そして物語は紡がれる
教主国マラン・アサは、教主庁と軍事組織セクンダディの拠点という二つの顔がある。
所属する者たちの性質を反映してか、セクンダディ側は大衆的な料理屋や酒場が多く、逆に教主庁付近には洒落た静かな店が並ぶ。
最近は、組織の対立にこだわらず、店や地区を行き来する者も増えてはいたが、セクンダディ本部近くの料理店、大海老屋は、今もファルズフの隊員の姿が多かった。
「カデンツァくん、これ美味しいですよぉ」
「ただでさえ細いんだから、しっかり食え!」
浮かない表情の同僚に、フォルテとミラーズはしきりに料理を勧めるのだが、本人は力ない微笑みを返して首を横に振るばかり。
今はそっとしておいた方がいいか。
元気印の娘たちも、さすがに無理強いはできず、いつもに比べるとちょっと覇気のないどつきあいを始める。
机の上に並べられた皿が、空になり始めた頃。
「カデンツァ様。それは隊長が頼んだ酒では」
滅多に酒を飲まないカデンツァが手に取ったのは、かなり強い、火酒と呼ばれる類の物だった。
それを、ためらいもせずに、ぐーっと空けてしまった。
杯を下ろし、沈黙。
そのままひっくり返るのでは、と不安げな面々の前で。
すう、と大きく息を吸ったかと思うと、突然、下町の料理屋には不似合いな歌声が響きわたった。
古い讃美歌か、それとも教主庁に伝わる聖歌か。
確かな訓練を受けた者の、見事な発声だった。
賑やかだった酒場が、驚きと感嘆に静まり返る。
だが、ほんの数節で、ぴたり、と歌は止まった。
恐る恐る、ミラーズが問いかける。
「お、おい、カデンツァ、続きは?」
「カデンツァくん?」
フォルテが肩をつつくと、カデンツァはぱたりとテーブルに突っ伏してしまった。
「ね、寝てますぅっ!」
「さすがに荒れてんなぁ」
副長のつぶやきに、ミラーズが仰天する。
「今のって荒れてたのか!?」
普通の酔っぱらいとの、この落差は一体。
――アレーティアが去って以来、地上のソーマは極端に少なくなっている。
浮遊大陸ザインと、都市クレモナ、その二つの場所には長い年月を経て蓄積されたソーマが多く残されていたが、シルトクレーテ程の艦を何度も転移させては、いずれ食いつくしてしまう。
未だ見つからぬカデンツァの友人、エレオスの行方をつかめぬまま、第七中隊は、浮遊大陸を離れることになった。
クレモナへ転移するソーマゲートをできる限り残していくのが、彼らにできるせめてもの手段だった。
だが、地上と隔絶した世界に、一般人を置き去りにした事実は変わらない。
親友を連れ帰れなかったカデンツァの憔悴ぶりは、相当なものだった。
普段、笑みを絶やさないムードメーカーなだけに、皆が心配していた。
「私が後で連れて帰ろう。お前たち、先に戻っていいぞ」
「隊長、でも……」
「了解。行くぞ、お前ら」
「え、ちょっと、副長!」
(バカ、お前らが残ってたら、泣くに泣けないだろうが)
(――あ)
年長者なりの気の使い方なのだと知って、若い隊員たちも席を立つ。
「隊長、カデンツァ様をよろしくお願いいたします」
「ああ、すぐに戻るさ」
にぎやかな面々がいなくなると、急に音が消えたようになる。
しばらくして。
「隊長」
静けさに目が覚めたのか、カデンツァが口を開いた。
「エレオスは大丈夫ですよね」
「お前の親友なのだろう。信じてやれ」
「――はい」
また、すうと寝入ってしまう。
こぼれた涙は見なかったことにして、アインザッツは杯をぐいと空け、そして背後の者に声をかけた。
「無事だったか」
「……ザイン大陸からクレモナへの、ゲート設置の性格の悪さはなんだ? 凶暴なモンスターの近くにばかり置きやがって」
砂漠の隊商が着るような服を着込み、頭にはその地方の民が身につけるターバンに似た布を巻いた若者が、苦々しげに言った。
さらに残った布を顔から首にかけて大きくかけ、半ば顔を隠していたが、間違いなく教主庁の青年僧、エレオスだった。
「私に文句を言われても困る。あれはカデンツァの案だ」
「!?」
「アレーティアの件を少しでも覚えていれば、多分君は素直に戻ってこない。しかし、敵に追われて他に手段がなくなった時ならば、さすがにゲートを使うだろう、とな」
「〜〜〜っ!」
声もなく肩を落としたところを見ると、狙いは当たったようだ。
