諭の音 ―― 即興曲


「ファルズフの訓練生が?」
「そうそう、帰ってきてるって」
若い学僧たちのこそこそ話が聞こえてきた。
教主庁とセクンダディは、昔は一つの組織であったが、今は対立している。
その組織に関する話は、いわばご法度だ。
しかし、数か月前、この教主庁にいた者が一人、セクンダディへ志願し、今は戦闘部隊であるファルズフ入隊を目指して訓練生となっている。
ここにいた間の人望が高かったこともあり、前に比べるとセクンダディに関する噂がよく入るようになっていた。
訓練生たちは、各地でその地に応じた武器やソーマ術の扱いを叩きこまれているという。
その合間には、拠点であるこの教主国マラン・アサへ戻ってはいるとは聞いていたが……。
「おい、エレオス! いつもの店に――」
「悪い、今日は出かける!」
友人たちの声を振り切り、薄暗くなってきた街へ駆け出す。
訓練生たちが戻っているのなら、あいつも来ているのではないか。
噂を聞くたびに、こっそりセクンダディ側の店に立ち寄っていた。
これまで、一度も姿を見かけたことがないのは、よほど運が悪いのか。
セクンダディの人間がよく来ているという「大海老屋」。
中央でにぎやかに話……いや、喧嘩しながら、山盛りのエビつむりを平らげているのは、探している者と同じくらいの年齢の少女二人だった。
もしかしたら、彼を知っているだろうか?
「失礼、少し話を……」
思い切って、声をかけた途端、後ろで髪をくくった童顔の娘の方が叫んだ。
「……ほら見なさい、ミラーズ! あたしだってナンパされることはあるのよ!」
「けっ、フォルテを誘うなんて、どういう近眼だよ、兄さん」
「ナ、ナンパ!?」
とんでもない誤解をされたようだ。
「いや、俺はただ、カデンツァを知らないかと思って――」
慌てて否定し、聞きたかったことを尋ねる。
だが、フォルテと呼ばれた少女は、ふるふると拳を握り、許せぬ、という形相で叫んだ。
「男女の暴れん坊ミラーズはともかく、この可愛いフォルテちゃんというものがありながら、どーして皆、カデンツァ君、カデンツァ君って言うかな!」
「待ちやがれ、洗濯板胸の毒舌女が何言ってやがる!」
「なんですってぇ!?」
とうとう掴み合いの大ゲンカとなってしまった。
そういえば、机の上には空になった酒の杯が並んでいる。
この二人、すでに出来上がっていたらしい。
「ファルズフの連中だけならまだしも、教主庁の男まで……あー、もう、くやしー……」
酔ってはいても、エレオスの僧服には気づいていたらしい。
フォルテという娘は、それだけ言うのが限界だったのか、椅子ごとばたり、とひっくり返ってしまった。
なんとかエレオスが、頭だけは床で打たぬように支えたが。
……スカートがめくれあがった、あられもない姿。
「ぎゃはははは、フォルテの奴、さいてーっ!」
その様子に、もう一人はケタケタと笑っていたが、しばらくすると机に突っ伏して眠ってしまった。
――ええと。俺はどうしたら。
呆然と見守っていたエレオスは、とんとん、と肩を叩かれてはっと振り返った。
「兄ちゃん、この二人、ちゃんと送っていってくれよな?」
店の主人らしかった。
「え!? なんで俺が!?」
「話してたじゃないか。知り合いなんだろ?」
「今、会ったばかりですよ!」
「所属とか知らんのか?」
「セクンダディのファルズフの訓練生ということしか……」
「ほら、知ってるじゃないか」
じゃ、頼むわ、と言って、カウンターに戻ってしまう。
数分後。
完全に伸びた少女を背負い、なんとか歩けるもう一人の少女に肩を貸し、エレオスはセクンダディ本部へ向かっていた。
そこまで行けば、押しつけて帰れるだろう。
「なんで、こんなことに……」
自分はカデンツァに一目会いたかっただけなのに。
それにしても、こんなに会えないのは、避けられているのだろうか。
会いたがっているのは自分だけなのではと、正直不安になってくる。
すっかり気落ちしながらも、本部前に到着する。
教主庁に属する自分が、ここまで来ることは滅多にない。
入るのをためらっていた時。
「エレオス?」
聞きたかった声。
「なんでそんなことになってるんだい? ――ナンパ?」
「ち、ちがーーっ!」
「ごめん、そんなわけないよね、……同期が迷惑かけてすまなかった」
くすくすと笑いながら、本部に駆け込んで行く。
しばらくすると、知り合いらしい数人を連れて戻ってきた。
「フォルテとミラーズのこと、お願いします。ぼくは大事な用があるので、面倒みられなくて申し訳ありません」
手伝ってくれた者たちに、にこやかに礼を言い、振り返る。
「それじゃ、行こうか」
「今、大事な用があるって言ってなかったか?」
「君と話をするのが大事な用じゃなくて、他に何があるっていうのさ」
当り前のように取られた手を、振り払えるわけもなかった。

