「三尸蟲」
大天幕で賑やかな宴が続く中、抜け出した天化は、暇つぶしに見張りの交代でもしようと陣営を歩いていた。
静かな中、前から歩いてきたのは太公望。
もうとっくに眠ったと思っていたのに、天幕の大騒ぎが気になって覗きにきたのだろうか。
いつもの穏やかな笑みを浮かべ、軽く会釈して。
だが、すれ違った瞬間、何か違和感を感じた。
「誰だ、お前――」
鋭い誰何に、太公望は口元を歪めただけの嘲笑めいた笑いを浮かべて振り返った。
「やだなぁ。……なんで分かったんだい?」
見かけは太公望そっくりな……いや、これは間違いなく本人だ。だが、中身が違う。こんな奴、自分は知らない。
「何者だ。太公望の身体から出ていけ!」
「ひどいな、これは僕の身体でもあるんだから。怖い顔したって、出て行かないよ」
「どういうことだ!? おい、こら、待て!」
天幕とは逆方向の、人気がない方へ駆け出す太公望。
……元々身軽な奴だが、やけに足が早い。
ようやく追いついた時には、本陣からかなり離れてしまっていた。
しかも、追いついたというより、誘い出されたような気がする。
太公望の姿をした者は、大木の枝に座って、艶っぽい笑顔で天化を見下ろしている。
自分の身体と言い切る言葉と、その妖しい微笑に、ようやく天化はその正体に思い当たった。
「お前、下尸(げし)だな」
人の身体には頭、内臓、下半身に一匹ずつの蟲、三尸(さんし)が住む。これらの蟲は、身体の中で悪さをし、病気の原因となることもある。中でも下尸は、身体の働きや情欲を司る。
だが、三尸は、宿主の通常の食べ物である五穀を糧として生きている。
仙道を志す者は、まず五穀を断って三尸を追い出し、修行を重ねる。天化と同じく五年もそれをこなした太公望に、もう三尸はいないはずなのだ。
「どうして戻れたんだ?」
「今日、あのお嬢さんが作った破壊的な食べ物の中に、麦が混じってたんだよ」
あのドジ。
天化は毒づく。
今日、公主が倒れたため、急遽、嬋玉が食事を作った。自分は、彼女の凄まじい料理を知っているので口にしなかったが、それを食べた者たちは偉い目にあったのだ。あれは人間の食べるものじゃない。
しかし、味だけでなく、材料にも問題があったとは……。勉強不足にも程がある。
「今夜は庚申だ。さっさと天帝に報告に行ったらどうだ」
三尸は「庚申(かのえさる)」の夜、宿主の寝ている間に抜け出し、玉皇天帝に、その人の悪事罪科を報告するのが役目だ。天帝はその内容から、寿命を決めるという。
今日は庚申。本来なら、三尸が入るどころか、出て行くはずの日である。
「やだ」
下尸が即答する。
「やっと入れたのに、誰が抜けるもんか。それにこいつ、報告するほど悪いことしてないから、いくら細かいこと言ったって、一、ニ年寿命が減るだけさ。そんなの、つまらない。――第一、抜け出したら、もう入れないように術を施す気だろう? やだね」
「この……」
「おっと、身体は本人だって事を忘れないようにね」
莫邪宝剣を抜こうとした天化に、太公望の身体を借りた下尸が楽しそうに笑う。
「さて、何して遊ぼう、どうしたら一番てっとりばやく、こいつを「人間」に堕とせるかな。やっぱり、女の子に手を出すのが早いよね。今日の料理のお礼に彼女に声をかけてみようかな」
下尸は、「自分の身体」を取り戻すため、太公望を修行前の身に戻すつもりらしい。
「てめぇ……」
嬋玉は太公望に惚れている。
そんなことをしたら、多少様子がおかしいと思っても、誘いに乗ってしまう可能性大だ。
それが太公望本人の意思であるなら別に構わない。だが、気が付いたら……なんてことになれば、潔癖なこいつのこと、舌を噛みかねない。
「させるか!」
「おおっと」
