「魂換」
朝一番の鳥の声。
(早く戻らないと)
白み始めた空をうらめしげに見やって、考える。
身を起こして、隣に目を移し……
目に入ったのが予想した人物と違ったので、天化は一気に目が覚めた。
全身の血が冷えたような気がした。
――もしかして、自分はとんでもないことをしでかしたのでは?
そこにいたのは、天界でも絶世の美女と呼ばれる、竜吉公主だったのである。
(なんで公主が……いや、ここは公主の部屋?)
西岐城に迎えられ、主要な者たちに与えられた広い部屋。
城の者たちも、公主の美しさに驚いたのか、武将たちとは違い、彼女の部屋は豪華に飾られていた。
柔らかく、華の香りが漂う。
(昨日の夜は確か……)
太公望の部屋に行ったのだ。ちょっと話をするつもりで……結局、そこに留まったことまでは覚えている。
その後は?
(酒なんか飲んでないし、太公望に(打神鞭で)殴られるようなことをした覚えもないし…)
ちらりと隣を見る。
確かに公主は魅力的だが、他の男に惚れてる女に手を出すほど、飢えてはいない……はずなのだが。
――仙道において、女性は別に禁忌ではない。
元々、陰陽は男女を表したもの。房中術なんていう色事で仙道を極めてしまおうなんていう一派もあるくらいだ。
しかし、それは相手が自分にふさわしい者であった場合のこと。
天界のお姫様に手を出したとなれば、すみませんでしたでは済むまい。
仙人にもなっていない自分では一体どんな罰が下されるやら。
公主は楊センに惚れこんでいるはずだし、下手をしたら本人にも罵倒されることになりかねない。
(それにしても、まったく記憶にないんじゃ割りにあわな……じゃなくて、もったいな……いやいや)
必死に記憶を手繰っていると、花のかんばせと呼ばれる美しい顔がこちらを向いた。
ニ、三度まばたき、その目がぼんやりと開く。
「あらぁ、嬋玉様、おはようございます。お早いですのねぇ」
のほほん、とした顔で、公主が微笑む。
「わたくし、朝は弱くて……うらやましいですわ……」
言うだけ言って、また目を閉じてしまう。
――今、何つった? 嬋玉?
どうやったら、自分とあの嬋玉を見間違えられると言うのだろう。
確かに、公主は嬋玉と同じ部屋で休んだはずだが……。
ふと、自分の手に目を落とす。
日焼けはしているが、ほっそりとした長い指。
肩にかかる長い髪は深い栗色。
夜着に包まれた身体は、えらく細っこい。
ひょい、と天化は自分の襟元を引っ張った。
目に入ったのは、形の良い胸……。
「何してんのよ! このスケベ!!」
バン、と引き戸が開かれ、鋭い男の声が響いた。
女言葉を不気味に思いながら、天化は頭を抱えた。
見なくても分かる。
――そっちが「自分」だ。
ずかずかと、「自分」が近寄ってくるのを見るのは、妙な気分だった。
「ちょっと、一体これは、どういう――」
「きゃあ、天化様!? ここは女性の寝所ですよっ!」
さすがに目を覚ました公主が、悲鳴をあげた。
確かにこの状況では、「天化」が女性の部屋に侵入したと言われても否定できない。
夜着の上に近くにあった上着を羽織り、「嬋玉」の腕をつかむ。
「……場所変えるぞ」
「分かったわよ」
自分でもまずいと思ったのか、「嬋玉」は意外と素直に後に従った。
まだ半分寝ぼけている公主は、二人の姿を呆然と見送った後……そのまま、またこてん、と眠ってしまった。
*
「頼むから、女言葉はやめろ。すげー気味悪い」
「悪かったわね。そっちも、その乱暴な口調やめてよね」
しばらく睨み合って、ため息。
「で、一体なんなの、これは」
「魂換――だな。肉体(うつわ)を入れ替える術だ」
「敵の道士かしら」
「魂換なんて高等な呪術、できるヤツは、そうそういない……はず――」
人気のない回廊でこそこそと怒鳴りあっている傍らを、ふよふよと通り過ぎた者がいた。
