「樹魔」
「いい風だね」
「まぁな」
手入れをしている剣が、陽光に煌いている。
太公望は、木を挟んで反対側に腰をおろした。
主に、天化が傍らにいるのは戦闘時。ぼけっとするなとか、ひっこんでろとか、言われ放題だ。
そうでなくても、飛虎殿との親子喧嘩や、那咤との怒鳴りあいと、賑やかなことこの上ない。
こうして、怒鳴り声を聞かずに側にいるのは初めてかもしれない。
何をするわけでもなく、穏やかに流れていく時間。
仙道の修行をしている時は、いつもこんな感じだったのに。
随分長いこと、緊張を解くことを忘れていたような気がする。
本当は、明日の打ち合わせのために本陣に戻るよう、声をかけにきたのだが。
少しくらい、いいか。
太公望は、梢が風に揺れる音を聞きながら、目を閉じた。
剣の手入れを終えて、天化は後ろに声をかけた。
「いいのか、こんなところに居て。嬋玉辺りが探してるんじゃないか」
俺を巻き込むな。
という意味を含めて言ってみたが、返事がない。
目をやると、すでに太公望は柔らかい草の上に転がって、寝息を立てていた。
「おい、こんなところで寝ると風邪ひくぞ!」
あきれて軽く怒鳴ってみたが、起きそうにない。
普段、周りに気を使ってできる限り気合を入れているようだが、その反動だろうか。
安心しきった寝顔。
この様子では当分起きそうにない。
風は少し冷たさを増している。
やれやれ、と立ち上がり、上着を脱いで掛けてやった。
ちょっと剣の稽古でもしてくるか。
丘のどこからでもここはよく見える。
磨き上げたばかりの剣を一振りして、天化はその場を離れた。
*
天祥は、太公望を探していた。
昼過ぎくらいから、誰も見ていないという。
そういえば、兄の姿もない。こちらは、そう珍しくもないのだが……。
そろそろ日が落ちる。
皆が慌て始める前に、場所くらいは確認しておかないと。
探し人は意外とすぐに見つかった。
陣からそれほど離れていない、見晴らしのよい丘の木の下に、風に揺れる白い布が見えた。
倒れているのかと思い、慌てて駆け寄る。
顔を覗き込んでほっとする。眠っているだけだった。無防備な寝顔。
柔らかい草の上で、ちょっと体を丸めるようにして眠っている様子は、幼い子供のようだった。
「よく寝てる。よっぽど疲れてるんだなぁ」
それにしても、こんなところで一人とはあまりに無用心ではないか?
もし、妖魔でも現れたら……。
その時、天祥は彼に掛けられた服に見覚えがあることに気づいた。
「これ、兄上の上着だ。じゃあ、兄上もこの辺に……」
なるほど、軍一の剣の使い手がそばにいれば、安心もするだろう。
太公望が兄をそれだけ信頼してくれているのがすごく嬉しかった。
そして、兄の方も、なんだかんだ言いながらも、この軍師を大切にしている。本当に嫌っていれば、服を貸すどころか蹴飛ばして起こすだろうから。
兄が、眠っている太公望を一人にして離れるはずがない。そう遠くないところにいるに決まってる。
丘の一帯を見渡すと……。
いた。
一丁(約100メートル)ほど向こうの大木の下。
愛用の剣を構えている。
何かを狙っているわけではなく、鍛錬のための精神統一。
ふいに、キィ……ン、と空気が凍ったように感じた。
強い風。舞い落ちる木の葉。
剣を……振り下ろす。
周りに舞っていた葉が、一つ残らず粉々に砕け散った。
剣が触れたのではなく、裂帛の気合だけで。
息を詰めていた天祥が、感動のため息をつく。
「すごい……やっぱり、兄上ってすごいや」
仙人の弟子であるというだけでもすごいのに、剣術を極め、仙界一という宝剣を自在に使いこなす。
自分もいつか、あんな風になれるのだろうか。
天化が再び剣を構える。
もう一回やるのかな?