元々太公望は素早いのだが、本気で捕まえようとした天化の手を完全に避けきった。この動きは、確かに運動を司る下尸のなせる技だった。人間無意識下では、実力以上の能力を出せるらしい。
「やけにムキになるね。いいじゃないか、他人のことなんて。……それとも、これに惚れてでもいるの?」
「虫のくせに、バカ言ってんじゃねぇ! こいつはこれでも一軍の大将だ。こんなところでコケられちゃ困るんだよ!」
「ふーん……僕は別に、遊ぶのは君でもいいだけどな。衆道なら堕ちるのも早そうだし……」
ひょい、と天化の懐に飛び込んで、悩ましげな目で見上げる。さすが情欲を司る下尸。人並み外れて整った容姿の上に、こんな目で見られたら、男だとは分かっていても普通の相手ならころっと落ちるだろう。
だが、普段の本人をよく知ってる分、天化は鳥肌が立った。
「その顔で、気持ち悪ぃことを、言うんじゃねーーーっ!」
「わっ」
わざと外して放った発勁。
それでも、衝撃で太公望はその場に座り込んだ。
「あいたた……なんて力だ。君は「火」の属性だね。……いやだなぁ」
「そういえば、三尸は「金」の属性だったな」
火は金を溶かす。ゆえに、金は火を嫌う。
それならば。
「行け、朱雀!」
愛用の剣を抜きざま、四神技を振るう。
「うわあっ」
目標の本人だけを避けて、業火の鳥が炎を巻き上げる。
周りを火炎に包まれて、たまらず下尸は太公望の身体から飛び出したようだった。
人の身体から抜けた三尸は目に見えない。音としては聞こえない声だけが響いた。
(ちぇ、今回は引き下がるけどっ、また入るからなっ!)
「やかましい! さっさと失せろっ!」
辺りに、人外の気配がなくなったのを確認し、ようやくほっと一息。
下尸が、天帝にあることないこと報告するかもしれないが、知ったことか。
「うーん……」
その場に座り込んでいた太公望が、ぼんやりと目を開いた。そして見慣れない景色に、きょろきょろする。
「ここどこだい? なんで、こんなところに……僕、何かした?」
子供のような様子に、天化は思わずぽん、とその頭に手を置き、しみじみと言ってしまった。
「……お前、封神計画早く終わらせて、さっさと仙界に戻れ。どう考えても人界は向いてないぜ。な」
「え? 何? 天化、ちょ、ちょっとー?」
いきなり諭されて、太公望は仰天する。
あわてて追いかけるが、天化はため息をつくばかりで答えない。
天幕の方では、一般の人々が三尸を体内にとどめておくべく、まだまだバカ騒ぎが続いていた。
END
多分に雑学を含むあとがき。
道教に、人間の体には三尸(さんし)の虫がいるという思想があります。
上尸は頭に、中尸は腹に、下尸は足にそれぞれ棲み、人に害を与えます。
この虫が「庚申(かのえさる)」の夜、人の寝ている間に抜け出し、玉皇天帝に、その人の悪事罪科を報告。天帝は鬼籍という台帳に書き込み、罪が五〇〇条に達するとその人の死を決めるのだとか。
そこで、庚申の日の夜は一晩中起きていて、三尸が身体から出て行かないよう見張っていようということで始まったのが庚申講(こうしんこう)。
日本には平安時代に中国から伝わり、江戸時代に隆盛を極めた民俗信仰で、庚申待ち、守庚申とも言います。
庚申講の夜は、いくつか禁忌があり、まず同衾を忌むこと(子供作っちゃいけないってこと)、また庚申は「金(ごん)」の属性があることから、金属を身につけることもいけないそうです。
…というネタから出来た話でした。(一通り全部入れてみた)
道教って面白い。
天化、お疲れ様(笑)。
五穀= 米・麦・粟(あわ)・黍(きび)(または稗(ひえ))・豆を指します。
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