「帰るべき所」


敵の乾坤術・大陥没を受けて、太公望の立っていた崖が崩れた。
礫の一つが当たり、意識を失った太公望はそのまま落下する。
下に広がる千尋の谷。
「太公望!」
一番近くにいた天化が、岩を蹴ってその身体を捕まえる。しかし、足場を失った以上、共に落下するだけの状況に変わりはない。
「天化!」
「太公望さんっ、兄上ーっ!」
一瞬にして、二人の姿が仲間たちの視界から消えた。

このままでは二人共、地面に衝突して絶命してしまう。
何か方法は。
目前に迫る地上。荒れた岩場は、突き立った槍に近い。
「気功術――発勁!」
発せられた気が、大地を砕く。その反動の気流が、二人の落下速度を緩めた。だが、弾かれるようにして別の岩場に叩きつけられる。
「く……」
起き上がろうとしたが、激痛が走る。
「ちくしょう、どこか折れたか……おい、太公望! ――死んでんじゃないだろうな、それじゃ俺が怪我した意味がないだろうが、おい!」
腕の中で、動かない身体。
「生きてる……よな。そのうち誰かが探しにくる――死ぬんじゃねぇ……ぞ」
頬に触れて暖かいことを確認し、天化は意識を手放した。

*

「う……いたた……」
見慣れない岩だらけの景色。
「天化!?」
傍らに倒れている友人。最後にその声を聞いたような気がする。
天化の道士服が血に染まっている。
一番出血の多いところを探ってみると、鋭く尖った岩に、脇腹をざっくりと切り裂かれていた。
「安命術――完治!」
得意の治療術。しかし、傷はふさがっても、流れた血は戻らない。
このままでは……。
「天化、しっかり! 目を開けてくれ!」
悲鳴のような叫びが、誰もいない岩場にむなしく木霊した。

**

「ここは――?」
静かな場所だった。目の前には穏やかな川が流れている。その向こう岸にいる人々に、見覚えがあった。
「母上!? 天禄、天爵! それに、伯父上たち……」
それは確かに、数年前に別れた家族たちだった。
この程度の川なら、歩いて渡れる。
流れに足を入れた時、子供たちと話していた女性が顔を上げた。
天化に気づき……叫ぶ。
「この親不孝者!」
いきなり怒鳴られて、天化は川に一足踏み込んだところで立ち止まった。
「自分のやるべきことを残したまま、どうしてここに来たのです! それでも黄家の長男ですか!」
凛とした声に、はっと我に返る。
「そうか、ここは――」
黄泉の入り口。
ここにいるのは、もう現世にはいない人々。
「まだ間に合います。早く戻りなさい!」
きつい口調。しかし、どこか優しい、懐かしい声。
厳しいばかりの父の側に立ちながらも、あの頃、母は自分のことを分かってくれていた。
家を出たときも、恐らく、今も。
「戻ると言ってもどこに行ったらいいのか……」
辺りは似たような景色が続いている。自分がどこから来たのかすら分からない。
ここを離れても、きっと迷うだけだろう。
すでに、自分の魂魄は身体から離れてしまっているのではないのか?
その時、聞き覚えのある声が聞こえた。
(……化、天化!)
あれは――。
「ほら、呼んでいるわ。お前はまだ必要とされているのでしょう? さ、戻りなさい。もう道が分かるはずです」
「そうするよ。あのバカ置いて、まだ死ねないしな」
歩き出そうとして、ふと振り返る。
「なぁ、母上。俺は、修行に明け暮れて、母上たちが殺された時に間に合わなかった。俺は自分のしたことは後悔はしないようにしているが、それだけが……」
自分では納得したつもりで心のうちにしまっていた悔恨。恐らく、生涯唯一の。
「あれは私の天命でした。お父様が間に合わなかったのです。誰も、どうすることもできなかったことですよ」
「でも、もし俺が家に残っていれば……」
「剣の修行をしていないお前がいたからといって、何が変わったでしょう。過ぎたことを悔やむのはお止めなさい。お前を恨んでなどいません。……天化、お前が道士になって、今お父様と共に戦っていることを、誇りに思います」
「母上――」
「さ、行きなさい」
「兄上、さよなら」
「会えて嬉しかったです」
本当は天祥よりも大きいはずの弟たち。自分が覚えている幼い姿だった。
「ああ。それじゃあ……またな」
その場を離れようとして、天化はもう一度振り返った。
「何か皆に伝えることはあるかい?」
「天祥には「お前が立派に成長してくれて嬉しい」と。お父様には……そうね、「私がいなくなったからって浮気したら許さない」と」
天化がコケる。
確かにこれは、自分の母親だ。間違いない。
「わ、わかった。伝えるよ」
「天化。お前はお前の道を進みなさい。天祥とお父様を頼んだわよ。私はいつでも見守ってます……」
ふいに辺りの景色が霞んだ。
川の流れの音はもう聞こえない。
天化はまっすぐ、自分を呼んでいた声の方に歩き始めた。