天祥は身を乗り出して夢中で見つめる。
――ところが、今度はなかなか風が吹かない。
一分もしないうちに痺れを切らしたのか、天化は剣を下ろすなり、大木に蹴りを入れた。
途端に、梢に溜まっていた落ち葉が、どっとその上に落ちた。
中にイガでも混じっていたのか、何か喚いている。
もう剣の鍛錬どころではなさそうだ。
「……せっかく……格好よかったのに……」
がっくりと肩を落とす天祥。
こういうところは、真似しないでおこう。
すでに気づいていたのか、天化は剣を収めてこちらに歩き始めた。体中にかかった葉を払いながら。
着いた途端、いきなり太公望の腰の辺りに軽く蹴りを入れる。
「なんだ、まだ寝てんのか。おら、いいかげん起きろ」
あ、と天祥は頭を抱えた。
自分は来ない方がよかったかもしれない。
間違いなく兄は、人の目があると太公望を必要以上に邪険に扱う。
「ふぁ……もう朝?」
「もう夜だ、ボケ」
さらに蹴飛ばされそうになって慌てて起き、かけてくれていた上着に気づいて、笑顔で礼を言う。
「……嬋玉がうるさそうだ。戻るぞ」
完全に無視して行ってしまう天化に、天祥と太公望はこっそり顔を見合わせて、くすりと笑いあった。
**
「おい、何かいるぞ。莫邪が反応してる」
チリチリと鞘鳴りしている、妖魔の気配を敏感に感じ取る仙界の剣。
本陣まであとわずかの、左右を潅木に覆われた小道。
茂みの隙間から、それらしい場所を見つけて天祥が二人を呼んだ。
「あんなところに、女の子がいます」
小さな空き地になっているところに小さな泉がある。そのほとりに、七、八歳くらいの少女がいた。大きな瓶を抱えている。不安そうに辺りを見回しながら、水を汲もうと膝をついた時、その背後の茂みがざわりと揺れた。
茂みの中から、黒い影が現われる。
いや、茂み自体が動き出したのだ。
異様な気配に振り返った少女が、悲鳴をあげる。
するすると枝が伸び、少女の手足を捕らえる。その手から、瓶が落ちた。
「あっ、太公望さん!」
走り出した太公望が、少女にまとわりついた枝を打神鞭で切り払う。
しかし、少女を抱き上げた太公望の周りに、妖気をまとった蔓が大地を破って現われた。
弓を構えたものの、天祥は戸惑った。自分の技では、敵の一部しか倒せない。四方を囲まれた二人を無傷で助けるのは難しい。
兄は何故駆けつけないのだろう。愛剣を鞘から抜いたものの、まるで何かを待っているかのように、その場から動かない。
揺らめいていた枝が、一斉に二人に襲い掛かる!
その時、
「行け、朱雀!」
剣の一閃と共に、炎が吹き上がった。
中空に現われる、鮮やかな紅蓮をまとった幻獣。咆哮と共に、敵に向かって舞い降りる。
朱雀の攻撃は大地をえぐり、たちまち妖魔が炎に包まれる。
四聖獣の放つ業火に取りまかれても、少女をしっかり抱きしめたまま、太公望は微動だにしない。
穏やかな微笑すら浮かべて、涼やかな視線をまっすぐに、その技を放った者へ向けている。
炎の巻き起こす風に、髪の乱れるに任せている様子がとても綺麗に見えて、天祥は見とれてしまった。
火が消えた頃には、妖魔の末端である枝と茂みは、すっかり灰になっていた。
「……ったく、妖気に反応して普通の樹木まで変質してやがる。やっかいだな」
てっきり太公望を怒鳴りつけるとばかり思っていた兄が、そのまま妖魔本体を探しに行ってしまったのがちょっと意外だった。
さっきは目線すら合わせる暇もなかったと思うのだが、もしかして……?
