伽羅
その日見た神子舞は、立ち込めていた沈香の匂いと共に、記憶に鮮やかに刻み込まれた。
*
「『庭師』。いるか?」
満月の光を受けて、幻の月李(バラ)が咲き乱れる庭園。
「はい、若様」
「花を少し分けて欲しいんだけど」
「おや、どなたに差し上げるのですか?」
もうそんな歳なんですねぇ、と『庭師』がにこにこする。
「紂王陛下の前で舞いをやった奴が、うちに逗留してるんだ。明日には出立するっていうから、ちょっと土産でも、と……」
饒舌に言い訳しようとするのがかえって怪しい。
「確か、北の姜族の神子舞でしたよね。ってことは……」
あれ? と『庭師』は首をかしげた。
「若様、その方、男の子では?」
沈黙。
「えええええっ!?」
絶叫に近い声に、『庭師』がやっぱり、と嘆息する。
「巫女って女じゃないのか!?」
「巫女ではなく、神子です。神に仕える巫覡(かんなぎ)は、歳若い少年少女ですが、豊穣祈願の神子舞を奉納するのは、一族を代表する美少年、というのが通例ですね」
「なんでだ?」
「豊穣の女神の前に可愛い女の子を出すと、機嫌を損ねるからだそうです。その点、美少年ならお小姓として喜ばれる、と」
「……意外と俗物なんだな、神様って……」
がっくりと肩を落とす天化。結構ショックが大きそうだ。
「まぁ、人間が勝手に決めたことですから。――で、どうしますか?」
気の毒そうにくすくす笑いながら、『庭師』が尋ねる。
黄家の若君は、一気にやる気を失ったようだったが、それでもここまで来てただ部屋に戻るのも悔しかったらしい。
「行ってくるよ。珍しい話くらい聞けるだろ」
「そうですね。行ったことのない国の話を聞くのも、よい勉強ですよ」
はい、と渡された白い月李は、一輪だけだった。
「これだけか?」
こんなに咲いているのに。
「一輪の花の方が、百本の花束より雄弁なことだってあるんです」
そんなもんかね。
大人の考えることはよく分からない。
月李の花は、月の雫を浴びて、柔らかな芳香を放っていた。
*
神子がいる部屋の前には、四人もの衛兵が並んでいた。やけに警戒が厳しい。うち二人は、一族からの見張りらしい。
……黄家の者だけでは、信用できないということか。
最初、正面からちょっと話がしたいと言ってみたのだが、案の定、あっさり断られてしまった。
このまま引き下がるのも悔しいので、別の手を考える。
窓から……はちょっと目立ちすぎる。
後は――。
自分の部屋に戻り、机を動かして、床を叩く。
かたん、と一部がはずれて、人一人が入れるほどの穴が開いた。
家人、特に後継ぎだけが教えられている抜け道である。
もっとも、嬋玉にはあっさりと発見されて、いい遊び場と化していたが。
緊急時の脱出路も、あのおてんば娘にかかると形無しだった。
暗く狭い通路を手探りで進む。
――たしか、この上。
押し上げるが、動かない。
上に荷物でも置かれているのか?
せっかくここまで来たのに。
あきらめるか、無理やりにでもこじ開けるか。
考えていると、板一枚をはさんで、上から声が降ってきた。
「そこに誰かいるの?」
物音で、気づかれたらしい。
まだ少年とも少女ともつかぬ、中性的な声。
あの神子だ。
「よう」
「こんばんは」
「驚かないんだな」
「驚いた方がいいんですか?」
それは困る。悲鳴などあげられたら、屋敷中、大騒ぎになる。
……それにしても、ヘンな奴。
「そこに、何か置かれてないか? こっちから、開かないんだ」
「……この留め板のことですか?」
ことん、と音がして、上から光が差し込んだ。
ようやく手を入れられる程度の小さな穴。
「これ以上はだめ。釘で打ちつけられてます」
釘?
脱出の為の通路への入り口を?
