かがり火を片手に ――奇想曲(カプリツィオ)
「まさか本当に雪山遭難とはね」
緊迫感の欠片もなく、カデンツァが笑った。
雪洞の奥まったところに、焚き火用の枯れ枝を置き、ヴェルトがうなずく。
「長老から状況報告聞くだけで、半日かかるとは思いませんでしたから」
ゾーリャ村の住人たちの安否を確認した後、調査のメンバーはその日のうちに彼らの組織へ戻る予定だった。
暗くなる前に麓へ下りるつもりだったのだが。
長老の実にゆったりとした上にぐるぐる回る話が、冬眠に近い症状によるものなのか、単に年寄りの長話なのか。
判断がつかぬまま、夕暮れになってしまった。
急いでプックルに飛んでもらったものの、突然の吹雪に見舞われた。
「プックルは鳥目なんだから仕方ないよ」
「くっくる」
洞窟の隅で、プックルが面目なさそうに縮こまっている。
急に暗くなったことに驚いたプックルは、麓までかなりある中腹に下りてしまった。
すぐそばに、村へ向かう途中の雪洞があったのは幸いだった。
今夜は夜明かしして、明日下山することで合意する。
無理をして、本当に遭難しては目も当てられない。
「最初からディアナ女史のところへ行くべきだったな」
「母さんのところに顔出したら、同じ話を5分でまとめてくれましたもんね」
とは言っても、彼女も夕方まで出かけていたのだから結果は同じだっただろう。
「今回は、女性をお連れしないでよかったです」
雪洞で夜明かしするのは辛いでしょうから、と思いやりを見せる教主庁の青年僧に、ジャディスが同意した。
「特にグラナーダが居たら大変だっただろうな。カデンツァをこんなところで過ごさせるとは! って」
――そちらですか。
教主庁の部下たちは呆れるが、エレオスとファルズフのメンバーは普通にうなずいている。
「彼女なら、原因になった者に責任を取らせるだろう」
アインザッツの言葉に、長老が焚き火の薪にされている様子がまざまざと浮かんだ。
木人は、ソーマ消失の影響よりも、人為的な絶滅の危機に瀕していたのかもしれない。
「ところで」
焚き火に当たりながら、カデンツァが楽しそうに言った。
「雪山遭難と言えば、やっぱりあれだよね」
「あ、あれって?」
とっさにエレオスが何を想像したかは聞いてはいけない。
カデンツァがこそっと指差した先では、ファルズフの副長がうつらうつらしている。
隣にいたアインザッツがきらりと目を光らせたかと思うと、がつ、とばかりに襟首をつかみ上げ、平手打ちを食らわせた。
「ジャディス! 寝るな! 寝たら死ぬぞ!!」
「た、隊長、もう起き……ぐふっ、ましたからっ! ふぎゃっ!」
――そっちか。
起こすだけであれば他にいくらでも方法はある。
それに、雪洞とは言っても、風の入らないくぼ地は、火を焚けばそれなりに暖かい。
眠った程度で凍死する心配も無い。
……やってみたかっただけ、としか思えない。
不安そうに自分たちを見たエレオスに、部下が苦笑する。
「我々よりも、そちらに気をつけた方が」
その視線を追って振り返ってみると。
目をきらきらさせている友人がいた。
「カデンツァ、そんな期待に満ちた目で見ないでくれ……」
この一見おとなしそうな友人が、見かけによらず力が強いことは、誰よりもよく知っている。
今夜は絶対に眠るものかと決意を新たにしたのだった。
***
火のはぜる音の合間に、異音が混じった。
洞窟の入口周辺に仕掛けたセンサーの反応。
すでに明け方。
たき火のまわりで、隊員たちは寝入っている。
一瞬の警戒音で目を開けた二人を除いては。
「……どちらだと思う?」
エレオスの問いに、アインザッツが答える。
「さて。どちらでもないという可能性もあるな」
アレーティアが邪神であり続けてくれないと困る人間は多い。