「太公望さん、いつのまに打ち合わせてたんですか?」
「え、なんのこと?」
「だって今、わざとおとりになったんでしょう? 兄も、分かってて取り囲まれるのを待っていたみたいだし……」
「うーん、慣れかなぁ。戦場では、どうしても敵は僕を狙ってくるからね、よく取り囲まれちゃうんだ。それでよく天化に助けてもらってる。だから今回も大丈夫かな、なんて」
危ないのは自分なのに、仲間の援護を当てにして飛び込んでしまうなんて。
少し、兄がいつも怒鳴りまくっている気持ちが分かったような気がした。
「でも、怖くありません? あの朱雀が上から飛びかかってくるでしょう? 兄の技だとは分かってても、ちょっと……」
「大丈夫だよ。天化の朱雀が、僕を傷つけることなんてありえないから」
無邪気なまでの、絶対の信頼。
ああ、そうか。
天祥は納得した。
あれだけ怒鳴りながらも、兄が何故最優先でこの人を護ってしまうのか。
多分、他の人たちも同じなのだろう。
こんなにも自分を信じてくれる人を、放っておけるわけがない。
いつか、自分もこんな風に言ってもらえるといいな。
もうすでに、十分その資格を持っていることに気づかないまま、天祥は憧れのため息をついた。
***
「お母さんが、水を飲みたいって言ったの。でも、村の井戸は枯れちゃって……。この泉は危ないって言われてたんだけど、病気によく効くって聞いてたから……」
「ここの妖魔はもう倒したから、もう水を汲んでも大丈夫だって村の人たちにも言っておいて。――お母さん、よくなるといいね。気をつけて帰りなさい」
「はい、道士様、ありがとうございます」
瓶を抱きしめて、少女が駆け出していく。
「おい、いいのかよ。今、水に仙薬を入れただろう」
「少しだけだ。あの子に免じて見逃してよ。……あとは、残った妖気を払拭しておかないとね」
泉の前で、太公望はふわりと座った。
目を閉じて、何か唱え始めると、その周りに『木』の気がたちこめた。たちまち、辺りの気が浄化されていく。
澄んだ空気に影響されて、ここは妖魔には近寄りがたい霊泉となるに違いない。
「こういうのは、あいつ向きだな」
「太公望さん、なんだか景色に溶け込んでるみたいですごく綺麗です」
「まがりなりにも仙道だ。いまだに信じられんが、あの元始天尊様の直弟子だし、自然の気に合わせるのは得意中の得意だろ」
「兄上には……ちょっと似合わないかも」
「けっ、悪かったな。どうせ、俺は岩山での修行の方が似合ってるよ」
頭を小突こうとする手を避けて、天祥はそっと耳打ちする。
「太公望さんがね、兄上の朱雀が自分を傷つけることは絶対にないって」
「ああ? そんなの当たり前だろう。まぁ、髪の一本や二本は焦がしてるかもしれないがな」
「でも、僕だったら、どんなに兄上を信じてても、あの朱雀の炎に取り囲まれたらちょっと怖いです。だって、ちょっと触れたら一瞬で黒コゲですもん。すごく信頼されてるんですよ」
「慣れだよ、慣れ。最初はあいつも、真ん中でおたおたしてたぜ。じっとしてりゃいいのに、よく裾を焦がして……」
「あれは、天化の狙いがちょっと狂ってたんじゃないか。最初のうちは、結構怖かったんだからね」
「なんだとぉ?」
気色ばむ兄を押さえて、天祥は二人の手を取った。
「もう暗いですよ。早く本陣に帰りましょう。 ――僕、本当に兄上と太公望さんのこと、大好きです!」
だからケンカしないでくださいね。
そう言ったつもりだったのに、こいつと同じ程度なのかと兄につっこまれ、天祥は本陣に戻るまで、言い訳に追われる羽目になった。
END
しっかり者の天祥君を書いてみたかったのです。
兄上には可愛がられている分、気苦労が多そうで(笑)。
朱雀剣がお気に入りなのは、仲間が中心にいても、敵だけを倒してくれるから。
相当、剣の使い手の技術が高いんだろなぁと思ってました(笑)。
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