「紫苑」
飛燕、紫苑、桔梗、鳥兜、雁金、丁子、松虫……
秋には、ひっそりと咲く青い花が多い。
確か、青い花が好きだと言っていた。
少しだけ持って帰ろうと、紫苑に手を伸ばす。
その時、葉陰に隠れていたヘビが、驚いて鎌首をもたげた。
あわてて一歩後ずさる。
小さな石を踏みつけて、足が滑った。
しまったと思う暇もなく、太公望はその場に坐りこんだ。
足首に激痛。息が詰まった。
これは、当分立てそうにない。
ここには、何も言わずにこっそりと来てしまった。
誰も自分がここにいると気づかないだろう。
「えーと、ヘビ君……誰かに知らせてくれないかなぁ。……無理だよね」
毒蛇ではなかったようだ。
小さな真っ白なヘビは、不思議そうに太公望を見つめた後、木陰に消えて行った。
さわさわと、静かに風が梢を鳴らす音だけが響く。
ため息をついて、せめて痛みがひくのを待ってみる。
陽が傾き、空気が冷たくなってきた。残り少ない時を焦る、虫たちの歌の饗宴。
少しは一人になりたいと思って、こっそり抜け出してきたのに。
誰もいないとなると、今度は寂しい。
足を曲げてみようとしたが、途端にまた激痛。さっきより、ひどくなっているようだ。
「も……もしかして、僕、ここで死ぬかも……」
本陣の裏手の山。わずか数分と言う距離なのに。
これはかなり情けない。
本気で涙がにじんだ時、
「おい、太公望! どこだ?」
聞きなれた声が響いた。
「天化!」
木の葉の上を行く足音。だんだん近づいてくるのが嬉しい。
やがて、手荒く茂みを分ける音がして、その姿が現れた。
「おい、どうした」
「実はヘビに……」
「噛まれたのか!?」
「驚いて……足踏み外して……転んだ」
「――ドジ」
あきれた視線が痛い。
傍らで片膝をつき、太公望の足の具合を見る。骨を確認していた天化は、軽く舌打ちした。
「少し外れてる。放っておいたせいで、固まりかけてるぞ。これくらい、治し方覚えておけよ……って、お前じゃ無理か。――少し痛むからな」
実戦すなわち修行である百戦錬磨の天化なら、それくらいの治療はお手のものだろう。
しかし、術が中心の修行であった太公望は、それほど怪我には縁がなかった。
ただの捻挫と甘く見ていたのも確かだが、骨のずれの治し方は、元始天尊様はさすがに教えてくれなかったし。
天化が、軽く手を動かした。
多少の痛みは覚悟していたが――少しどころではなかった。
一瞬だったが、意識が途切れた。
「おい、大丈夫か?」
声に我に返る。
眩暈と吐き気が残っているものの、足の痛みはさっきよりは、かなりひいていた。
「ありがとう、随分マシになった」
「これから腫れるぞ。当分歩くのは無理だな」
本当は、すぐに冷やすのがいいのだが。あいにく、水の気配は近くにない。
せめてもの応急処置に、布でぐるぐる巻きにして固定する。
こういう時は、落ち着くまで動かさないのが一番だ。
「それにしても、よくここにいるって分かったね」
「……お前は、暇さえあれば陣の周りの山に散歩に行くだろう。戻りが遅いから、まさかと思って来てみたら……ヘビに呼びとめられた」
「へ?」
「鳴かないから、呼ぶってのはちょっと違うが。――お前な、頼むからああいうわけの分からない仲間を増やすのはやめろ」。
と言われても。
当の太公望も、まさか本当にあのヘビが知らせてくれるなどとは思っていなかったので、びっくりしたまま固まっている。
「まったく、こういうことがあるから、一人で行くなと言っているんだろうが」
「反省してます」
いつもなら、何かしら反論するのに、素直に頭を下げる様子に天化は苦笑した。今回は相当懲りたらしい。
「ほら、ちょっと掴まれ」
肩を貸してくれるのかと、首に手を回した途端、ひょいと引き寄せ、そのまま抱えあげられた。
背中と膝下に腕を回す、いわゆる花嫁抱きというやつだ。
世間一般の女性の憧れの抱き上げ方らしいのだが、実は相当力がないとできない。
というか、いい格好をしようとそんな真似をすると、普通は翌日腕が上がらなくなる。
まぁ、天化ならその心配もないだろうが。
自分だったら間違いなく、筋肉痛。それ以前に持ちあがらないかも。
――じゃなくて。
