「水竜の滝」
修行中の道士だろうか。
滝に打たれていたのか、全身ずぶ濡れの姿。
肩にかかる栗色の長い髪。
布が体に張り付き、くっきりと浮き出た立派な体格は、武人のようにも見えた。
その視線が、いきなりこちらを向いた。
「す、すいません、邪魔するつもりでは……」
あわてて頭を下げる太公望。行の最中に邪魔をしてしまったとすれば、怒られても仕方がない。
近づいてくる気配。
頭の上から、声が降ってきた。
「何言ってんだ、あんた」
聞き覚えのある声に、びっくりして顔を上げる。
「その声……天化っ!?」
「――見て分からなかったのか?」
「ご、ごめんっ、だって上着着てないし、髪も下ろしてるし……」
言い訳する太公望に、思いっきりため息をついて天化は背を向けた。
「ああ、よーく分かったよ。あんたが俺のことを、服と髪型で見分けてたってなぁ」
「天化ーっ」
「で、あんたは、なんでここに来たんだ?」
別に怒っているようではなかった。いつものそっけない声。
ちょっとほっとして答える。
「村の人たちが、日照りで困ってるって言ってたのが気になって。こんなに近くに滝があるのに、旱魃(かんばつ)だなんてどうしてかな、と」
「まぁ、考えることは同じだな」
天化が指差したのは、滝壷だった。大量の水が上から落ちてくる。
「よく視てみろ」
太公望は、示されるままに滝壷を覗き込もうとする。そのまま落ちそうになって、襟をつかまれた。
「その見るじゃなくてだな……」
「あ、そっか」
言われて、あわてて目を閉じ、精神を集中する。
「何か……底の方に、すごい水の『気』が……」
「水竜。この滝の主だ」
平然と言ってのける天化に太公望は驚いた。
「水竜? それなら、なおさらどうして日照りなんて」
水竜が住み着いた地域は水が豊かだ。空を翔ければ雨になる。暴れれば水害が起こる。しかし、旱魃など……。
「滝の内側の洞窟に、妖魔がいる。それで、竜が出てこれなくなっているんだ」
「妖魔!」
「『金』の妖魔だ。『火』の俺ならすぐ倒せる程度だと思うんだが……。近くまで行ってみたんだが、よりによって水竜の奴が、俺を敵と勘違いしやがった。妖魔に邪魔されて苛立っているんだろうが、どうにも手が出せねぇ」
そして、その攻撃をくらって、ずぶ濡れになったのだろう。よく無事でいたものだ。
『火』と『水』では、どうしても火の方が分が悪い。それでも、天化なら力でねじ伏せてしまうかもしれない。
もっとも、下手に戦闘になって、万が一水竜を倒してしまったとしたら……本末転倒だ。この辺りの日照りは一層ひどくなることになる。
なんとか、妖魔だけを退治しなくては。
しばらく考えてから、太公望はぽん、と手を打った。
「僕がおとりになろう」
「はぁ?」
「『金』の妖魔なら、水竜よりも『木』の僕に食いついてくると思う。滝の奥から出てくれば、倒せるよね?」
「バカ、そんな危険なこと誰が大将にさせるか!」
「……『火』の君が水竜と勝負するほど無謀じゃないと思うけど。それに、明日にはここを発たなくてはならないし」
「う……」
「妖魔を倒す自信はあるんだろう?」
「……まあな」
「じゃあ、早く」
「……」
天化は気が進まなかった。自分一人ならなんとでもなる。だが、こいつが関わるとなると……。
しかし、他に方法も思いつかない。
「仕方ねぇ。無茶するんじゃねぇぞ。妖魔が現れたら、すぐに隠れておけ」
「分かった。頼りにしてるから」
明るく手を振り、迷いもなく滝に向かう。
その背に絶対の信頼を感じて、天化の方が戸惑う。
何故こいつはこんなにも、他人を信用できるのだろう? よりによって、自分を認めないと言い切った男に対して。
そんな思いも知らず、太公望は水辺を前にして、優雅に趺坐(ふざ)する。
途端に、離れていても伝わってくるほどの『木』の気が、その体を覆った。陽炎のように、向こうの景色が揺らいで見える。
「すげえな、さすがは元始天尊様の直弟子……お、出たな」
滝に隠れた洞窟の中から、小さな虫のようなものが、ざわざわと這い出してきている。岩や辺りの木々を伝い、太公望に近づいてくる。
「バカ、もういい、避けろ!」