それではいざという時に役に立たないではないか。
まさか、この神子を外に出さないために、わざわざ打ち止めたのか。
警戒しすぎるにも度がすぎている。これではまるで監禁だ。
――いや、まさに監禁なのだろう。
その神子を逃さぬように。
「いつもこんななのか?」
「僕の住んでいたところでは、そんなにうるさくなかったですよ。もっとも僕が外に出るのって、決まった時期の禊の時くらいですけど」
「お前の国って、北の草原だろ。遊牧民じゃないのか?」
「完全に遊牧のところは、もっと西ですね。僕のところは半定住です。半分が邑(むら)に残って、半分が季節によって家畜を追って……。もっとも、僕は両方共よく分からないんですけど。邑の子供たちが教えてくれました」
自分の邑でも、こんな風に決められた場所に押し込められているのだろうか。見張りをつけられて。
自分もかなり家名を押し付けられて窮屈な生き方だと思っていたが……こいつは、さらに上を行っている。
「いくらなんでも、一生そのままじゃないだろう。その歳でまだ神子やってる方がおかしいんだ。そろそろお役ごめんじゃないか?」
舞を踊っていた姿を思い出す。自分と同じくらいの歳に見えた。
巫覡(かんなぎ)に指名されるのは、普通十歳くらいまでの子供のはず。
神子の役目から外されれば、普通の生活に戻れるのでは。
もっとも、こんな風に生かされてきて、いきなり通常の生活に適応できるかどうか。
「そうなのかな。ずっとこうしてきたから……」
「後継者みたいな奴とかないのか?」
「会ったことないです。僕の前には、こういうのってなかったみたいだし」
「ええ? それじゃ、なんでいきなり選ばれたんだよ」
神子は、その一族で決まった制度ではなかったのだろうか。
少し考えるような気配があって、
「多分、僕がこういうことを出来たからだと思う」
ふいに、辺りに木の気が立ちこめた。
通路にまで、鮮やかな香りが零れ落ちてきた。
「沈香じゃないか」
「じんこう?」
「香木の名前だよ。……これ、お前が?」
「うん。他にもいくつかできるけど、これが一番好き」
神子舞の時に部屋に流れていた香りは、香木を焚いたものではなく、この者の技だったのだ。
香木は、通貨の代わりとしても使われるほど高値で取引される。
特に王族が好む沈香は、価値が高かった。
しかも、この風雅な香りは最上級の伽羅と言っても間違いない。
自在に香りを操る者……これほどの宝が他にあるだろうか。
この少年本人がご神体――なるほど、警戒が厳重だったわけだ。
となると、年齢を重ねようと、一族がこの貴重な巫覡を手放すとは思えない。
本人が望もうと望まなかろうと、一生このまま――。
「……外、出たいと思わないのか」
「よく分からない。出たことないから。どこに行ったらいいのか分からないし」
確かに、籠の鳥をいきなり放しても、戸惑って元の籠に戻るだけだろう。
ふと、この神子に、春の満開の桃園や、果てしなく続く黄河を見せてやりたいと思った。
「――っと、忘れるところだった」
手にしていた月李を、穴から差し入れる。
香りを操る者に、花など必要ないかもしれないが。
朝歌で、改良を重ねられた艶やかな月李だ。草原にこんな花はないだろう。
「綺麗。それに、いい香りがする」
ここから出してやれるのなら、せめて月李の庭園だけでも見せてやれるのに。
黄家の嫡男と言っても、こんな時、自分にはなんの力もない。
ふいに、辺りを包む香りが、月李に変わった。
たった今渡したばかりなのに。……すごい。
「お前、仙人の素質があるんだ。崑崙に登れるかもな」
「崑崙?」
「この地のどこからでも見える、一番高い山さ。仙人たちが修行を積んでるって言うぜ」
「僕の邑からも見えてるあの山がそうかな。そうだね、いつか外に出られるようになったら……行ってみようかな」
そんなことは、きっとないだろうけれど。
そんな思いが言葉の端に見え隠れする。
あきらめきっているのが、あまりに切なくて。
思わず、まだ誰にも話していない決心を漏らしてしまった。
「俺はもう少ししたら、ここを出る。この大陸を旅するつもりだ」
「本当に? そうしたら、僕の邑にも来てくれる? 一面の草の海でね、風が吹くとすごく綺麗だよ」
――神子殿! 誰かおられるのですか!?