   * * *

「カデンツァだ」
「おかえり!」
「皆、ただいま!」
セクンダディに入ってから来にくくなったのでは、と思っていた教主庁の者が多く入る店。
考えすぎだった。
前と変わらぬ態度で接するカデンツァに、周りの者たちも同様に笑顔を返している。
エレオスに気づいた数人が、ほっとしたように寄ってきた。
「やっと捕まったか!」
「ほんと、何すねてんだよ」
「――は?」
「カデンツァは、マラン・アサに戻った日は、必ずこっちに顔出してたぜ? それなのに、そのたびにお前ったら、姿消しちまうから……」
自分は、わざわざセクンダディ側に行っていたのに。
カデンツァは、堂々と教主庁側の店に来ていたのか。
その上、周りに微妙に誤解されている。
そうだったのかい? とカデンツァが悲しそうな顔になった。
「ちがう! 俺は、お前がいるかと思って、あっちの店に……」
「ああ。それで、フォルテとミラーズを」
一を聞いて十を察するカデンツァは、たったそれだけですべて飲み込んで、笑顔に戻る。
「ありがとう、ずっと探してくれてたんだね」
何故、避けられているなどと思ってしまったのだろう。
彼は何も変わっていないのに
「怪我してないか? 訓練、辛くないか?」
「大丈夫だよ、エレオスは心配性だなぁ」
ファルズフについて話すカデンツァは、前よりも皆に親しまれているようだ。
本当は皆、同じ国、同じ地区にありながら、二つに分かれてしまったもう一つの組織のことに、興味深々なのだ。
カデンツァも心得ていて、機密に触れない程度の内情を、いろいろと教えてくれる。
聞き入っていたエレオスを、不意に隣にいた友人がつついた。
「そろそろ面白いものが見られるぜ」
「面白い?」
「ほら、来た」
護衛の供を連れた老人。
――教主!?
カツカツと杖をつきながら、かつて教主候補であった若者の前に立つ。
自分の意に添わなかった者へ、嫌味でも言いに来たのか?
それにしても、何故、周りは誰も驚いていない?
「よくも、おめおめと顔を出せたものだ」
「教主様、お久しぶりです」
「この不届き者が……!」
「お元気そうで何よりです」
「二度と、教主庁には足を踏み入れさせぬと……」
「言ってませんよね、勝手にしろって言っただけで」
だから、勝手にしてます、と笑うカデンツァ。
怒りに震える手で杖を振り上げようとする教主。
割って入ろうとしたエレオスを、友人たちが止めた。
――大丈夫だから、と笑いをこらえている。
からん、と杖が床に倒れた。
「いい加減、訓練が辛くなったであろう、さっさと戻って来ぬか!」
「いいえ、楽しいですよ。こちらでは習わないことばかりで」
「怪我をしておるではないか!」
指先に、小さな絆創膏をしているのを見て、それみたことかと叫ぶ。
「森の茂みで待機してる時に、草で切っただけですよ」
「森の茂み……草で切る……」
「きょ、教主様!」
眩暈を起こした老人を、おつきの者たちが慌てて支える。
「本より重いものなど持つこともないはずの教主候補が、なんたる……」
「どこの箱入り娘ですか、それ」
あはは、と笑うカデンツァの前で、教主は、今度は胸を押さえて苦しみ始めた。
「ううっ、カデンツァよ、私はこの通りもう長くない、早く戻って――」
「さっきお医者様に、百まで大丈夫だって太鼓判押されてましたよね?」
「うっ、何故それを……!」
――なんだ、この寸劇のような展開は。
「おい」
「ん?」
「もしかして、いつもこの調子か?」
「ああ、カデンツァが帰ってくるたび、教主の間から飛び出してきてるよ。意外とじじ馬鹿だったんだな」
教主様がなんだか身近になった、と周りの僧たちがこっそり笑い合っている。
結局、「貴方がいるから安心して勝手ができるんです」と笑顔で礼を言われ、教主はすごすごと戻って行った。
教主すら手玉に取る、友の口八丁、恐るべし。
というか、教主は全然あきらめていないではないか。
カデンツァは、教主庁を出る時に、こちらを切り捨てていくわけではないと言っていた。
確かにこの調子では、こちらとの繋ぎを生かしたまま、セクンダディに所属し続けることができるのではないか?
まさか、ゆくゆくは、教主庁とセクンダディの統合を狙っているのでは。
かつて、二つの組織が、そうであったように。
友の言動を見ていると、あながち夢物語ではないような気がしてくるのが恐ろしい。
「どうかした? エレオス」
「……我ながら、とんでもない奴に惚れ込んだと――いや、なんでもな……ぐえっ」
「エレオス君。今、何か聞き捨てならないことを言わなかったか」
「一人占め禁止」
友人たちに睨まれ、首を絞められ、一方的に「可愛がられている」友人を見て。
「エレオスは人気者だね」
カデンツァは嬉しそうに微笑んだ。

END




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