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「ソロモンの鍵」
その時、真っ先に頭に浮かんだ顔は、やはりあいつだった。
できることなら、あいつとは係わりたくない。特に、仕事の上で借りを作るような場合には、だ。
しかし、今回のような場合、他にこういった事項に詳しい奴が思い浮かばない。
仕方ねぇ、と毒づいて、彼は、ため息をついて携帯電話を取り出した。
呼び出し音が鳴るか鳴らないか、というタイミングで、相手が出た。
……早すぎやしないか?
「やぁ、北斗ちゃん」
「……何故、名乗る前に分かる」
憮然として言うと、相手はくすくすと笑った。
中性的な、聞き心地のよい声。
しかし、それがつむぎ出す言葉には、いつも馬鹿にされているような気がして、素直に認められない。
「北斗ちゃんのことを占っていたら、何か困っているって出たんでね。そろそろ電話があると思ってたよ」
「ちゃんづけは止めろ。……用件が分かっているなら、犯人を教えてくれ」
電話の向こうでのくすくすが、更に大きくなった。
「一言で答えたって、どうせ信じないくせに。それに、そこまで占うのなら、金を取るよ。こっちもプロなんだからね。……何か聞きたい程度なら、受講料は、安くしてあげる」
「――公務員の安月給で払えるくらいにしておいてくれ」
***
「ソロモンの鍵?」
鈴音は、入れ立ての紅茶を口に運びながら、形のよい眉を、少しだけひそめた。
電話の向こうで、先日知り合ったばかりの友人が、ぶつぶつ文句を言っている訳が分かった。彼は、占いや魔術といった、非科学的なものが大嫌いだ。
人間相手なら、どんな凶悪犯だろうと、対決し、捕らえることができる。
しかし、そういった相手では、警察学校で習ったどんな知識も役に立たないからだ。
……いまだに、占い師である鈴音のことを、半分くらいは怪しい催眠術士と思っているふしがある。幽霊・化け物の類は子供の考え出したもの、占いなどは詐欺に決まっていると決めつけていたタイプの人間だから、少し認めただけでもえらい進歩なのだが。
「……被害者はどんな人?」
「田柄っていう、中年の実業家だ。若い頃から、黒魔術とやらにはまって、怪しい儀式にいそしんでいたって話だ。一年前に、再婚してるが、その相手は降霊会とやらで知り合った、前の奥さんの生まれ変わりだなんて言うし。娘の話では最近、ソロモンの鍵とやらを手に入れたと、言っていたそうだ。娘は、部屋から、鍵がなくなっていると言っている。犯人は、それを手に入れる為に盗みに入ったところを、田柄に見つかり、とっさに殺してしまった――と上の連中は見ているようだが」
「で、聞きたいのは、ソロモンの鍵が何かってことなわけか。容疑者は?」
「三人だ。後家さんと自称女魔術師、それに古本の収集家。三人とも、その鍵とやらを手に入れるのに、虎視眈々としていたらしい。ここ数ヶ月、ことあるごとに田柄と言い争っていたそうだ。…で、ソロモンってのは何モンだ?」
鈴音は、それには答えず、また尋ねた。
「娘っていうのは、どんな子?」
「前の細君との間の、十八になる娘だ。家族の中では、唯一、田柄の味方だったらしいな。田柄も彼女だけは溺愛していたらしい。それこそ、家から一歩も出さなかったくらいに。今、隣の部屋で寝込んでいるよ」
「一人で?」
「いや、彼氏に付き添われてる」
「ふーん。女魔術師ってのは?」
