病魔
とても暑い日だった。
次の関門までは間もあるので、多少気が弛んでいたのかもしれない。
武吉たちが川で泳いでもいいかと聞いた時、僕はあっさり了承した。
そして、残りの者にも小休止するように伝えて。
危険があるなど、夢にも思わずに。
気持ちよさそうに水浴びを楽しんでいた武吉たちの様子が、いきなり変わった。
武吉が苦しげに顔を歪めて、倒れ付す。
突然暴れだした竜鬚虎の発手群石が、土行孫に当たった。
二人して、同時に水中に倒れる。
あわてて、三人を助けに行こうとした僕を、聞き覚えのある声が止めた。
「川に入ってはいけないのである」
「水を飲むと病気になってしまうのである」
一つ目の桃花嶺の精霊、高覚と高明だった。
「どういうことだ!?」
「道士が、川上に病気の素を流したのである」
「痘というのである」
痘瘡……死に至ることもある伝染病。
その素を川にまいただと?
僕らだけでなく、川下の普通の人々もこの水を飲むのに。
一体、なんてことを!
「嬋玉、公主! 皆が無事か確認してきてくれ!」
二人が駆け出すのを見送って、僕は乾坤術で川底を変化させ、水に流されそうになっていた三人をとりあえず助ける。
安命術をかけてみたが、すでに高熱にうなされていて、ほとんど効き目はないようだった。
嬋玉たちが、蒼ざめた顔で駆け戻ってきた。
「だめ。無事なのは私たちだけ」
「皆さん、お熱が高くて……お医者様を呼ばないと」
そんな暇はない。
間違いなく、敵は僕たちのすぐそばにいる。
ここで僕らが離れれば、倒れた仲間たちはなんの抵抗もできずに殺されてしまう。
しかし……この人数で、もちこたえられるか?
もし撃退できたとしても、肝心の薬が……。
「薬があるのである。薬を飲めば病気は治るのである」
「桃花嶺にあるのである。誰か取りにくるとよいのである」
二人の言葉がどんなに嬉しかったことか。
「私が参りますわ!」
風を友とする公主なら、桃花嶺まで一飛びだ。
彼女に任せよう。
彼らの姿を見送って、僕は嬋玉を振り返った。
「嬋玉。彼らが戻るまで、なんとか持たせないと」
「大丈夫よ。覚悟はできているわ」
女の子にしては頼もしい言葉に苦笑する。
……あともう一人、ここにいてくれれば――
その思いを僕は打ち消して、川向こうに現れた人影に対峙した。
*
黄花山の呂岳四弟子と名乗った者たちは、強敵だった。
ただでさえ、四対ニ。
足場の悪さを利用して、なんとか取り囲まれないように守りつづけていたが、このままでは……。
「お薬をお持ちしましたわ! ……でも、お二つしか……」
公主の叫びが聞こえた。
相当急いできたのだろう。肩で息をしている。
握りしめた小さな小瓶が二つ。
涙ぐんだ目が、それを早く飲ませたい、と訴えている。
――公主の大好きな人に。
誰に飲ませるかを選ぶ……。
その段になって、僕は愕然とした。
皆が同じように苦しんでいるのに、誰か二人だけを選ばなければならない?
急がないと、この強敵に三人だけで持ちこたえられるわけがない。
それは分かっている。
分かっているけれど……。
本当は、真っ先に一人の顔が浮かんではいたのだが。
「何を迷っているの、太公望さん! 今は一刻も早くこいつらを倒さなくちゃ。私たちがやられたら、病気を治すこともできないのよ! ……戦力で言うなら、間違いなく、天化と楊センさんでしょ!」
周信の振り下ろした剣を跳ね除けて、嬋玉が叫ぶ。
迷いのない声。
その言葉にほっとする。
「公主、薬を楊センさんと天化に!」
「はいっ」
あとは、彼らが回復するまで、奴らを食い止めてみせる。
――なんとしても。
*
「お薬をお持ちしましたわ。さ、楊セン様、天化様、お飲みになって」
普段ののんびりぶりがウソのように、公主が駆けつけてきた。
もちろん、目的は隣の楊センなのだが。
「太公望様と嬋玉様がなんとか食い止めておられます。でも、このままでは……さ、お早く!」
薬を受け取ったものの、公主がそれ以上小瓶を持っていないようなので、俺は飲むのをためらった。
「他の連中の分は?」
案の定、公主はかぶりを振った。
「今は、まだお二つしか。あの敵を倒せれば、もっとたくさんいただいてこれるのですけど……」
俺と楊セン。
西岐軍で、九竜派道士と渡り合える者……と考えて選べば妥当な人選だろう。
だが。
「……場所はどんなところだ。相手は?」
「川を挟んだ岩場です。相手は四人ですが、術使いで、どんどん攻め込んでいて……」
俺は、傍らでやはり小瓶を手にしたままの楊センを見る。
「楊セン。あんた、まだ大丈夫だな?」
「ええ」
「那咤。お前も平気だな?」
「おう。あったりまえじゃねぇか……」
あまり大丈夫じゃない顔で、那咤が憎まれ口を叩く。
どうしてこいつが病気になったのか、それはそれで不思議なのだが、太乙真人殿が那咤をどこまで人間に近くできるか試した結果だろうか。
この状況では、ありがた迷惑だが。
「親父も……な」
「当然だ!」
主な連中の返事を確認して、俺は改めて公主に言った。
「公主。この薬、雷震子と天祥にやってくれ」
