若紫


炳霊公は、いつものように蓬莱山の頂きから人間界を見下ろしていた。
いつもと変わらない風の流れ。
この1000年と言うもの、ほとんど変わりばえのない日々。
ごく稀に妖怪や仙人による戦いなどもあったが、神界には一騎当千の神将がたくさんいる。
大抵は、自分が出るまでもなかった。
いつの間にか、人間界の大気の流れを『見る』のが日課になっていた。
風に紛れて流れる人々の気の流れ。
一人ずつわずかに違っている。
今、地上で生きている人々。
その中から、たった一人を探している。
神将になってから、ずっと。
地上に存在しているのかどうかもわからないままに。
今日も地上から届く春の花の香りのする風を追っていた。
そして――
ほんの一瞬、掠めた気配。
『あいつ』だ。
そう思った時には、地を蹴っていた。
残り香のようなかすかな『気』を辿る。
ついたのは渭水の流れのほとり。
人間界にしては、そこそこ立派な屋敷だった。
窓の中に、ほっそりとした人影が見えた。
流れる黒髪。
どうしてこんなところにとか、何故今まで分からなかったのか、などという考えは消えてしまった。
探し続けていた存在が、確かに今、目の前にいる。
「やっと見つけた……探したぞ!」
だが、振り返った顔は、予想したものとはまったく違った。
華やかな美貌の女だった。
獲物を狙うような目がきらりと輝いた。
「あらっ、まぁ、いい男!」
「あ?」
手にしていた色鮮やかな扇子を放り出し、窓に駆け寄ってくる。
「あなた、今、私を探してたって言ったわよね?」
「あ、ああ……」
いきなり手を掴まれ、その積極ぶりに自信を失う。
辿ってきた『気』は確かに彼女から感じられる。
だが、それはとてもかすかで、彼女自身が発する炎の気に紛れていた。
「こういう展開を待ってたのよ、私は! 行くわ、どこにでも行くわ、連れてって〜」
「お、おい、ちょっと待て……」
「あら、声をかけておいて、何をためらいますの? わたくしをさらっていってくださるのではないの?」
がしっとしがみつかれて、言葉を失う炳霊公。
(こ、これは夢か? いくら転生して育った環境が違うからって、いくらなんでも……)
捜し求めていた相手との、あまりの落差に気が遠くなりかける。
「葛葉! ど、どなただ、その方はっ」
家の奥から、男の声が響いた。
動転して情けないくらい声がひっくり返っている。
それでも、そこにいる者が人外の存在だと言うのは一目で見て取ったらしい。
怒りながらも、敬語になってしまっているのが笑える。
「お前、あれほどもう浮気はしないと――」
「あら、そんなこと言ったかしら」
会話からすると、このさえない男は、自由奔放な女性の夫らしい。
ということは。
「ひ……人妻?」
今までの衝撃も、新しい事実の前にふっとんだ。
「き、貴様! 『これ』は俺のモノだぞ!」
「ひえっ!? そ、そんな! 私は五年前に正式にこの葛葉と結婚しておりまするです〜っ」
「こっちは1000年も探してたんだぞ! ――五年もだとぉ!?」
1000年の前では五年などほんのわずかな時間のはずなのに、他の人間に奪われていたと思うと腹が立つ。
喚いた青年に、主人も驚いた。
「1000年!? 貴方様は一体……」
「俺は炳霊公だ!」
「炳霊公……し、神将殿であらせられますか!?」
パニック状態の主人は、その場でひれ伏した。
「あなた、しんしょうって?」
「天界を護る将軍様だよ、お前!」
あわてて説明する夫に、女は一瞬目を丸くしたものの、高らかに笑った。
「まぁ、素敵! わたくし、神将様のお目に止まったのね!」
「こ、これ!」
「天界もわたくしの美貌を認めてくださったのだわ!」
うっとりとしている夫人は言葉など聞いてはいない。
「永遠の命! 永遠の若さ! へいれいこう様?(←字が分かってない) わたくし貴方様の元に参りますわ〜」
そのきらきらした眼差しには、素直にうなずけない。
「えーと――ちょっと待ってくれ。やっぱり間違いみたいだ」
「いやーん、そんなこと、おっしゃらないでぇ」
窓から離れようとするのを許さず、後ろから首にしがみつく。
「おい、主人っ!」
たまりかねて、だんなに向かって叫ぶ。……何かおかしいが、仕方がない。
「これ、葛葉、止めなさいっ。神将殿がお困りではないか。――改めてご挨拶申し上げます。わたくし、盧と申します。この渭水に任官して五年、なんとか戦もなく、平和に過ごしております。この葛葉とは幼馴染みでして……」
幼い頃から尻に敷かれていたようだ。
貢ぎ続けてようやく結婚を承諾してもらった……というのが容易に想像できる。
そして、この気の強そうな奥さんは、平凡な暮らしに退屈しきっている、と。
神将の訪れは、それこそ願ってもない出来事だったに違いない。
間違いなら間違いで、逃げてしまえば笑い話で済む。
……問題は、何故彼女から、探している者の『気』がするか、ということだ。
しかも、今日になって突然。
「俺は1000年前の商との戦いの後、行方不明になった奴を探してる。――その『気』が、確かにこの女性からするんだが……」
「ですから、わたくしなんですわ〜」
違うと言ってくれ。
「さぁ、それがしには、心当たりは……」
主人の言葉に偽りはなさそうだ。
あと、考えられるのは。
「もしかして、あんた何か持っていないか? 玉とか、鏡とか……」
「あらん。ご自分でお確かめになられては?」
「お前〜っ」
誘うような眼差しと言葉に、だんなが悲鳴をあげる。
ため息をついて、炳霊公は葛葉の体に手を伸ばした。
これ以上、気の毒な主人を刺激しないよう、直接触れないように気をつけて。
確かに彼女の『中』から感じられる。
彼女自身の燃えあがるような炎の気と共に、静かな木の気が。
二つの属性を持つのは非常に稀なのだが。
やはり、これが『あいつ』の転生なのか。
腰のあたりに差し掛かった時、手が止まった。
そこで、一番強く感じる。
「あんた、一体何を身につけて……いや、これは――」
もしかして。
「子供……か?」
「「ええっ!?」」
驚きの声は、夫婦の両方から上がった。

