空蝉
十六の誕生日に、僕は蓬莱山に昇った。
かねてより、両親から話を聞いていた人に会うために。
正確には、人ではなく神様なのだけれど。
通る者を選ぶという山の細い道は、僕を邪魔したりしなかった。
一ヶ月はかかると思われた山の頂きへ、三日くらいで着く。
途中であった獣たちも、遠慮するかのように身を引いてくれた。
人間界でも、時々感じることはあったけれど、誰かに護られていることを確信する。
神界三山の守護者、炳霊公。
一体どのような方なのだろう。
あの母が一目惚れしたのだというのだから、相当な美丈夫なのは間違いない。
その時の話になると決まって饒舌になり、自分を選んでくれればいつでもついていったのに、と言い出して父をやきもきさせていた。
それでも父は、母がいないところで、その方の誠実さや戦いぶりを話してくれた。
あまり表には立たないけれど、元々勇猛で鳴らした神将なのだという。
領地を妖獣に襲われた時に、それらを倒してくれたことなどは、よほど印象深かったのだろう。あのおとなしい父が身振りを交えて何度も話してくれた。
僕は、その方が探している人の転生なのだという。
大人になったら会ってくれるとずっと言われていたけれど、一体いつのことなのか分からない。
どうしても我慢できずに蓬莱山に登ることを願い出た。
両親は反対しなかった。
ただ、気をつけて行くように、とだけ。
そして、今、僕はここにいる。
いきなり、前が開けた。
柔かな草が吹き上げる山風に流れる。
山の頂に見えた白亜の宮。
陽射しを浴びて、白銀にきらめく。
そちらへ向かおうと思った時、広場となった草原のはずれに人の姿があるのに気づいた。
草に埋もれて眠っているようだった。
仕事をさぼっているような様子に、思わず笑って声をかける。
「炳霊公様の宮の方ですか?」
身を起こした青年が、呆然とした表情でこちらを見る。
「……太公望――?」
呼ばれた名に覚えはなかったけれど。
すぐに分かった。
この方が炳霊公、本人だ。
あまりに突然だったので、何を言えばよいのか分からない。
とっさにその場に跪いて、頭を下げる。
いきなり声をかけるなんて、とんでもなく失礼なことをしてしまった。
怒って、地上に戻されるのでは。
そんな怖れに体が震える。声が出ない。
けれど、頭上から降ってきた声はとても優しかった。
「盧氏と葛葉殿の子供か。大きくなったな。――名前は?」
顔を上げると、炳霊公は手の届くほど近くにいた。
本当なら、直接顔を見ることもできないほど『上』の方なのに。
「尚と申します」
僕が名乗ると、炳霊公は驚いたようだった。
「あの――?」
「いや……言霊って本当にあるもんなんだな、と思って」
「?」
「来い、尚。神界を案内してやる」
まるで自分の庭へ招き入れるような気安さで、ずっと会いたいと願っていた人は、僕の名を呼んだ。
*
炳霊公の宮で、正直言って僕のすることはなかった。
もう千年もの間、政務は側近の文官たちが受け持ち、しかも彼らは別の宮にいる。居住となっているこちらの宮の管理も、人形を取った半獣や精霊たちがこなしていて手を出す隙がない。
気にしないでゆっくりしていていいとは言われたけれど。
仕方がないので、朝一に、宮中の窓を開けて回るのが日課になった。
何せ、途方もなく広い。それだけで、一仕事ではあった。
今まで使われていなかったらしい部屋も手入れは行き届いて綺麗だったが、風を通すと気持ちよかった。
気候の変化の少ない神界は、穏やかに時が過ぎる。
ただそこにいることに慣れ始めた頃、炳霊公が出かける準備をするようにと言った。
天界の神将たちが集まるという。
「僕も行ってよろしいんですか?」
「……お前を見せろってうるさいんだ」
「?」
面倒くさそうな顔をしながらも、本当は少し嬉しそうだった。
多分、古い知り合いと顔を合わせるのは久しぶりなのだろう。
天界の騎獣に乗せてもらって空を駆ける。
雲を下に見るのはまだ慣れない。
でも、支えてくれる手があるので、怖くはなかった。
「太公望殿!」
「うっわー、本当に大将じゃねーか!!」
到着するなり、立派な神々に取り囲まれた。
その場に跪いてしまいそうになるのを、炳霊公が止める。
「堂々としてろ。お前には、ここにいる権利がある」
多分、それは自分の前世のこと。
でも、僕は何も覚えていないのに。
その不安を見ぬいたかのように、その場にいた、一番若い少年神が叫んだ。
「俺のこと分からないのかよ!」
知っていて当然なのに! という顔に、思わず後ずさる。
怯えを鋭く看破して、さらに彼は詰め寄る。
「じゃあ、天化のことも覚えてないのか?」
「え……と、どなたですか?」
「かーっ、薄情な奴だな! 炳霊公じゃねえか!」
天化というのが、あの方の元の名前なのだろうか。
昔の話は少しも話してもらったことがない。
自分は何も知らないのだ。
何故、自分がここにいてよいのかという理由すらも。
「お前、本当に太公望かよ?」
疑うような辛らつな口調。情け容赦のない言葉に、何も言葉が出てこない。
「お止めなさい、那咤太子!」
先ほど真っ先に迎えてくれた美貌の女神に一喝されて、少年神は舌を出して逃げて行ってしまう。
彼女は気にしなくていい、と言ってくれたけれど。
急に不安が大きくなった。
皆が僕を知っている。
でも僕は知らない。
――太公望ッテ誰?
