「風邪(ふうじゃ)」
「熱あるじゃねぇか」
隣で小さく咳き込んでいた太公望の額に触れ、天化が睨みつける。
その言葉に、軍議で集まっていた面々がぎょっと振り返った。
「太公望殿、風邪ですか?」
「そういえば、少々顔色が悪いような……」
「相当無理してたな、このバカ」
昨日の闘いは河を挟んだ対戦だった。眠らされて流れに落ちた雷震子を助けるのに、自らも水に飛び込んでいた。それから戦闘が終わるまでずぶ濡れだったので、体調を崩したのだろう。
「――武吉、天幕まで運んでやれ」
「はいっ! おらに任せてくだせぇっ」
「え、ちょっと、わーっ……」
力自慢の武吉が、師匠と慕う太公望をひょいと抱え上げてダッシュで本陣から駆け出していく。
太公望の中途半端な悲鳴が、あっという間に聞こえなくなった。
次の関門まで大きな戦いはない。軍議は、大将がいなくても十分事足りる。
「こ、これはチャンスだわっ、あたしがつきっきりで看病して……」
「あのな、嬋玉。本当に相手のためを思うのなら、具合の悪い時(くらい)はそっとしとけ」
ぼそりと、天化が釘をさした。
いつもなら、すぐにケンカになるところだが。
皮肉ではなく、かなり真面目に諭されて、さすがに嬋玉も決まり悪そうな顔になる。……その表情からすると、かなり未練がありそうだ。
「わ、分かってるわよ、それくらい……。でも、風邪薬作るくらいはいいわよね!」
「お前、薬湯なんか作れるのか?」
思い切り意外そうに言われて、ふくれかえる嬋玉。
「バカにしないでよ! これでも、お父様に色々習ったんだから。えーと、風邪には確か……葛根(かっこん)、麻黄(まおう)、大棗(たいそう)、生姜(しょうきょう)……」
「ちょっと待て、その処方はひき始めだ。あれだけ熱が出てると効かねぇぞ」
「えっ!? ……ちょ、ちょっと間違えただけよっ。麻黄、杏仁(きょうにん)、厚朴(こうぼく)、陳皮(ちんぴ)……」
「それは、ぜんそく薬」
「あ、あら? それじゃ、当帰(とうき)、川弓(せんきゅう)、芍薬、茯苓(ぶくりょう)、朮(じゅつ)だったかしら……」
「低血圧の薬作ってどうする。……頼むから、何もするな」
素人の中途半端な知識ほど怖いものはない。
楊センと公主に声をかけ、天化は本陣を出た。
嬋玉が、恐ろしい代物を作り出さないうちに、まともな薬を用意しなくては。
「公主、薬草は足りるか?」
「青竜(麻黄)が切れているようですわ」
「咳が出てたから、ないとまずいだろ。――取ってくる。天祥、ついてこい!」
「はい、兄上!」
駆けつけてくる天祥を待って、天化は土遁を唱えた。
*
「――入るぞ」
起き上がろうとするのを、額に手を当てて押し戻す。ついでに熱も計って。
もし熱がひいていれば、薬湯の処方を変えなくてはならない。
「下がってないな」
「このくらい大丈夫だよ、みんなちょっと大げさ……」
言ってるそばから咳き込みそうになって、必死にこらえている。
「どこが大丈夫だって? こじらせてからじゃ遅いんだ、ほら、飲んでおけ」
小さな杯に入った茶色い液体を見て、太公望はさらにやつれた顔になった。
「うー、苦そう」
「当たり前だ。……ガキみたいなこと言ってると、無理にでも飲ませるぞ」
睨まれて、太公望はうらめしげに杯を見下ろした。薬湯は、味そのものよりも、匂いが結構辛い。
しかし、これ以上ためらうと、天化に鼻をつままれて無理やり流し込まれそうだ。
ちょっと涙ぐみながら飲み下す。
熱や咳に効くとは言っても、あまりのまずさに、吐き気がする。
せめて、水だけでも飲みたい……。
見計らったように、差し出されたもう一つの杯。
澄んだ水だった。口の中が、すっとする。胃のむかつきが治まってほっとしていると、毛布の上に置かれた小さな赤い実をつけた一枝が置かれた。
「――果物は体冷やすから、少しにしておけよ」
「分かってる。でもおいしい」
薄荷入りの水と茱萸(ぐみ)の甘さにほっと人心地ついて、太公望はにこりと笑う。
「天化って、意外と気が利くよね」
「意外は余計だ。……弟どもが寝込んでた時、おふくろがこうやって懐柔してた」
「僕って幼児扱い……?」
「違うっていうなら、寝込む前に自分で気がつけ。――これで熱が下がるだろう。あとはゆっくり寝てな」
そのまま立ち去ろうとすると、つん、と後ろから引っ張られた。
太公望が、すそをつかんでいる。
「――なんだ?」
「ただ寝てるだけって退屈なんだ。もう少し居てくれ」
