「九里香」


  月には桂花という伝説の樹があるという。
  こぼれた香りの欠片が地上に落ち、九里香となった。


涼しさを増した秋の風。
「暑くもなく、寒くもなく、これくらいが丁度いいね」
ほてほてと歩いていた太公望が、ふと立ち止まった。
「あ」
風に乗って、強い香りが流れる。
「九里香(金木犀)だな」
九里離れても香るとはよく言ったもの。
間違えようのない、鮮やかな匂い。
(昔、おふくろが匂い袋作ってたっけ)
天化が感慨にふけっている暇もなく、匂いを追いかけて行ってしまう太公望。
「おい!」
なんて落ち着かない奴。
……弟共が小さかった頃でも、こんなに目が離せなかった覚えはない。
もっと大将の自覚を持て、一人で出歩くなと散々言っているのに。
ようやく追いつくと、太公望は同じ樹の並び立つ林の入り口で、立ち尽くしていた。
むせ返るような香り。
九里香の群生地だった。
一面黄金に彩られた樹木を太公望は、しばらく幸せそうに眺めていたが、一番花の多そうな当たりで坐りこんだ。
「……何してんだよ」
「匂い袋でも作ろうかと思って」
地に落ちた小さな花を、丁寧に広げた袖に集めている。
「こんなもん、ちまちま集めてんじゃねぇよ!」
女子供じゃあるまいし。匂い袋だ?
あきれる天化に、ふくれた顔が振り返った。
「少しくらいいいじゃないか。桂花茶も作れるし。……それに、他にどうやって集めろっていうのさ」
米粒のような花を、気長に集めるつもりらしい太公望に、天化はため息をついた。
これでは日が暮れる。
「こういうのはなぁ……」
上着を脱いで、一番大きな木の下に広げる。
何をする気かと太公望が目を丸くしていると、いきなり幹に蹴りを食らわした。
もう落花の時期を迎えていた金木犀の小さな花が、まとめて落ちる。
「一網打尽!」
勝ち誇ったように言うのに、太公望はがっくりと肩を落とす。
「……天化にかかると、風情も何もあったもんじゃないね……」
確かに一瞬で集まったのだが……どうもあまり、嬉しくない。
それでも、手の平いっぱいに集まった花を、手持ちの布に大切にくるむ。
「ったく、匂い袋なんか作ってどうするんだよ」
ばさばさと、上着にかかった花を払いのけている天化に、太公望は肩をすくめた。
「そうだね。会ったことの無い人に片方を渡して、どこかでその人とすれ違った時に、匂いで気づく――なんて、ちょっと素敵じゃないか」
喩え話をしているようだが、太公望はごまかすのが下手だ。
昔、誰かに渡しているというのがすぐ分かる。
懐かしそうな、照れた笑顔に、少しだけ天化はむっとした。
つい、嫌味っぽく言ってしまう。
「一年も経てば、匂いなんか消えちまうよ。第一、相手が持ち続けるかどうか分からないじゃねぇか。とっくに捨ててるかもな」
「――天化って本当に意地悪だ」
太公望は、すっかり怒って歩き出してしまった。
しかし、数分もすると、いつもの表情で振り返る。
「天化は、金木犀は嫌いかい?」
「嫌いってわけじゃないが……こういう自己主張の強い花はちょっとな」
(自分は十分強いくせに)
と思ったものの、口にするとケンカになるのでやめておく。
「じゃあ、他の花は?」
「そうだな……丁子とか、飛燕とか」
意外と目立たない花ばかり。
「青い花が好きなんだ」
「――そういえば、そうだな」
「青い花って、あまり香りはしないけど」
「匂いの代わりに、天帝にあの色をもらったんだろうよ」
その言葉に、太公望はにこりと微笑んだ。
晴れた日の空と、深い海の色を映した紺碧。
直に野山は、それらの花がひっそりと咲き乱れる季節となる。

*

「会えたら、新しい花を入れて上げられるのに」
青い守り袋を手に、ため息。
今年の花を加えた小さな袋は、月が落とした幻の香りを漂わす。
桂花が咲き乱れるという月に祈る。
いつか、この香りが、名も知らぬ人と巡り合わせてくれることを。

**

「……あの鈍さは尊敬に値するよ、まったく」
その手には、共布で作られた、小さな守り袋。
もうほとんど匂いは残っていないが。
同じ月を見上げて、こちらもため息をついた。

END

「紫苑」の前の話です。
あっちに伏線があったことに気づいた方はいるでしょうか。
(青い花のことではありませぬ)
今まで書いた話は、「大混戦」以外は、全部つながってますんで、ところどころに、こういう罠(?)張ってます。気づいた人だけ楽しんでください(笑)。
(オリジナルでさえ、こんな手の込んだ罠は仕掛けてないっ)

今回の直接つながりは「我吃看イ尓」です。
いいかげん、気づいてあげなさい、ししょー。

天化さん
(俺の前で、他の男の話してんじゃねーよっ)
状態。
いえ、自分のことなんですけどね。
相手が気づいてなきゃ、同じコト。
複雑な嫉妬……(^^;

金木犀の匂いをつけたお茶を、桂花茶と言いますが、
ジャスミンティー以上に匂いがきついので、私はちょっと苦手です。
桂樹は、中国の伝説で、桂(かつら)とは別の、月に林を作っている木なのだそうです。
金木犀は一時期、芳香剤として大流行(?)したために、
元を知らないガキ共に、外で咲いている花が
「トイレの匂いだ!」と言われてしまったという……(涙)。
メーカーの功罪ですなぁ。


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