「わ、わっ、ちょっと! 肩貸してくれれば、自分で……」
「陣まで足をひきずっていくってか? 俺が面倒なんだよ。つかまってろって」
こうなると、問答無用。何を言っても無駄だ。
本当は、こんな風に抱えられるのはかなり恥ずかしいのだが。
せめて邪魔にならないようにと、おとなしく天化の肩にもたれる。
普段、触れるのは戦いの合間の手当ての時くらい。
こうして近くにいられるのは、少し、嬉しい。
……どこからか、かすかな金木犀の香りがしたような気がした。
*
陣営が見え始めた時だった。
いきなり、太公望はわたわたし始めた。
「ありがとう、もういい、降ろしてくれ!」
「なんだよ、急に……危ないだろうが!」
「だって、人に見られる……」
「ドジって怪我したと、素直に言えばいいだろうが。自分の不注意だ。笑われるくらい我慢しとけ」
「いや、その、そうじゃなくて……」
「? 何子供みたいなこと言ってんだよ。もう暗くて誰もいねぇよ。おとなしくしてろ!」
一喝されて、反論をあきらめる。
そういうことを言っているのではないのだが。
天化はどうやら知らないらしい。
……西岐軍の他の者たちも知らないことを祈りたい。
太公望は天幕に運ばれる間、かがり火に照らされたからだけでなく、頬を染めてむくれていた。
**
大将の天幕から出てきた天化に、楊センが声をかけた。
「太公望殿、どうかなさったのですか?」
「山でコケて、足をひねった」
簡潔な答えに、苦笑する。
「それは災難でしたね。……ところで、太公望殿は、天幕に運ばれるのを嫌がりませんでしたか?」
楊センはくっくっと小さく笑い続けている。
運ばれている間の、太公望の実に決まり悪そうな顔を、しっかり見ていたのだった。
「? そういえば、直前になって、じたばたし始めたな」
人に見られて笑われるのが嫌なだけかと思っていたが、何か理由があったのか?
「草原の民の間には、結婚式の時に花嫁を天幕まで運ぶ儀式があるそうですよ。太公望殿のところでそうだったかは知りませんけどね」
なるほど、そういうことか。
プライドだけは一人前のアイツのことだ。
今ごろ、布団をかぶって、すねまくっているに違いない。
「見舞いの花でも持っていってあげたらどうですか、花婿殿」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、ったく」
まぁ、湿布薬くらいなら、差し入れてやってもいいが。
「それにしても、結婚の儀式だって? 例えばだぞ。嬋玉と結婚したとして、あいつに運べると思うか?」
嬋玉は狂喜しそうだが、現実問題として。
「…………ニ、三歩でつぶれそうですね」
「見直した方がいいと思うぞ、その儀式」
「実は、男性の体力を測る試験を兼ねているとか」
「それなら、結婚決める前にやっとくべきだな」
「そうなると、女性でなくてもよさそうですね」
「犬とか豚とか漬物石とか。……たいして変わらないだろ」
天化にかかると、神聖な儀式もただの体力テストと化してしまう。
大笑いする二人の後ろで、こっそり聞いていた嬋玉が五光石を構えていた。
**
翌日、太公望が目を覚ますと、枕元に紫苑の花が置かれていた。
END
捻挫って痛いんですよぅ。
私、学生の頃に癖になって、ちょっと走ってもまたぶり返すというのを繰り返してました。
痛みには結構強い私が、。・゚゚・(>_<)・゚゚・。 となったもんなぁ……。
なんてのは、どうでもよくて。
お姫様だっこ。
一度だけやってもらったことがあります。
中学の頃、貧血で倒れた時、英語の先生に。
「重い、重い」って言ってたのが忘れられません。
すまん、先生。でもちょっと傷ついたゾ。
それからは、どんなに具合が悪くても、意地で自分で歩くようになりました。
……なんてのも、どうでもよくて〜っ。
すいません、ちょっと照れくさくて。
「足にケガ」
「お姫様だっこ」
「少し嬉しいのに照れまくりな太公望」
「まったく気にしていない天化」
どうです、全部こなしましたよ〜、えへん♪
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