他の者には決してしない、子供のような我が侭。ふくれつらには、「道連れ」と書かれている(ような気がする)。
「あのな。……そんなに退屈なら嬋玉を呼ぶぞ」
その言葉に太公望が固まった。
嫌っているのでは決してないのだが、いわゆる「苦手」という奴だ。病気の時にそばにいたら、確実に悪化する。理解できるだけに、さすがに悪かったという気になった。
「まぁ、友人だろうが愛人(恋人の意)だろうが、一緒にいて疲れるようじゃ、本物じゃねぇんだろ。――言っとくが、子守唄なんか歌わねぇぞ」
「それは期待してない」
仕方なく座り直したものの、何を話したものやら。
ふと思いついて、遥か昔の記憶を手繰る。
最後まで思い出せることを確認してから、口を開く。
「昔、習ったもんだ。黙って聞いてろよ」
「?」
「細草 微風の岸
危檣 独夜の舟
星垂れて平野闊(ひろ)く
月湧いて大江流る」
(岸辺では細い草が風にそよぎ
孤独な夜、舟の帆柱が空に向かって立つ
夜空から星の光が降り注ぎ、下には平野が広がる
水面に映る月が波に揺らめき、長江が流れ続ける)
天化が詩を吟じるとはすごく意外だったが。
曲がりなりにも、黄一族の長男だ。家を出奔するまでに、一通りのことは叩き込まれているのだろう。
淡々と謳い上げる低い声に、思わず聞き惚れる。
「竹涼 臥台を侵し
野月 庭隅に満つ
重露 涓滴を成し
稀星 乍ち(たちまち)有無
暗に飛ぶ 蛍は自ら照らし
水に宿る鳥は 相い呼ぶ」
(たけむらの涼気が寝室へ入りこみ
野にかかる月の光が庭の隅まであふれている
葉に重なる露は滴となって落ち
夜空にまばらに光る星は瞬きを繰り返す
闇の中を飛ぶ蛍は自らを照らし
水に宿る鳥は仲間を呼んでいる)
紡がれる美しい言葉が心地よい。
自然が織り成す四季の流れ。
平和な世であれば、それは誰も気づきもしないほど、当たり前の情景。
多分、戦いの果てに自分たちが望んでいるのは、そんな「普通」の世界なのだ。
(それにしても、天化っていい声してる……なぁ……)
そこで、意識が途切れた。
あっさりと寝息を立て始めた太公望に、天化は苦笑する。
「俺も、この詩(うた)を習った時には途中で何度も寝こけたからな。やっぱり詩なんてのは、春眠光代わり――おっと」
莫邪を軽く抜き、叩きつけるように鞘に戻す。
「近寄るんじゃねぇよ、疫鬼ども」
響き渡った鍔鳴りに、気配だけの小怪魔たちが逃げ去る。
病気で弱った人間は、どうしてもこういったモノに狙われやすい。
「……ったく、油断も隙もねぇ。仕方ない、もう少し居るか」
今度はこっちが退屈なんだがな。
ため息をついて、天化は残った茱萸を口に放りこんだ。
*
一方、その頃。
台所の近くでは、嬋玉が作り出した謎の液体から立ち上る煙で、西岐軍の猛者が次々に倒れていた。
END
毎度おなじみ雑学コーナー(いつのまに(笑)
今回は漢方薬と漢詩です。
風邪は、元々中国で六気という人間の身体に影響する外気のうち、たちの悪いものを六邪と呼んだ一つなのだそうです。それで、邪という文字が残っているんですね。
風邪のひき始めは葛根湯。基本です。よく効きます。
でも漢方薬は、調合してもらうのは、すごく高い……。途中でやめちゃ効果ないよーって言われても……体質改善の前に、財力が尽きましたm(__)m(ちょっと貧血症なので、それで通ったのですが)
まぁ最近は単独のお茶とかも売っているので、ゲンノショウコとか常備しておくとよいかも。ただし、慣れるまで激マズ(T_T)。
あと、漢方は副作用がないから……とよく言われますけど、人によっては「効きすぎる」ので、注意しましょう。特にセンナなんかは、下手すると1週間くらい苦しむらしいです(笑)。痩せる薬とかに入ってることがありますが、要注意。
漢詩の朗読は、森川氏希望(笑)。
実は杜甫の二つの歌の一部です。かなり晩年の詩。
すごく綺麗なんですよね、言葉が。
竹涼の方は、わざと後半の2句を削りました。
ここに、
「万事 干戈(かんか)の裏(うち)
空しく悲しむ 清夜の徂(ゆ)くを」
(これらすべてが戦の中にある
そう思うとこの清い夜も空しい)
というのが入ります。
封神演義にこれはちょっと似合いすぎて。
天化が気を使って外したということにしておいてください。(笑)
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