ここは三階。空中を散歩しているのは――黒点虎に乗った申公豹。
「てめえだ!」
天化が投げた部屋靴をひょいと避け、流浪の道士は乗騎を窓に近づけた。
まじまじと二人を見比べ、ニヤリとする。
「ヘンだなぁ。僕は、太公望君と竜吉公主に術をかけたはずなんだけど。あの二人ならボケ方が似てるから、きっとかかりやすいと思って。……どうやら、近くにいた君たちに、術が横滑りしちゃったみたいだね。君ら、よっぽど相性がいいんだな」
「「どこが!」」
「うーん、息もぴったりだ」
「「やかましい!!」」
こいつには何を言っても無駄だ。天化は怒鳴るのをあきらめた。
申公豹はちらりと二人を見る。
「ああ、つまらないな。大将が美女になったら、さすがの西岐軍も混乱するかと思ったんだけど……」
肩をすくめ、
「これじゃあんまり変わらないや」
「どういう意味だ!」
「どういう意味よ!」
ステレオ音源に耳をふさぎ、申公豹は黒点虎の向きを変えた。
「おいっ、どうすれば元に戻るんだ!?」
「時間が経てば、直に解けるさ。……今度は間違えないように術かけないとなぁ……」
「「二度とくるな、疫病神ーっ!!」」
二人の叫び声が西岐城に木霊した。
元凶がいなくなってしまったので、しばしの沈黙。
怒りは自然にお互いに向いた。
くるり、と振り返るなり、指をつきつけあう。
「言っとくけど、あたしの身体に変な真似したら……」
「けっ、こんな貧弱な身体見てもなんとも思わねぇよ。お前こそ、ドジってケガなんかすんじゃねぇぞ」
睨み合い、同時に背を向ける。
「「ふんっ!」」
確かにこの二人、息「だけ」はぴったりだった。
**
女の身は軽くスピードがあるが、その分、力が落ちる。なかなか一撃必殺とはいかない。
反撃を考慮して戦うのは、意外と神経を使うものだった。
それでも技でおぎなって、後方の敵をあらかた片付けた。
前線では、まだ敵の大将を攻めあぐねているようだ。
そちらに行こうとした時、いきなり足元に穴が空いた。
ひょっこり顔を出したのは、土行孫。
「悪い、ちょっと目測誤っちまっ……」
「嘘つきやがれ、このもぐら」
遠慮なく、その頭を踏みつける。
このスケベ野郎、わざと「嬋玉」の真下に出たに決まってる。
まぁ、戦場でこんなぴらぴらした格好をしているこの女もいけないのだが。
「嬋玉はん、今日はまた、えらく容赦ないですなぁ」
なおもぐりぐりと踏みつけている女王様モードの「嬋玉」に、土行孫の相棒の竜鬚虎がびくびくした様子で呟く。
「そ、そんなことはない……なくってよ、ほほほ」
半ばやけくそで、口に手などを当てて笑ってみせる。
まったく見かけというのは恐ろしいもので、今まで誰も気づいていない。
今、嬋玉は、太公望の右側で戦っている。普段、天化がいる位置で。
同じ剣使い。剣術の腕もここしばらくでぐんと上がっている。
確かに自分で見ても、戦っている様子はあまり違和感はない。
太公望の近くにいるせいで、いつもより実力を発揮しているように見えるのは気のせいだろうか。
太公望も、つかず離れず、そのフォローに回っている。
……なんとなく腹が立つ。
ふと思いついて、土行孫を見下ろす。
髪をさらりと払い、流し目をして、できる限り色っぽく。
「土行孫の土行術ってすごいわよね。あの大将やっつけてきてくれたら、李(すもも)の実を上げてもよくってよ」
……肝心の科白は棒読みだったが。
「ほ、本当か!? よし、見ててくれよ、お嬢ちゃん!」
俄然、やる気を出して土に潜る土行孫。
「……あ。本当に行っちまいやがった」
いくら奇襲攻撃とは言っても、さすがに大将クラス相手は無理だろうと思って見ていると、そちらの方で断末魔の悲鳴が上がった。
普通の人間の倍ほどもある大将が、地響きを立てて崩れる。
その足元には、杵を持った土行孫。こちらに向ってガッツポーズを決めている。
……もしかしてあの大将、すでに瀕死だったのか?
