「媚珠」
「放っておくわけにはいかないよね」
訪れた村で一行は、人々に泣きつかれて足止めを食っていた。
彼らは、最近山に住み着いた妖怪に、娘たちを差し出せと脅されているという。
妖怪を退治して欲しい――と懇願されたのだった。
「村人の話からすると、恐らくその妖怪は猩猩でしょう。猿が年を経て妖力を持ったもので、人間の女性をさらっていくそうです。やはり我々が生贄のフリをして潜りこむ手でしょうね。しかし、五人ですか……」
女性、女性と呟いて、太公望が周りを見る。
「嬋玉と公主、それから白鶴。行ってくれるかい?」
「ええ。女の子を食い物にするなんてとんでもない奴だわ。こてんぱんにノシてきてあげる」
「わたくしも。女性を生贄になんて許せませんわ」
「ししょー! あたしもがんばるよーっ!」
憤慨した女性陣は、やる気まんまんである。
「……あと二人」
「楊センの得意の女装でいいんじゃねぇか」
「……天化殿。得意の「変化」と言ってくれませんか……。まぁ、仕方ないですね。付き合いましょう。強いとはいえ、女性たちだけを送りこむわけにはいきませんから」
「あと一人……」
呟いた太公望を、その場にいた全員が注目した。
「え?」
「決定だな」
「な、何が?」
「がんばれよ、大将」
「えーーーー!?」
最後の一人は、結構あっけなく決まった。
*
指定の大樹の下で艶やかな乙女たち(一部問題あり)を待っていたのは、巨大なサルのような生き物だった。
全部で五匹。
数は少ないが、それなりに年を経た妖怪たちであった。
人間の姿をしてはいるが、服から出ている腕や足を覆う剛毛はどう見ても獣だ。
予想以上の収穫に、猩猩たちは大喜びである。
彼らの力量をざっと見て、個々の戦力はたいしたことはなさそうだと太公望は判断した。
下手に五匹まとめて相手するよりも、分断した方がいい。
彼らの言うなりになると見せかけて、皆に、分かれてから各自撃退するように目配せする。
太公望を部屋に連れ込んだのは、群れのボスらしかった。
一際身体が大きく、しかも、人の言葉を操っていた。
「オ前、一番キレイ。気に入ッタ。俺、オ前、食ウ」
「……お断りします」
丁寧に太公望は頭を下げてから、打神鞭を取り出した。
振り上げようとしたのだが、そのまま取り落とす。
「あれ……力が入らない――?」
あわてて、部屋の中を見まわす。
部屋の隅で、小さな香炉が煙を立ち上らせていた。
匂いはないが、あれのせいらしい。
おまけに、意識もぼんやりとしてきた。
ひょいと抱えあげられて、どこから運んできたものか、趣味の悪いやたらに立派な寝台に寝かされる。
「ウマソウダ……頭カラ足ノ先マデ食ッテヤル――」
生臭い息に、血の気が引く太公望。
襟元に毛むくじゃらの手をかけられて、たまらず悲鳴をあげる。
「やだーっ、誰か助けてーっ!」
「ったく、情けない大将だな」
「……天化!」
がしゃん、と音を立てて、香炉が倒された。
一筋煙を残して、それは立ち消える。
現れた邪魔者に、猩猩は怒り狂っていた。
「オ前、イラナイ、殺ス!」
「……おもしれぇ、かかってこい!」
莫邪の刃ですら跳ね返す剛毛に手間取ったものの、たかが年を経ただけの妖怪仙人に天化が負けるわけもない。
「相手が悪かったな。百年くらい修行積み直してきな!」
莫邪宝剣に刺し貫かれ、妖気を吸い取られた猩猩は、半分くらいの大きさになっていた。
蹴飛ばされて、傷を押さえながらほうほうの体で逃げて行く。
「おい、しっかりしろ。他の連中はうまくやったみたいだぜ」
「そう……皆無事なんだね、よかった」
「……こんな連中に、媚香なんぞ使う知恵があったとはな」
よほど怖かったのか、太公望は涙ぐんでいる。
媚香の影響で神経が高ぶっているのもあるだろう。
潤んだ目が、男のクセにえらく色っぽい。
「……生きながら食べられるのは、やっぱりちょっと……」
その言葉に、あきれる天化。
「お前、まさか、本気で奴の「食う」ってのをそのままの意味だと思ってんのか?」
「……違うのか?」
濡れた目で見上げられて、返答につまる。
(ったく、ここまで天然だとはな。まぁ、下手に経験がないおかげで媚香の効果がこの程度で済んでるんだろ)
手を貸して、起きあがらせようとして、天化は異常に気づいた。
身体に力が入らない。