*

産まれた子供は漆黒の髪で、生まれながらに鮮やかな木の『気』を持っていた。
にこにことよく笑い、周りの人間たちを魅了しまくっている。
間違いない、あいつの生まれ変わりだ。
きっと、昔のことは何も覚えていないだろうけれど。
――やっと見つけた。
「ただの人間に、俺は関わらない方がいい。こいつが大人になるまで、俺はもう来ない」
「まぁ、残念ですわ。せっかく、神将の訪れる家って売り出そうと思ってましたのに」
……この女性の性格は変わりそうにない。
正直なところ、彼女に育てられる『あいつ』が、非常に心配なのだが。
「それでは、私がよーく言い聞かせて育てますからご安心くださいませ。お前は神将様に見こまれた子だってね」
「それじゃ、意味がないだろう?」
神界と関わりがあることを鼻にかけるような人間にはならないで欲しい。
そう願って、この場を去ることを決心したのに。
だが、葛葉はころころと笑った。
「あらっ、その程度で変わるような魂の持ち主なんですの? あなたの探し人は」
その言葉に、苦笑するしかない。
いつの世も、女は強い。
「また、な」
炳霊公の声に、確かに赤子はにこりと笑った。

END


ここで終われば、幸せな光源氏計画なんですけど(笑)。
すいません、続きます。
ちゃんと、姜公の玉(ギョク)の話とつなげますんで、悲劇を覚悟。

なんで「若紫」かって言うと、源氏物語の題名なんです。


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