「桃宴」
満開の桃。
甘い香りが漂う。
この世の桃源郷。
けれど、その片隅に、死の匂いがこびりついていた。
*
「何者だ!」
果敢に槍を構える衛兵に、少々恫喝を込めて答える。
「武成王、黄飛虎が息子、黄天化だ」
黄家の名を出すのは正直嫌だったが、朝歌の名門の威光はてきめんだった。あわてて兵士たちは武器を下ろし、敬礼する。
「こ、これは失礼いたしました」
「ここに道士がこなかったか?」
「先ほど、お一人おいでになりました。花を見たいと……」
「やっぱりあいつだな。……すまん、通してくれ」
先ほど通った仙人然とした道士と、この武人としか思えない若者が知り合いというのがなんとなく信じられず、兵士たちはぽかんとしてその姿を見送ってしまった。
朝歌は春だった。
戦いが終わり、新しい王を迎えて、世は沸き立っている。
新しい時代が始まる。
それを祝うかのように、都中の桃が満開を迎えていた。
中でも王家所有の桃園は数百の桃が並び立つ。
花びらが風にひらひらと舞い踊り、極楽浄土の様相だ。
太公望が旅立ちを告げて去ってから半刻。
もうとっくに都を出ただろう、今ごろどこに向かっているやらと考えていた時だった。
突然、桃の香りが強くなった。
風向きかとも思ったが、周りは誰も気づいていないらしい。
これは、人間界と仙界の間に漂う香りだ。どこかに、ほころびが出来ている。
桃の精霊が、うかれてさまよっているだけならいい。
仙術も知らない普通の人間が、その辺りに迷い込んだら、戻って来れなくなることがある。
いわゆる神隠しだ。
……これだけ強い気を放っているのでは、つられる人間もいるだろう。
放っておくわけにはいくまい。
そして匂いを辿った先に、予想した人物の気配を感じたのだった。
いた。
桃園の奥、満開の花の下。ただ一本、花をつけていない木の下で、瞑想している道士が一人。
「まだ、こんなところにいやがったか、まったくトロくせえ奴」
その頭上に枝を広げる桃園一の大木。枯れているわけではないのに、蕾は固く閉じたままだ。
根元から漂う死霊の気配。
桃は浄化の力が強いが、それ以上の穢れに触れるとそれを取り込んでしまう。
樹は花をつけず、実を結ぶこともなく。それだけでなく、周りの木々にさえ、穢れを振りまくようになる。
こうなると、切って燃やすしかない。
太公望は、やはり気配に気づいたものの、そうするには忍びなく、原因を探っているのだろう。
夢とうつつの狭間に意識だけを送り込んで。
非常に危険な術だ。中で何かあれば戻って来れないかもしれないのに。
「このお人よしめ。……仕方ねぇ、つきあうか」
その隣にどかっと腰をおろし、目を閉じる。
探すのに時間がかかるかと思ったが、桃の香りが行き先を示した。
やはり、この桃園の他の木々が、救いを求めて力のある者を呼んでいたのだ。
目を開けると、一面の桃の花が咲き乱れていた。先ほどとあまり変わらない景色のような気がするが、俗世の気配がまったくしない。
(やけにあっさり入ったな。あいつが先に通って、道ができてるのか。……お)
賑やかな子供の声がする。
桃色のひらひらした衣をまとった子供たちに取り巻かれているのは……太公望。
「おい!」
「あれ、天化? どうしてここに」
「あれ、じゃねぇよ。とっくに朝歌を出てったかと思えば、こんなところでモタモタしてやがる。……で、どうなってるんだ? そろそろ外にも影響が出てるぞ。さっさと片付けろ」
「うーん、僕もそうしたいのは山々なんだけど…」
「そんなにやっかいなのか?」
「肝心のあの木が見つからなくて」
……やっぱりトロくせぇ。
心のうちで毒づいて、辺りを見回す。
どこを向いても、桃色の花の渦。確かに、今来た方向すら見失いそうだ。その上、
「あにさま、あにさま、遊んでくれるですか?」
何も知らない無邪気な幼い精霊たちが、しきりに取り囲んで裾をひっぱる。
子供に甘い太公望は、これに時間を食っていたのだろう。
「悪いな、子供の遊びは分からん。……一番の年長者はどこだ?」
「あねさま、あっち」
「一緒に行くです」
精霊たちが我先にと走り出す。彼らの導くまま進んだ先に、一際大きな桃の木があった。先ほど、外界で見たのと同じ、立派な枝振りにも関わらず、一つの花も咲かせていない大樹。
「すごい、すぐに見つかったね」
「あの木は桃園の主みたいなもんだからな。だからこそ、狙われたんだろう」
木の根元から、息苦しくなるほどの瘴気が噴出している。
深く染み付いた死穢の気配。
何者かが、木の下に何かを埋めたのだ。
「あねさま、起きないです」
「あねさま、どうしたでしょう」
なんの疑いもなく走り寄ろうとする精霊たちを、太公望があわてて引きとめる。
両手がふさがったところを狙ったかのように、桃の木の下から黒い影が吹き上がった。
「!」
突進してきた気配に、天化は後ろを庇い、剣を構えた。
莫邪の発する剣気が、死霊の攻撃と交錯する。
ぎゃいん!
