草色の追憶
その日、陣営を訪れたのは、仙界からの使者だった。
優雅な立ち振る舞いの女道士。
「太公望様ですね。文殊師匠の命により、こちらの宝貝をお届けに……」
太公望が、うやうやしく差し出されたその宝貝を受け取る。
顔を上げた女道士は、驚きに息を飲んだ。
「尚? やだ、信じられない、尚よね?」
その言葉に、太公望は少し戸惑い……尋ね返す。
「――蓮華?」
「そうよ! 生きていたのね、よかった!」
遠慮なく抱きつかれて、太公望はびっくりしながらも、嬉しそうに微笑んだ。
「君こそ、よく無事で――」
「あの時、私は羊を売りに町に出ていたの。帰る所を無くして途方に暮れていたところを、文殊天尊様に助けられたのよ。それにしても驚いた。あなたが対妖魔軍の総大将だなんて。一体どういう経緯なの? ……ああ、話したいことがたくさんあるわ!」
紂王によって滅ぼされた、あの草原の邑。
渡る風、緑の海。
今も鮮やかに思い出せる若草の香。
けれど、最後の記憶は一面の焼け野原。
一人も生き残りはいないと信じていた。
太公望は、五年ぶりに自分と同じ出身の人とめぐり合ったのだった。
*
「なんなのよ、あの女! 太公望さんにべたべたしちゃって……」
「ししょーっ!」
女らしい妬み嫉みを隠そうともせず、さっきから嬋玉と白鶴は拳を振り上げて、喚きあっている。
普段のライバルも、新たな敵が現われたときには急遽、盟友となるらしい。
「……どうでもいいが、なんでお前ら、ここにいるんだ?」
ここは天化の天幕。剣の手入れをしていた天化にうんざりした声で言われ、二人は顔を見合わせ、うなずいた。
「ねぇ、天化。あの女の人、ここに呼んでくれない?」
「はぁ?」
「姜族の話が聞きたいとかなんとか言って。ね?」
「お願い〜」
彼女たちなりに、太公望から、彼女を引き離す方法を考えてきたらしい。
しかし、その後のことは考えていないのが、恋する乙女の怖いところ。
知り合いでもない男が、天幕に女性一人を引っ張り込んだりすれば、一体何を言われるか。
……というより、他の男のことはどうでもいいのか。
すげなく却下しようと思ったが、興味がないと言えばウソになる。
とうとう行くことのなかった北の草原。
そこに暮らしていた、少年時代の太公望。
知っているのは彼女だけだ。
「……結構美人だったなぁ……」
「「呼んできてあげるっ!」」
呟きを了解と取って、嬋玉と白鶴が駆け出していく。
「おい、ちょっと待……」
叫びかけたが、もう見えない。
まったく、あの二人、考えが子供過ぎる。
声をかけたって、妙齢の女性が一人で来るはずもない。
やれやれ、と天化は剣の手入れを続けた。
**
正直言って、驚いた。
本当に来るとは思っていなかった。
仙界で修行を積んだ道士ならではの落ち着きか、竜吉公主ほどではないが、その微笑みや仕草一つに、大人の女性の色香がある。
嬋玉や白鶴とは、ランクが違う。
優雅な動きに、服に焚きこめられたかぐわしい香りが漂う。
「お噂は、かねがね。黄天化様」
「それは光栄だ。もっとも、どんな噂だか」
「道徳真君様のご自慢のお弟子様が、仙界一の名剣、莫邪宝剣を受け継がれたことは、聞き及んでおりますわ」
名高い莫邪宝剣の行方は仙界でも話題のタネとみえる。
今はまだ、自分は莫邪のおまけのようなもの。
……そのうち、莫邪の名声を超える剣の使い手になってみせる。
「お聞きになりたいことって、尚のことですわね」
なんのためらいもなく呼び捨てにするのを聞いて、少しだけ内心むっとする。
お前の知らないことを知っているのだ、と宣言されたような気がして。
実際、ここにいる者たちはあいつのことを何もしらない。
あいつも何も言わない。