「カデンツァに会わずに行く気だったのか?」
「……一体どんな顔で会えと言うんだ」
教主国マラン・アサに戻ることが出来れば、そのまま教主庁に出頭するつもりだった。
だが、いざ着いてみると、友の無事な姿を見ておきたくなった。
一縷の望みを抱いて立ち寄った、ファルズフの気に入りの酒場。
目にするだけでいいと思っていたのに、予想外の懐かしい歌声を聴くことまで出来た。
もう思い残すことはない――はずなのに。
ファルズフの隊員たちが離れたのを見て、つい近づいてしまった自分の未練がましさが情けない。
「あれは君の意思ではなかった。自分の名すら覚えていない状態だったのだからな」
「そんなことは言い訳にはならない。覚えていなくとも、俺の能力が、奴らに利用されたのは事実だ。あの時、あんたたちに倒されていなければ、俺はこの手で……!」
教主庁での立場を失うことなどどうでもいい。
友を手にかけようとしたこと。
それが自分には許せない。
ザインの浜辺で目覚めた時、ベネスの繭以降のことは思い出せなかった。
だが、かすかに残るノイズのような記憶。
クレモナに入り、ヴィオラに無理を言って残っている映像を見せてもらい、自分が何をしたのかを知った。
普段の自分なら有り得ない言動。
しかし、あれは、先鋭化された本音でなかったと本当に言えるだろうか。
いがみあう教主庁とセクンダディなど、いっそなければいい。
共にあるために努力していた自分を、置いて行ってしまった友人など、いなくなってしまえばいいと。
心のどこかで考えたことはなかったか。
――それに。
「俺がマスターラバンを襲撃した記録が残っているはずだ」
それは、逃れられない事実。
セクンダディから証拠をつきつけられれば、教主庁は彼を下手人として突き出すだろう。
いや、ことを収めるために、処刑されるかもしれない。
「それについては、あまり心配することはないと思うがな」
アインザッツが、小さくつぶやいた。
「え?」
「さて、と」
ファルズフのきっての切れ者と噂の隊長は、ふいに立ち上がった。
「私は先に帰る。……夜中までに返しにきてくれ」
指さしたのは、他でもないカデンツァ。
「え、ちょ――!?」
ひらりと手を振って、アインザッツは店から出て行ってしまった。
先ほどまで、自分が連れ帰ると言っていた隊長が、部下を置いていくとは思ってもいなかった。
エレオスは、呆然とその背を見送ってしまう。
「エレオス……?」
傍らから聞こえた声に、心臓が跳ね上がる。
会いたくて、会いたくて、一番会いたくなかった友の声。
「よかった……! おかえり、エレオス!」
「――ただいま」
暖かいその手を、どうして振り払うことなどできるだろう。
――その後のカデンツァは凄かった。
泣くわ、笑うわ、歌うわ、からむわ。
一生分の酒癖の悪さを露呈したような。
こんな彼を見たことのないエレオスは、どうしたらよいのか分からず、うろたえるばかり。
(あいつ……こうなることが分かってて、押し付けやがったな!)
ようやくアインザッツがあっさり席を立った理由に気付いたが、もう遅い。
これでは放り出して去ることなどできないではないか。
それが、あの男の狙いであったことは、疑いようもない。
「ほら、しっかり歩け」
「……なんで地面が揺れてるのかなぁ?」
とぼけたことを言ってクスクス笑うカデンツァを連れて、停泊しているシルトクレーテにたどり着く。
「零時五分前。正確だな」
搭乗口で待っていたアインザッツが、薄く笑った。
「カデンツァの部屋はこっちだ」
――手伝う気はないんだ。
思わずため息。
部屋に着くなり、カデンツァは安心しきった顔で眠ってしまった。
別れの前に、笑顔を見ることができてよかった。
自分のしたことを考えれば、これほどの幸運は過ぎたものだ。
……これで、あきらめもつく。
立ち去ろうとしたエレオスは、ぐい、と引っ張られて驚いた。
見ると、カデンツァが彼の服をしっかり握りしめていた。
上着であれば、置いていくこともできるが。
これは、ちょっと。
様子を見ていたアインザッツが、さっさと踵を返した。
「仕方がない、宿泊を許そう。おやすみ」
「え、ちょ、待……っ!」
ここで、カデンツァと一緒に寝ろと!?
教主庁へ出頭しようと悲愴な決意をしているのに、さっきからなんなんだ、この展開は!
