久遠


「綺麗なところだね」
蓬莱山の頂上。
炳霊公が収める三神山の一つ。
高い山でありながら、清浄な空気に満ちた頂は、陽光に恵まれて緑にあふれている。
薄くなびく雲の向こうには果てしなく続く大地――人間界。
アスラの送り込んだ妖魔・妖怪に蹂躙されていた頃は、禍々しさが立ち込めていたが、今はそれも消えている。
地平は天空と混ざり合い、遠く霞む。
「こんなところを治めているなんて、すごいな」
「管理だの統治だのは俺の性分じゃない。補佐してる連中に任せきりだ。神将の実際の任務は、天界に侵入する鬼神やら妖魔退治だぜ」
「十六年前みたいに……」
「ああ――あの時ほど、お前がいないことを痛感したことはない」
その呟きに姜公は驚く。
「アスラの天界侵攻……僕が何?」
「神将は一騎当千だ。鬼神なんぞに一対一で負けはしない。……だが、奴らはあの時、妖魔・妖怪の一兵卒に至るまで、アスラやデーヴァの指示で動いていた。対して、俺たちには指示をする大将がいなかった」
「観音様がおいでだったろうに」
「あの方は、『俺たちの上に立つ者』ではあるが、将軍でも軍師でもない。戦術に関しては、俺たちにまかせきりだったのさ。それまで、それで問題なかったし、必要もなかったからな」
炳霊公は悔しげにかぶりを振る。
「マハラカやサーガラの誘いに乗って、俺や那咤、楊センはそれぞれの鬼神と対峙していた。その間に、天界には妖怪どもが攻め込んだ。それこそ、ただのチンピラのような連中が。……鬼神の動向には注意していたが、逆に数で攻められると弱かった。気づいた時には、もう奥まで攻め込まれていたんだ。――あの時、お前がいれば、鬼神どもの動きでその計画を察知していただろうに……」
「それはどうだろう。それまで、天界に刃を向けるものがいないという油断もあったはずだし、僕がいても、防げたかどうか……」
「大将がいる、ってのは、それだけで全然違う。あの時俺たちには、全体を見渡せる目が必要だったんだ」
過去を嘆いても詮無いこと。
まして、その時に見つけてもいなかった者のことを悔やんでも仕方がない。
分かってはいるが、忘れてしまうには、十六年前の戦いはあまりに犠牲が多すぎた。
天界人界を巻き込んでの戦いを経て、ようやくすべてが落ち着き始め、それらを思い出として片付けられるようになったが。
ふいに、炳霊公は姜公を真正面から覗き込んだ。
「お前……本物だよな」
「え?」
「神将は夢なんぞ見ないはずなのに、何度も悪夢にうなされた。お前を見つけたと思うのに、そのたびに消えちまう。あんまりそっちが生々しくて、どちらが現実か分からなくなった。1000年もすると、妲妃との戦いさえ現実味がなくなって、お前が本当に存在したのかすら自信がなくなってきた――」
人ならぬ身であっても、1000年を越える年月は、途方もなく長い。
必要とする相手を失ったままでは、なおさら。
「人界に下った時、桜のお嬢さんとぶつかったのは偶然だが、その後、悪夢に吹っ飛ばされたのは多分偶然じゃない。――あれは、俺の夢だ」
暗く、冷たく、凍ったような世界。
呼び出す者が訪れるまで、閉ざされた世界で一人きり。
待ち続けることが、あんなにも辛いとは思わなかった。
マハラカの侵入でさらに空間は捻じ曲がり、異世界の悪夢を具象化したものになってしまったが、それまでは確かにそこは、自分の凍えた心そのままだった。
「正直、まだ信じきれてない。お前、本当にここにいるよな」
「……確かめてみたら?」
誘うような言葉で軽く微笑んで、姜公は背を向けてしまう。
逃げようとするほっそりした肢体を、背中から抱きすくめる。
出会った頃から寸分変わらぬ紫紺の髪からは、湯浴みした際の淡い桃の香りがした。
求める心を隠そうとはせず、抱く腕に力をこめる。
「……いいか?」
耳元で低く囁く。
だが、返って来た言葉は、簡潔で、そっけなかった。
「だめ」
予想外の拒否にあって、炳霊公は面食らう。
腕の中で、姜公はふくれ面でそっぽを向いていた。
まさか、最初から、そういったつもりはなかったとか。
ただの『いい友達』だと思っていたとか。
こいつなら、有りえる。
ちょっと蒼ざめる。これだけ待って、それはないだろう。
「……おい」
「……やだ」
「1800年もお預け食らわせといて、そういうことを言うか!?」
「1800年も放ったらかしておいて、そういうことを言う!?」
どうやら、『友達』については杞憂だったらしい。
とりあえずほっとしたが、姜公の顔に浮かんでいるのは、明らかに――何かに対する怒りだった。
しかし、何に?
その理由を、姜公が自分から口に出した。
「聞いたよ。盧公主とか葛葉媛(ひめ)って人に、随分世話になってたんだって?」
「な、なんで、お前がそんなこと知ってんだよ!?」
心当たりがないでもない名前を耳にして、墓穴堀まくりの炳霊公。
それなりの否定を期待していたらしい姜公は、しばし絶句した後、叫んだ。
「……天化のバカ!!」
「誤解だ! 話くらい聞け!」
言い訳もむなしく、一瞬にして冷たい珠の姿に戻ってしまう。
「出てこいよ、太公望!」
宝珠は、すねたように深い蒼色になったまま反応しない。
これは当分出てこないだろう。
宝珠を手にしたまま、ため息。
どうしてこうなるのだろうか。
周りの連中は、二人が失われた時を取り戻そうと、蜜月を過ごしていると思っているに違いないのに。
ふと、この長い年月で忘れかけていた笑いがこみ上げた。
こんなやり取りできるのも、探していた相手を見つけることが出来たから。
もう夢は見なくていい。
焦ることはない。
愛しい者はこの手の中。
――時は無限にある。

END


炳霊公、手出しあぐねてますな。
当分、こんな感じでしょう。気の毒に。

50作書いたら、封神演義の子供時代から、西遊記のその後まで、
なんだか綺麗にまとまっちゃいました。
思い切り最終回モード。
私が書いてきた中で、初めてちゃんとくっついてくれたし(笑)。
(でも危ないシーンは一切なし。これが私の作風さっ)
さて、これからどうしましょう??(聞くな)

盧公主とか葛葉媛というのは、東岳大帝の子、炳霊公の説話の中で、炳霊公がさらっていってしまう人妻たちの名前をちょっと変えたものです(笑)。


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