」
慌てて弁解するシトルイユの前で、再びシャノワールは物言いたげに鳴いた。
しきりに像に擦り寄っている。
「ずいぶん軽いものみたいだな。中は空洞なんじゃないか? マタタビでも入ってるとか」
猫の像を取り上げ、降ってみると確かに中で軽い音がする。
「縦に線が走ってる。開きそうだ。どこかがスイッチになって……」
「この尻尾!」
シトルイユがピンとのびた尻尾を引くと、像は見事に真っ二つになってしまった。
中からは、二枚の紙。
「これは……小切手だ。――五千万フラン!」
「こっちは手紙みたい。さっきと同じ人が書いたものだね」
いかにも厳しそうな、いかめしい文字が並んでいる。
だが、こちらは、先ほどの手紙のような攻撃的な文ではなかった。

『この像を手にした者へ。
恐らく、君はシャノワールに案内されてここへ来たのだろう。シャノワールが信頼したのだから、私も君を信じようと思う。
私の残した遺産の大部分―五千万フランを君に託す。
君が正しいと思うことに使ってもらいたい。
できれば……今後もシャノワールを可愛がってもらいたいのだが……これは、シャノワールと君次第だ。
私は、生きている間にシャノワール以上の友人を持てなかった。今、これを読んでいる君に会えなかったのが、残念でならない。
この住みにくい世の中で、君が真の友に巡り合えることを祈っている――。 ルジエ』

読み終えたシトルイユが、ぽつりと呟く。
「この人と、生きている間に会ってみたかったなぁ……」
他人から、金持ち、有名人という目で見られ、本当に話すことの出来る相手もいない。それがどんなに辛いか、シトルイユは良く知っている。
「シャノワールはルジエ氏のたった一匹、心を許せる相手だったんだな。遺産を残したわけだ」
「……おいで!」
シトルイユが呼ぶと、顔を洗っていたシャノワールは差し伸べられた腕の中に、ぴょんと飛び乗った。



外で豪華な夕食をと思ったのだが、シャノワールがいるので、レストランに入るわけにもいかず、結局材料を買い込んでヨルジュの家に落ちついてしまった。
ヨルジュは料理がうまいので、シトルイユにとっては、この方が幸せなのだが。
「とにかく、この子を可愛がってくれる人を見つけなくちゃね」
ソファで、お腹を上にして寝ている猫を撫でながらシトルイユが言うと、ヨルジュが不思議そうに尋ねた。
「俺のとこじゃダメなわけ?」
「だって……ヨルジュって動物飼えないんじゃないの? 何もいないから、てっきり……」
「別に平気だよ。家を空けることが多いんで、あえて飼わなかったけど、実家にはいつも犬がいたし」
「でも――いいの?」
「猫一匹くらい増えたって負担にはならないよ。…………ついでに、人間一人くらいも養えるんだけどね」
いきなり話が変わったので、シトルイユはきょとんとしている。
「――?」
「部屋なら空いてるよ」
にっこり微笑まれてから、たっぷり1分はたってから、シトルイユは口を開いた。
「それって……もしかして――」
「来月でマンションの契約が切れるだろ? ここなら、劇団にも近いし。良かったらどーぞ」
いつもと変わらぬ笑顔で言われ、シトルイユは嬉しいやら焦るやらで、真っ赤になって、しばらく一人でじたばたしていた。
やっと一息ついてから、ちょっと悲しげに相手を見上げる。
「――誰かに頼まれたんでしょ?」
ヨルジュが返事につまる。腕利き弁護士として、年中検察側をやりこめているというのに、こういうときは嘘のつけない性格なのだ。 リュオン
「やっぱり、ばれたか。……君の姉さんと監督(リュオン)にね。怒るなよ、皆心配しているんだ。色々あったから。あのマンションでだって危ない目にあっただろ? ――で、どうかな?」
機嫌を損ねただろうかと、恐る恐る尋ねるヨルジュに、シトルイユは答えなかった。
いつのまにか、身を起こして伸びをしていた猫に、呼びかける。
「シャノワール、おいで」
まだら猫は、嬉しそうに擦り寄る。それを優しく抱きしめて、シトルイユは誰にも見せたことのない極上の笑顔で、その額にキスした。
「今夜から、一緒に寝ようね」
それが、彼の返事だった。


二月二十日エコー・ド・フランス紙から抜粋。

懸賞金の懸けられていたシャノワールは、とうとう見つからなかったとルジエ家より発表があった。
しかし、先日、WWF(世界自然保護基金)へ、五千万フランの寄付が「シャノワール」の名で振り込まれたという。
名前と、遺産の金額が同じであることから、ルジエ家の猫との関係が噂になっている。
果たして、真相はいかなるものだろうか。

FIN



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