(ウソだろ、媚香はもう消したはず……)
さっき叩き消したはずの香炉に目をやる。
――しまった。まだくすぶっている。下手に消しかけたものだから、余計に煙が上がっていた。
「天化? どうしたんだ、しっかり――」
かけられた声が甘く響く。
つられるように、思ってもいなかった言葉が口をついた。
「お前、奴の食うって意味がわからないって言ったよな」
「う、うん?」
太公望はきょとんとしている。
その子供のような顔を泣かせてみたくなる。
「……教えてやろうか? お前一人くらい、俺だって食えるんだぜ」
「え――?」
手が、勝手に動いた。
支えるつもりだった体を、寝台に押し倒す。
太公望はまだ状況がつかめず、ぼうっとしている。
白い首筋に唇を落とそうとしたその時。
「「ちょーーっと待ったー!」」
威勢のいい声と共に、ドアが開いた。
風が吹きこんでくる。
立ちこめていた煙が薄らいだ。
「お……俺、今、一体何を――」
正気に返った天化が、寝台から飛び退いて、呆然と呟く。
それに向けて、白鶴が宝貝を振り上げた。
「問答無用っ、板角大青牛!!」
続いて嬋玉も。
「こんのスケベ! いけ、五光石!!」
「ぎゃああああっ!」
強力な宝貝の餌食になっている天化に心のうちで合掌しながら、楊センは寝台の太公望に駆け寄った。
「太公望殿、しっかりなさってください」
「うーん……楊セン殿?」
とろん、とした目で見上げられて、楊センが絶句する。
しどけなく開かれた襟元から覗く白い肌、誘うような形の良い唇。あまりに扇情的な――。
「た、太公望殿……っ」
「楊セン様?」
にっこり笑って、公主が楊センの腕をギリギリとつねり上げた。
おかげで楊センは正気に返ったが、腕のアザは一ヶ月くらい消えなかったらしい。
*
翌日天化は、滝に打たれてくる、と陣営を抜けた。
では私も、と楊センもつきあった。
媚香の効果とはいえ、よりによって自軍の大将に骨抜きにされかけたという事実に、二人共かなり打ちのめされていた。
いずれも、街を歩けば女性の方が放っておかない美丈夫だ。色事にはそれなりに通じている自負があっただけに、余計にショックが大きかったらしい。
盛大に滝の水を浴びながら、楊センがため息をつく。
「いやぁ……まさか、太公望殿の色香に迷うとは。我々も修行が足りなかったようですね、天化殿。――天化殿?」
岩の向こうで、天化は滝に打たれるどころか、水の中に沈没していた。
「……あちらはまだ重症みたいですね――」
苦笑する楊セン。
あの誇りの塊のような剣士は、自分が許せないに違いない。
自分も危うかったのだから、気持ちはよく分かる。
放っておいてやるのが、情けと言うものだろう。
一方、水に潜ったまま、天化は自分に言い聞かせていた。
(冗談じゃねぇぞ。何が悲しくてこの俺が、あんな大ぼけ野郎に……。媚香のせいだ、一時の気の迷いだ、通魔鬼がついたんだ。――よーし、もう大丈夫!)
溺死寸前で、ようやく天化は水からあがった。
*
「あ、やっと戻ってきた」
駆けつけて来たのは、当分見たくなかった顔……太公望だった。
いきなり、甘えるように腕にしがみつく。
「早く教えてよ」
「な、何をだ!?」
元凶にまとわりつかれては、せっかくの水行も効果が吹っ飛ぶというもの。
「あの妖怪の「食べる」ってどういう意味?」
あまりにも無邪気に尋ねられて、真っ白になる天化。
「皆に聞いても、ちゃんと答えてくれないんだ。……よく覚えていないんだけど、確か教えてくれるって言ってたよね」
「じょ、冗談……っ!」
なんで、こんなことだけ覚えているんだ、こいつは。
「えーっ、ずるいよ、なんでーっ?」
「頼む、勘弁してくれーっ!」
脱兎の如く逃げ出す天化。
「ちょっと待ってよ、天化!」
ぱたぱたと追いかけていく太公望。
(天化殿……これも修行の一環ですよ……多分ね)
もう一度滝に打たれる羽目になりそうな天化を見送って、楊センは深いため息をついた。
END
媚珠とは、年を経た狐が持つという、媚薬のような効果を持つ珠のこと。
妲己が紂王を骨抜きにしているのは、やはり媚珠を持っているからでしょう。
今回は、太公望サンのことです(大笑い)。
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