できない約束はするもんじゃない。
「ありゃ。ちょっとヤバ……つっ!?」
嬋玉の怒り狂う様子を想像し、うんざりしていた天化は、突然の頭痛に膝を折った。
意識が遠くなる。
駆けつけてくる足音。
身体が地面につく前に受け止めてくれた相手は、確かに自分の名を呼んだ――。
***
「今日はお疲れ様」
額に濡れた布が置かれた。
別に熱があるわけではないのだが。頭痛の名残が残っているので、冷たさが心地よい。
自分の手をまじまじと眺め、ほっと一息。
よかった、元に戻ってる。
申公豹のヤツ、いつか殺す。
「――いつ分かった?」
「最初から。どんな姿してたって、僕が天化を間違えるわけないじゃない」
……これが女の科白だったら、すごい殺し文句だ。自覚がないところが怖い。
「時々言葉がおかしくなってたから、よく見てればすぐにわかるのにね。……なかなか面白かったよ。女言葉の天化に、乱暴な口調の嬋玉」
「やめてくれ。思い出したくもねぇ……」
太公望はくすくす笑っていたが、ふいに、真剣な顔をして覗き込んできた。
「僕は、天化がいないと困る」
その言い方にどきりとしたのを知ってか知らずか、太公望は袖をひらひらと振ってみせる。
白い道士服が、かなり焦げていた。
「今日は、かなり命の危険を感じたよ。嬋玉の朱雀剣、僕も巻き込むんだもん」
「あのノーコン……」
「朱雀剣は頼りになるんだけどね。……やっぱり天化でないと」
「それだけか?」
その手を捕らえて、真面目に聞いてみる。
同じ戦力なら、他の者でもいいのではないか。
それなら、自分でなくてもいい。
離れて戦ってみて、本当にそう思った。
太公望は、困ったように言葉を探し、何か言おうと口を開きかけた。、
――その時。
引き戸がバン、と壊れそうな勢いで開かれた。
「天化ーーーっ!」
凄まじい形相で飛び込んできたのは、嬋玉だった。
太公望はすでに、壁際まで避難している。
「あんた、土行孫に何ふきこんだのよぉっ」
「土行孫?」
「今日の戦場の約束果たせって! あんた一体言ったのよ!!」
そういえば。
すれているようで、意外に純情な土行孫には、ちょっと刺激が強すぎたか。
ちなみに李を渡すというのは、恋人になってあげるという意味がある。
「わ、悪い、そんなつもりじゃ……」
「問答無用! 行け、五光石!!」
「やめろーーーっ!!」
崩壊した部屋を眺め、太公望はため息をつきつつ、修理にかかる日数と費用などを計算していた。
END
えーと。
流し目+魅了を使った天化さん、きっと、可愛い嬋玉では出せない妖しい迫力のある美女になってたと思います(笑)。
土行孫でなくてもいちころですって(^^;
今回の豆知識。
擲果満車 てきかまんしゃ。
女性が男性に愛情を告白すること。擲は、投げる、なげうつの意で、果物を投げ入れて車が一杯になること。昔の中国では想う男に果物を贈って求愛のしるしとし、男性は求愛を受け入れる場合は腰の佩玉を渡すというする風習があったそうです。
その際の果物として、李、桃、梅などが用いられたとのこと。
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