「若い、けばけばしい派手な女だ。どこから見ても詐欺師だな。さっきから、「鍵は神が私に下されたもの、早く見つけて私に捧げなければ、災いが起こるぞよ」なんて、ご宣託下さってるよ。なら、さっさとその鍵のありかでも、神さんに教えてもらえばいいのにな」
「そうだねぇ。古本の収集家ってのは?」
「井原って言う、いわゆるマニアって奴だ。いや、オタクかな。とにかく、ちょっと一線を越えちまってる。欲しい本の為なら、それこそ人殺しだってしかねない野郎だ。まぁ、今回の場合は本じゃないから、本当なら容疑外なんだが、ソロモンの鍵とやらがなくなったと知ってから、なんか言動が妙なんでな、とりあえず確保してる」
「ふむふむ」
「おいおい、俺はお前に犯人当てをしてもらう気はないんだぞ。要は、その「ソロモンの鍵」とやらがなんなのか、知りたいだけなんだ。知らないのか?」
からかわれていると思ったのか、北斗の声が少々険を帯びる。
しかし、鈴音は落ち着きを崩さない。
「まぁまぁ、慌てないで。田柄の死因は?」
「背中からナイフで一突きされての失血死。問題は、部屋のドアには中から鍵がかかっていたってことだ。今のところ、部屋の合鍵を持っているやつはいないんでな。おい、いいかげんに……」
「やれやれ、せっかちだね、最後にもう一つだけ。娘さんの手に、なにか痣がなかった?」
「……何で知ってるんだ? 会ったことがあるのか? 確かに、左手の甲に三角形が二つくっついたような変な痣があったけど」
一瞬間をおいて、鈴音はにっこりと笑ったのが分かるような声で言った。
「北斗ちゃん。僕には、犯人、分かったよ」
***
「なにぃー!?」
北斗が喚いたのも無理はない。
最初は、単純な怨恨と見えた事件だったのに、捜査は暗礁に乗り上げた状態なのだ。
被害者の部屋には鍵がかかり、ナイフは中に残されていた。
自殺とも考えられたが、背中からの一撃は、深く食い込み、とても自分でできることではない。
容疑者は三人もいるが、互いに犯行をなすりつけあい、悪口の言い合いになっているだけに、まったく要領が得ない。
何より、彼らは問題の部屋の合い鍵も、盗まれた「ソロモンの鍵」とやらも、持っている気配がないのだ。
それなのに、何故、現場も見ていないこいつに分かる?
また、怪しげな占いなどというんじゃなかろうな。
しかし、参考までに、聞いておくのは悪くない。証拠がなかろうが、この不思議な友人の言葉が、間違っていたことはないのだ…。
「で、誰なんだ!?」
「聞きたい?」
「当たり前だろ! 誰なんだ!
言っておくがな、妖魔のしわざなんて言ったら、ただじゃおかねぇぞ!」
喚く北斗に、飄々とした声が言った。
「おっと、料金、前払いだよ」
「な……っ、金取る気かよ。い、いくらだ?」
「お金じゃない。……今、その場で言ってくれればいいのさ」
「何を?」
「「愛してる」って。あ、ちゃんと僕の名前も言ってね」
「なっ…… 」
「あれ、嫌なの。そう、それじゃ、電話切るよ」
「ちょ、ちょっと待て!」
「じゃあ、言ってくれる?」
「ぐ……」
単なる嫌がらせだと分かっているだけに、とてもじゃないがうん、とは言えない。
こちらがこんなに葛藤しているのを、楽しんでいるのに決まっているのだ、あいつは。
しかし、いつまでも同じ現場でうろうろしているなど、自分の性分では我慢できない。
こんな、わけのわからない事件ではなおさらだ。
「わ、分かったよ。……」
「え、なーに、全然聞こえなーい」
「あ……よ」
「ちゃんと言ってよ」
「愛してるよ、鈴音! これでいいんだろ!!」
傍らで、死体の検分をしていた同僚が、びっくりして飛び上がるのが見えた。
ちくしょう。
***
本当に言ってくれた!