それは僕じゃない。
ここで求められているのは、その人。
僕じゃない。
もしかして、炳霊公様も?
急に怖くなって、その姿を探す。
ここに……あの人のそばにいていいのだと、言って欲しかった。
神将たちの間をかいくぐって探していると、求めていた声が聞こえた。二郎神君という青年神と話していた。
僕のことだった。――近寄れない。
「それでは、身体だけが転生して?」
「ああ、昔の記憶はない。あの戦いのことも覚えちゃいない」
「それは寂しいでしょう」
「何、最初からやり直すだけさ。それに……まだ、あきらめてないから」
それがどういう意味なのか、僕にはまだ分からなかった。
ただ、不安だけが雨の日の雲のように広がって、消えなくなった。
**
貴方はいつでも、僕の向こうの人を見ている。
――オ願イダカラ、僕ヲ見テ。
そばにいさせて。
代わりでもいいから。
――嫌ダ、今イナイ人ノ事ナンカ忘レテ。
炳霊公が宮から姿を消している時は、太公望という人の魂を探しているのだと知った。
僕の前世であるはずの人。
人としての死を迎えた時、身体だけが尸解して、魂は輪廻の流れから外れたのだという。
炳霊公があきらめていないのは、その存在。
探しているのは、僕ではなかった。
あの人の願いが成就することを祈っているのに、心の中に棲む悪魔が囁く。
――太公望ナンテ見ツカラナケレバイイ。
きっと、近いうちに僕は壊れてしまう。
早く、僕は、僕を消さなくては。
この醜い想いに気づかれないうちに。
***
「炳霊公様」
「尚? どうした、改まって」
僕は初めてここに来たときの服を着ていた。
ここを去るためには、神界に関わるものを身につけていてはいけないような気がして。
「今日は、お別れを言いに来ました」
「尚!? 何をいきなり……人間界に戻るのか? でも、お前の両親はもう――」
「はい、知ってます。人間界には戻りません」
「それじゃ、なんで――」
その顔に、怒りはなかった。
ただ、驚きと、当惑と。
そんな表情をさせてしまったことを申し訳なく思う。
何か気に障るようなことを言ったかと心配するのに、かぶりを振る。
「僕は、この身体に間違って入ってしまったんです。だからもう、お返ししなくては」
貴方が必要としているのは、この器。
中に入るべき人を見つけたら、僕は必要なくなる。
この人は優しいから、僕を見捨てたりしないだろうけれど。
それでもきっと壊れてしまう。
そうなる前に。
僕の内に巣くう魔に気づかれる前に。
「どうか、探されている方にこの身体を使ってもらってください」
そうすれば、僕は器だけでも貴方の側にいられる。
――ソウスレバ、キット貴方ハ僕ノコトヲ忘レナイ。
心のどこかで、悪魔が呟く。
「僕は……貴方に会えて幸せでした」
ずっとそばにいたかった。
――僕ダケノソバニ、イテ欲シカッタ。
「尚!?」
止めるのを待たず、手にしていた薬を飲みこむ。
身体だけを昇華して尸解する丹薬とは逆に、身体だけを残して魂魄を消す薬だった。
自分がどんなに身勝手で残酷なことをしているか、分かっていた。
でもこれで、探している人が見つかった時に、僕よりもその人を選ぶところを見なくていい。
「尚!」
最後に聞こえたのは、僕の名だった。
あの人ではなく。
僕は満足したのか、後悔したのか。
もう、何も 分からない…
***
魂魄を失った身体を、炳霊公は封じた。
蓬莱山の頂きに。
尚はそこから地上を眺めるのが好きだった――。
END
前回とはうって変わって、真っ暗な話になりました。
暗い話は嫌いです。(T_T)
もー二度とこんなのは書かないぞーっ。
……って、この話は続きます。
次で全部フォローします。(大丈夫かな)
それは置いといて。
オリジナルでも二次創作でも。
小説を書いていて、話と話がつながる瞬間はひじょーに気持ちがいいです。
ジグゾーパズルのピースがきれいにはまったみたいで。
今回は、M様の「太公望の転生を探していたら、まだ生まれてない赤ちゃんで…」というヒントを見た途端に、姜公の魂と、身体が別に存在してたというところまでポン、と出来まして。
これで、姜公の実体ができるゾ、と喜んだのですが、それじゃその身体に入ってた魂は? と追いかけてみたら…尚がこんなに辛い思いをしてました。
うちの炳霊公、融通が利かないもんで、二人して不幸になっちゃった。
楊セン=二郎神君が、しきりに女性を紹介し始めたのはこの後から。
炳霊公の傷心ぶりを見かねたんでしょう。
尚を封じちゃった以上、もう太公望の転生もないと思って。
「空蝉」も源氏物語から。
蝉の抜け殻、の意味です。嫌なくらいぴったり。(T_T)
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