「忘却の実」
「申公豹さん、一体ここはどこですか! 元の場所に戻してください!」
「まぁまぁ、ゆっくりしたまえよ。綺麗なところだろう?」
突然、夜中に現われた申公豹の土遁の術に巻き込まれ、運ばれたのはこの世の桃源郷。
確かに美しいところだった。
空気も清浄で、気持ちがいい。
人界ではあるまい。崑崙でもかなり高い山の上だろう。
自分の場所が確定できない以上、戻るのに術を使うのは危険だ。
申公豹が飽きるまで付き合うしかないか。
太公望はため息をつく。
「まぁ、お茶でも飲んでゆっくり話そうじゃないか」
一体どこから取り出したものか、若草の上に並べられる茶器と、果物。
本当にお茶会でも始める気らしい。
「考えてみたんだけどね、封神計画さえ関わらなければ、結構うまくやっていけると思うんだよ。君は白鶴君のお気に入りだしね」
そういえば、申公豹は白鶴を非常に気に入っているようだ。
将を射んとすれば、まず馬を射よということだろうか?
「ほら、これなんかどうだい。遠い国で取れる、珍しい実で作った飲み物だよ」
差し出された小さな杯。
甘い香り。
不思議なほどに心が惹かれた。
我知らず、受け取ってしまう。
「嫌なことは忘れてしまいたまえよ」
不吉なまでに優しい笑顔に気づかず、太公望は操られるように一口含んだ。
*
「火竜ヒョウ!」
耳元をかすめた風は、宝貝が放ったものだった。
その場を飛びのいて、申公豹が笑う。
「おおっと、危ない危ない、相変わらず礼儀知らずだね。お茶会の邪魔をするなんて無粋じゃないか」」
「太公望に近寄るなと言ったはずだ!」
戻ってきた宝貝を受け止めて、天化が叫ぶ。
「大将! やーっと見つけたぜ、まったく手間かけさせやがって!」
「太公望殿!」
「おにーちゃーん!」
わずかに遅れて駆けつける、那咤、楊セン、雷震子。
崑崙の山の上まで申公豹の気配を辿れたのは、西岐軍の道士の中でもたったこれだけだった。
「おい、何をボケっとしているんだ! しっかりしねぇか!」
天化は、まだぼんやりと座り込んでいる太公望の手をつかみ、立ち上がらせようとする。
その手が、振り払われた。
「は……放してください! 誰ですか、あなたは!」
「おい、何寝ぼけてんだ。俺を忘れたとでも――」
「あなたなんか知りません!」
その口調は冗談とは思えなかった。
予想外の拒絶にあって、天化は手を放し、後ずさってしまった。
そのやりとりに唖然としていた仲間たちが、ようやく我に返る。
駆けつけた楊センが、あわてて尋ねた。
「太公望殿。私のことは?」
「楊セン殿――」
「大将、オレは?」
「那咤」
「おにーちゃん!」
「らいちゃん……」
「――俺は?」
不機嫌な天化の声に、太公望は首を横に振る。目に浮かんだわずかな怯えの色。
「……申公豹、てめえ、何しやがった!?」
「人聞き悪いなぁ。僕は何もしてないよ。ちょっと珍しい飲み物を勧めただけさ。おいしそうに飲んでたよ」
並べられた果実の中に、見覚えのあるものを見つけて楊センが眉をひそめる。
「これは、ロトスの実ですね。……確か、「忘却の実」とも呼ばれているとか……。申公豹殿。あなたはもしや、この飲み物を太公望殿に?」
「忘れたいことだけを忘れる実だよ。こんなにすっぱり忘れられたってことは、天化君、君って太公望君に相当嫌われてたんじゃないのかい?」
申公豹の楽しそうな言葉に、周りの者たちが一斉に悩む。
「お前ら、そこで納得するんじゃねぇ!!」
天化の叫びがちょっとむなしい。
さすがに気の毒になったか、仲間たちが太公望を取り囲む。
「太公望殿。本当にお忘れなのですか? 黄飛虎将軍のご子息、天祥君の兄上ですよ」