教主庁はもとより、セクンダディにも、一般人にも。
事実を知った一部には、今のうちなら、真実を封印できる……と考える者も確かに存在するのだった。
雪洞から出てすぐの、雪に覆われた茂みに潜み、気配を探る。
「四、五人というところか」
「なめられたものだな。――俺一人で十分だ」
「任せよう」
傍らから気配が消えた。
辺りはわずかに吹雪き始めている。
白い闇と激しい風の中では、下手に複数で動けば同士討ちになる危険も高くなる。
外から近づく気配は、じわりと範囲を狭めている。
だが、それらが洞窟の入り口にたどり着く前に、殴打音と隠し切れなかった呻き声が続けざまに上がった。
しばらくして。
彼らのリーダーらしき者が、洞窟の前に投げ出された。
顔を上げた男は、自分が捕らえられたことよりも、相手のコートの襟元に見えるのが教主庁の制服であることに驚いているようだ。
「教主庁に属するものが、人を殺すのか!?」
「……お前らは俺たちを殺すつもりなのに、こちらは手を出すなと?」
面白い冗談でも聞いたかのように、エレオスは苦笑する。
「思い違いをするな。表に立つ者の手を汚させないために、俺たちがいるんだ」
必要とあらば、自らが手を下すことも厭わない。
それが、自分の信念に見合うものであれば。
「俺たちをここで始末して、それをファルズフと教主庁の争いによるものと見せかけるつもりだったとしたら」
ひどく冷徹で無感情な声。
「お前たちは『最初からここにいなかった』」
――だから、いなくなっても騒ぐ者はいない。
乾いた銃声。
静まり返った雪原の上で、それはひどく軽く響いた。
とても、人の命を奪うものとは思えないほどに。
雪の中に倒れたのは、人形のよう。
立ち尽くした残りの者たちに、銃口が向けられる。
――ふいに、風が止んだ。
あわただしい足音。
洞窟から駆け出してきた者たちが持った松明の炎に、緊迫した場が照らし出される。
「エレオス!」
「こいつらを生きて返すメリットはない」
「だめだ、止めてくれ!」
「……それは命令か?」
「――お願いだよ」
命令であれば、組織として上に立つ者でなくてはならない。
暗に、教主庁へ戻るかという問いを、カデンツァはかわす。
相変わらず、ずるい。
軽い舌打ち。
だが引き金は引かれず、代わりにカデンツァが、立ち尽くす者たちの前に進み出た。
「我々がここから戻らなかったら、残った仲間たちに、アレーティアとビジターの真実を、即時公開するよう頼んであります。そのくらい、準備していないとでも思いましたか?」
その言葉に、明らかに動揺が走る。
それが本当であれば、彼らの行動は望まぬ事態を早めることにしかならない。
「我々を害することは、あなた方の依頼者のためにもなりません」
ですから、とカデンツァが続けた。
「退いてください」
静かな、しかし、逆らえぬ言葉。
何故この穏やかな口調に気圧されるのか、いぶかしむように彼らは動けないまま、視線を交わす。
そこに、
「さっさと失せろ!」
銃声と共に、鋭い恫喝が放たれた。
跳ね上がるように男たちが駆け出す。
残されたのは、いくつもの足跡と……。
「隊長――」
倒れた人間と自分たちの隊長を見比べ、彼らは信じられない、という表情をしている。
僧兵隊に属していても、彼らが行動するのは前線ではなく、研究優先であった。
頭では理解していても、実際に人を殺める場に直面するなど考えたこともなかったのだ。
しかも、手を下したのは。
「できればお前たちに、こんな姿は見せたくなかったな」
自嘲気味に言われ、やはりこれは現実なのだと、改めて息を呑む。
「エレオス、貴様……」
怒りに手を震わせて、ジャディスが呻いた。
「ファルズフは甘い。禍根は断つべきだ」