***

目覚めた時、そこは見慣れた天幕の中だった。
体温が落ちて全身が冷たく感じたが、右手だけが暖かい。
そちらを見やると、疲れ果て、やつれた顔が目に入った。
さきほどまで術を使っていたらしい太公望が、両手で祈るようにしっかりと手を握っていた。
「大将がなんてツラしてんだよ」
声をかけると、その目が、ぱっと開いた。
「天化! 気が付いたんだ、良かった……」
大きな目が、一気に潤む。
「天化が死んだら……どうしようかと――っ」
「お、おい! いい歳して泣くんじゃねぇ!」
怒鳴られても、今までこらえていた涙が止まらない。
頬をぽろぽろと雫が転がり落ちる。
決して、他の仲間たちには見せない弱気な一面。
「……ったく、あんたがそんなじゃ、置いて逝けるわけないだろうが」
「そうか……それじゃ、僕はこのままでいいや」
「あのなぁ――おい?」
いきなり、ぽて、と太公望が布団に突っ伏した。
そのまま動かない。
髪をひっぱってみたが、反応なし。
――熟睡している。
「失礼します。今、天化殿の声が……」
天幕に入ってきたのは楊センだった。
「天化殿! 気がつかれましたか!」
「楊セン。ここはどこだ? あれからどれくらい経っている?」
「二日です。陣は動いていません。太公望殿が、天化殿が目覚めるまではどうしても動きたくない、とおっしゃったので。もちろん、我々もそのつもりでしたが」
昏々と眠りに落ちている太公望を見て楊センはくすりと笑った。
「――二日間、つきっきりでしたから、気が抜けたんでしょう。休むよう言っても、どうしても代わってくれなかったんですよ。よほど心配だったのですね」
「自分のせいで俺が怪我したと思っちまったんだろう。それに俺がいないと、この軍は戦力的にヤバいからな」
「まぁ、それもあるでしょうけど……今日はお二人共ゆっくり休んでください。話は明日にしましょう」
「おい、「これ」、このままにしておくつもりか?」
「ここの方がゆっくり眠れるでしょうから。嬋玉さんは食い止めておきますよ。まさか、ケガ人のところに押しかけたりはしないでしょう。では、おやすみなさい」
太公望に毛布をかけて、止める間もなく出て行ってしまった。
嬋玉にイヤミを言われるような状況は避けたいのだが。
(ちょっとくらい、我慢するか)
太公望のあんな顔を見られるのは自分だけの特権だから。
「明日から、またしっかり頼むぜ、大将」
子供のように眠っている頬をつつくと、小さなくしゃみで返事があった。


おまけ:

天化「(他のところは、弟子が瀕死の時にそれぞれの師匠が駆けつけてたのに)師匠は俺が危なくても来てくれなかったんですね」
道徳「私は太乙や玉鼎みたいに、治療の術は得意じゃないから、行っても無駄かと思って」
天化「……」
道徳「……」
天化「死なないように気をつけます」
道徳「ああ、そうしてくれ(ニッコリ)」

END


今回のテーマは「太公望を泣かせてみよう」。
うちのししょーは滅多に涙は見せそうにないので、天化に犠牲になってもらいました(おい)。
お母様は、強くて優しいイメージです。(ついでにちょっと天然ボケ。……太公望似?)
光栄小説の最後の方で紂王に祟ってたのが忘れられなくて。
あの飛虎殿の奥さん、天化の母上ですもんね。

おまけ。今回べた甘になって照れくさかったので、道徳様にお越しいただいて場をなごませてもらいました。(笑)


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