「人身御供」
「いいかげんにしろ!」
一喝されて、太公望はびくりと身体を縮めた。
彼が加わってから、それなりに日数が経っているのに、正面から睨まれるとまだ怖いと思ってしまう。
「俺たちは、一刻も早く西岐へ行って、商への兵をあげないといけないんだろうが! こんなことに構ってる場合か!」
「分かってますけど、でも……」
「――勝手にしろ! 俺は知らねぇからな!」
取り付く島もない。
足早に天幕を出て行く背を見送って、太公望はため息をついた。
天化の言うことも正しい。
商の状況を考えれば、少しでも先を急がないといけないのに。
けれど、苦しんでいる人々を見捨てていくことは、太公望にはどうしてもできなかった。
陣営を張った時、近くの村からその代表たちがやってきたのだ。
この辺りは日照りに苦しんでおり、その原因は湖に住みついた大蛇なのだという。
歳を経た妖蛇は村の人間を生贄に要求してきた。
しかし、誰かを犠牲にするくらいなら、村ごと滅びた方がまし。
そう決心したものの、抵抗できるものならなんとか抵抗したい。
道士たちの一行のことを聞きつけて、彼らは相談にやってきたのだった。
この蛇を倒せないものかと尋ねられ、つい太公望は何とかすると約束してしまったのだった。
その後天化に、このお人好しと散々悪態をつかれ、現在に至る。
「大丈夫ですよ、太公望殿」
楊センが、すっかり肩を落としている太公望を慰める。
「なんだかんだ言っても、いざとなれば助けに現われますよ。そういう性格です、彼は」
「そうでしょうか……」
「余計な寄り道をして、貴方が怪我をすることを心配しているんですよ。……ご心配なく、これを機に、少しは歩み寄れるかもしれませんしね」
「?」
何か面白いことでも思いついたのか、楊センは楽しそうにくすくすと笑っていた。
*
「天化殿」
「……楊センか」
不機嫌な顔で天化が振り返る。
彼の心情を代弁するかのように、今まで宙空に銀の軌跡を描いていた莫邪宝剣がぎらり、と輝く。
「随分と太公望殿に噛みついてますね。そんなにお嫌いですか?」
「……別に嫌いなわけじゃねぇ、見ててまどろっこしいんだ。――いつまでたっても敬語使いやがるしよ」
階級を感じさせるような言葉使いを嫌う天化は、同い年の太公望が丁寧語を使うのが不愉快らしい。
「言葉使いが丁寧なのは、太公望殿のいいところですよ。……誰もが貴方みたいに、出会ってすぐの相手に傍若無人に振舞えるわけじゃありませんって」
こちらも馬鹿丁寧な言葉で、何気なくイヤミを言う楊セン。
「がさつで悪かったな!」
「まぁ、誰に対しても同じ態度というのが、貴方のいいところでもありますが。あれでは少し、太公望殿が可哀想でしょう。……貴方だって、村人を助けようという気はあるのでしょう?」
「――この程度の妖魔、何も大将が出張るほどのことじゃねぇんだ。一言、軍の誰かに行って来いって言えばいいものを、あいつはいちいち、自分で……」
「すべて自分で抱え込んでしまうのが見ていられない、と。素直にそうおっしゃればいいのに」
「ば、馬鹿! 俺は別に……」
怒鳴り返そうとして、天化は口を閉ざした。
言葉巧みな楊セン相手では何を喚いても、さらりとかわされてしまうに決まっている。
時間の無駄は好まない。
睨みつけるだけで我慢しておく。
「で、どういう作戦なんだ」
「蛇は、生贄がいないと出てこないそうです。ですので、生贄を食らって、寝込んだところを――」
意外な言葉に、天化は驚く。
まさか、あいつに限って、人を犠牲にするような手を使うなんて。
信じられない。
「……おい、一人見捨てるってか!?」
「でないと、近寄ることもできないんですよ。湖の中に潜んでいるそうですから」
「……よくあいつが許したな」
「軍師殿でも、どうしようもないこと、というのはあるもんです。――貴方が加わってくれれば別ですけどね」
「何?」
