猫鬼(びょうき)
ある日、天化が陣に猫を連れ帰った。
戦場に取り残されていたのだという。
子猫は真っ白で小さく、ひどく弱そうだったが、動物好きの仲間たちに可愛がられ、じきに西岐軍の陣営を元気よく駆け回るようになった。
しかし、天化はあまり子猫が出歩くことを望んでいないようだった。
周りの者があきれるほど、すぐに呼び戻し、自分の目の届くところに置こうとする。
しまいには、首に縄でもつけかねない様子に、太公望は苦笑した。
「自由気ままなのが猫の気質だろう。それじゃ可哀想だよ」
もしかして、天化は自分の恋人は部屋に閉じ込めて誰の目にも触れさせないようにしてしまうタイプなのだろうか。
自分は縛られるのが嫌いなくせに。
「天化の恋人になる人は大変だね」
と冷やかしてみたが、予想外に、何も言い返してこなかった。
ただ、怒ったように目をそらし、また離れてしまっている猫を呼ぶ。
触れると火花でも散りそうなほど、気を張り詰めているのが感じられた。
驚いていると、戻ってきた子猫を抱き上げて、さっさと天幕に戻ってしまう。
そんなに怒らせるようなことを言ってしまっただろうか……。
子猫が来て以来、ろくに話す機会もなかったのに。
あとで、天祥に頼んでまたたびでも差し入れておこう。
太公望は小さくため息をついた。
*
子猫は元気だった。
その人懐こさで、たちまち陣営でのアイドルの座を得た。
何故か太公望には対抗意識を持っていて、様々ないたずらをしかけていたが。
人の言葉を理解しているような賢さに、誰もが驚かされていた。
しかし、子猫が自分の居場所を獲得すればするほど、天化は妙に神経質となり、軍議の間でさえ上の空なことが多くなった。
「天化、一体どうしたんだ。最近変だよ」
「……なんでもねぇって」
「ないでもないってコトはないだろう。――何か悩み事でもあるのなら、相談……」
「お前には関係ない!」
きつい口調で怒鳴られて、しゅんとする太公望。
その表情に、さすがに我に返った天化は決まり悪そうに背を向けた。
「あ、いや……本当になんでもないんだ。多分、今夜辺り片付く。心配いらねぇよ」
「今夜、何?」
「――ったく、来るなら早く来やがれ……」
「え?」
「なんでもない」
一体何を待っているというのだろう。
恐らく、それが天化の苛々の原因。
今日は満月。
もっとも妖魔の力が強くなる。
何か関わりがあるのだろうか。
少しでも、話してくれればいいのに。
自分では力になれないかもしれないけれど。
太公望は肩を落として、立ち去っていく背中を見送った。
**
急に空気が重くなったような気がして、太公望は目を覚ました。
明り取りから入る明るい月の光の中、煙のような塊が、形を取った。
巨大な猫だった。
――猫鬼。
猫を殺して、その魔物化した実体と、霊体を使う外法。
術者自らは安全な場所にいて、対象である敵を呪い殺そうとする。
敵に、その呪術を使えるものがいたのだろう。
辛い、苦しい、悲しい――。
周りにそんな怨念が渦巻いて、息ができない。
その時、一陣の風が天幕を吹きぬけた。
飛び込んできたのは、天化の子猫。
太公望の前に立ち、猫鬼に向って鋭く鳴く。
猫鬼の動きが止まった。
赤く光る目が、子猫から動かない。
口から漏れる低い呻き。
苦しんでいる。
何かに逆らおうとして。
けれども、呪術師にさらに命令を受けたのか、悲痛な叫びと共に子猫ごと太公望に襲い掛かる。
とっさに、太公望は子猫を抱きしめ、目を閉じた。
――闇にこだまする絶叫。
白銀の刃が軌跡を描く。
実体ですらない猫鬼は、剣に貼られた呪符の力を受けて霧散した。
純粋な「呪い」となったそれは、呪術師の元に跳ね返される。
あれだけの怨嗟の塊を食らっては……もう生きてはいないだろう。
背を向けたまま、天化が呟いた。
肩が震えている。
「すまねぇ……お前の母親を、二度も殺しちまった……」
その言葉で、太公望は襲ってきた猫鬼が子猫の母であったことに気づいた。
天化は、魔物に変えられた母猫を倒した後、残された子猫を連れてきたのだ。
――魔物化したものの側にいれば、多かれ少なかれ影響を受ける。
天化が子猫から目を離さなかったのは、妖猫となるのではないかと恐れていたためだったのだ。
『猫』と呼びつづける天化に、名前をつけないのかと聞いたことがある。
天化は、情が移るからつけない、と答えた。飼い主が見つかれば手放すつもりなのだと思っていたが……いざという時には、自分の手で殺す決心をしていたのだろう。
そして、幽体となった猫鬼を呪術師がいつ仕掛けてくるか……気を張り詰めて待ち続けていた。
……たった一人で。
一言も相談してくれなかったことが少し悔しい。
「天化は悪くない。この子だって分かってるよ――天化が、母親を呪縛から救ってくれたってこと」
太公望の手から飛び出した子猫が、天化の手にすり寄る。
ありがとう。
そう言っているようだった。
「母親ってすごいね。猫鬼にするには、四十九日かかる。天化がこの子を見つけたときには、すでに魔物になっていたはずなのに。しかも、幽体になっても、この子のことを忘れていなかったんだ」
子猫を見て、猫鬼は確かに攻撃をためらった。呪いの媒介とされて、もう生前の意識など残っていないはずなのに。
その強い想いに圧倒される。
せめて、無事に転生の流れに入れるように。猫鬼の魂の為に祈る。
「悪かったな」
太公望に、天化が決まり悪げに言った。
「前の戦いで、奴の使役獣をまとめて片付けたから、てっきり俺を狙ってくると思ったんだ。まさか、お前を狙うとは……。巻き込んですまなかった」
「そうだね、一言くらい言ってくれれば、少しは用心したのに」
珍しく怒った口調で言われ、首をすくめる天化。今回は言い返せない。
しばらく睨んだ後、太公望はにこりと笑った。
「――明日、木天蓼(またたび)取りにつきあってくれたら、許してあげるよ」
天化の腕の中で、賛同するかのように、子猫がにゃん、と鳴いた。
END
猫鬼というのは、猫を使った呪術です。
本来は猫と人間の子供を使った……ちょっと凄まじい方法なので、ここには書きませんが、まぁ、よくそんな方法を思いつくもんだというやり方で、魔物化するものです。
怖いのは、これがある時期、中国で大流行したことでしょうか。
国を上げて禁止しなくてはならないくらい、行われたそうです。
でも国の方が先に滅亡しちゃったのだとか。恐るべし、猫鬼。
まぁ、猫鬼が効いたかどうかは別として、呪われた方は、その事実に怯えて倒れてしまうということはあったでしょうね。
まさに、病は気から。
さて、この話は「眠り猫」の裏話であります。
あの能天気さとは一転しました。
これだけシリアスになっていれば、猫と太公望のケンカなんぞに気づかないのも当然というわけで(笑)。
子猫は、えらく頭は良くなってますが、敵になる心配はないでしょう。
まぁ、妖猫くらいにはなって、人間に化けて天化に色仕掛けくらいはしそうですけど……。
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