それらが一群の固まりとなり一斉に襲い掛かろうとした時、ようやく太公望は目を開き、手にしていた扇子を打ち振った。
それは、打神鞭の技の応用だったのかもしれない。
巻き起こった風が、目の前に来ていた雲霞のような群れを叩き落す。
「天化、あと頼む!」
「上出来だ、向こう行ってな!」
水竜さえいなければ、こっちのものだ。火の気をまとわせた剣の一振りで大群が消える。
だが……。
「くそ、きりがねぇ……」
一体どこから現れるのか、消えたそばから次から次に湧いて出る。隙をくぐってきた破片のようなものが触れるたびに、切り裂くような傷ができる。
「本体を叩かないとだめか、畜生、どこだ!?」
「天化、後ろ!」
黒い影が集まり、人の形を作る。
目の前に現われたのは、自分だった。
いくら修行をしても取り除くことの出来ない、心の奥底の闇。
それが形を取ったように見えた。
水竜ほどの幻獣が動けなくなっていたのは、これのせいか。
自分自身――これほど嫌な相手はいない。
「ただの幻だ、惑わされるな!」
凛とした声が、呪縛を破った。
人影に見えたものは、黒いかけらの塊と化した。
その時、皆が何故この一見頼りない軍師を大将と認めるのか、分かったような気がした。
迷いが生じた時に、まっすぐに行き先を導いてくれる声。
それに人は自然に惹かれるのだ。
たとえ、本人に自覚がないとしても、確かにそれは人の上に立つ者が持つべきものだった。
「朱雀剣!」
『金』は『火』に弱い。
四神の力を借りた業火に、時を経て力を持っただけの妖魔が太刀打ちできるわけもなかった。
カラン、と音を立てて、太公望の足元に黒い塊が落ちる。
「これ……?」
拾い上げて、まじまじと覗き込もうとするのを、天化はあわてて取り上げる。もう妖気は残っていないとはいえ、万が一ということがある。こいつが取り込まれたりしたら、水竜よりやっかいだ。
「元は鏡だな。誰かが、呪いをかけてここに放り込んだのに、妖気がたまったんだろう」
「げに恐ろしきは人の念……だね」
「まったく……げっ、水竜!」
背後に異常に高まった『水』の気が現われた。
白銀のうろこを持った水の幻獣。嫌っていた妖魔の気配が消えたので、出てきたのか。まっすぐにこちらを睨んでいる。
もし暴走するようなら、この水竜も抑えなくてはいけない。でないと今度は水害が起きかねない。
『水』が相手では分が悪いが、このままでは、隣のボケも巻き込まれる。
「待って、天化」
剣を構えようとするのを押さえて、太公望は竜の前に飛び出した。
「バカ、よせ!」
「水竜よ、我々は敵ではない!」
その言葉が分かったのか、攻撃体勢に入っていた竜は動きを止めた。少し不思議そうな目で、自分の前に駆け出してきた小さな生き物を見つめる。
「妖魔はもういない。水の主よ、もう自由に空を翔けなさい」
優しく言って聞かせる様子をさらにじっと眺めたあと、ふいにその視線が上に向いた。
音としては聞こえない凄まじい咆哮が響き渡った。振動が大地を震わせる。
それは、束縛を解かれた歓喜の叫びだった。
一陣の突風と共に、白銀の姿が宙に舞う。
「……昇ったな」
「うん」
その姿が雲に消えるまで見送って、太公望は振り返り、にこりと笑った。
「ありがとう、と言ってたよ」
「あんた、竜の言葉が分かるのかよ」
「まぁ、なんとなく」
こっちも人間離れしてやがる。
心のうちでため息をつく天化。
まぁ、このくらいでないと、対妖魔軍の大将などやっていられまい。
「これで、日照りも治まるよ。――わ!」
派手な落雷と共に降り始めた雨は、今まで押さえていた分を丸ごとひっくり返したような土砂降りとなった。
恐らくこの辺りは、旱魃とは無縁の豊かな土地になるだろう。
その後、半日以上本陣を空けた上に、濡れ鼠となって戻ってきた二人のことが、ひとしきり噂になり、また嬋玉を泣かせていた。
END
五行について、ちょっと真面目に書いてみました。
封神ゲームでは、そんなもの無視して、ばしばし戦ってしまったので……。
(天化は強すぎて、水の存在忘れてました)
『土』のことがかけなかったのが残念。
TOP/小説/
オリジナル設定編