「鳳梨(ふぉんり)」


城壁の上に一人の道士が現われた時から、流れが一気に変わった。
「兄上……あれは、僕の兄上です!」
共に見上げていた天祥が、喜びの声を上げた。
……ということは、黄飛虎殿の息子?
仙道の修行をしている身内がいるとは聞いていなかった。
遠目にもはっきりと分かる、剣舞にも似たしなやかな動き。
まるで猫科の猛獣のようで。
ついその戦いぶりに目を奪われる。
「莫邪宝剣!」
鋭い裂帛の気合と共に、鮮やかな光が散った。
陳桐が頼みの綱であった火竜ヒョウを取り落とし、その場に倒れる。
指揮官を失って、戦意を失う兵士たち。
元々、忠誠心などから従っていたのではなさそうだ。
蜘蛛の子を散らすように、たちまち彼らは逃げ出し――戦いは終わった。

*

「兄上!」
「天祥、久しぶりだな」
駆け寄った少年を抱きとめて、戦神のごとき活躍を見せた道士が笑みを浮かべた。
弟に向けられる目は意外と優しい。
顔だちは、黄飛虎とはあまり似ていないような気がする。しかし、確かに天祥に似た面差しだった。二人共母親似なのだろうか。
「結構やるじゃねぇか。たいしたもんだ」
「来てくださったんですね、兄上!」
「……遅くなって悪かった」
朝歌での惨劇のことを言っている。
彼も、その家族を失ったのだ。その手がまったく届かない間に。
これだけの腕を持っていれば、なおさら悔しい思いをしたことだろう。
自分さえ間に合っていれば、と。
天祥の頬に涙が伝う。こらえる嗚咽。
それをなだめ、落ち着くのを待ってから、ふいに彼はこちらを向いた。
猛禽に似た鋭い目。鍛えられた体つき。
同じ道士でも、術と剣を目指した者では、こんなにも異なるのだろうか。
思わず自分の手を眺めて、自己嫌悪に陥ってしまう。
琥珀色の瞳が、急にきつくなったのは気のせいではなかった。
射すくめるような視線に、心臓をつかまれたような気がする。
敵を相手にした時よりも、怖いと思ってしまった。
動揺をできるだけ隠して、あわてて頭を下げる。
「おかげで助かりました。ありがとうございます」
「――あんた、本当に元始天尊様の弟子かい」
放たれた言葉は、ひどく攻撃的だった。
「様子を見たら、修行に戻るつもりだったが……あんたが大将じゃ、先行き不安だ。仕方ねぇから、俺もついていってやるよ」
お前のためではない、というのを隠そうともせず。
どうも自分は嫌われてしまったらしい。
彼の目にはあまりに頼りなく見えたのだろう。……悲しいが、言い返せない。
どう返答したらよいのか迷っていると、雷のような怒号が響いた。
「その必要はない!」
駆けつけてきたのは、黄飛虎。
その言葉は、この急場を救ってくれた息子に対するもののようだが、一体――。
「わしの前から今すぐ消えろ! 自分勝手に家を出た奴が、どのツラ下げてわしの前に来た!」
今にも掴みかからんばかりの形相。
息子が道士になったのは、黄飛虎の承認を得てのことではなかったらしい。
今まで、機嫌は悪そうでも敵意は感じられなかったのに、たちまち若い道士から怒りの炎の気が巻き上がった。
「何ほざいてやがる。この程度の策略すら見破れねぇで、黄家の当主だ? 笑わせんな!」
「なんだと、貴様! 父親に向かって吐く言葉か!」
「……やるのか? あんたとは一度ケリをつけなきゃならねえぇとは思っていたんだ」
構えられた槍、引き抜かれた剣。
一触即発の状況に、パニックを起こしかけていた太公望は、とっさにその間に割って入った。
「ちょっと、待ってください!」
少しは話を聞いてくれそうな黄飛虎に向かって諭す。
「黄飛虎殿、今は一人でも多くの戦力が欲しい時です。天化殿は、一行に加わる意思があって、助けてくれたのですから……」
「二人とも、止めてよ!」
天祥の必死の声もあって、しぶしぶながら、双方が武器を収めた。少し、ほっとしたような表情がかすめたのは気のせいではあるまい。
「太公望殿がそう言われるのでしたら……仕方ありませんな」
「天祥、悪かったな。俺も親父とやりあうつもりでここに来たわけじゃねぇんだ。……親父、とりあえず、勝負はお預けだ。まずは妖魔を倒してからだな」
「よかろう。その時には手加減せんぞ」
立ち去って行く父親を見送った後、天化が再び太公望をねめつけた。
「殿はやめてくれ、気持ち悪ぃ。……それとな。俺はあんたを大将とは認めねぇ。……今のままじゃな」
言い捨てて、背を向ける。
相当嫌われてしまったようだ。
すっかり意気消沈し、肩を落とす太公望。
あまり人に敵意を向けられたことがないので、こういった対応はかなりショックだった。
「ああ、そうだ」
姿が見えなくなる直前で立ち止まり、天化は急に戻ってきた。
いきなり太公望の胸に、ぺたりと手を当てる。
びっくりして、思考が真っ白になる。
「○×〜∴■☆△っ!?」
「……やっぱ男か。つまんねぇ」
ぼそっと呟き、今度は振り返りもせずに姿を消した。
呆然と見送った後。
(サイテーっ)
出会いから、数十分。
太公望の、天化に対する評価は、そこまで落ちた。