鈴音は、机に突っ伏して、声もなく笑いこけていた。
本当に、なんてきまじめなんだろう、この友人は。だから、ついからかいたくなるのだ。
きっと、一ヶ月くらいは、みんなから、相手は誰だと根堀り葉堀り問いただされることだろう。
ああ、楽しい。
「おい、こら! 笑ってないでちゃんと答えろ! 俺は約束守ったんだぞ!」
電話の向こうからの声に、鈴音はにじんだ涙をぬぐいつつ、やっとのことで答えた。
「ごめん、ごめん…。教えてあげる。犯人は、田柄の娘だよ。間違いない」
「なんだってぇ 」
「ソロモンの鍵を知らなかったのがいい証拠だよ。ソロモンの鍵っていうのはね、本物の鍵なんかじゃない。魔道書のことなんだ。その子は、部屋から鍵がなくなっているなんていったんだろう?」
「本…だって?」
「そう。占いや魔術に係わる者で、ソロモンの鍵を知らない者はいないよ。有名な「公的」な魔道書だからね。つまり、犯行をごまかすにしても、本物の鍵だなんて、他の三人なら言うわけがない。娘はソロモンの鍵のことを知らなくて、とっさにそんな嘘をついたんだ。…他の三人が「ソロモンの鍵」を探していたことを知っていて、嫌疑を向けようとしたんだろうけど…浅はかだねぇ。多分、「ソロモンの鍵」は田柄の部屋にまだあるよ。本は探さなかったでしょ」
「確かにそうだが……そうか、だから、あいつ……井原も様子がおかしかったのか。だけど、ちょっと待て、溺愛されていた娘が、父親を殺す動機は
」
「娘にはつきあっている男がいた……。おそらく、田柄はそれに気づいて娘を問いつめたんだと思うよ。娘の手についていたのは、痣じゃない。田柄が、娘を所有していることを示す烙印さ。△を重ねあわせた魔法陣は、金星の3の護符。天使モナキエルを呼び出し、自分の愛する者を手に入れる為のシンボルだよ。田柄は娘を溺愛していた。それこそ、愛玩動物みたいにね。誰にも渡す気はなかったろうさ。でも、娘には恋人ができた。怒った父親は彼女を殺そうとしたかも知れない。まぁ、正当防衛にせよ、ナイフを持っていたということは、最初から娘の方は父親を殺すつもりだったのかもね」
「じゃあ、鍵は? 密室は?」
「田柄が、自分で閉めたんだ。理由は二通り考えられる。……一つは、死を迎えるにあたって、娘への愛情がよみがえり、彼女を殺人犯という汚名から救おうとした。もう一つは、それ以上の攻撃を避けるために。僕は後者だと思うね。…相手を敵と見なした女は怖いよ。たとえ、父親だろうと、自分の邪魔をすると判断したら、容赦しない。特に田柄は彼女にとって、許し難い専制君主だっただろうから」
「……体験談か?」
「ふふん、どうかな。とにかく、田柄は恐ろしくなって、身を守る為に部屋に飛び込み、鍵をかけた。ところが、助けを呼ぼうにも外には娘がいる。部屋からは出られない。おそらく、電話線も切られて、外にも連絡できないようになっていただろうね。それで、哀れにも、失血死というわけ」
電話の向こうで、北斗が叫んだ。
取り押さえろ、逃がすな、という叱咤が交錯する。
部屋を数人が走り回る音、女の悲鳴、男の怒鳴り声。
唐突に、電話が切れて、発信音だけが残った。
くすくす笑いながら、鈴音は回線を切った。
きっと、当分の間、刑事の友人は、事情聴取とやらで大わらわだろう。
ほとぼりが冷めた頃、サンドウィッチでも差し入れてやろう。
「まったく、人間ってのは恐ろしいね。無実の「もの」に罪を押しつけようっていうんだから」
そういって、鈴音は電話がかかってくるまで読んでいた、大きな古びた黒表紙の本を手に、立ち上がった。
豊かな胸に、漆黒の髪がかかる。
邪魔そうにそれを後ろにはねのけ、彼女はその本を、暖炉の脇の書棚に大切にしまった。
窓の外に、大きな月が出ているのを見て、彼女は微笑む。
「人間の欲とわがままが、魔術を育てる。だけど、魔術自らが人間を動かすことはあり得ない。いつだって、人間が自分から闇に飛び込んでいくんだ。……知識もなく、使われる本の方が不幸なのにね。…もっとも、そんな奴のところに、「本物の本」が居着くわけもないけれど」
しまった本の背には、金の文字で「Glavigula
Salomonis」と書かれていた。
――それは、いうまでもなく、本物の「ソロモンの鍵」であった。
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