「雪姫」
どこまでも続く白い大平原。
足跡一つない白銀の大地にぞくりとする。
ここには誰もいない。本当に自分一人だ。
(はぐれた時は、あわてずに高台に上れ。見晴らしのいいところから、自分の位置を確認しろ)
兄の言葉を思い出し、気を奮い立たせて歩き出す。
少なくとも、上って行けば、皆に近くなるはず。
――雪山での戦い。
足場の悪い崖近くで、敵兵ともみあいになり、足をすべらせた。
幸い雪のおかげで怪我はなかったが、皆とはぐれてしまった。
あれからどのくらい経っているのかも分からない。
皆、探しているだろうか……。
身を切るように冷たい鋭い風。
木に積もった雪は様々な不気味な形をしていて、妖魔のように見える。
振りかえっても、景色は一向に変わらない。ただ、自分の歩いてきた足跡だけが続いている。
それでも、少なくとも自分は前に進んでいる。
立ち止まってはダメだ。
それからどのくらい歩き続けたのか。
もう、足の感覚がなくなりかけている。
葉を落とした木立の間に差しかかり、天祥はため息をついた。
こちらで方角は合っているのだろうか。もしかして、逆に離れてしまっているのでは……。
不安が募る。
一休みしようと足を止めると、日溜りに紫色のものが見えた。
真っ白な雪の合間から、ひっそりと咲いている花……雪割草だった。
まだ、山はこんなに寒いのに。
けなげにがんばっている様子が嬉しくて、思わず回りの雪を除き、枯れ枝を集めて周りを囲ってやる。
「僕もしっかりしなきゃ」
あきらめてはいけない。
さらに進もうと気合を入れた時、ふいに、小さな笑い声が聞こえたような気がした。
あわてて弓を構えるが、近くに人の気配はない。
しかし、歩き出すとまた聞こえた。空耳じゃない。
「誰!?」
少し離れた木立の間に、白い影が見えた。
それは、真っ白な着物を着た少女だった。
同い年くらい。だが、髪も肌も真っ白だ。
見つかったと気づいて、身を翻し、雪の上を走って行く。
「君、待って……」
この近くの住人だろうか。
追いかけようとして、天祥はぎょっとした。
少女が歩いたところに、足跡がなかった。
あれは、人間ではない。
妖魔だろうか。可愛い姿をしていたけれど、関わらない方がいいかもしれない。
足を速めて、その場から遠ざかる。
しかし、あまり進まないうちに辺りが吹雪き始めた。
……風をよける木すらない場所は危険だ。このままでは凍えてしまう。
振り返ると、木陰にまたあの少女がいた。
手招きをしている。心配そうな顔だ。
天祥は少し迷い、少女の後を追った。
木立を抜けると、洞窟があった。これなら、吹雪をやりすごせる。
……あの少女は、ここを教えてくれたのだろうか。
途中で集めておいた枯れ枝に火をつけて、天祥は吹雪が収まるのを待つことにした。
*
「ねぇ、君、こっちに来ない? 火に当たればいいのに」
少女は、ふるふると首を横に振るだけで、岩陰から動こうとしない。
まるで、火を恐れているかのように。
「もしかして、口が利けないのかな」
自分の唇を指してみると、少女はにこりと笑ってその真似をした。
「名前は?」
やはり、首をかしげるばかりで答えない。
「名前がないのって、不便だね。――雪姫って呼んでいいかな」
真っ白な肌、真っ白な髪。
まるで雪細工のような。
瞳だけが、鮮やかな紫色で。
尋ねられた少女は、自分を指して、不思議そうな顔をしている。
「君のことだよ。雪姫」
その口が、同じ言葉の形を作り、にこりと微笑んだ。
本当に、人間の少女のような可愛らしい、無邪気な笑顔。
人外のものだとしても、少女に敵意はない。それどころか、自分を助けてくれた。
「どこかで会ったことあるのかなぁ、なんだか、君って懐かしい感じがする」
少女は笑って答えない。
かすかに甘い、いい香りがしたような気がした。
*
冷たい手が頬に触れた。
びっくりして、目を覚ます天祥。
焚き火が消えかけていた。
この状態で眠ってしまったら、凍えていただろう。
「起こしてくれて、ありがとう、雪姫」
だが、少女は天祥の手をひっぱり、ここから出ろというしぐさをする。
「夜中だよ。外は危ない……」
しかし、少女は力を緩めない。
必死な様子に負けて、洞窟から出る。
月明かりが、雪原を照らしていた。雪が光を反射して、意外と明るい。
ふいに、辺りの空気が一気に冷えたような気がした。
「うわっ!?」
雪の渦が、洞窟の中に風が津波のようになだれ込んで行く。
その塊の一つ一つが、まるで狼のように見えた。
もし、あの中にいたら、自分はあっという間に凍り付いていただろう。
雪姫の冷たい手がひっぱる。
早く逃げろと言っている。
洞窟の中に渦巻いていた風が、再び外に飛び出してきた。
しばらく辺りを窺うように渦巻いたあと、それは天祥めがけて追ってくる。
冷たい刃のような鋭い氷の欠片を含んだ、悪意に満ちた風。
天祥は、雪に足を取られて転んだ。
その前に、駆け戻ってきた少女が手を広げて立った。
「雪姫、危ない!」
雪狼が襲いかかってくる。
少女の白い服が引き千切られて、風に舞った。
「逃げて!」
叫ぶ天祥を、振りかえった少女が抱きしめる。
そっと触れた唇は、とても冷たかった。
「雪姫、だめだ!!」
にこりと笑って離れた少女の手には、火打石があった。
あれほど、火を怖がっていたのに。
打ちつけられた石から火花が散る。
たちまち、少女の身体を炎が取りまいた。
鮮やかな紅に包まれたまま、少女は微笑んだ。
サヨナラ――
たしかに、その口がそう形作った。
「雪姫ーっ!!」
ほとんどの雪狼が、共に業火の中に消えた。
呆然と見つめる天祥。
それに向かって、わずかに残った雪狼が襲いかかる。
その時、聞き慣れた声が響いた。
「天祥!」
呼び出された炎の鳥が、雪風の狼を飲み込んだ。
絶叫のような風のうなりを残して消える、雪の魔物。
「無事か!?」
「兄上……僕は大丈夫です。でも、雪姫が……」
「雪姫?」
炎に解かされてくぼんだ雪の間から、天祥は小さなものを拾い上げた。
焼け焦げた小さな紫の花。
少女は、雪割草の化身だったのだろうか。
「僕を助けてくれたんです。人間じゃなかったけど、僕をかばって――」
「花魄か……。根が残っているなら、また霊気が溜まれば人の形を取れるようになるかもしれないな」
「本当に!?」
「何年かかるか分からないが、多分……」
しおれてしまった花を大切にしまって、天祥は涙をぬぐった。
「消えてしまったんじゃないなら、いいです。――またいつかきっと会えますから」
雪が消えて大地が緑に覆われても、あの花を忘れたりはしない。
思い続けていれば、いつかきっとまた会えるだろう。
あの優しい色の、紫の瞳に。
END
天祥の淡い初恋ってことで。
うーん、いきなり人間以外の者に惚れてしまいました(^^;
でも、キスした分だけ、アニキよりちょっとリード。(おい)
悲恋ってことだったのですが、ちょっと希望を残してみました。
……数年後、少女に似た娘さんに出会うってのでもいいですね(^^)。
雪割草(ユキワリソウ)
花言葉は、はにかみや。
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