*

天化は強い。
一人で、相対する妖魔のほとんどを片付けてしまう。
その強さはさすが黄飛虎の息子……と思ったが、見ているうちに、戦い方が随分違うことに気づいた。
黄飛虎は、味方の動きを把握して、弱いところを補いながら戦っている。
大きな軍を指揮している時のように。
しかし、天化は一人で妖魔の群れに突っ込んでしまう。
天化の剣の腕を信じてはいたが、その戦い方には内心冷や冷やしていた。
あれだけの数に囲まれては、万が一ということもある。
しかも、時折、弟の様子が気になるらしく、注意が敵からそれている。
あれでは、自分の周りの敵に集中しきれないだろう。
自分たちが足手まといになってしまっているという申し訳なさと、もう少し連携して戦って欲しいという歯がゆさと。
あらかた片付いたことにほっとし、辺りを見回していると、木陰から天化を狙う弓兵の姿が目に入った。
弦が引き絞られる。
(危ない!)
とっさに、天化を突き飛ばす。
肩に衝撃。
痛みよりも、一瞬で全身に痺れが走った。
鏃(やじり)に毒が塗ってあったらしい。
「おい、太公望!」
「これくらい、大丈夫……」
答えて、呪文を唱えようとしたのだが、毒の回りの方が早かった。
最後に、覗き込む琥珀の瞳が見えた。
こんな優しい目もできるのに、もったいない。
そんなことを考えているうちに、意識が闇に溶けた。

**

「太公望さん!」
「太公望殿!」
「よかった」
「大将、しっかりしろよ!」
覗き込んでいた者たちが、一斉に呼びかけてきた。
ようやく意識がはっきりする。
肩にまだ痛みはあったが、身体の痺れはとれていた。
解毒の呪文だけではこうはいかない。
毒に応じた薬を飲ませてもらったようだ。
天祥に手を借りて身を起こした時、枕元に山積みとなった薬草に気が付いた。
「韋護さん、これは?」
「天化殿が」
一瞬、自分が何日も寝込んでいたのではないかと不安になった。
しかし、あれからまだ数時間しか経っていないという。
「心配していた」
あの不機嫌な怒りを帯びた目で、何も興味のなさそうなフリをして、遠くからこちらを気にしている姿が容易に想像できる。
皆が天幕から出て行った後、太公望は手慰みに薬草を手に取って眺めた。
毒の種類が分かる前に、とりあえず効果のありそうなものを手に入れてきたのだろう。
薬草の種類は、多岐に渡っていた。
中には、人間界では手に入らないはずの珍しいものも混ざっている。
これだけ集めるのは大変だっただろうに。
しばらく珍しい薬草の分類に熱中していたが、ふと、人の気配に気づいた。
もしかして。
「天化殿?」
少し間があって、憮然とした表情のまま、天化が入ってきた。
「……もういいのか」
いつからそこにいたのやら。ずっと声をかけるのをためらって、待っていたのだろうか。
「おかげさまで。もう大丈夫です」
天化は、何か言おうとして口篭もる。
多分、謝ろうとしているのだ。だが言葉にならず、ひどく神経を逆立てて、緊張しているのだけが伝わってくる。
気まずい。
とりあえず話題を変えてみる。
「この薬草――」
「な、なんだ?」
「鳳梨(フォンリ)ですよね。僕、まだ生えてるところみたことないんです。今度、教えてもらえますか」
その実は、どんな毒をも中和し、病気を治すと言われる貴重な薬草だった。これは葉の部分であったけれど。
「ああ、それは俺が修行していた、仙界の岩場にしか育たないから……元気になったら、案内してやるよ」
やけにあっさりと了承され、かえって拍子抜けする。面倒がられるかと思ったのだが。
大将という立場さえ除けば、天化は自分のことを、嫌っているわけでも、邪険にしようとしているわけでもない。
そのことに気づいてほっとする。
よかった。きっとこれからは、うまくやって行ける。
太公望は、新しい友人に、屈託ない無邪気な笑顔で微笑みかけた。
その笑顔が、どんな頑なな心も溶かす最強の鳳梨であることにも気づかずに。
その日、太公望は何にも代えがたい護りの剣を手に入れた。


END


出会った頃、ということでしたので、さらに時間を巻き戻し。
穿雲関の天化登場です。
後半は、一つ前に書いた「護りの剣」とつなげてみました。

……最後の最後に、ししょー、思いっきり攻撃しかけてますけど(笑)。


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