「月光水晶」

月が冴え冴えとした夜には気をつけなさい。
銀の光に磨かれて、心が研ぎ澄まされる。
人の心を切り裂く刃のように。

*

戦いを終えて剣を鞘に収めた後、天化は足元で何かが光ったのに気づいた。
拾い上げてみると、それは曇り一つない、鶏卵ほどの大きさの水晶だった。
(綺麗だな)
嬋玉か公主あたりが喜ぶだろう。
そう考えて、天化は無造作にそれを袂に放り込んだ。
仙道の身でありながら、地上のものに心惹かれた。――その時すでに、彼は術中に堕ちていたのかもしれない。

本陣に戻った頃から、天化の様子が変わった。
苛々して落ち着かず、なんでもないことで近くにいる者に怒鳴る。
普段、口調は荒くてもどこか皮肉げな、軽い調子が混ざっていたのに、今は鋭さばかりが目立つ。
「兄上、一体どうしたんです? 兄上!」
「うるせぇ!」
心配し、理由を聞こうと取りすがる天祥を乱暴に払いのけるに至って、周りの者もさすがに様子がおかしいことに気づいた。
「ねぇ、太公望さん、なんかヘンだわ。天化は、自分より弱いものに手を上げることなんて、絶対無いはずよ。それなのに、よりによって一番可愛がってる天祥を……」
「うん、確かめた方がよさそうだね。僕が行ってくる」
「え、ちょっと一人じゃ危ないわよ!」
「大丈夫だよ」
ひらひらと手を振って、太公望は天化の後を追った。

***

「天化、ちょっといいかい?」
探し人は、草に埋もれて寝転がり、月を見上げていた。
太公望はその隣に腰を下ろす。
「あんた、なんで封神計画なんかやってるんだ?」
「え?」
いきなり尋ねられて、太公望は戸惑う。
だが、別に返事を期待されていたわけではないようだ。
「決められた天命なんかに従って、上の言いなりに動いているだけじゃないか。本当は嫌なんだろう? やめちまえよ、こんなこと」
これは……天化の言葉だろうか?
もっと気楽にやれと言われたことはある。しっかりしろと発破をかけられたことは数知れず。けれど、やめろと言われたことはない。
何故なら、封神計画が人間界にとって必要であることを、同じ道士である天化が誰よりも分かっているからだ。
「でも、僕はみんなのために……」
「それだよ。その考え方が気に食わねぇんだ。何が人の為だ。この偽善者が。自分の為にしたいことはないのかよ」
「それは――」
「これから先、もっと強い敵がごろごろしてる。仲間も大勢死ぬだろう。俺たちを駒として見れないあんたは、きっと直に壊れちまう。それなら、いっそ……」
いきなり、ぐいと引き倒され、首に手がかかった。
がっしりとした、武人の指。
太公望の力では、まったく動かない。
「今、俺が楽にしてやるよ」
口元に薄い笑いすら浮かべて、ゆっくりと締め上げる。
その袖元で、月に照らされて、銀の光が煌いた。獲物を欲する魔性の輝き。
「……なるほど、月光水晶――か」
苦しい息の中、それでも太公望は、友人を変えた原因が分かったことに安心していた。
「石如きに、天化は渡さないよ。幻惑術、昏倒! ――白虎襲!」
転がり落ちた水晶に、打神鞭を振り下ろす。
美しい魔性の石は、月の光を振りまきながら砕け散った。

****

天化は、しばらくぼんやりと月を見上げた後、ようやく誰かに膝枕されていることに気づいた。起き上がろうとしたが、身体に力が入らない。
その「誰か」は眠ってでもいるのか、目を閉じたまま動かない。
月の光に照らされた横顔は、いつもよりも白く、蒼ざめて見える。
ふいに、その目が開いた。深い紫の瞳。
「やぁ、気がついた?」
いつもと変わらぬ穏やかな笑顔。
「その……悪かったな」
その言葉に、太公望は目線を空に向け、手のひらを広げてみる。
「おい、何してる」
「天化が謝るなんて、雨でも降るかと」
「あのな、俺だって悪いと思えばちゃんと……」
怒鳴りかけて、相手がわざとちゃかしたことに気づく。
「……ったく、あんなものに踊らされるとは、俺も修行が足りねぇ」
「月の光は人を惑わせる。それが結晶した月光水晶ならなおさらね。今まで相当の人の魂を取り込んできたんだろう。あんな見事な結晶は初めて見た。天化のせいじゃないよ」
どう慰められても、自分の言ったこと、したことは覚えている。
それが、どんなに相手を傷つけるものだったかということも。
「先鋭化されていたとはいえ、あれが俺の本音だったことは確かだ。俺のこと、信用できなくなっただろう」
「別に。言われたことは間違ってはいないし……僕を心配してのことだったのは分かってるから。――ありがとう」
殺そうとして、礼を言われるのもなんだかな。
天化は心のうちで嘆息する。
「自分の為にしたいことはないのかって言ったよね。人間界が平安になること。皆が無事でいること。それが僕の望みだ。人の為にやっているように見えても、本当は自分の為にやってる。だから……心配いらないよ」
「……あんたらしいよ。――あの石」
ようやく動くようになった手を、月にかざしてみる。冷たく輝く満月は、拾った水晶に良く似ていた。
「もし拾っていたのがあんただったら、どうなってたんだろうな」
「さぁね。でもその時は君が助けてくれるだろう?」
だから大丈夫。
明るい笑い声が、月の光に反射して散った。

END


えー、今回のテーマは「太公望が天化を助ける」です。
うちの太公望は、天化に助けられてばかりなので、たまには逆もいいかと。
天化の暴走ついでに、一部の方ご期待のシーンを書いてみようかと思ったのですが(おい)、下手なことすると、大将に一生頭が上がらなくなりそうなのでやめました(笑)。


TOP/小説/封神演義編