「だ、だからって、なにも殺さなくたって!」
つかみかかろうとしたヴェルトの足元に、銃弾が打ち込まれた。
あわてて跳びすさり、剣を引き抜くヴェルト。
「てめぇ!」
ジャディスも大斧を構えた。
教主庁の僧兵たちは、うろたえながらも慣れぬ短剣や短銃を抜く。
ついさっきまで、なごやかとは言わぬまでも、たまに笑顔を交わすこともあったのに。
――何故、こんなことに。
やはり、長きに渡って対立し続けてきた組織が手を組むことには無理があったのか。
いつの間にか雪は止み、耳に痛いほどの静けさが訪れる。
どちらかが動けば、また誰かが雪に倒れるだろうと思われた、その時。
雰囲気に合わぬ、小さな笑い声が響いた。
「エレオス、ちょっと遊びすぎ」
いつもと変わらぬカデンツァの声。
「「え?」」
拍子抜けしたジャディスとヴェルトが、構えた武器の重みに体勢を崩す。
「早く洞窟に入れてあげないと、その人、顔が凍傷になっちゃうよ」
「……それくらい思い知らせてもいいと思うんだがな」
あっさりと銃を下ろすと、エレオスは倒れた男の襟首を乱暴につかんだ。
そのまま、ずるずると引きずっていく。
たった今まで武器を突きつけ合っていたファルズフには、もう目も向けない。
「「え?」」」
状況がつかめない隊員たちが、それぞれの隊長を見る。
ただ分かるのは。
死んだ人間は、凍傷になることも、洞窟に入れる必要も、ないということだ。
「うちの隊員は素直なんだ。あまりからかわないでやってくれ」
「素直? 単純の間違いだろ」
軽く肩をすくめて返された言葉。
「「「「「えーーー!?」」」」」
単純だったのは、第七の者だけではなかったらしい。
「さ、さっき、ヴェルトを撃ったのは――!?」
喚くジャディスの隣で、足元の銃弾の跡に、銀色の欠片を見つけてヴェルトが拾い上げる。
「盗聴器……?」
「ファルズフと教主庁は、相変わらず犬猿の仲と思わせておいた方が、今後も動きやすいからな」
まだ呆然としている者たちに、アインザッツが種を明かす。
恐らく先ほどの連中は、立ち去った後も彼らの様子を伺っていたはずだ。
成り行きに聞き耳を立て、双方に犠牲者が出れば自分たちの目的は半ば達成された、と判断してくれればしめたもの。
「ま、まさか、ゾーリャを出るのが夕方になったのも……」
「プックルが途中で降りちゃったのも……」
ようやくいくつか思い当たることに気づいたジャディスとヴェルトが、豆鉄砲でも食らったような顔で呟く。
洞窟に入る直前、カデンツァは申し訳なさそうな笑顔で、エレオスは面倒そうな不機嫌な顔で、振り返った。
「そろそろどこかが動く頃だと思って、誘いをかけてみたんだ」
「お前ら、もう少し腹芸ってものを理解できるようになっておけ」
でなければ、狐と狸が化かしあう世界を渡っていくことなど出来ないのだから。
二人の姿が消えてしばらくして。
「風邪をひくぞ」
アインザッツに背を叩かれて、残された者たちはようやく我に返ったのだった。
***
「「この根性曲がり、性格わるっ!」」
「「「隊長っ、信じてましたーーーっ!!」」」
朝になるまで、片側からは責められ、片側からは涙を流さんばかりに安堵と喜びの言葉を聞かされ、背後からくすくすと笑い続けられ。
エレオスは、今回は少しやりすぎたらしいと反省した。
おわり
----------------------------------------------------------------------
朝方、うっかりうとうとした隙に、カデンツァに膝枕されたところを写真に撮られたようです。
だまされた人たちの、ちょっとした仕返し。
アインザッツ隊長やカデンツァも参加していたのに、なぜか彼らは恨まれないようで。
TOP/
小説