遠くから、尋ねる声が聞こえる。
部屋の外の衛兵が、話し声に気づいたのだろう。
「いいえ、なんでもありません。……見つかったらいけないんだよね。外の人と話すの初めてで楽しかった。きっと来て。約束だよ」
手が差し出された。日焼けしていない白い細い指。
外での作業などしたこともない、大切にされた、けれど束縛された者の手。
一瞬だけの軽い握手。
「さよなら――」
閉められた板の向こうから、かすかに聞こえた声。
そういえば、名前すら名乗ってなかった。
それなのに、床板を開けようとしたり、花を受け取ったり。
疑いがなさすぎるにもほどがある。
また会うことがあったら、その辺りを叩き込んでおかないと。
苦笑して、天化は自分の部屋に戻った。
手には、しばらく沈香の香りが残っていた。
*
「うちのお嬢様をキズものにして、逃げるとは卑怯であるぞ!」
「だああああっ、誤解だと言っているだろうが! 頼まれたって、誰があんなおてんば娘に手を出すか!」
家を出奔して以来、天化は黄家の追っ手と、トウ家からの追っ手に悩まされていた。
もっともいい練習相手になるので、半分楽しんではいたが。
追って来る方も、上からの言いつけで勝負を挑んではくるものの、元より黄家の後継ぎを傷つけるわけもない。
一刻ほど打ち合って、双方ケガをしないうちに、大抵はあきらめていた。
天化の方も、正式に武術を叩き込まれている自負がある。いざとなればすべてを撃退できる自信はあった。腕慣らしに丁度良い。
今回も、やけにあっさりと退いたトウ家の家臣は、すでに倒木に座り込んで一服している。
「で、若様。これからどちらに行かれるので?」
「若様はやめろって。……北の方にでも行こうかと思ってる」
あいつの言っていた、一面の草の海を見てみたい。
「北は今、紂王陛下の討伐で荒れていますよ。つい先日も、姜という一族が滅ぼされたとか」
「なんだって!?」
「なんでも、紂王陛下が指定した貢物を拒否したとかで……一族ごと討伐されたそうです」
想像するのは簡単だった。
紂王は「伽羅」を求めたのだ。
あの、他に代わるもののない神子を。
そして、一族はそれを渡すよりも、滅ぶ方を選んだ。
「そうか……あいつ、もういないのか――」
必ず訪ねると約束したのに、果たせなかった。
わずか数年で、人の世はなんとめまぐるしく変わるものか。
変わらないのは、遥かな地にそびえる崑崙の山だけ。
いつか、あそこに行こう。
『外』に焦がれていたに違いない、あいつの代わりに――。
END
オリジナル設定のリクエストありがとうございましたーっm(__)m
書こうかどうしようか迷っていた話だったので、嬉しかったです。
本当は二人を会わせてあげたかったのですが……設定の都合により声だけ。
「神子舞」で天化がまた一方的に気づいて、ショック受けてるでしょう(笑)。
さて、天化サイドを書いたら、やっぱり次は太公望サイド書かなくちゃ。
お気に入りの『庭師』さんも出してしまいました。
はい、相変わらず幽霊です(笑)。
久しぶりに豆知識。
【沈香】
ジンチョウゲ科の常緑高木の幹に自然あるいは人為的につけたきずから真菌が侵入し、生体防御反応によって分泌された油・樹脂の部分を採取したもの。
まぁ、簡単に言えば、植物の「血漿」みたいなもんです。
香木の代表とされるもので、水に沈むところから沈水香とも。
優品を【伽羅】(きゃら)と呼びます。
価値のあるものになると、数億の値がつきます。
……検索したら、3億の伽羅が出てきました。ひー。
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