韋護の膝に倒れてすでに意識を失っている雷震子。
俺にもたれかかって、もうろうとしている天祥。
……子供の体力で、この熱は命取りだ。
多分、太公望は、病がここまで急激に悪化していることを知らない。
「でも、太公望様は、楊セン様と天化様にと――」
「うるせえ! こんな汚い手を使う奴らなんぞ、俺たちが出張るほどの相手じゃねぇんだよ!」
「公主。私からも頼みます。……ですから、早く」
楊センの言葉に、公主は泣きそうな顔で、うなずいた。
思い人を治すことができなくて、さぞかし俺がうらめしかっただろう。
それでも、薬はすぐさま二人の口に運ばれた。
二人の顔から、不自然なまでの紅潮が薄れていくのを見て、俺はほっとしていた。
――悪いな、太公望。あとでいくらでも、怒られてやるからよ。
**
まだか……。
公主も、薬を渡したはずの二人も。
そんなにすぐに回復できる薬ではなかったのだろうか。
ならば、せめて公主だけでも戻ってもらいたい。
この四人相手に、二人だけで対抗するのはそろそろ限界だ。
隣で、剣を構える嬋玉の息が乱れている。
その背に、李奇が槍をつきたてようとする。
咄嗟に割って入り、一撃を覚悟したその時。
一陣の風が傍らを行き過ぎた。
肩に刺さった矢を引き抜いて、李奇が飛び退る。
「太公望さん!」
「おにーちゃん!」
聞こえた声は、期待したものとは違った。
その失望が顔に出てしまったのだろう。
駆けつけて来た天祥がちょっと悲しそうな顔になり……ふいに、毅然とした鋭い目になった。
その目は、驚くほど、兄に似ていた。
「太公望さん、心配しないでください、僕たちが戦います!」
「らいちゃん、がんばるのだ! ぜったいまけないのだ!!」
言って、二人は武器を構えた。
あの四人に一歩も引かない。
戦っているうちに、二人が予想以上の働きをしてくれるのに気が付いた。
皆の代わりに必死になっているからだけではない。
足場の悪い岩場にも関わらず、対等以上に戦っている。
天祥は離れた場所からでも的確に矢を射かけ、雷震子はもとより翼があるので岩場など障害にならない。
この二人が、この場所での戦いに最も適していたことを今更ながら気づく。
天化は、そこまで考えて薬を渡したのだろうか。
見かけにごまかされて手を抜いていた周信たちの表情が、次第に険しくなる。
余裕のなくなった彼らは、今までの連携を忘れてばらばらに飛びかかってきた。
……こんな卑怯な手を使う連中に。
仲間を信じることすら忘れた連中に、僕らは負けない。
絶対に。
***
熱でぼんやりとしていた頭が、急にはっきりしてきた。
(誰だ……天祥か?)
誰か、すぐそばにいる。
だが目の前にいたのは、予想とは違う人間だった。
「……よう」
「天化のバカ」
……いきなり、それかよ。
まぁ、今回は、我慢しよう。
なんせ、軍師サマの命令に逆らっちまったんだから。
うるさい説教が済むまでと思って目を閉じる。
だが、いつまで待っても、予想した悪口雑言は降って来なかった。
もう一度目を開けて、驚いた。
「な、何泣いてんだよ!」
「僕は軍師失格だ」
いきなり何を言い出すやら。
「あの岩場での戦いに、雷震子と天祥が最適だってことも考えて、二人に薬を上げたんだろう? 目先の戦闘能力だけで選ぼうとした僕は大馬鹿だ」
あ? いや、そこまで考えていたわけじゃないんだが。
ただ、あの時は天祥と雷震子がやばそうだと思っただけで。
……まぁ、いい方に考えてくれるなら、黙っていても損はない。
「別に、いいんじゃねぇか? 西岐軍で道士相手に腕の立つのを選べって言われれば、誰だって俺と楊センを選ぶだろうさ。――ま、全員無事だったんだろ? それで良しとしようぜ、大将」
「それはそうだけど……」
話しているうちに落ちついてきたのか、太公望がいつもの表情に戻ってきた。
このふくれつらは……やばい。
「まったく、天化って、無茶ばっかりするんだから! こっちに来た敵を相手に一暴れしておいて、薬が届いた時に自分は最後でいいって言ったんだって? いい格好しすぎだよ!」
やっぱり説教になった。
でもまぁ、今日くらいは、いいか。
病気なんぞで倒れている間に、この頼りない大将が敵にやられていなかったことを天帝に感謝して、俺は嵐が去るまで寝ることにした。
その後、一週間ほど、嬋玉が俺の顔を見るたびに五光石をしかけてきた。
その理由を誰も教えてくれなかった。
END
いやー……なんだか物足りなかったので、最後にサービス……。
終わっちゃえ。
結構、印象深いイベントでした。
あの人数から、たった二人選べって言うんですもん。
ゲームですから、お気に入り選べば済むことなんですけど、実際には悩みどころだろうなと。
だって、誰選んでも後で、「私よりあっちを選ぶのねー」(笑)と文句が来そうじゃないですか(^^;
もしこの時、嬋玉も倒れていたら……さらに状況は悪化(笑)。
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