南海狂詩曲


鮫魚が宙に跳ね上がり、断末魔の絶叫を上げた。
海を荒らしまわっていた妖獣であった。
莫邪宝剣を収めた背に、ふいに声をかけてきた者がいた。
「いやあ、炳霊公。ゼッコーチョーだねぇ」
見なくても分かる。その飄々とした声は――
分水将軍。元の名を申公豹。
姜公が目覚めたのを知り、このところ、しきりに炳霊公につきまとっていた。
「今日も、太公望君はいないのかい?」
わざとらしく、周りをきょろきょろしながら尋ねる。
「戦いには連れてこねぇよ」
そっけなく言うのに、ニヤリと笑う。
「そうかい、君のことだから、宮に残してくるのも不安で連れまわしているかと思ったんだけど」
宮にいないのは確認済みだよ、と言いたげな口調に、炳霊公はますます不機嫌な顔になる。
「まぁいいや。また伺うよ。よろしく伝えてくれたまえよ!」
分水将軍は、炳霊公の背中を、ばん、と叩いた。
その途端。
一体どういう力が働いたものか。
元々人外の力で穴もあけずにつづられている、首飾りの玉(ギョク)から、鮮やかな紺碧のものだけがぽろりと落ちた。
そのまま、海の中にまっすぐに突っ込む。
「……」
「……」
「あーーっ!」
ようやく我に返った炳霊公が絶叫する。
「太公望!!」
それこそが、姜公……太公望の化身たる、碧玉だったのである。
「ははぁ、そんなところにいたのか」
炳霊公にぎっと睨まれると、分水将軍はくるりと背を向けて、黒点虎に飛び乗った。
「僕は用事を思い出したよ。じゃっ、また!」
「この疫病神、二度とオレの前に顔を出すなーーーっ」
その姿が消えるのを呆然と見届けて、眼下に広がる青い海原を改めて見下ろす。
途方もない広さに、炳霊公は絶句した。

*

落ちたはずの海の底に、碧玉はなかった。
波に動かされたとしても、玉のままでそれほど移動するわけがない。
海の中のものは、この海原を統べる竜王に属する。
見つけた配下の者が、王の元に運んでしまったと考えるのが妥当だった。
仕方なく、炳霊公は竜王の宮に向った。

「南海竜王殿にはご機嫌麗しく。ご尊顔を拝し、まこと恐悦至極に存じます」
決り文句を、面倒くさそうに棒読みで言う炳霊公に、南海を統べる竜族の王は面白そうに言った。
「天界の神将殿が、この海の底に訪れるとは珍しい。我が娘たちにお相手をさせよう」
多情で鳴らす龍族は、ただでさえ家族が多い。
南海竜王にも、星の数ほどの子供たちがいる。
そして、その相手探しにやっきになっているという噂も、天界まで聞こえていた。
しかも、そろってかなりの気丈なおてんば娘たちだという。
思わず嬋玉が100人くらいいるのを想像してしまい、早々に立ち去ろうと決心する。
「いえ、探し物をしておりますので、用が済めばすぐに退出いたします」
「ほう、探し物とは」
「これくらいの碧玉です。この近くで落としましたので、届けられているのではないかと」
「ほほう」
竜王は召使いを呼び、いくつかの宝玉を運ばせた。
「これかの?」
示されたのは、金色の玉。
「いえ」
「では、これかのう」
次に示したのは銀色の玉。
青だと言ってるっつーに。
「違います」
「それでは……」
赤銅色の玉を取ろうとしたのを見て、炳霊公がキレた。
「いいかげんにしねぇか、大ボケじじい! 俺が探しているのは碧玉だ!」
竜宮を揺るがす怒声に、召使いたちが飛びあがる。
竜王は身じろぎもせず、かえって感動したように炳霊公を見た。
「おお、なんと正直者なのだ! そなたには、この玉をすべてやろう! ついでにわしの娘もよりどりみどり……」
「やかましい、いらねぇっつってんだろうが! あるのか、ないのか、はっきろしろ!」
剣を抜きかねない形相に、さすがにまずいと思ったか、竜王がまぁまぁとなだめる。
「す、すまぬ。実はの、そちの言う玉らしきものは、確かにこの宮に届けられたのだが……」
「だが?」
「宝物庫に運んでしまったのだ。あそこから探し出すには、そうさのう、ざっと10年くらいかかるのでは――」
「じゅ……10年だぁ?」
「そなたが探すというのなら止めはせんが……」
「案内しろ!」
玉を運んできた召使いをひっつかまえ、怒鳴りつける。
魚の化身であるらしいその召使いは、ひれにも見える手をじたばたさせて必死に案内する。
宝物庫は、確かに凄まじい状態だった。
海から運ばれた、古今東西の珍しい物が山と積まれていた。
しかも、ところどころで宝貝化した宝が勝手に動き回っている。
この中から探せってか?
――確かに10年くらいはかかりそうだった。

