「冰片」
「情けねぇなぁ、全員ばてばてじゃないか」
洞府の修行から戻ってきた天化は、陣営を見回して苦笑した。
次の関門まで、戦いはないとは言え……暑さに負けた者たちが、わずかな日陰でごろごろしている。
木陰に、年齢の若い者が集まっているのを見つけ、彼は背負っていた物をその側に置いた。
「天祥、皆に分けてやれ」
「これなんですか? ……つめたっ」
大きめの麻袋に触れて、天祥がびっくりした顔になる。
「兄上、これって……」
「おおっ、氷じゃねーか、すげー!」
「つめたい、つめたいのだー」
袋の中に入っていたのは、固く凍りついた氷だった。
「土産だ、好きに遊びな」
わっと歓声を上げて、子供たちが飛びつく。
大きめの円形の欠片だけを取って、天化は辺りを見回した。
大将に、戻った報告と、どうせ同じようにばてているだろうから差し入れでもしようと。
いた。
陣営から少し離れた大木の下。
傍らまで来たものの、ぐったりと目を閉じているので、声をかけるかどうか少し迷う。
考えているうちに、
「うわあっ!」
情けない声を上げて、太公望が飛び起きた。
「な、何、今の!?」
どうやら、氷から落ちた滴が顔にかかったらしい。
「悪い。別に驚かすつもりは……」
「これ、氷? すごい!」
珍しく謝ったのに、聞いてない。
「山の上の方は万年雪だからな。修行がてら、ちょっと足を伸ばして取ってきた」
「ああ、それで……」
この暑さにも関わらず、子供たちが大はしゃぎしているのは、これのせいだったのか。
嬉しそうに太公望は、円形の鏡のような氷を受け取った。
ぱく。
いきなり、かじる。
「あのな……うまいか?」
「うん」
実に幸せそうな笑顔。
つられて天化も、一片割り取って口に入れる。
「……結構いけるな」
「うん」
二人の間で、ほとんど、せんべいと化す氷。
「道徳様、お元気だった?」
「最近誰も修行に来ないって、暇そうだったぜ」
「皆、暑くてあまり動く気にならないからね」
「行ってしまえば、上の方が涼しいんだけどな」
ぱきん、ぱく。
「心頭滅却すれば……とは言うけれど」
「暑いもんは暑いよな」
仙道の身とはいえ、仙界出身の者に比べると、人界出の二人は、考え方も行動もまだまだ普通の人間に近い。
半分ほどになった氷を、太公望は日にかざした。
わずかな気泡や曇りに光が差して、不思議な色に揺らめいている。
「……すぐに解けるぞ」
「そうだね。……なんて儚いんだろう。消えてしまうから綺麗なのか、綺麗だから儚いのか……」
「太公望?」
深い紫の瞳は、氷の向こうの景色を見ているのではなさそうだった。
その目に映っているのは、どこか遠く、遥かな記憶の彼方の光景。
「蒼い炎」
「え?」
「――帰ったら、何もかもなくなってたんだ。一面焼け野原で、誰も生きている人はいなかった。何日も何日も、一人で集めて……」
「おい?」
「ようやく終わったと思った夜、蒼い炎が出てた。不思議と、怖いとか、哀しいとかは感じなかった。ただ、綺麗だな……って」
恐らくそれは、彼の故郷のこと。その一族は紂王によって滅ぼされた。多分、太公望が唯一の生き残り。
見たという炎は、人間の屍が出す燐の青い火。きっと浮かばれずにさまよう人々の魂のように見えただろう。
「人の命って、なんて儚い――」
氷が反射する光の中の、青いゆらめきが連想させてしまったのだろうか。
「おい!」
天化に氷を取り上げられても、太公望はまだ少しぼんやりしていた。ようやく、頼りない微笑を浮かべる。
「ごめん、ちょっと思い出しちゃって」
「……ったく、お前はちょっと余裕があると考えすぎるんだよ!」
手にした氷を割り、天化は破片を、太公望の襟をひっぱって服の中に放りこんだ。
「ひゃあっ! つ、冷たいっ!!」
当然ながら、じたばたと暴れる太公望。氷自体は一瞬で溶けたが、残った水が身体に凍みる。
「何をするんだっ!」
「目が覚めたか、このバカ。言っておくがな、この氷は、俺が持ってこなければ、儚いどころか崑崙山の上で何千年もあるはずだったものだ。凍てついた生き物のいない場所では、誰も氷を綺麗だなんて言わない。儚いとか綺麗なんて感傷は、状況によって人間が勝手にそう感じるだけだ。――人間もそうだ。お前が思っているほど、人間ってのは弱くない。ここにいる西岐軍のほとんどが普通の人間だってことを忘れるな。皆、立派にあの妖魔共と対等に戦ってるじゃねぇか」