「大将、いっつも助けられてるじゃねーか。いくらなんでも、薄情じゃねーか?」
「おにーちゃん、いちばんなかよしだったのに」
その中心で、太公望は困り果てた顔をしている。
その視線が天化の方に向きかけたが、そのまま外された。
あきらかな、怯えの表情。
「……ったく、なんだって俺だけ――?」
ここにいるメンバーの中で、自分だけが除かれる原因。
太公望が一番忘れたがっていること。
見当がついた。
「……そういうことかよ、このバカが」
呟き、ついで申公豹を睨む。
「余計な真似ばかりしやがって」
「なんのことだい? 僕は、太公望君が心の底で望んでいることをかなえてあげただけだよ。……いつもこう、素直なら可愛いのにねぇ」
とん、とん、と弾むように地面を蹴って、申公豹は身軽に太公望の背後に回りこむ。
「このまま、さらっていってしまおうかな?」
立ちすくんでいるのを、後ろから抱きすくめて、クスクス笑う。
「近づくなって言ってんだろうが! ……朱雀剣!」
業火の鳥が太公望を中心にして舞い降りる。
しかし敵を焼き尽くすはずの紅蓮の炎は、目標を失って立ち消えた。
「危ない、危ない。……おや、効果が切れてしまったようだね。――また何か面白いものを見つけたら、遊びに行くよ」
「二度と来るな!」
返事は、中空に響きわたる笑い声だった。
残された太公望が、その場に座り込み、蒼白のまま震えていた。
「……天化、僕は……っ」
「バカ野郎――俺はまだここにいるだろうが」
言い捨てて、そのまま背を向ける。
いつか分からぬ未来に怯えた顔は見ていられなかった。
「太公望殿、お怪我は?」
「おにーちゃん、大丈夫?」
「大将、しっかりしろよ!」
背後で仲間たちが駆け寄る気配。
あいつらがいれば、大丈夫だろう。
――自分がいなくなっても。
天命が果たされるのは、今日か、明日か。
それとも、はるか未来のことなのか。
少なくとも、「今」ではない。
(忘れるくらいなら、最後まで見ててくれる方がマシなんだがな……)
それくらい分かってもよさそうなものなのに。
ぼそりと呟いて、天化は転がってきたロトスの実をはるか下界へと蹴飛ばした。
END
「忘却の実 〜太公望の記憶」
忘れたいこと。
起こって欲しくないこと。
師匠から受け取った封神榜。
見なければよかった。
知らなければこんなに苦しい思いはしなくて済んだのに。
書き連ねられた中に、知っている名を見つけてしまった。
(――俺はまだここにいるだろうが)
そう、まだ。
天命が果たされるのは、今日か、明日か。
それとも、はるか未来のことなのか。
それまで、この思いを抱えて、自分は正気でいられるだろうか――。
END
キリリク600番、ありがとうございます。
申公豹×太公望なんだけど、天化×太公望前提という(笑)難しいリクエストでしたっ。
どうも申公豹サマはCDよりになってしまいます。
大マジメに太公望いじめ……。
封神榜には他の仲間たちの名前もあるんですけど、
ニ番目に書かれれば嫌でも最初に目に入るでしょう――。
多分、うちの太公望、ショックのあまり、後ろは読んでない(笑)
↓ 封神榜に載っていないキャラというか、生き残ったキャラ。
楊セン
那咤
金咤
木咤
雷震子
韋護
今回の話に全員だそうかと思ったのですが、ちょっと人数的にうるさかったので、うちの主要キャラだけに…
ロトス。ロータス。蓮。:
ギリシア神話で、その実を食べると夢心地の忘却状態になるとされた、想像上の植物。
その形容から、ナツメの木に近い植物と考えられている。
オデュッセイアです。
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