*

目が覚めると、そこは見覚えのない部屋だった。
窓の外を見て、びっくりする。
……鳥の代わりに、魚が飛んでいる。いや、泳いでいる。
ここは……海の底?
また炳霊公が、自分を驚かそうと手の込んだいたずらをしているのだと思った。
だが、肝心のその姿がない。
「天化?」
呼びかけてみるが返事がない。
確か宝珠にこもる前、また他愛のないことでケンカをしたのだった。
まだ怒っているのだろうか。
いつもならこちらが姿を現すと、決まり悪そうな顔をしながらも、出てきたことを喜んでくれるのに。
それに、ここはどう見ても炳霊公の住居ではない。華美を嫌う炳霊公が、こんなに部屋を飾り立てるとは思えない。
それほど、部屋の机も椅子も寝台も、きらびやかな装飾で彩られていた。
他の神将の宮だろうか。
ドアの開く音がしたので、ほっとして振り返る。
だが、入ってきたのは別人だった。
貴公子然とした若者が、手にしていた花束を取り落とす。
この部屋の主にふさわしく、宝石や布で全身をきらきらさせている。
「貴方は一体……ここには、宝物庫から拾ってきた碧玉があったはずですが……もしや、貴方は碧玉の化身でいらっしゃいますか!?」
「ええ、まぁ……」
正確には、姜公の化身が碧玉なのだが。
行きずりの人に説明するのも面倒くさい。
「美しい――」
「へっ?」
いきなり手をしっかと握り締められ、鳥肌を立てて身を引く姜公。
その様子を照れたとでも思ったか、若者は、うやうやしく礼をした。
「失礼いたしました、わたくしは玉翠公子。南海竜王の甥に当たります。何卒お見知りおきを……」
「ここは竜宮なのですか。あの、僕は神界に帰らないと……」
その言葉を聞いた公子は、よよ、と泣き崩れるふりをした。
「ああ、お可哀想に! 貴方は捨てられてしまったのですね!」
「す、捨て……っ!?」
「だって、貴方は陸地から遥か離れた海の底で拾われたのですよ! 元の持ち主が、海に投げ捨てたに違いありません!」
断言されて、言葉を失う姜公。
自分は――海に捨てられた?
「ああ、でも悲しまないでください。それも、わたくしと会うための試練だったのです! ご安心ください、これからはわたくしが、幸せにして差し上げます! そうですとも、前のそんな薄情な奴なんかお忘れになって! これからはお好きなだけ贅沢をさせて差し上げますから……」
玉翠公子がべらべらとしゃべり続けているのも耳に入らない。
炳霊公が、自分を、捨てた?
「さ、契約の証を……」
口づけされそうになって、はっと我に返る。
「や、やだーっ! 天化、助けてっ!!」
疑おうと、悲しもうと、こんな時に呼べる名前は一つだけ。
その時、蹴り飛ばされたドアが、玉翠公子の背を直撃した。
「てめぇ……覚悟しやがれ!」
すでに容赦なくドアの残骸ごと踏みつけている炳霊公。
「な、なんだ、君はっ!」
ようやく這い出した玉翠公子に、莫邪宝剣を振り上げて、問答無用で宣告する。
「――天地争鳴!」
その日、竜宮城の一角は修復不可能なまでに壊滅した。

**

強い潮風と浪に削られた岩場。
わずかに草に覆われた場所で一休みする。
「どうした?」
その気になれば、水など簡単に振り払えるのに、姜公はずぶ濡れのままうつむいている。
まさか、あいつに本気で何かされたんじゃあるまいな。
不穏な想像にやきもきしていると、姜公が振り返った。
「本当に捨てられたかと思った……」
「え?」
「気が付いたら知らないところで、知らない人がいて、あんなことを言うものだから……」
頬を伝うのが水なのか、涙なのか、判断がつかない。
だが、喉を詰まらせたその声は。
「もう二度と、手放さないでくれ――」
その言葉が、この先軽く百年くらいは相手を呪縛したとは気づきもせず。
「……嫌だと言っても、お前はオレのものだ」
そっと引き寄せ、唇を交わそうとした時、背後にイヤな気配を感じた。
嫉妬と、羨望と、恨みの入り混じった、非常に凶悪な視線だった。
振り返るまでもなく。
「姜公〜、僕はあきらめません〜」
玉翠公子。岩場の影から、うらめしげに見つめている。
意地で陸までついてきたらしい。
また、面倒なのが増えた。
「あきらめてくれ……頼むから――」
疲れきった顔で、炳霊公は呟いた。

その日から、炳霊公の宮の池に、赤い人面魚が増えた。
南海竜王にお引取りを願ったのだが、丁重に断られたらしい。

END



裏扱いのページを作成した際に、ハズレページをいくつか用意していたのです。
下記のお笑いネタを組み合わせたら、この話になりました(笑)。


<1>やっと二人きりと思ったら、
宮殿(だろう、炳霊公の居住は)に、
ひっきりなしに邪魔者(神将)が訪れる。
炳霊公、キレるまであとわずか。

<2>怒ると宝珠に閉じこもることを覚えた姜公。
仲間たちには、「実家に帰らせてもらいます状態」と言われているらしい。
がんばれ、炳霊公。

<3>海で姜公の宝珠を落として大パニック。
南竜王に拾われていたものの、
宝物庫に入れられて、探し出すのに一苦労。

<4>うっかり昔のことを忘れて、
姜公にお酒を飲ませて死ぬ目に遭います。
反省。




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