言いたくないだけならいい。
だが時折、信頼されていないのではという疑いが生じるのが辛い。
「あの子は、私たちの一族の神子。物心ついたときには、あの子はもう特別扱いされてましたわ」
昔を懐かしむ表情。
きっと、まぶたの裏に浮かんでいるのは、今はなき故郷の情景。
太公望と分かち合える記憶。
「神子なんて、聞こえはいいけれど、ただの軟禁。いつも小屋の窓から外を眺めてました」
そこから見ていたに違いない、果てしなく広がる緑の草の海。
風に流れる様子が美しいのだと言っていた。
「私、尚がおとなしく閉じ込められてるのが、まどろっこしくって、よくいじめたものです。小屋にカエル投げ込んだり」
おいおい。
「ところがあの子、素直なのが取り得でしょう。いじめられてるなんて夢にも思ってなくて、次に行ったらカエルを大切に可愛がっていたわ」
それは今でもやっているような気がする。
人間、そうそう変わるものではないらしい。
自分から聞いておきながら、『尚』がどんな風に話し、笑ったかを聞くたびに、胸の奥がちくり、と痛む。
知らない過去を自慢しているように感じられるのは、ただの妬みだと分かっている。
あんな、ぼけぼけ野郎のことで……まったく、大人気ない。
実際のところ、蓮華はほとんど尚――太公望と関わることはなかったらしい。
それ以上、あまりたいした昔話もなく、他愛ない会話が続いた。
ふいに、蓮華は軽くふくれ面をして見せた。
「天化様? 女といる時に他の人のことばかり話すのって、すごく失礼ですわよ」
「え? ああ、悪ぃ……」
とっさに答えてしまい、しまったと天を仰ぐ。
こういう時は、『君に見とれていたんだ』くらい言って誤魔化せばよかったのに。
「意外と素直ですこと。もっと世間ずれなさってる方かと思いました」
蓮華が軽やかに笑う。
ふと、笑いを収めると、真剣な表情で天化を見つめる。
「安心しましたわ。あの世間知らずの神子様に、貴方のような友人がいて。……守ってあげてくださいね。『私たちの神子』を」
「言われなくても、あれは『俺たちの大将』だ」
その言葉に、蓮華はにこりと微笑む。
天幕の上の明かり取りから月が見えたのに気づき、天化は蓮華に手を差し出した。
いくらなんでも、これ以上いられるとおかしな噂が流れる。
「蓮華殿。引き止めて悪かったな、仙界まで送ろう」
ほっそりした白い手が、ぐいと引き返してきた。
「あら、天化様? 天幕に一人呼んでおいて、このまま帰すつもりですの?」
潤んだ色っぽい流し目。
豹変に少し驚かされたものの、女の魔物ぶりを知らぬわけでもない。
据え膳食わぬはなんとやら、だ。
こんな綺麗な魔物になら、喰われてもいいかもしれない。
髪につけた香油の、いい香り。
――その時、天幕に白い固まりが飛び込んできた。
つむじ風のような勢いのまま二人の間につっこみ、ついでに緩みかけていた蓮華の襟元に潜り込む。
服の中に入られた蓮華が、ひきつった笑いの混じった悲鳴をあげる。
「い、いやーっ!」
「こら、マオル!」
「くすぐった……きゃーっ!!」
毛玉は蓮華が白旗を揚げるまで転がりまくっていた。
***
よろよろしながら、蓮華は騎獣に乗って仙界に戻っていった。
それをにっこりと見送る太公望の腕の中で、白い子猫が顔を洗っていた。
おまけ
太公望 「文殊天尊様のところには修行に行かなくていいからね」(にっこり)
天化 「(まだ怒ってんのかよ……)」
END
太公望に近づく者には、嬋玉と白鶴が手を組みますが、天化に近づく者には太公望と猫が手を組むんですにゃあ。
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