「言っておくが――我が艦で、不埒な真似をしたらどうなるか、分かっているな?」
アインザッツの両剣が一瞬半ばまで抜かれ、鋭い音を立てた。
扉が閉まった後も、後ろ首に刃を突き付けられているような感覚が残る。
――早く眠る努力をしよう。
だがしかし。
うっかり横を向けば、目の前には天使のような寝顔。
あわてて背を向けても、首に柔らかな吐息がかかる。
離れようにも、服をつかんだ手は、どうやっても緩まないと来ている。
(寝られるかぁ〜っ!)
ある意味、どんな拷問よりも過酷な夜だった。
* * *
「おはよう。よく眠れたかね?」
「はい!」
「全然……」
爽やかな笑顔と、眼の下に隈を作ったやつれた顔。
対照的な二人の返事に苦笑した後、アインザッツは部下に命じた。
「カデンツァ、エレオスと共に教主庁へ行き、状況を説明してきたまえ。できるな?」
「はい、隊長」
軽く敬礼して、カデンツァはエレオスの腕を取る。
「お、おい!?」
……捕らえられる姿など、見られたくないのに。
「いいから、いいから」
ためらうエレオスを、カデンツァはぐいぐいと引っ張っていく。
見慣れた教主庁。
歩いて行けるこの距離でいがみあっているのだから、人間とはなんと愚かなのだろう。
入り口に並ぶ、僧兵と見張りたち。
彼らは怪しい者を決して庁内に入れたりはしない。
しないはず……だ。
「おはよう。急ぎなんだ、通るね」
カデンツァの言葉は、問いかけですらなかった。
「あ、はい、どうぞ」
言われた方も、当たり前のように通してしまう。
何せ相手は、教主庁の第一僧兵隊分隊長であるエレオスと、セクンダディにいても、未だ教主の第一後継者と目されているカデンツァである。
二人が中に入ってしまってから、よかったのかな? と顔を見合わせていたが。
庁のきらびやかな通路を堂々と歩き、広間に入る。
「みんな、エレオスが戻ったよ!」
その声に、取次や事務の者たちが駆けつけてきた。
もちろんエレオスの部下たちも。
いつもしずしずと事に当たっているはずの教主庁は、行方不明になっていた友人の帰還に大騒ぎとなった。
喧噪を聞きつけた教主が、珍しく上階の間から姿を現した。
階下の旅装の青年を見下ろして、呟く。
「エレオス、お前か」
覚悟は出来ていると、自ら申し出ようとしたエレオスの前に、カデンツァが微笑んで立った。
「教主様。エレオスは調査現場で事故に遭った上に、ソーマ消失の影響でなかなか戻れなかったそうです。無事でよかったですね」
ね! とダメ押しされ、教主はしばらくの間、口をぱくぱくさせ、小さな目をしきりにしばたいていた。
何度か何かを言いかけ……結局あきらめたようだった。
「そうか、大儀であったな」
その後、小さなため息が漏れたのは聞き間違いではあるまい。
「エレオス、調査の報告は後で聞く。今日はゆっくりと休むがよい」
「あ、ありがとうございます……」
教主庁からは追放されるとばかり思っていた。
まさか、こんなにあっさりと放免されるとは。
友の口八丁おそるべし。
群がる野次馬たちの質問をふわふわとかわし、カデンツァは当然のようにエレオスの部屋に向かった。
……調査に出立した時と、少しも変わらない部屋。
お茶を飲みたいとねだられて、あわてて開いた棚にはほこり一つなく、留守の間もきちんと掃除されていたことを教えてくれる。
「カデンツァ、俺は――」
「大丈夫だよ、エレオス。今回の件は、双方共にあまり蒸し返されたくないことが多すぎる。セクンダディに君が来た記録は確かに残っているけど、それを公表するには、マスターラバンがしでかしたことを表沙汰にしなくちゃならない。――ただでさえ、ソーマの消失で大わらわなのに、それらを追求することに労力を割くのは、お互い得策じゃないだろう?」
なんでもないことのように、さらりと状況を告げる。
「ぼくの今日の任務は、教主とエレオスが、うっかり一般の人たちにばらしてしまうのを止めること、さ」
アインザッツが言っていたのは、これだったのか。
「……上の方では内密に交渉して、事実を共有しているけど、アレーティアのこと、マスターラバンのこと、ウンブラスのこと。これらは国家機密として封印される。いずれ真実は公表するべきだけど、今はその時じゃない」
教主は一連の事実を知っていたのだろう。
カデンツァに口を封じられ、なんとも言えぬ表情をしていたのを思い出して、少し気の毒になってくる。
ふわりと揺れる湯気と、柔らかな茶の香りを楽しみながら、ほんわかと笑うカデンツァ。
「ところで、両方の弱みを握ってるって、すごいと思わない?」
エレオスは、十数年後の未来、教主庁とセクンダディの双方を掌握しているのが、誰だか分かったような気がした。
END
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