「貴方なら、気配を気取られずに生贄の輿の近くに潜むこともできるでしょう。ですが、さっき、貴方は関わらないと言い切ってしまいましたからね、それで仕方なく……」
責めるように言われて、少し慌てる。
「ちょっと待て、俺のせいだってのか。……お前がやればいいだろうが」
「私はちょっと用事がありまして、今夜はここを離れなくてはならないのです。あんなにすごい美人なのに、残念です」
楊センの口調が変わった。
本当に、もったいない、とでも言いたげな。
「美人がなんだって?」
「生贄のことですよ」
「見たのか」
「ええ。あの人をむざむざ蛇神にやるのはもったいないですねぇ」
美女を見慣れていそうな楊センがここまで言うからには、かなりのものなのだろう。
「――仕方ねぇな」
ぼそりと言って背を向けた天化に、楊センはまた声を殺して笑った。
*
村人たちに運ばれて、生贄を乗せた輿が湖の前の開けた場所に置かれた。
彼らは、涙ながらにそれを置いて去っていく。
辺りが静まり返る。
降り注ぐ月光。
ふいに、水面に映る白銀が揺らめいた。
水を割って、大蛇が現われる。
大きな口が開き、毒を秘めた牙が闇夜に煌く。
湖を波立たせて、巨大な身体がゆっくりと岸に近づく。
その頭が、輿に触れそうになった時。
闇を光が切り裂いた。
「莫邪宝剣!」
宝貝の発する剣気が、妖蛇の首を一刀両断する。
大地を震動させるほどの絶叫を残して、巨大な頭が地に落ちた。
切断された下半身はまだ暴れているが、朝までには動かなくなるだろう。
他愛もない。
歳を経て、多少力を得ただけの妖魔だ。
身の程知らずにも程がある。
(さて、美人のお嬢さんを拝むとするか)
楽しみにしていなかったと言えばウソになる。
何せ、女っけのない戦場。
たまには少しくらい、いい思いをしたって誰も責めるまい。
ひらりと布をめくって、輿の中を覗きこむ。
そして……。
*
(やっぱり、来てくれたんだ、天化殿)
蛇が襲い掛かってきたところを打神鞭で……と思っていたものの、本当は少し自信がなかった。
攻撃する前に一飲みにされてしまうのではとか、幻惑術をかけ損ねてかえって暴れ出してしまうのでは、とか。
だから、宝貝の発する光が見え、内心期待していた声が聞こえた時には心底ホッとしていた。
ひらり、と布をめくって覗き込んできたのは、やはり天化。
「天化殿」
とびきりの笑顔で礼を言おう……と思ったのに。
一瞬の沈黙の後、あれ? という顔で天化が言った。
「……綺麗な姉ちゃんは?」
その言葉に、太公望は笑顔を凍らせる。
今、何と言った?
我に返った天化が、やり場のない怒りに喚き散らし始める。
「――楊センの奴! あの野郎、ハメやがったなぁ!」
ようやく分かってきた。
天化がここにやってきたのは、自分のためではなく――。
「天化……君って奴は――」
ようやく搾り出した声は、普段の人を安心させるのほほんとした調子とは全く違い、まるで氷のようだった。
さすがに天化もまずい、と思ったらしい。
「あ、いや、その、別に女が目的だったわけじゃ……」
あるくせに。
「天誅!」
「俺が悪かった! 打神鞭は止めろ、打神鞭は!」
闇に絶叫が響き渡った。
念の為に待機していたその他の道士たちは、出るきっかけを失って、茂みの奥で小宴会を始めていた。
*
翌日から、太公望の天化への口調がいきなりタメ口になった。
ついでに、天化は大将にしばらく頭が上がらなかったらしい。
楊センの「歩み寄り計画」は微妙に成功したようだ。
おまけ
「楊セン! てめえ、だましやがったなぁ!」
「おや、ウソは言っていませんが。この村の人間とも、女性とも言ってませんよ、私は。」
「〜〜〜〜っ!」
END
太公望が、いかにして天化にタメ口を叩くようになったか、でした。
実は、村人も、生贄が「女性」だなんて言ってないんですね(笑)。
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