雨夜の月
真夜中になってもまだ書類に向かおうとするのを、有無を言わさず抱きすくめ、灯りを消した。
部屋に呼んでおいて、誘ってるとしか思えない甘い香りをさせている方が悪い。
人界にいてもなお、日焼け一つしない磁器のように白く、すべらかな肌。
目元から耳へ、頬から首すじへ、唇を伝わせる。
たちまち呼吸は切ない喘ぎに変わる。
全身から放たれる、甘い芳香。
麻薬にも似た匂いに、かろうじて保っていた理性さえ突き崩されて。
指をうなじに沿わせ、髪をすくい……さらに唇を求める。
上気して火照る身体が、壊れそうなほど震えている。
白い喉。乱れる髪。こぼれ落ちる吐息。
腕がおびえながらも、背中へ回っていく。
頑ななだった拒絶もやがて解け、受け入れる。
時折、消え入りそうな嗚咽がもれる。
そのたびに、全身から涼やかな木の気が滲むようにあふれる。
息が乱れ、悲鳴へと高まり、細い身体が折れそうなほど反り返る。
最後の声が、きらめく気と入り交じって弾け飛ぶ。
逆流する火と木の気が、融け、絡み合う。
……愛しい……守りたい。
欲しかったものは、この手の中にある。
*
身体を重ねる時、彼は絶対に押さえつけたりしない。
自由にされた腕は、行き場を失って結局彼の背を求める。
慣れた愛撫は少し哀しいけれど、少なくとも今、その手は自分だけのもの。
時折吹きかけられる吐息にさえ、全身が粟立ち、ぞくぞくする。
意識が混濁する頃になると、彼が僕の中に入りこむ。
その瞬間は、どこかに逃げ出したくなるような怖れを感じるけれど。
直に、どこまでが自分の身体なのかも分からなくなる。
全身を突き抜ける甘い痛みと痺れ。
目の前を、どうしようもないほどの眩みが走る。
声にさえならない、かすれた呻きがこぼれ落ちていく。
全身を満たす快楽に、押し流されてしまう。
……切ない……暖かい。
この人を失いたくない。
*
「天化……?」
隣にいたはずの人は、身を起こして外の気配を探っていた。気を張り詰めて。
皆はあまり気づいていないけれど。
敵が近い場所に陣を張った夜、天化はほとんど眠らずにいる。
普通の兵の見張りでは、道士の夜襲には対処できない、と。
……代わりに、余裕のある昼間によく眠っているので、さぼり魔と思われているのがちょっと気の毒だ。
「今日は大丈夫だよ」
「そうだな……冷っ!」
もう一度引き寄せようとして、驚く。
「お前なぁ、なんでこの状況で、お前の方が冷たいんだ!?」
「なんでって言われても……」
「お前は石か、氷か!? こういう場合は、普通、寝てた方が「温めてやる」って言うもんだろ」
「そうなの?」
「そうなの!」
天化はぶつぶつ文句を言いながら相手を抱きすくめる。
ようやく、互いの身体が温まった頃。
ずっと聞こうと思っていたことを口に出した。
「お前、どうして俺に抱かれてもいいと思ったんだ?」
初めてその身体に触れた時、太公望は心が砕けてしまいそうになっていた。
それを乗り越えたのは、確かに自分がいたからだと自負してはいたが。
気が弱くなっている時につけこんだことには多少引け目を感じていた。
それに、頼るものを探してすがっただけなのなら。
鬱から脱すれば、支えに対する思いなどたちまち薄れてしまう。
自分はその程度の存在なのか、それとも。
「どうしてって……」
触れてしまうことで、変わるのを怖れていた、その素直な目。
それはただの杞憂だった。
太公望は何も変わらない。今もまっすぐで、純粋で、綺麗だ。
「それは、やっぱり……」
「やっぱり?」
「寒かったから」
頭の上に、岩が落ちてきたような気がした。
「おい……」
「天化ってあったかいし」
「あのな……」
「僕冷え性だし」
「……」
それでは、自分でなくてもよかったのでは。
下手をすると、犬でも猫でも。
「じゃ、天化はどうして」
「え?」
いきなり聞き返されて、言葉が出てこない。
「そ、それは……」
「それは?」
「寒かったからかな」
他に答えようが無くて。
笑っている相手に、不機嫌に天化は背を向けた。
*
拗ねて背を向けた天化に、太公望は心の中でこっそり呟く。
凍りがちな心を解かしてくれるのは、この世界にたった一人だけ。
けれど、自分にだけそれを言わせようなんてズルイ。
絶対に、言ってやらない。
……天化の方から言ってくれるまでは。
口元に微笑を残したまま、太公望は温かい背に頬を寄せ、目を閉じた。
END
雨夜の月:あまよのつき
存在しても見えないもののこと。
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封神演義編