鈍い悲鳴を上げて、死霊が弾き飛ばされる。
「今のは、犬?」
「本体は一匹だが、それに死霊が何十体も集まってるぞ。これは……」
桃の木の前に立ちふさがる、一匹の巨大な犬。
精霊たちを逃がし、太公望も打神鞭を構える。
「これはまさか……犬を使った蠱毒(こどく)?」
「どこのどいつだが知らねぇが、とんでもねぇ外法を使いやがる!」
蠱毒とは、動物を何十匹も一つの部屋に閉じこめて共食いさせ、生き残った物を使って呪う相手に厄災を生じさせる法術である。死んだ動物の憎悪と生き残った物の生命力の強さを利用するのだ。
「この様子じゃ、途中で術者が死んでるな。死霊が対象を見失って暴走してやがる」
「ひどい……」
恨みと怨念の集合体。行き場を失った怨嗟の慟哭。
凄まじいまでの怒りと嘆きが渦巻いている。
「あんまりだ、こんなのって……」
打神鞭を下ろし、太公望は天化が止める間もなく犬の前に走り出した。
「お前のせいじゃない。お前たちは何も悪くない! やめるんだ、恨んで関係のないものを巻き添えにしても、何か変わらない、お前たちが苦しむばかりだ!」
必死の叫びも、怨霊と化した魔物には通じない。
肩に食いこむ牙。鮮血が噴出す。
「!」
莫邪宝剣を使おうとする天化を、太公望は目線だけで止める。その強い意思に、天化は剣を振り下ろすのをためらう。
傷を負いながらも太公望は動かない。
「お前たちは、ここにいてはいけない。お前たちの方が犠牲者なんだ。恨みを解いて、どうか、転生の正しい流れに入りなさい。勝手な人間を……許してくれ――」
はらはらと、魔犬の姿に降りかかる雫。
太公望の涙がかかるたびに、一つ、二つ……魂が浄化され、舞いあがって行く。
……そして、最後に彼の腕の中に残ったのは、震えている小さな子犬だけだった。
恐らくは、閉じ込められた時に、小さかったために見逃されて生き残ったのだろう。
だが、そのために周りの怨嗟と憎悪を一身に受けた。
「辛かっただろう……お前も、行きなさい」
願わくば、次は幸福な地に生れ落ちることを。
くぅ……ん。
子犬は、太公望の手を舐め、ふわりと姿を消した。
桃の大樹の下から瘴気が消えたことを確認し、天化が怒鳴る。
「おい、怪我は!?」
「大丈夫だよ、これは現実ではないんだから。ほら、傷なんかないだろう?」
噛みつかれていたはずの肩を示す。
確かに、さっき食い裂かれ、血が噴出していたはずの場所は元に戻っている。
ここでの出来事は、イメージの具現化なのだ。
しかし、天化は重く息を吐いた。
「だからって、なんて無茶をしやがる。魂魄を傷つけられたら、本体も死ぬんだぞ」
「分かってるけど……放って置けなかったんだ」
「……ったく、こんなやり方じゃ、いつか死ぬぜ……」
「ごめん、今度から気をつける」
信用できねぇ。
にこりと笑う太公望に、天化はため息をつく。きっとこのお人よしは何度でも同じことをするだろう。
「まぁいい、さっさと戻るぞ」
「うん、でもその前に――」
太公望は、静かにたたずむ桃の木に歩み寄った。
***
いつまでたっても戻ってこない道士二人を心配し、兵士たちは桃園の中を巡回していた。そして、予想通りの場所で彼らを見つけた。
もう誰も近づこうとしなかった桃園の主。
呪いを受けたのか、花をつけず、それだけでなく近寄っただけで恐ろしい気配を感じると噂されている木だった。
二人の道士は、ぴくりとも動かずにその下に座っている。
起こすべきだろうか。
だが、瞑想中の道士に声をかけるのは良くないような気もする。
兵士たちがためらいがちに様子を見ていると、ふいに精悍な顔だちの道士の方が、ぱちりと目を開くなり、立ちあがった。
そして、いきなり隣の道士の襟元をつかみあげ、怒鳴りつける。
「このボケ道士! 夢の中で寝るんじゃねぇ! 戻ってこれなくなるだろうが!!」
兵士たちが飛びあがるような大喝。
それを受けて、ようやくもう一人の目がうっすらと開いた。
「うーん……あ、天化、おはよう」
「おはよう、じゃねぇよ、まったく。何をもたもたして……」
「――おおっ!」
兵士たちの驚きの声に顔を上げると、桃の木が姿を変えていた。
固く閉じていた蕾が、みるみるうちに花をほころばせていく。
「お前、こいつに『気』を分けたな?」
「ちょっとだけだよ。来年まで咲けないのは可哀相じゃないか。綺麗だね」
「……まぁな」
桃園一の大樹は、礼を言うかのように、二人の上にしきりに花びらを舞わせていた。
***
朝歌、大正門前。
旅立つ人、都に入る人で賑わっている。
戦いからわずかな期間で、人の流れは着実に戻ってきている。
「それじゃ、今度こそ……さよなら。元気で」
「朝歌にはまた来るんだろう」
「もちろんだよ。ここが僕の新しい出発点だから」
「……それじゃ、挨拶が違うだろうが」
その言葉に、太公望はちょっと考え、気がついてにこりと笑った。
「行ってきます」
「じゃあな。がんばれよ」
そっけなく言って、振り返りもせずに去って行く背中をしばらく見送り、太公望も歩き始めた。
自分が作り出した、新しい道に向かって。
****
道は分かれた。
けれどもまた重なることもあるだろう。
この満開の花の下で。
END
「いたずらの報い」はこの後の話になってしまうので、
花の季節を待たずに再会しちゃってますな(笑)。
最後の天化のセリフは、ゲームをやった人なら分かると思いますが
「西遊記」の炳霊公が去る時の言葉です。
いや、あの人のセリフって最高で……。さすが、元天化♪
桃の精霊たちの口調も、「西遊記」の桜の精霊たちに似せてみました。
TOP/小説/
封神演義編