陣営を指し示されて、太公望ははっとする。
共に妖魔と戦う者たち。その大半は普通の人間だ。
彼らは自分たちの力で、懸命に生きている。強く、したたかに、その命の限り。
「そう……だね、ごめん」
「いちいち謝るな」
ったく、と天化が毒づく。
しかし、それ以上そのことに触れようとはしなかった。
身近な者を失う痛みは、彼もよく知っている。そう簡単に割り切れるものではないということも。
「……それにしても暑いな。日が暮れるまで、洞府に居ればよかったか」
「こんな気温で平気で動けるのなんて、妖魔くらい……あっ?」
言っているそばから、少し離れた木陰で、黒い影が動いた。
その前には、女同士、何やら話に夢中になっている嬋玉と公主。
その背後に、獣のような姿が忍び寄る。
「嬋玉、危な……」
太公望が、打神鞭を取り出そうとする横で、天化は持っていた氷を噛み割り、ナイフの切っ先のようになった小さな破片を投げつけた。
見事に眉間辺りに命中し、妖魔は一瞬にして霧散した。
彼女は何も気づかず、公主と話し続けている。
太公望が振り返った時には、天化は何事もなかったように氷をかじっていた。
「……さすがだね」
「動くと暑いからな。……これでも氷が弱いと思うか?」
「悪かったってば。――でも、そうやって気づかれないようにやるから、嬋玉に感謝してもらえないんじゃないか」
「いらねーよ。余計な真似するなと怒鳴られるだけだ」
最後の欠片を太公望に押し付けて、寝転がってしまう。
(本当はすごく優しいんです)
そう言っていたのは天祥だったか。
口調や態度の荒っぽさに気を取られて、気づかない人のなんと多いこと。
(ま、いいか)
自分が知っていれば。
手の中で、残り少なかった氷の欠片はあっという間に消えてしまった。
残った冷たさだけが存在の証。
儚くて、それなのにとても強くて。人間も同じようなものなのかもしれない。限られた時間と命だからこそ、その生きざまが鮮やかに残る。
――ふと思いついて、太公望は両掌を天化の額に押しつけた。
「何しやがる!」
「冷たくて気持ちいいだろ?」
「……手をあっためてるのが、みえみえなんだよ、バカ野郎」
「バレた? さっきのお返しだよ」
「冷てぇって……うわっ!?」
耳元を掠めた風の音。
まばゆいばかりの光と、地面をえぐった衝撃は後からやってきた。
これは、五光石。
「天化! 太公望さんに、何してんのよ!!」
「……この状況で、俺が何かしてるように見えるのかよ、あいつは……」
恋する女は怖い。ついでに、何を言っても無駄。
あきらめて、天化はその場から逃げ出す。
何が起こったか理解しきれない太公望は、やり場を失った手を宙に浮かせたまま、自分の周りが戦場になるのをただ呆然と見守るばかりだった。
END
先日、中華料理店で、ライチの冰霜(シャーベット)を食べました。おいしかったです♪
冰片(ひょうへん)と読む物は、漢方薬では「龍脳香料の植物樹脂より精製」するもので、最近じゃガンに効くとされる薬にも入ってますね。
……ってそんなことはどうでもよくて。
本人たちはそのつもりないけど、周りから見ると「何いちゃついてるんだ」状態になってしまいました。
話している内容は真面目なのに、ヘンだなぁ(笑)。
(真夏の炎天下でくっついてられる人たちって本当に仲がいいんだなぁと感心します。私ならうっとおしいから張り倒す)
彼らの格好って、暑そうですよね。それで、氷をプレゼントしてみました。
(いえいえ、動物園のシロクマやペンギンへの氷のプレゼントというニュースを見て思いついたなんてコトはありませんって、ホント(笑))
特に道士服。帯とか苦しそう。
那咤は、暑さを感じないかなと思ったのですが、人工物だともしかすると熱暴走するかも!!(パソコンかい)
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