「雪月華」
人の踏み込めない土地がいつしか清浄な気を発し、仙人界に近い「場」となることがある。
これを小蓬莱という。
甘い香りに誘われて、太公望は一人陣を抜け、崖下の楽園に来ていた。
月下に咲き乱れる花々。
その奥に、見事な大樹があった。
月明かりに、銀色に煌くような実がたくさんなっている。
蜘蛛の巣のように美しい網目を描いているのが花だろう。
実から漂う匂いにひかれて、太公望は一つを手にとり、口に運んだ。
*
「こんなところで寝るんじゃねぇ。風邪ひくぞ」
ほえ、と太公望は目を開いた。いつのまにか眠っていたらしい。
起き上がろうとするが、何故か身体に力が入らない。
「あれ、なんか力が抜けて……」
「立てないのか? おい、しっかりしろよ」
まだ寝ぼけてるのかとあきれつつ、両腕をつかんでひょいと抱え起こす。
(こいつ、こんなに華奢だったっけか? それに声も……)
月明かりの下では人の顔の線も細く見えがちだが、それにしても、いつもよりやけに柔らかい顔だちではないか?
ぐい、と天化は太公望の襟をひっぱって、胸元を覗き込んだ。
「何をするっ……」
喚きかけた太公望も、つられて自分の身体に目をやり、絶句する。
「わあっ!?」
叫んだのは太公望の方だった。
天化はすでに、1丈(約3メートル)ほど後方に飛びのいている。
「なんでお前、女になってんだよ! 呪泉郷の娘溺泉にでも落ちたかっ!?(注:らんま1/2)」
「し、知らないよっ、僕は何も……」
「お前な、何もしないでこんなことになるわけないだろ? よーく考えてみろ。陣に踏み込んで呪いにかかったか、何かに取り憑かれたか、ヘンなもんでも食ったか……」
「ヘンなもの……」
はっと太公望は思い出す。甘い香りのあの実。
「心当たりあるんだな!?」
「あれを、食べたけど……」
指し示す先には、大きな木。月明かりに白く浮かび上がる丸い実が鈴なりになっている。
天化は、触らぬように用心しつつ、その実や蜘蛛の糸のようにふわふわとした花を眺める。
実際に見たことはなかったが、師匠に習った知識の中に、近いものがあった。
「これは……雪月華?」
「雪月華って、確か女の人が食べるとすごく綺麗になる効果があるっていうアレ? でも、あれは仙人界にしかないんじゃなかったっけ?」
「ここは小蓬莱だ。たまたま種が流れ着いて根付いちまったんだろ」
「で、でも、どうして僕が――」
「男が食べたって話は聞いたことねぇな。色気を出す実なんか、あえて食おうとは思わんし。お前「木」属性だから、過剰反応しちまったんじゃないか?」
「そ、そんなっ。……そうだ、一種の呪いかも! 安命術、快癒! ……あれ?」
術が効かなかったのではなく、術自体が現われなかった。あわてて、他の術を色々と試す太公望。だが、どれ一つとして手ごたえがない。
「道術が――使えないっ?」
「そういえば、陰陽の違いで、男と女では修行の仕方が違うとか聞いたことがあるな……」
「まさか、修行のやり直し!?」
5年の苦労が……。
「なんとか、直し方を探すしかなさそうだな。……拾い食いなんかするからだ、ボケ」
罵られても、さすがに今日は言い返せない。
太公望は、膝を抱えてその場に座り込んでしまった。
**
時間がたてば、効果が消えるかもしれない。
しかしこのまま本陣に戻るわけにもいかず、二人は小蓬莱の花に埋もれ、他愛もない話をして時間をつぶした。
修行中の苦労話に、師匠の愚痴、兄弟弟子たちのこと。同じ年に修行に入った二人は、思っていたよりも共通した話題があった。
こんなに自分のことを話したのは初めてかもしれない。
ふと訪れる沈黙。
「なぁ、もしも、このまま戻らなかったら……」
天化は言葉を止める。自分は何を言おうとしたのだろう?
「いや、何でもねぇ。縁起でもないこと言っちまったな、すまん」
今までの修行が無駄になってしまうかもしれないという不安。これからどう戦っていけばいいのかという焦り。
きっと太公望の心の中ではそんな思いが渦巻いている。
これ以上、気を沈ませるようなことを言うべきではなかったのに。
自分の言葉を後悔していると、予想外に太公望の方が冗談めかして言った。
「もし、このまま戻らなかったら……天化がもらってくれるかい?」
「はぁ?」
「今から修行し直すのは無理そうだし、黄家の後取りの玉の輿ってのもいいかと思って」
「……どうして女ってのは、そういうことばかり計算高いんだ? おめえも、暫定版の癖になじんでるんじゃねぇよ。第一、俺は黄家に戻る気はねぇって言ってんだろうが!」
「あはは」
声では笑ったものの、太公望の顔はちょっと泣いてるように見えた。
慰めにもならないが。
天化はぼそりと呟いた。
「戻らなかったら、な」
「戻らなかったら、ね」
そして、また、沈黙。
東の空が白みかけている。そろそろ夜明けだ。
「今夜はもう直りそうにないな、帰るぞ。今日はなんとかごまかしとけ。俺は心当たり回って調べてくるから。師匠たちのところへ行けば、何か分かるだろ」
「うん、頼むよ……」
太公望は歩き出そうとしたものの、すそを思い切り踏みつけて転びそうになる。
「ご、ごめん、ちょっと歩幅が違っちゃって……」
受け止めた腕の中に、細い体がすっぽりと納まった。
月が最後に投げかける光は人の心を惑わせる。
これは、今宵限りの夢だから。
自然に二人の顔が近づき、唇が重なりかける。
その時、小蓬莱に朝の陽光が一筋、差し込んだ。
どかっ!
鈍い炸裂音は……気功術、発勁。
「――ごめん、元に戻った」
そう言った太公望の足元で、天化は半ば土に埋もれていた。
「だからって……お前な、もう少し手加減ってもんを……」
下手なことをしなくて良かったという安堵と、ほんの少しだけ惜しかったなという気持ちと。
複雑な思いを隠して、天化は憎まれ口を叩く。
「俺も男はごめんだ。今回だけは勘弁してやらぁ」
「悪かったってばー」
月明かりの悪戯は、あっけなく霧散した。いつも通りの他愛ない言い合い。
こんな関係も悪くない。
「あ、雪月華が」
太公望が指した先で、銀色に光っていた実が次々に地面に落ちる。蜘蛛の巣のような花は陽光に溶けるように消えていった。
「……雪月華は月の雫――か。月の下でないと存在できない儚い花だ。その効果も一夜限り……気づくべきだったな、くだらねぇ」
月の下でだけ光輝く佳人は、その姿をごく普通の樹木に変えていた。
***
「朝帰りの上に、天化っちはなんか疲れ果ててただな」
そう教えてしまったのは、明け方に陣に連れ立って戻った二人を見かけた武吉だった。
嬋玉がその後、天化の顔を見るたびに五光石を構えていたのは言うまでもない。
END
キリ番リクエスト、第一作であります。
「ししょーが女の子になる」「天化とラブラブ(すみません、これが私の限界)」という面白い指示をいただいたので、思い切り遊ばせていただきました。
雪月華のイメージは、名前では「月下美人」。花の姿は「カラスウリ」です。
(月下美人は、サボテンなので、大きくてトゲトゲっぽいです。たおやかな、とは私にはちょっと思えまへん)
カラスウリの花ってふわふわしていて綺麗ですよ。夜中しか咲かないし。
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