「月李」
顔も知らず、名前も聞かず、ただ言葉だけの約束。
それでもずっと願っていた。
またいつか会えるようにと。
コツコツ。
窓を叩く音。
「起きてるか?」
春とはいえ、夜はまだ冷える。
窓の下の友人に、太公望はきょとんとする。
「どうしたんだい、こんなとこから」
「ちょっと見せたいもんがあるんだが、行けるか」
「うん……」
「どうした?」
離れの客間を覗き込む。。
机や椅子が壁の方に押しやられていた。まるで、抜け道でも探していたような……。
「何してんだ、お前」
「この部屋、なんだか見たことあるような気がして。……お金持ちの家って、どこもこんな感じなのかな?」
「さぁ。よくある作りだろ」
――本当は、これほど手の込んだ作りの屋敷など、そうそうないのだが。
「行かないなら置いていくぞ」
「あ、待ってよ」
かすかに花の香りのする夜の澄んだ空気。
さっさと歩き出してしまう天化を追って、太公望は身軽く窓から飛び出した。
*
見せたかったのはこの光景。
月の光を受けて、咲き乱れる幻の月李。
「すごい! 昼間は咲いてなかったよね?」
「今日は満月だからな。満月の日の真夜中にだけ咲く、特別な花だ」
「ふーん……あれ、この花の香り――」
驚いたように振り返る。
「天化、この月李って他の場所にもあるのかい?」
「なんでだ?」
「昔、自分の邑を一度出たことがあるんだけど、泊まったお屋敷で月李をもらって。この花に香りがこれとそっくりだったんだ。もし咲いている場所が分かれば、その時の人に会えるかなって……」
「そ、そうか」
天化の返事は妙にそっけない。
「他にも、咲いているところって多いのかい?」
「珍しくはねぇだろ」
「そう……」
太公望がため息をついた時、割り込んだ声があった。
「この月李はここにしかありませんよ」
いつの間にどこから現われたものか。
月李の茂みの間から出てきたとしか思えない場所に、一人の青年がいた。
「こんばんは、若様。お久しゅうございます。……ここにお客様をお連れになるのでしたら、私にも声をかけていただかないと」
何故か慌てている天化に向かってにこりと微笑んだ後、太公望にも優雅に会釈する。
「初めまして、太公望様。お噂はかねがね。この月李園を任されております『庭師』です」
「あ、どうも」
つられてこちらも深々と頭を下げた後、太公望は恐る恐る尋ね返した。
「ところで、今なんて……」
『庭師』と名乗った青年が少し自慢気な表情で答える。
「この月李はここ、黄家の月李園にしかないと申し上げました。数百年に渡って、この私が丹精こめて世話してきた花ですから。他にあるわけありません」
「おい、よせって……」
必死に止めようとしている天化に、『庭師』はいたずらっぽい笑みを浮かべている。
『庭師』の言葉を、太公望は反芻していた。
数百年、と聞こえたような気がするが、気のせいだろうか。庭師にしては、ひどく風雅ないでたちの青年は、自分たちと同じくらいの歳に見える。
聞き間違いだろうと判断して、太公望は次の言葉を考える。
この月李はここにしかない……?
「それじゃ……あの時泊まったのは、やっぱりここ? それでは、十年くらい前にこの屋敷に僕くらいの歳の男の子はいませんでしたか。僕、子供の頃に、その人から月李をもらって……」
十年近く探し続けていた人のことが聞けるかもしれないという期待に、少々焦り気味に尋ねる。
にっこりと『庭師』が微笑み返す。
「貴方くらいの年齢の人は、黄家には一人しかおりませんよ。異国からのお客様の部屋へ行けたのも一人だけです。もちろん、私がこの月李を渡したのも。――ねぇ、若様?」
わざとらしく念を押されて、天化はがっくりと肩を落としたまま背を向けている。
『庭師』の言葉が一体何を示しているのか、ようやく分かってきた。
分かってはきたが……。
「え」
太公望が、庭師を見る。
「え?」
続いて、天化に目をやる。
「ええーっ!?」
叫んで、絶句する。
しばらく呆然と立ち尽くした後、ぱっと身を翻すなり、その場から駆け出してしまった。
「太公望!」
呼びかける声が闇夜にむなしく響く。
さわさわと風に揺れている月李の花は、まるで笑っているようだった。
取り残された天化は、恨みがましく『庭師』を睨む。
「お前なぁ……余計なこと言うから、怒らせちまったじゃねぇか!」
「柄にもなく隠し事なんかしているからですよ、若様。あれって、あの時の神子殿でしょう? せっかく再会できたのに、言わないなんて。あちらも探していたみたいじゃないですか。いいかげん、観念なさい」
「だからって……」
「いいじゃないですか。朝歌一の月李が咲くこんな素晴らしい月夜に、感動の再会ができたんです。怒るわけありませんって」
「ああ? 現に怒って――」
「確かめてきたらどうです」
そして渡される一本の鮮やかな香りの月李。
「いってらっしゃい」
にっこりと送り出される。
……絶対面白がってやがる。
あきらめて、天化は月李園を後にした。
*
想い続けていれば、きっといつか会える。
それがずっと支えだった。
今でもそれは変わらない――
案の定、太公望は少し離れた茂みの陰に隠れていた。
まるで、すねている子供のようだ。
「ひどいや」
背後の気配に気づいたのか、声をかける前に、完全にむくれた声が飛んできた。
この場合、天化は立場が悪い。……悪すぎる。
「別に、騙すつもりなんかなかったぜ。俺だって、最初は気づかなかったし、分かった後も言い出すきっかけがなかっただけで、その……」
男は言い訳なんかするもんじゃない。
――を信条にしていたはずなのに。やはり人間、いざとなると未練がましく言葉を探してしまう。
「えーと、だから、その……」
だめだ、弁解の余地がない。
「悪かったよ」
あきらめて、肩ごしに月李を差し出す。
「天化なんか、大キライだ」
言って、太公望が振り返る。
かんかんに怒っているかと思いきや。
仲間たちを魅了し倒してきた笑顔は、ようやく見つけた探し人にだけ向けられている。
「今度隠し事なんかしたら、絶対許さないからね」
とっておきの笑みと共に、月李の甘い香りが辺りに散った。
おまけ:
「あー、若い人はいいなー。私だってもう三百年くらい若ければ負けないんだけど」
呟く『庭師』の周りで、幻の白い月李の花が、さわさわと確かに笑っていた。
END
実は天化さんには、隠し事がもう一つあるんですよね。
そちらがバレるのはいつの日か?
今度はさすがに太公望さん、怒るゾ(笑)
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